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気になる私の色と彼の形
5話
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翌日の朝は、最近のうちではスッキリと目覚めた方だった。
私を起こしに来た母が、タクマさんには階下の客室を使ってもらってると言う。
「朝早くから、近所に散歩に行ってくるって出てるみたい。 きちんとお布団も綺麗に畳んで。 まだ若いのに、市役所の役付だとか。 しっかりしてるのねえ」
むむ。 私が起こしてあげたかったのに。
だけど床に足を着けると、意外に体が重く感じた。
「昨晩もだけど、まだ微熱があるようね。 土曜もやってる病院って、限られるのよねえ」
私のおでこに手を当て困り顔の母の後ろから、タクマさんが戸口にひょいと顔を出してきた。
「オレ運転して病院連れて行きます。 よければ」
タクマさんは軽く日用品などの買い出しに出掛けていたようだ。
近所の大型スーパーの袋を抱えている。
何の用意もなしにうちに滞在することになったのだから、色々入り用になったのかもしれない。
「あ、ありがとう……」
「まあ……私が運転出来ないから、有難いわ本当に。 それなら早速朝食を……あっ、お鍋が!!」
「味噌汁の鍋なら火、消しときましたけど」
「まあまあ……何から何まで」
母もすっかりタクマさんに感じ入った様子で、じゃあ、あとでね! と機嫌よく階段を降りていった。
「タクマさんおはよう。 昨晩から色々ありがとう。 早起きしたの? 枕が変わって眠れなかったりしなかったかな?」
「まあ……別に」
いつもにも増してぶっきらぼうな彼だが、機嫌が悪いというまででは無いらしい。
「……でも熱って、フラつくんじゃね? 一緒に階下行くんなら肩貸すか?」
「あ……あり」
そして今朝も彼は優しい。
これは、昨晩に引き続き、思いっ切り甘やかしてくれるということだろうか。
でもこんな彼につけ込む真似なんか、彼女として、いや人として、どうなんだろう?
「無理すんなよ。 オレにやれることあんなら」
そんなタクマさんの、私を気遣う表情にチクリと胸が痛む。
痛むのだけど。
「なんか、た、立てない……みたい?」
しばらくと心の中で攻防を繰り返してた私の中の悪魔が、良心をポイッとゴミ箱に捨てた。
「……オマエ、具合悪ぃクセに、なんでそんな嬉しそうな顔してんだよ」
「し、してないよ」
「でもま、体も熱いし顔も赤いからな」微妙な表情で私を抱き上げているタクマさんが、階段を降りている。
祝。初めての、お姫様抱っこ。
こんな日が来るなんて思わなかった。
じーんと胸に去来する感慨深さに、涙ぐみそうになる。
「少し痩せたか。 こないだより」
そう言ってため息をつくタクマさん。
そういえば、以前も私の意識のない時に、別荘で運んでもらったのだと思い出した。
……気付かないうちにも、私って色々甘えてるんだなあ。
「あの、もう大丈夫かも…です」
「これぐらい遠慮すんな」
キッチンに踏み入ると、ダイニングテーブルに備え付けの椅子に座っていた、ジョギング帰りの父が顔を上げた。
「拓真くん、悪いね。 本来は私が仕事を休」
「綾乃にはお粥を……あら」
抱っこしてた私を椅子に下ろし、その様子を注視している両親に気付いて、タクマさんが説明した。
「ああ、フラついて危ないんで。 ここでいいか?」
「ソファの方が、楽じゃないかしら……でも、懐かしいわよね。 私も昔はよくああやって」
いつもの朝食にしては所狭しと並べられるお皿たちがテーブルに乗り切れずに、ソファのローテーブルにまで進出している。
両親の、タクマさんに対する歓迎ぶりが分かるというものだろう。
「そうか? 今も佐和子さんを寝室に運ぶ時は、いつもそうしてるだろう」
「裕之さんったら……」
頬に手を当ててぽっと顔を赤らめる佐和子に対し、愛おしげに目を細める裕之。
そんな両親からあえて視線を外し、タクマさんが私を抱えソファへと移動する。
「ふふ。 昨晩もね」
覚束なくネギを刻む母を見詰めたあと、父が微笑みながらテーブルの上の動画のニュースに目を落とす。
「……アレとオレを一緒にすんなよ」
「分かったよ……ごめんね。 朝から変な昼ドラ見せて」
