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町のネズミと田舎のネズミ
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ある一匹の田舎のネズミの元に手紙が届いた。
高校卒業を期に上京した、元同級生からの手紙であった。
『都会の生活は最高です。ここには故郷にないものがたくさんあります。』
そこには誠にエレガンスでファビュラスな、ドラマの中のような生活が記されていた。
手紙はこう締めくくられていた。
『最近は仕事帰りにショットバーで一杯やるのが習慣になっています。今はギムレットにハマっています。』
田舎のネズミにはギムレットが何なのかを知らなかったが、どうやらシャレたアルコール飲料であることだけはわかった。
その単語は彼の脳内に、とても甘美に響いた。
なにしろ、このあたりの人々が飲むものといえば、芋焼酎の一升瓶か養命酒くらいが関の山なのだ。
田舎のネズミは、外食すらもう何年もしていない。
村中に唯一ある食堂で提供されるのは、糠味噌くさく茶色に染まり、つるつると箸から滑り落ちる根菜の入った煮物メニューばかり。
その上、店主の気分によっては十八時で閉まってしまうのだ。
田舎のネズミは都会のネズミが心底羨ましくなって、おっ母ネズミにこう言った。
「オラ東京さ行くべぇ。オサレなカヘェーでテラミスさ食べて、ハイカラなバァーでギムレットさ飲みたいべぇ~」
が、おっ母ネズミはこう答えた。
「お前に都会暮らしなぞ、はぁ~~無理やぁ。汚い空気の中で食べるご飯なんて、はぁ、不味いに決まってっべ! 東京は建物ばかりでゴミゴミしてっし、ネズミたちだって皆んな冷たいに決まってっべ!」
田舎のネズミは何も言い返さなかったが、心中で密かに都会行きを誓った。
翌朝、田舎のネズミが仕事に出ると、同僚たちが彼をわらわらと取り囲んだ。
「お前はん、ここ辞めるっぺかぁ?!」
「東京行くってホントだべかぁ?!」
「東京さ、魂売ってしまうべかぁ~!!」
半日も経たないうちに……! 田舎のネズミは、凄まじいまでの情報伝達の速度に絶句した。
さらに同僚たちは田舎のネズミに追い打ちをかけるのだ。
「お前はんの昨日の晩飯、秋刀魚の塩焼きとふろふき大根に、椎茸と筍の煮物とそれに、ふんわりとろとろ!おっ母の特製海老玉あんかけ豆腐だったらしいべな」
「お前はんのおっ父、昨日は痔の薬を塗り忘れたらしいべな」
「お前はんの婆様の部分入れ歯、金具の部分がガタガタしてるらしいべな」
まるで透明の家に住んでいるような心持ちがし、ネズミは都会行きをさらに固く決意した。
──数ヶ月後。
初めて来た者は駅と知らずに通り過ぎてしまいそうな、プレハブの農具入れに毛の生えたような無人駅に田舎のネズミはいた。
朝イチの列車で、東京へと旅立つのだ。
可愛らしい豆腐みたいなホームは、年寄りのネズミたちであふれんばかり。
村のネズミが総出で、勝手に見送りに来ているのである。
「帰って来る時はひよこさ買うてきてけろぉ~」
「連帯保証人にはなっちゃいかんどぉ~」
「闇バイトにゃ手ぇだすでねぇどぉ~」
「ぼったくりバァーに引っかかっるなよぉ~」
ネズミたちは口々に叫び、旗を振り、仕舞いには万歳三唱までする始末。
戦地に赴く訳じゃあるめぇし!
