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第一章 攫われハッピーウェディング
第1話 攫われた花嫁(予定)
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アリスが目を覚ますと、見覚えのない天井が広がっていた。
次に鈍い頭の痛みを感じ、苦痛に顔を歪める。
ゆっくりと首を横に向けると、傍には天蓋の青い布越しに誰かが座っているようだった。
「よかった、目が覚めたんだね? 僕、兄さんを呼んでくるよ!」
ガタッという音とともに立ち上がった人物は、慌てた様子で小走りしながら部屋を出ていった。声でおそらく男性ということだけわかった。彼は濃い紫色のローブを着てフードを被っており、肌や髪の色がまったくわからない。言葉の強弱の付け方が違う気がしたので外国人かもしれない、とアリスは消えゆく背中を見送りながら思案した。
「ああー……ゲホっ!」
アリスはドアが閉まってから声を出してみた。だが喉がカラカラに渇いておりまともに発声できなかった。しまいには咽込んでしまう。視界の端に水差しを見つけたものの、残念ながら体が動かない。そもそも見知らぬ部屋に用意された水など飲んでいいのかすら怪しい。
たぶん、攫われた。
ローブ男が出ていった部屋のドアを見つめながら、アリスは自分の記憶を遡った。
最後の記憶は週末の夜。
アリスは裕福とは言えない子爵家の長女。実家が経営する宿屋で働いており、一週間後には幼馴染で伯爵家の長男ハリーと結婚する予定だった。彼の家はこの地の領主でもある。
ある日アリスは仕事を終え馬車へと向かう道すがら、宿屋の裏路地で男女のカップルを見かけ、自分の目を疑った。
(あれは、ハリー?)
辺りは暗く、周辺の建物から漏れるわずかな光だけが頼りだが、婚約者を見間違うはずはない。目を疑ったのは彼が自分以外の女性相手に髪を撫で、唇を重ねていたからだ。
(嘘でしょう?)
相手の女性にも見覚えがあった。
「ハリー、姉さんが通るかもしれないわ。ここでは我慢しなくちゃ」
ハリーの相手は、アリスの妹エマだった。
くるくるとウェーブがかかった赤い髪。ぱっちりと丸い緑色の瞳。鈴が鳴るような明るい声と笑顔は、散りばめられたそばかすさえも彼女を魅力的に映す。
表情が乏しく気の利いた話ができないアリスは、いつも「無愛想な子」「かわいくない」「つまらない」などど二歳年下のエマと比べられて育った。
「アリス? 関係ないさ。いっそ見つかった方がいいかもな。婚約破棄するにしても話が早いだろう?」
「ダメよ! 私が両親に怒られちゃう!」
昔から自分勝手なところはあったものの、出会った頃から「他人なんか気にするな。お前は美人で控えめで優しくて俺の妻に相応しい」と言ってくれていたハリー。十年前、彼に出会ったあの日からアリスは他人にどう思われようとずっとハリーだけを見てきた。
(そっか。だから最近ハリーは冷たかったんだ)
実家の仕事と結婚式の準備が忙しくなるにつれ、ハリーの態度は冷たくなっていた。しかしそれは伯爵家の跡取りとして結婚し家族を迎えることへの責任に対してナーバスになっているだけだと思っていたのだ。
(……帰ろう)
アリスはふたりに見つからないよう別な道から馬車に向かおうと、数歩後退した。
直後に背中が何かにぶつかる。
それが人間だったことを知るのは、背後から思いきり羽交い締めにされたときだった。
「んんっ……!!」
声を出そうにも布で塞がれて叶わない。
どうやら薬が仕込まれていたようでアリスは体の力が抜け、意識が遠のいていった。
(誰か……助けて……)
そして気がついたのがこの部屋だった。
アリスは自分が攫われてどれほどの時間がたったのかわからなかった。首が動く範囲で確認したところ、窓はカーテンが閉まっておりそこから光が差し込んではいなかったので日の入りから日の出の間だろう。
次にアリスは攫われた理由を考えてみた。目覚たときにローブ男は確かに「よかった」と喜んでいたようなので、命を奪うつもりはなさそうだ。
しかしこれが貴族の令嬢を狙った誘拐事件で、身代金目的だったらどうだ。実家の宿屋は繁盛しているが、病弱な弟がおり家計に余裕はない。貴族でありながら家族総出で働かないといけないくらい、財産も乏しかった。