「平和な分、昼ドラよりゃマシだけどな」
ダイニングテーブルを背に、並んでソファに腰掛けている私たちがこそこそと言葉を交わし合う。
仲良きことは美しきかな。
そうはいっても。
これを見慣れてる私でさえ、たまに食傷するぐらいたから、素人にはさぞキツいだろう。
なるべく姿勢を低くして、タクマさんが空中に乱舞するハートマークを避けていた。
◆
家から車で約十五分。
父の事務所の産業医の人から診断書を作成してもらい、そのあと母とタクマさん、私の三人は土曜診療をしている総合病院へと向かった。
「診断書と問診の通り、免疫力が全体的に落ちているようです」
お医者さんの説明によると、なんでも、白血球や血液中に元々含まれている免疫抗体が、普通の三分の一以下しかないとか。
「栄養や睡眠不足を避けてくれぐれも安静に。 生理不順もあるようですけど、気を付けないとますます悪化して、不妊の原因にもなりますよ」
それから漢方薬を処方され、一週間様子を見るのでまた来るように、と言われた。
「とりあえず少しは安心して、いいのかしら……でも、お昼のアルバイトは控えなさいね?」
そう帰りの車内で母に言われたけど、確かに長時間の立ち仕事は、今は止めた方がいいかもしれない。
お店の人にも迷惑をかけてしまったし。
「……はい」
「家庭教師も、こうなったら大人同士の話になると思うから」
……そうなるような気がしていたのだけど、私としてはなんだか、ここで辞めるのは時期尚早な気がしていた。
それでそのことを、今朝がたタクマさんに相談をした。
私の話をじっと聞いていたタクマさんは、そのあとに「分かった」とひと言だけ、私に言ったのだ。
「ああ、それ」
車のバックミラー越しに、後部座席の母に向かってタクマさんが呼びかける。
「明日一度、綾乃とオレがその家に行ってみます」
「え、まあ……? でもそれは」
「それで拉致があかなかったら、大学の派遣先と、双方の親の間の解決ってことで。 今朝綾乃の話聞いてたら、今のバイト自体は嫌じゃなさそうなんで。 体力的にも短時間の家庭教師なら、無理はないと思いますし」
「そう……。 分かったわ。 そうね、綾乃ももう18だものね。 拓真さん、本当にありがとう」
「オレこそいきなり厄介なって」
「ふふっ……目の保養で充分お釣りが来るから構わないわ」
「お母さん……そんなこと言うと、お父さんが拗ねちゃうよ」
「そうなの。 そして、そんな裕之さんがまた愛おしくて素敵……」
それから車窓に視線を移した母はほう、とため息をついたまま、父の働く事務所の辺りを見詰め続けていた。
私を起こしに来た母が、タクマさんには階下の客室を使ってもらってると言う。
「朝早くから、近所に散歩に行ってくるって出てるみたい。 きちんとお布団も綺麗に畳んで。 まだ若いのに、市役所の役付だとか。 しっかりしてるのねえ」
むむ。 私が起こしてあげたかったのに。
だけど床に足を着けると、意外に体が重く感じた。
「昨晩もだけど、まだ微熱があるようね。 土曜もやってる病院って、限られるのよねえ」
私のおでこに手を当て困り顔の母の後ろから、タクマさんが戸口にひょいと顔を出してきた。
「オレ運転して病院連れて行きます。 よければ」
タクマさんは軽く日用品などの買い出しに出掛けていたようだ。
近所の大型スーパーの袋を抱えている。
何の用意もなしにうちに滞在することになったのだから、色々入り用になったのかもしれない。
「あ、ありがとう……」
「まあ……私が運転出来ないから、有難いわ本当に。 それなら早速朝食を……あっ、お鍋が!!」
「味噌汁の鍋なら火、消しときましたけど」
「まあまあ……何から何まで」
母もすっかりタクマさんに感じ入った様子で、じゃあ、あとでね! と機嫌よく階段を降りていった。
「タクマさんおはよう。 昨晩から色々ありがとう。 早起きしたの? 枕が変わって眠れなかったりしなかったかな?」
「まあ……別に」
いつもにも増してぶっきらぼうな彼だが、機嫌が悪いというまででは無いらしい。
「……でも熱って、フラつくんじゃね? 一緒に階下行くんなら肩貸すか?」
「あ……あり」
そして今朝も彼は優しい。
これは、昨晩に引き続き、思いっ切り甘やかしてくれるということだろうか。
でもこんな彼につけ込む真似なんか、彼女として、いや人として、どうなんだろう?
