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誰より優しく奪う

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「………ん」

いつもよりも広く心地好く沈むベッドに違和感を感じて目を開けた。

自分の隣に何かがいる。そして裸だ。

寝る前の出来事を頭の中で整理するまでしばらくかかった。
それに動揺する前に、透子は隣でスースーと穏やかな寝息を立てている人物におそるおそる目をやった。

静は斜め向こうに顔を傾けて眠っていた。
浅いカーブを描く幅広の瞼に細く長いまつ毛がみえる。それから、男性性を感じる直線的な額。 日本人にしては高い鼻梁。
反面、きめ細かで白い肌や薄桃の唇の色彩は優美さをたたえ。

普段から芸能人などに興味のない透子でも認めざるを得ない。 いわゆるイケメンとは、こういう造形なのだろう。


こんな人を初めてをした。
不思議とそれに対する後悔はまったく無く、ひそかに胸を高鳴らせじっくりと眼福に預かる。

しかしこの人は何かを彷彿とさせる。

考えようとして、ふと部屋にある窓の外を見た。 そろそろ暗がりを迎えようと陽が落ちかけている。

(こんなことしてる場合じゃない)

遅くなるとみんなが心配する。
体を起こした透子は考え込んだ……果たしてお義母さんたちが自分の心配なんかするのかな?

「……とにかく帰らなくちゃ」

どちらかというと、下手をしたら『八神さんと既成事実!』とかなんかと大盛り上がりしそう、想像するとぞっとした。


静を起こさないようベッドを抜け出し、隣室で素早く衣服を身に付ける。 
ほんの少しだけ内部や衣擦れの肌に違和感を感じた。

『明朝一緒に庭を見に行こう』

きらびやかな笑顔の静を思い出したがブンブンと頭を横に振った。

「ここで外堀を固められる訳にはいかないもの」

これは地位のある静のためでもある。
いくら未経験でも、彼がとても優しく自分を抱いてくれたことは分かる。
静と今後どうこうなんて、おこがましいことを考える気なんてない。
生きてきて二十年。 透子は自分が好きになった異性とは、今までとことん縁がなかった。 

ほんの小さく息を吐き、今一度、天井が高く一流ホテルのような室内を見渡してから、戸口でぺこんと頭を下げた。

「……ありがとうございました」

廊下に出て屋敷内の元来た道に足を進めた。



「透子様。  どちらへ」

螺旋階段に差し掛かるところで、落ち着いた声で話しかけられ飛び上がる。

「し、執事さん」

「青木と申します。  お帰りで?  静様からはなにも申しつかっておりませんが」

「ええと。  彼はつ、疲れているので少し休みたいと」

「………」

踊り場で青木が透子を見あげた。
糸のような彼の目は穏やかそうに見えるが、感情が読みづらい。

「それであの……出来ればタクシーを呼んでいただければ」

ここがどこかもよく分からないので、と付け加える。

「はい、ご心配には及びません……しかしまあ、そうですね。  明日は大事な会議もありますし。  まだ23歳の静様には休養も必要でしょう」

「あの人ってそんなに若いんですか」

パッと見は置いといてもあの異様な落ち着きよう。
自分とたったの三つ違いとは。

「そういえば……大学に行った後に働き始めてから確か二年、と聞きました」

「静様はずっと英国に居りましたから。  大学院を飛び級でご卒業され、二十一歳の時に帰国いたしました」

うっ──……世界が違う。

「そ、それって多分アレですよね。 ケンブリッジとかオックスフォードとか」

「おや、よくお分かりで」

「はあ……お約束なんですね」

「約束、ですか?  とにかくすぐに支度をさせますから少々お待ちを」

財力と地位。 美貌に脳みそ。
それだけなにもかも持ってるなら、初対面の彼のあの態度も、無理はないのかもしれない。

態度……

『透子。 大丈夫だから』

突如、ベッドの中での出来事が透子の脳内で再生された。
顔が一気に火照る。 生々しい記憶を頭の上で両手で振り回し、バババッとモザイクで隠しつつかき消す。

「透子様、迎えが参りました」

「は、はいっ!!」

青木の声に我に返り、慌てて玄関口へと向かった。 青木も外に出て、車に乗った透子に丁寧にお辞儀をして見送ってくれる。

「……またのお越しをお持ちしております。  今度はごゆっくりとお食事でも」

それに曖昧な表情を返した。

「ありがとうございます。  ここは少し都心から離れていそうですが、静さんはこのお屋敷に住んでるんですか?」

「都内の別宅と半々ですね。  静様はこの国立の家には滅多に人を呼びません」

車が動き出したので、青木に向かって頭を下げた。
ということは、ここが本宅ということ?
それにしては他に誰か住んでいる気配がなかったと思い返した。

「……私には関係ないか」

前を向いた透子がポツリと呟く。
静が掛けてくれた言葉を覚えている。 それでも身分諸々の違いや自信のなさが勝ってしまう。
その上、それよりも自分は今、ふわふわと恋愛などをしている場合ではないと思っている。


……そう──現実問題として、白井透子(20歳)は、自分史上最大の、財政難であった。





高卒の透子は初任給17万円の田舎の職場で働いていた。
実際、二年働いただけでは蓄えも心許ない状況の現在。

(本当は、ここに引っ越してからすぐ働くつもりだったのになあ)

家に帰ってお風呂に入り、悶々と考えながら廊下で従姉の咲希とばったり鉢合わせる。

歳が近いとはいえ、昔から咲希の応対はどこか冷ややかだった。 そのせいで普段からあまり会話をしないが、その晩は咲希の方から話しかけてきた。

「今日は随分遅くまでおうちデートだったとか。  八神さんは優しい?」

「……はい、とても」

少なくとも今日の彼は。
顔が赤くないといいんだけど。 ドキドキしながら答える透子に沙紀が怪訝な表情を返した。

「透子ちゃんって趣味が変わってるよね。  いつも家に籠りっきりだし………八神さんみたいな家の人と付き合うんなら、もう少し外へ出たら?」

女子大の院生である咲希は透子と違い華やかなタイプで、夜はよく出掛けているようだ。


顎に手を当てた透子は部屋に戻り、ふと顔をあげて呟いた。

「ん?  ああ……そっか」

これは使えるかもしれない。


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