用済みと判断されたら、このままどことも知らぬ場所で処分されてしまうかもしれない。そう考えると恐怖で動かないはずの身がさらに縮こまるような思いだ。
「兄さん! 急いでください!」
「十分急いでいるさ。お前こそ人攫いをしておいて、よくそんなにはしゃげるな?」
突然ドアが開き、先ほどのローブ男が戻ってきた。さらにもう一人、黒髪の男性があとに続く。よからぬことを考えていたときだったので、アリスは彼らの入室に驚き、目を見開いた。思わず息を吸いすぎて再びゲホゲホと咽び込む。
「だ、大丈夫? さあこの水を……」
「っ……」
ローブ男が苦しむアリスに駆け寄って水差しからグラスに水を注ぎ、上体を起こそうと手を差し伸べた。
アリスは警戒心を持って拒絶し、ローブ男から顔を背けた。
「ウィリアム、まずはお前がその水を飲んで見せろ。彼女は警戒している」
「は、はい!」
入り口にいた黒髪男の言うことに従い、ローブ男は水を半分ほど飲んでみせた。残った半分を再びアリスの口元に持っていく。
アリスはグラスに口をつけ、少しずつ水を飲んだ。渇ききった口や喉をゆっくりと水が染み込んでいく。まだまだ足りない。グラスが空になるとローブ男がおかわりを注いだので、それも飲み干し大きく息を吐いた。
「少しは落ち着いたか?」
黒髪男がいつの間にかベッドの脇にいて、優しい笑顔をアリスに向けていた。褐色の肌には上質な絹のシャツを纏っている。顔も目鼻立ちがはっきりしていて、さらにどこか気品が漂っていた。とても人攫いの一味には見えない。だが彼は先ほどはっきり「人攫い」と言った。
「あ、の……ここは?」
アリスはまだ水分が足りないのか、喉の奥が絡むような感覚で言葉がうまく出てこない。直後にローブ男が三杯目の水を差し出したので一口だけ飲んで喉を潤した。
「ここはソイツの家だ。俺の名はファハド。国の有力者の息子で、ソイツは公にはしていないが俺の弟ウィリアムだ。アリス・ヴェンダー、まず俺たちは君に危害を加えるつもりはない」
黒髪男ことファハドはそう言って両手をあげ、敵意はないことをアリスに表明した。
簡単に信じてはいけないだろうが、アリスは寝心地のいいベッドや彼らの態度含め手厚い対応を見て、そのことには反論しないことにした。
「わかりました……。ファハドさん、私の名を知っているということは目的は私かヴェンダー家ですね? ここはどこであなたたちはなぜこのようなことを?」
「ああ、説明するよ。まずここは君の故郷ラウリンゼ王国から西へ二国挟んださらに先のアラービヤ共和国。この国の古い風習に「攫い婚」という婚姻方法がある。アリス、君は弟ウィリアムの花嫁に選ばれた。どうか我が弟と結婚してほしい」
「はあっ?」
アリスはつい先程まで声が出なかったとは思えないくらい、素|《す》っ頓狂|《とんきょう》な声を上げた。
次に鈍い頭の痛みを感じ、苦痛に顔を歪める。
ゆっくりと首を横に向けると、傍には天蓋の青い布越しに誰かが座っているようだった。
「よかった、目が覚めたんだね? 僕、兄さんを呼んでくるよ!」
ガタッという音とともに立ち上がった人物は、慌てた様子で小走りしながら部屋を出ていった。声でおそらく男性ということだけわかった。彼は濃い紫色のローブを着てフードを被っており、肌や髪の色がまったくわからない。言葉の強弱の付け方が違う気がしたので外国人かもしれない、とアリスは消えゆく背中を見送りながら思案した。
「ああー……ゲホっ!」
アリスはドアが閉まってから声を出してみた。だが喉がカラカラに渇いておりまともに発声できなかった。しまいには咽込んでしまう。視界の端に水差しを見つけたものの、残念ながら体が動かない。そもそも見知らぬ部屋に用意された水など飲んでいいのかすら怪しい。
たぶん、攫われた。
ローブ男が出ていった部屋のドアを見つめながら、アリスは自分の記憶を遡った。
最後の記憶は週末の夜。
アリスは裕福とは言えない子爵家の長女。実家が経営する宿屋で働いており、一週間後には幼馴染で伯爵家の長男ハリーと結婚する予定だった。彼の家はこの地の領主でもある。
ある日アリスは仕事を終え馬車へと向かう道すがら、宿屋の裏路地で男女のカップルを見かけ、自分の目を疑った。
(あれは、ハリー?)
辺りは暗く、周辺の建物から漏れるわずかな光だけが頼りだが、婚約者を見間違うはずはない。目を疑ったのは彼が自分以外の女性相手に髪を撫で、唇を重ねていたからだ。
(嘘でしょう?)