「無理すんなよ。 オレにやれることあんなら」
そんなタクマさんの、私を気遣う表情にチクリと胸が痛む。
痛むのだけど。
「なんか、た、立てない……みたい?」
しばらくと心の中で攻防を繰り返してた私の中の悪魔が、良心をポイッとゴミ箱に捨てた。
「……オマエ、具合悪ぃクセに、なんでそんな嬉しそうな顔してんだよ」
「し、してないよ」
「でもま、体も熱いし顔も赤いからな」微妙な表情で私を抱き上げているタクマさんが、階段を降りている。
祝。初めての、お姫様抱っこ。
こんな日が来るなんて思わなかった。
じーんと胸に去来する感慨深さに、涙ぐみそうになる。
「少し痩せたか。 こないだより」
そう言ってため息をつくタクマさん。
そういえば、以前も私の意識のない時に、別荘で運んでもらったのだと思い出した。
……気付かないうちにも、私って色々甘えてるんだなあ。
「あの、もう大丈夫かも…です」
「これぐらい遠慮すんな」
キッチンに踏み入ると、ダイニングテーブルに備え付けの椅子に座っていた、ジョギング帰りの父が顔を上げた。
「拓真くん、悪いね。 本来は私が仕事を休」
「綾乃にはお粥を……あら」
抱っこしてた私を椅子に下ろし、その様子を注視している両親に気付いて、タクマさんが説明した。
「ああ、フラついて危ないんで。 ここでいいか?」
「ソファの方が、楽じゃないかしら……でも、懐かしいわよね。 私も昔はよくああやって」
いつもの朝食にしては所狭しと並べられるお皿たちがテーブルに乗り切れずに、ソファのローテーブルにまで進出している。
両親の、タクマさんに対する歓迎ぶりが分かるというものだろう。
「そうか? 今も佐和子さんを寝室に運ぶ時は、いつもそうしてるだろう」
「裕之さんったら……」
頬に手を当ててぽっと顔を赤らめる佐和子に対し、愛おしげに目を細める裕之。
そんな両親からあえて視線を外し、タクマさんが私を抱えソファへと移動する。
「ふふ。 昨晩もね」
覚束なくネギを刻む母を見詰めたあと、父が微笑みながらテーブルの上の動画のニュースに目を落とす。
「……アレとオレを一緒にすんなよ」
「分かったよ……ごめんね。 朝から変な昼ドラ見せて」
「平和な分、昼ドラよりゃマシだけどな」
ダイニングテーブルを背に、並んでソファに腰掛けている私たちがこそこそと言葉を交わし合う。
仲良きことは美しきかな。
そうはいっても。
これを見慣れてる私でさえ、たまに食傷するぐらいたから、素人にはさぞキツいだろう。
なるべく姿勢を低くして、タクマさんが空中に乱舞するハートマークを避けていた。
◆
家から車で約十五分。
父の事務所の産業医の人から診断書を作成してもらい、そのあと母とタクマさん、私の三人は土曜診療をしている総合病院へと向かった。
「診断書と問診の通り、免疫力が全体的に落ちているようです」
お医者さんの説明によると、なんでも、白血球や血液中に元々含まれている免疫抗体が、普通の三分の一以下しかないとか。
「栄養や睡眠不足を避けてくれぐれも安静に。 生理不順もあるようですけど、気を付けないとますます悪化して、不妊の原因にもなりますよ」
それから漢方薬を処方され、一週間様子を見るのでまた来るように、と言われた。
「とりあえず少しは安心して、いいのかしら……でも、お昼のアルバイトは控えなさいね?」
そう帰りの車内で母に言われたけど、確かに長時間の立ち仕事は、今は止めた方がいいかもしれない。
お店の人にも迷惑をかけてしまったし。
「……はい」
「家庭教師も、こうなったら大人同士の話になると思うから」
……そうなるような気がしていたのだけど、私としてはなんだか、ここで辞めるのは時期尚早な気がしていた。
それでそのことを、今朝がたタクマさんに相談をした。
私の話をじっと聞いていたタクマさんは、そのあとに「分かった」とひと言だけ、私に言ったのだ。
「ああ、それ」
車のバックミラー越しに、後部座席の母に向かってタクマさんが呼びかける。
「明日一度、綾乃とオレがその家に行ってみます」
「え、まあ……? でもそれは」
「それで拉致があかなかったら、大学の派遣先と、双方の親の間の解決ってことで。 今朝綾乃の話聞いてたら、今のバイト自体は嫌じゃなさそうなんで。 体力的にも短時間の家庭教師なら、無理はないと思いますし」
「そう……。 分かったわ。 そうね、綾乃ももう18だものね。 拓真さん、本当にありがとう」
「オレこそいきなり厄介なって」
「ふふっ……目の保養で充分お釣りが来るから構わないわ」
「お母さん……そんなこと言うと、お父さんが拗ねちゃうよ」
「そうなの。 そして、そんな裕之さんがまた愛おしくて素敵……」
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