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第十二話 中崎市どんぐりサークル定例会

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 小高い丘に立つマンションの八階でチャイムを押すと、上品な老婦人が顔を出した。
「こんにちは。お久しぶりね」
「お久しぶりです、お邪魔しまぁす」
婦人の後についてよく片付いた居間に入る。するとテーブルで本を読んでいる男の子と目があった。
「こ、ん、に、ち、はー!」
元気に挨拶してくれたのは婦人の孫、四歳のミナト君である。
「こんにちは、挨拶じょうずだねぇ」
思わず褒めるとミナト君はニコニコしている。
七田しちたさんもこんにちは」
窓辺で外の景色を眺めている高齢男性に声を掛ける。彼ははにかんだように会釈を返した。

「皆さん揃ったことだしさっそく始めましょうか」
老婦人に促され、我々――男の子、高齢男性、私の三人――は彼女に続きテーブルにつく。全員が座ったのを見計らって老婦人が言った。
「それでは第156回中崎市どんぐりサークル定例会を始めます」 
「よろしくお願いします」
皆が頭を下げる。ミナト君も律儀にペコリとお辞儀をしていて微笑ましい。
「まずは恒例のどんぐり豊凶状況調査の報告からいきましょうか。そうね、私から時計回りに」
老婦人は私達にプリントを配り、始めた。
「北からいくわね。まずK森林公園。アラカシ豊作、コナラ並作、スダジイ並作、クヌギ豊作、マテバシイ大豊作……」
彼女はどんぐりの実り具合についてスラスラと読み上げていった。

 本日は私の所属する「中崎市どんぐりサークル」の定例会なのである。どんぐりに関する調査報告やら何やらのどんぐり活動を年数回行う、完全自己満足の趣味のサークルである。どんぐり活動とは例えば「どんぐりを使った料理の開発」や「どんぐりアート製作」、「どんぐり啓蒙活動」など、実にどんぐりづくしだ。

 現会長はこの部屋の住人である老婦人、かつて隣県の短期大学で家政学の教授を務めていたほどの才女である栗山女史くりやまじょし。前会長が老衰で逝去し(百九歳で眠るように逝ったそうだ)、副会長から繰り上げ就任してもう二年が経つ。

 実は二年前にはサークル会員は二十名以上いたのだが、会員のほとんどが後期高齢者のためか、次々と施設への入居、入院、逝去により今ではとうとう四人にまで減ってしまったのである。

 白状すると、私は婚活の一環として入会したのだ。ほら、言うじゃないですか……結婚相手は趣味の場で探すのが手っ取り早いって……。なので市内のサークルをネットで片っ端から調べまくり、なんだか愉快そうな「中崎市どんぐりサークル」なるものに入会した。入会直後、三十代の私が最年少であるという事実に震撼することになるのであるが(ミナト君が昨年入会したことで会員の平均年齢は一気に下がった)。今のところイケメン若者が入会する気配はないのだが、結構楽しいのでもう二年近く続けている。

 栗山女史の報告が終わり、私の右隣に座る七田さんの番になった。彼は今年七十八歳の寡黙な男性である。彼の中部地区の調査報告のあと、最後に南部地区の担当である私の報告が終了、感想を言い合った。
「今年は成り年みたいね」
「どんぐりクッキー、作り放題です」
「去年が全体的に大凶作だったせいかしら」
「どんぐり、いっぱいだったー」
ミナト君は袋に入ったどんぐりを持ってきてじゃらじゃらと振っている。可愛い。

 お次は自由課題の発表である。課題と言うとお堅い感じがするが、要はどんぐりに関する自己満足の研究や作品などを発表するだけである。
「これ、見てくださいな」
栗山女史は足元の巾着袋から何かを取り出した。
「どんぐりの殻斗かくと(どんぐりのはかまの部分である)をかたどった帽子を作ってみたの」
全員分あり、ニットで器用に編まれている(私のは黄土色だった)。さすがは元家政学の教授である。さっそく皆んなで試着すると、どんぐりの妖怪みたいなのが四匹出来上がった。