相手の女性にも見覚えがあった。
「ハリー、姉さんが通るかもしれないわ。ここでは我慢しなくちゃ」
ハリーの相手は、アリスの妹エマだった。
くるくるとウェーブがかかった赤い髪。ぱっちりと丸い緑色の瞳。鈴が鳴るような明るい声と笑顔は、散りばめられたそばかすさえも彼女を魅力的に映す。
表情が乏しく気の利いた話ができないアリスは、いつも「無愛想な子」「かわいくない」「つまらない」などど二歳年下のエマと比べられて育った。
「アリス? 関係ないさ。いっそ見つかった方がいいかもな。婚約破棄するにしても話が早いだろう?」
「ダメよ! 私が両親に怒られちゃう!」
昔から自分勝手なところはあったものの、出会った頃から「他人なんか気にするな。お前は美人で控えめで優しくて俺の妻に相応しい」と言ってくれていたハリー。十年前、彼に出会ったあの日からアリスは他人にどう思われようとずっとハリーだけを見てきた。
(そっか。だから最近ハリーは冷たかったんだ)
実家の仕事と結婚式の準備が忙しくなるにつれ、ハリーの態度は冷たくなっていた。しかしそれは伯爵家の跡取りとして結婚し家族を迎えることへの責任に対してナーバスになっているだけだと思っていたのだ。
(……帰ろう)
アリスはふたりに見つからないよう別な道から馬車に向かおうと、数歩後退した。
直後に背中が何かにぶつかる。
それが人間だったことを知るのは、背後から思いきり羽交い締めにされたときだった。
「んんっ……!!」
声を出そうにも布で塞がれて叶わない。
どうやら薬が仕込まれていたようでアリスは体の力が抜け、意識が遠のいていった。
(誰か……助けて……)
そして気がついたのがこの部屋だった。
アリスは自分が攫われてどれほどの時間がたったのかわからなかった。首が動く範囲で確認したところ、窓はカーテンが閉まっておりそこから光が差し込んではいなかったので日の入りから日の出の間だろう。
次にアリスは攫われた理由を考えてみた。目覚たときにローブ男は確かに「よかった」と喜んでいたようなので、命を奪うつもりはなさそうだ。
しかしこれが貴族の令嬢を狙った誘拐事件で、身代金目的だったらどうだ。実家の宿屋は繁盛しているが、病弱な弟がおり家計に余裕はない。貴族でありながら家族総出で働かないといけないくらい、財産も乏しかった。
用済みと判断されたら、このままどことも知らぬ場所で処分されてしまうかもしれない。そう考えると恐怖で動かないはずの身がさらに縮こまるような思いだ。
「兄さん! 急いでください!」
「十分急いでいるさ。お前こそ人攫いをしておいて、よくそんなにはしゃげるな?」
突然ドアが開き、先ほどのローブ男が戻ってきた。さらにもう一人、黒髪の男性があとに続く。よからぬことを考えていたときだったので、アリスは彼らの入室に驚き、目を見開いた。思わず息を吸いすぎて再びゲホゲホと咽び込む。
「だ、大丈夫? さあこの水を……」
「っ……」
ローブ男が苦しむアリスに駆け寄って水差しからグラスに水を注ぎ、上体を起こそうと手を差し伸べた。
アリスは警戒心を持って拒絶し、ローブ男から顔を背けた。
「ウィリアム、まずはお前がその水を飲んで見せろ。彼女は警戒している」
「は、はい!」
入り口にいた黒髪男の言うことに従い、ローブ男は水を半分ほど飲んでみせた。残った半分を再びアリスの口元に持っていく。
アリスはグラスに口をつけ、少しずつ水を飲んだ。渇ききった口や喉をゆっくりと水が染み込んでいく。まだまだ足りない。グラスが空になるとローブ男がおかわりを注いだので、それも飲み干し大きく息を吐いた。
「少しは落ち着いたか?」
黒髪男がいつの間にかベッドの脇にいて、優しい笑顔をアリスに向けていた。褐色の肌には上質な絹のシャツを纏っている。顔も目鼻立ちがはっきりしていて、さらにどこか気品が漂っていた。とても人攫いの一味には見えない。だが彼は先ほどはっきり「人攫い」と言った。
「あ、の……ここは?」
アリスはまだ水分が足りないのか、喉の奥が絡むような感覚で言葉がうまく出てこない。直後にローブ男が三杯目の水を差し出したので一口だけ飲んで喉を潤した。
「ここはソイツの家だ。俺の名はファハド。国の有力者の息子で、ソイツは公にはしていないが俺の弟ウィリアムだ。アリス・ヴェンダー、まず俺たちは君に危害を加えるつもりはない」
黒髪男ことファハドはそう言って両手をあげ、敵意はないことをアリスに表明した。
簡単に信じてはいけないだろうが、アリスは寝心地のいいベッドや彼らの態度含め手厚い対応を見て、そのことには反論しないことにした。
「わかりました……。ファハドさん、私の名を知っているということは目的は私かヴェンダー家ですね? ここはどこであなたたちはなぜこのようなことを?」
「ああ、説明するよ。まずここは君の故郷ラウリンゼ王国から西へ二国挟んださらに先のアラービヤ共和国。この国の古い風習に「攫い婚」という婚姻方法がある。アリス、君は弟ウィリアムの花嫁に選ばれた。どうか我が弟と結婚してほしい」
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