田舎のネズミは頬を赤らめ、一日に二本だけの列車──このあたりでは未だに「汽車」と言う──に逃げるように飛び込んだのだった。
──また数ヶ月後。
田舎のネズミのおっ母はちゃぶ台に頬杖をつき、ため息を吐いた。
息子が東京に行きたいと言い出した時は、どうせすぐに音を上げて帰ってくると思っていた。
しかし待てど暮らせど音沙汰はなく、こちらから電話を何度かけても呼び出し音が虚しく鳴るばかり。
まさか寒々しいビル風吹き荒れる東京砂漠の真ん中で、野垂れ死にしているのではなかろうか。
そう思っておっ母ネズミはまた何度目かの電話をかけた。
「あぁ母さん」
おっ母ネズミは一瞬、別のネズミが出たかと思った。
「おっ母」から「母さん」へと呼称が変化している上、そのイントネーションに一片の訛りも含まれていなかったからだ。
かけたのは自分の方にもかかわらず、もしや噂に聞くオレオレ詐欺かと身構えるが、「聞いてるの?」と続くその声はまさしく息子ネズミの声なのであった。
おっ母ネズミはやっとのことで「あぁ」と気の利かない返事をした。
「電話に出られなくてゴメンよ。何しろ毎日がとても楽しくってさ、さっきも同僚たちと行きつけのホテルでビュフェを食べてきたんだ」
息子は東京での暮らしを、おっ母の相槌も間に合わぬくらいに捲し立てた。
その口からは、もはや方言のホの字も出ない。完璧な標準語を操っている。
もはや田舎のネズミではなく、まごうことなき「元田舎現都会のネズミ」なのであった。
息子はイキイキと続ける。
「本当にここは最高だよ。駅には車を使わなくても徒歩二分で着くし、イベント会場にたどり着くのに半日がかりなんてこともない。フクラスズメの幼虫に威嚇されることもないし、雨の日の道路に腹の赤いイモリが大量にひっくり返っていることも、スズメバチに怯えることもない。雑誌や漫画の発売日だって二日遅れじゃない。そして何より、」
息子ネズミはそこで息を継いだ。
「車を買ったくらいで新車か中古かローンか一括か、なんてくだらないことを根掘り葉掘りきくようなヤツなんて、ここには一匹もいないからね」
【この話の教訓】
出生地ガチャは確実に存在する。
高校卒業を期に上京した、元同級生からの手紙であった。
『都会の生活は最高です。ここには故郷にないものがたくさんあります。』
そこには誠にエレガンスでファビュラスな、ドラマの中のような生活が記されていた。
手紙はこう締めくくられていた。
『最近は仕事帰りにショットバーで一杯やるのが習慣になっています。今はギムレットにハマっています。』
田舎のネズミにはギムレットが何なのかを知らなかったが、どうやらシャレたアルコール飲料であることだけはわかった。
その単語は彼の脳内に、とても甘美に響いた。
なにしろ、このあたりの人々が飲むものといえば、芋焼酎の一升瓶か養命酒くらいが関の山なのだ。
田舎のネズミは、外食すらもう何年もしていない。
村中に唯一ある食堂で提供されるのは、糠味噌くさく茶色に染まり、つるつると箸から滑り落ちる根菜の入った煮物メニューばかり。
その上、店主の気分によっては十八時で閉まってしまうのだ。
田舎のネズミは都会のネズミが心底羨ましくなって、おっ母ネズミにこう言った。
「オラ東京さ行くべぇ。オサレなカヘェーでテラミスさ食べて、ハイカラなバァーでギムレットさ飲みたいべぇ~」
が、おっ母ネズミはこう答えた。
「お前に都会暮らしなぞ、はぁ~~無理やぁ。汚い空気の中で食べるご飯なんて、はぁ、不味いに決まってっべ! 東京は建物ばかりでゴミゴミしてっし、ネズミたちだって皆んな冷たいに決まってっべ!」
田舎のネズミは何も言い返さなかったが、心中で密かに都会行きを誓った。