 ここで、これまで静かだった七田さんが口を開いた。
「僕はですね、課題として『どんぐりイリュージョン』を練習してきたんです」
「どんぐりイリュージョン?」
栗田女史が小首を傾げる。
「はい。さっそくやってみましょうか」
七田さんはミナト君のほうを向いた。
「どんぐりを一つ貰ってもいいかな?」
ミナト君に右手を差し出し、ミナト君はそこに素直にどんぐりを乗せた。七田さんは両手をグーにして、
「さぁ、どんぐりはどちらでしょう?」
と問う。ミナト君は当然「こっち」と右手の方を指差した。
「そうかなー? ここで魔法をかけます。いきますよ……」
彼はしばし目を閉じ、続いて
「フーーーーンガッ!!」
と叫びながら目をかっぴらいた。両の拳には相当な力が込められているらしく、手の甲には青い血管が何本も浮かび、顔は産卵時の鮭さながらであった。
「へっきし!」
「くしゅん!」
「だァくしゃーッ!」
「いっきしょん!」
何故か私たちは同時にくしゃみをした。

 七田さんが肩で息をしつつ両手を開く。だがどんぐりは影も形も見えない。
「おお~!」
「なくなった!」
「あらまぁ!」
感嘆の声があがった。
「以上、どんぐり消滅イリュージョンでした」
七田さんはやりきった笑顔である。
「すごい! 一体どうやったの?」
「握りしめた時にどんぐりを粉微塵こなみじんに粉砕したんです。それを指の隙間から外に逃したので、消えたように見えたんです」
拍手喝采。なるほど、くしゃみが出たのはどんぐり微粉末のせいだったのか。

「実は私、どんぐり帽子の他にもう一つ用意してきたの」
拍手が終わり、栗田女史が言った。
「こないだ医者に運動をするように言われたもんだから……」
栗山女史はミナト君からどんぐりの袋を渡された。
「手始めに握力を鍛えようと思ってね、どんぐりを割る練習をしてみたの」
そう言いながら右手で袋から一掴みのどんぐりを取り出した。
「ミナトが歌うから、それに合わせてやるわね。さ、いくわよ」
栗山女史の合図でミナト君は歌い始めた。

「どんぐりころちゃん♪」
この出だしは童歌の『どんぐりころちゃん』だ。
「フンヌッ!!」
女史はボディビルのように拳を頭の横に掲げ両腕を曲げるポージングを決め、バキリという音と共にどんぐりを砕いた。

「あたまはとんがって♪」
「フンヌッ!!」
再びどんぐりを取り出し、くるりと回転し背面を見せながら、今度は左手でどんぐりを砕く。

「おしりはぺっちゃんこ♪」
「フンヌッ!!」
こちらを振り返りつつ腰の後ろで手を組み、粉砕と同時にポージング。

「どんぐりはちくりしょ~♪」
「フンヌッ!!」
最後は両手にどんぐりを握り、翼のように両腕を広げ一気に粉砕した。頭にかぶったファンシーなどんぐり帽子と行動の、いちじるしいギャップ……。

「私はこれを『くりササイズ』と名付けたの。徐々に難易度を上げていくつもりよ」
私は彼女の歳を正確に知らないが、前に傘寿のお祝いがどうのと話していたことがある。つまり八十は超えているはずだ。それなのに息一つ切らしていない……。

「でも七田さんには敵わないわね。さっきみたいに微粉末になるまで粉砕できないもの。まだまだだわ」
栗山女史はそこらじゅうに散らばったどんぐりのカケラを眺めて言った。
「ぼくもおばあちゃんみたいに、カッコよくどんぐりをバラバラにできるようになりたい!」
「極めると便利ですよ。料理の時に道具を使わずどんぐりをかち割れますから」
「下ごしらえと一緒に運動も出来るってことね!」
三人が和気あいあいと話す輪に入れないでいると、
「さて、次はあなたの発表の番ね」
皆の視線がこちらを向く。

 実は今回「料理の時に手を汚さずにどんぐりを割るには」というコンセプトの元に「全自動どんぐり粉砕機」を作製してきたのだが、この空気の中で発表する勇気が私にはとても無かった。私は「仕事が忙しくて……」と逃げた。

 もし今後サークル活動内容が筋トレ寄りになったら迷わず退会しよう。そんな決心と共に、私は早々とマンションを辞したのだった。
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