朝凪の口付け

妓夫 件

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昨日までとは違う海

1話

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「タクマさーんっ!!」

いつもの場所、いつもよりも、少し早めの時間。

やっと陽が昇ってきたピンク色の空の下、彼が私に向かって微笑んでいる。タクマさんのちょっと抑えた、見惚れるような笑顔を朝から眺められるなんて、三回に一回あるかないかの幸運だ。

「よお。 綾乃」

「お、おはよ! なんでタクマさん、こんな早い時間に来てるの?」

まさかタクマさんがもういるとは思わなかった。
私の方は今朝は早くに目が覚めて、ソワソワしどおしで、ついつい足がここに向いたんだけど。
駆け寄った私に片膝を立てて座って見上げた彼が、ふいと顔を逸らす。

「……言わなきゃ分かんねぇか?」

「え、なにを?」

「オマエに会いたいからって」

「……っ!!」

 タクマさんってば……!

きゅんきゅん胸が締め付けられるのが苦しすぎて、私が両手で自分の衣服の衿元をぎゅっと押さえる。
なに突っ立ってんの? 隣、来いよ。促されるまま座り込んだ私の肩に手が伸びて、大きな手のひらが私を引き寄せた。

また今日が始まろうとしている。 
もうじき、いくつもの光の帯が寄り添っている私たちを包んでく。


 ◆


────なんてさ、妄想するのは個人の自由だからね……

「……いるわけないし、せっかく連絡先交換したのに、結局タクマさん、お返事くれなかったし」

午前三時過ぎ。

眼前の、黒と灰色がとどろくだけの鬱屈とした景色を眺める。
薄手のシャツを羽織った自分の体を両腕で抱き締めた。

「普通、こういうのってもっと幸せな気分じゃないのかなあ……」

思わずため息をついた。

寝ちゃったら、昨日のことは実は夢だったのです、なんてオチが怖くて、結局一睡も出来なかった。
恋愛って、まともに手を出すと、どうやらジェットコースターみたいに落差が激しいらしい。

あの時のことをなんども思い出そうとしては自分の唇に触れる。キスしてくれたってことは、『そう』なんだよね?

そして昨晩『両想い』の意味を改めて調べたりして、するとなぜだろう。私はますます不安になった。


《goo国語辞典より》
両想い……
    お互いに思いが通じ合っていること。相思相愛。
     →私の方がずっと好きなんだから、実はこれは当てはまらないのでは?

付き合う……
 1.行き来したりして、その人と親しい関係をつくる。交際する。「隣近所と親しく―・う」
 2.恋人として交際する。「今―・っている彼女」
     →両想いでないとすれば、私たちの関係は1. の方なのでは?


「……そんなの、今までと変わんないってことだもの」

冷たく少し湿った砂地。それにも関さず仰向けに寝転んで、目をふせる。
夜の波音は朝のそれとは違う。ざわざわと、不穏に揺れては忍び寄る。

こんなちっぽけな私の不安なんて、真っ黒な海にまみれて飛び散ってしまえばいいのに。バラバラになって、ゆくあてもなく海面をさまよって。 

波打ち際を歩くタクマさんに、しぶきと一緒に、ひとつの欠片でも届けばやっと私は安らかに眠れるんだろう。


「────乃」


ザザン…──ザザ────……


「……ボケ乃」

ボケじゃないもん。


「!!!……いだあっ!?」

突然、おでこに激痛が走って、痛みの反動で自分の体が二、三回ゴロゴロ転がった。

「……若い女が地べたで安らかに寝てんな。 アホだろオマエ」

なになに今私、デコピンされたの?

「な、なんで?  親にもぶたれたことないのに」

涙目で、ズキズキと痛むおでこを抑えながら身を起こす。 

薄灰色の海を背景に、いつの間にかタクマさんが目の前でしゃがんで、心底呆れたように私を見ていた。

「言わなきゃ分かんねえのか?」

「え……私に会いたかったからって?」

そんな、ゴミでも見るような目でこっちみなくても。


「ったく……今朝は雨って予報で見たからな。 連絡しても既読ねえし、まさかと思って来てみれば……案の定いるのかよ」

「雨……」

そういえば。目を上げると丁度、ポツリと落ちてきた水粒が私の腕を濡らした。暗い色の雲から遠慮がちに明けかけた今朝の空からは、朝陽は拝めそうもなかった。

雨の日は、いつもタクマさんはここへは来ない。と、いうことは。

「2.の方だよね!?」

両想いに変わったから、だからタクマさんは私に会いに来たのだとの結論に、私は至った。

「は、2?……とにかくオマエは三回に一回ぐらい、人の話聞け。 スマホは」

「はい! あ、忘れてきた……かな?」

タクマさんの、真顔で無理やり作ったみたいな笑顔がちょっと怖かった。
それが逆に、いかにも現実っぽくて私の口角がつい上がってしまう。
そんな私を不審げに横目で見て、彼が海岸と反対方向に踵を返した。

「……いい。 雨足が強くなってきたし、行くぞ」

「え、どこに?」

「とりあえず、朝メシとか。 オマエ明日東京帰んだろ? 車そこに置いてっから」

「っ!! ホント?」

なかばスキップでもしそうに浮かれた足取りで、タクマさんの後に続く。
うれしさの勢いで、つい彼の腕を取ってしまったけど、振り払われる様子はなかった。そのまま話し続ける私にタクマさんが相槌を打ち、私たちは浜辺を歩く。

「でも、昨日返信してくれればよかったのに」

彼の腕ってあったかくて長くて硬いんだ。

いつもは会えなかった雨の朝。
今はタクマさんが傍にいる。

「……画面一ページにわたって昨日の昼メシのメニュー語られても困惑するだろが。 なんか美味いもん食わせろってアピールなんかなと」

「そんなつもりじゃ……なかったけど。  何書けばいいか、分かんなくって?」

「……いいけど。 砂落とさねえと乗せてやんね」

「わっ! 落とします、落とします!」

「あと、一人であそこ寝んの禁止な。 今度やったら、重しつけて海に放り投げるから」

確実に殺る気だよねそれ。冗談にしてはやっぱりタクマさんの目は笑ってなかったので、私は顎を引いてこくこくこくこくと頷いた。

「朝の六時からやってるとこなんて、んなねぇぞ。 ゼータク言うなよ」

さえないお天気と同じに、きっと私はどんなに不味い食事でも美味く感じると思う。


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