翌朝、田舎のネズミが仕事に出ると、同僚たちが彼をわらわらと取り囲んだ。
「お前はん、ここ辞めるっぺかぁ?!」
「東京行くってホントだべかぁ?!」
「東京さ、魂売ってしまうべかぁ~!!」
半日も経たないうちに……! 田舎のネズミは、凄まじいまでの情報伝達の速度に絶句した。
さらに同僚たちは田舎のネズミに追い打ちをかけるのだ。
「お前はんの昨日の晩飯、秋刀魚の塩焼きとふろふき大根に、椎茸と筍の煮物とそれに、ふんわりとろとろ!おっ母の特製海老玉あんかけ豆腐だったらしいべな」
「お前はんのおっ父、昨日は痔の薬を塗り忘れたらしいべな」
「お前はんの婆様の部分入れ歯、金具の部分がガタガタしてるらしいべな」
まるで透明の家に住んでいるような心持ちがし、ネズミは都会行きをさらに固く決意した。
──数ヶ月後。
初めて来た者は駅と知らずに通り過ぎてしまいそうな、プレハブの農具入れに毛の生えたような無人駅に田舎のネズミはいた。
朝イチの列車で、東京へと旅立つのだ。
可愛らしい豆腐みたいなホームは、年寄りのネズミたちであふれんばかり。
村のネズミが総出で、勝手に見送りに来ているのである。
「帰って来る時はひよこさ買うてきてけろぉ~」
「連帯保証人にはなっちゃいかんどぉ~」
「闇バイトにゃ手ぇだすでねぇどぉ~」
「ぼったくりバァーに引っかかっるなよぉ~」
ネズミたちは口々に叫び、旗を振り、仕舞いには万歳三唱までする始末。
戦地に赴く訳じゃあるめぇし!
田舎のネズミは頬を赤らめ、一日に二本だけの列車──このあたりでは未だに「汽車」と言う──に逃げるように飛び込んだのだった。
──また数ヶ月後。
田舎のネズミのおっ母はちゃぶ台に頬杖をつき、ため息を吐いた。
息子が東京に行きたいと言い出した時は、どうせすぐに音を上げて帰ってくると思っていた。
しかし待てど暮らせど音沙汰はなく、こちらから電話を何度かけても呼び出し音が虚しく鳴るばかり。
まさか寒々しいビル風吹き荒れる東京砂漠の真ん中で、野垂れ死にしているのではなかろうか。
そう思っておっ母ネズミはまた何度目かの電話をかけた。
「あぁ母さん」
おっ母ネズミは一瞬、別のネズミが出たかと思った。
「おっ母」から「母さん」へと呼称が変化している上、そのイントネーションに一片の訛りも含まれていなかったからだ。
かけたのは自分の方にもかかわらず、もしや噂に聞くオレオレ詐欺かと身構えるが、「聞いてるの?」と続くその声はまさしく息子ネズミの声なのであった。
おっ母ネズミはやっとのことで「あぁ」と気の利かない返事をした。
「電話に出られなくてゴメンよ。何しろ毎日がとても楽しくってさ、さっきも同僚たちと行きつけのホテルでビュフェを食べてきたんだ」
息子は東京での暮らしを、おっ母の相槌も間に合わぬくらいに捲し立てた。
その口からは、もはや方言のホの字も出ない。完璧な標準語を操っている。
もはや田舎のネズミではなく、まごうことなき「元田舎現都会のネズミ」なのであった。
息子はイキイキと続ける。
「本当にここは最高だよ。駅には車を使わなくても徒歩二分で着くし、イベント会場にたどり着くのに半日がかりなんてこともない。フクラスズメの幼虫に威嚇されることもないし、雨の日の道路に腹の赤いイモリが大量にひっくり返っていることも、スズメバチに怯えることもない。雑誌や漫画の発売日だって二日遅れじゃない。そして何より、」
息子ネズミはそこで息を継いだ。
「車を買ったくらいで新車か中古かローンか一括か、なんてくだらないことを根掘り葉掘りきくようなヤツなんて、ここには一匹もいないからね」
【この話の教訓】
出生地ガチャは確実に存在する。
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