運命のヒト

たんぽぽ。

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夜の研究室

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 ひいらぎは現在、尋問を受けている。

 と言ってもここは取り調べ室ではなく大学の研究室。そして眼前に座る人間も刑事などではなく、彼が卒論指導を担当している学生なのである。

「次の質問です。あなたはロングヘアーとショートヘアー、どちらの女性がタイプですか?」

 バインダーを抱きかかえるように持ち次々と質問を繰り出す女は、肩にかからないくらいの黒髪である。

 柊にはそれがロングとショートのどちらに該当するのかわからなかった。

 だからこう答えた。
「人による」

「ひ、と、に、よ、る……、と」
 女はペンで素早く回答を書き込む。

「次です。あなたは目玉焼きに何をかけますか?」

「まず醤油をかける」

「ま、ず、しょ、う、ゆ……、と」
 ペンを走らせる女。

「そして黄身をくり抜く」

「き、み、を、く、り、ぬ、く」

「そこにソースをなみなみと注ぐ」

「な、み、な、み、そ、そ、ぐ……ですか。なかなか乙な食べ方ですね。でもなみなみと注ぐのは身体に悪そうなので、三滴くらいにしてはどうですか?」

 女はキャスター付きの丸椅子の上で背筋を伸ばしこちらを見た。その瞳はあくまで澄んでいる。

「黄身をくり抜いた跡なんて、せいぜい大さじ一杯くらいだろ」
 そう言って柊は足を組んだ。実験台と実験台の間の狭い空間で、二人の膝と膝がぶつかりそうになる。
 柊は椅子を少し引いた。

「大さじ一杯ってことは十五ccですよ。小さいメスシリンダーの一・五杯分と考えると、なかなかどうして無視できる量ではないと思います」
 女はなかなか引き下がらない。

「無視できる量ではないとして、別に俺が健康を害そうとどうでもいいだろ」

「柊先生には十分長生きして、畳の上で死んでほしいんです」

「いいよいいよ、別に来年あたり通り魔にブッ刺されて灼熱のアスファルトの上でのたうち回って死んでも」

「嫌ですよ、そんな最期」

 女はまた視線を下げる。
「そんなこと言わないでください」

 なんと女は涙ぐんでいる。
「せめて愛する人の腕の中で、愛を叫ばれながら息絶えていただかないと」
 涙声で主張する。

 ──面倒クセェ。

 柊は椅子を回転させ実験台に片肘をついた。そして、うつむき目尻を拭う女を観察した。

 ──睫毛まつげなげぇなぁ……ま、コイツの睫毛の長さによって俺の人生が左右されることは決してないが。

 柊はそう思いながらも女から目を逸らした。



 そもそもの発端は約十分前、実験が一段落した柊が伸びをしていると、教え子であるひとりの学生に声をかけられたことである。

 時刻は二十一時を回っており、いつの間にか他の教官や学生たちの姿は消え、室内には実験機器のブーンと唸る音だけが満ちていた。

 だから「先生お疲れ様です、ちょっと協力してほしいことがあるんですけど……」と背後で遠慮がちな声がした時は驚いた。

 学生の名は倉永夏帆くらながかほ

 彼女は柊に、アンケートの協力を求めてきた……というのは建前で、人文科学部の友人にアンケートを頼まれたという「設定」であることは見え見えだった。

 テーマは「男性の食嗜好と性的嗜好の関連性、及び恋愛心理についての考察」などという、不可解なものである。

 夏帆は、「粒あんとこし餡、どっちがいいですか?」だとか「あなたはトランクス派? それともブリーフ派?」だとかの問いを、矢継ぎ早に浴びせてきた。

 助教である柊より十も歳下の学部生に好意を向けられていることを、彼はとっくに知っている。

 夏帆が研究室に配属されて一ヶ月ちょっと。彼女はまず「卒業研究は柊先生に指導を受けたいです!」と力強く宣言し、柊にいつでもどこでも何度でも、誰にはばかることなく話しかける権利を勝ち取り、何かと彼を構った。

 まずは朝、わざわざ柊の前にやって来て「おはようございます」。
 講義のため部屋を出ると「いってらっしゃい」、戻ると「実験にする? 論文にする? それともわ・た・し?」と、ベタなギャグと共に柊を迎える。
 そして甲斐甲斐しくコーヒーを淹れてくれ、帰宅するまで大抵いる。

 この他にも実験の手順の確認やアドバイスを求めてくるので、四六時中顔を合わせていることになる。
 周囲にはもはや相思相愛の仲と認識され、どちらかの居場所がわからない時にはもう一方が尋ねられ、「式はいつ頃なの?」と頻繁に聞かれる始末。

 柊は過去にも複数回、年の離れた女子学生に恋愛感情を向けられたことがあった。

 しかし、彼はそのどれにも応えたことがない。

 学生たちは「先生と教え子」というシチュエーションに酔っているだけだ、一過性のものなのだ、と冷めた頭で考えていた。

 事実、脈なしだと見るや、彼女達は早々に他の男と交際を始めるのだ。

 目の前で柊の死に様に過剰なほど感情移入しているややエキセントリックな女だって、そうに決まっている。目が醒めるまで、もしくは卒業までの辛抱だ。



 横目で様子をうかがっていると、夏帆は気を取り直したように姿勢を正し、鼻をすすって質問を再開した。

「じゃあ先生は清楚系とギャル系、どっちが好きですか?」

 彼女の白衣からのぞくのはシンプルなブラウスと綿パン。おそらくギャル系ではなさそうであるが……。
 柊は考えるのが面倒になった。

「限りなく清楚系よりのギャル系だな」

「それ、詳しく教えてください!」
 夏帆は勢いよく顔を上げ、大きな目をこちらに向けた。

 その瞳を見た瞬間、覚悟を決めた。

 ──いいよいいよ、こっちも全力で相手してやるよ。

「待ってろ」

 いったん席を立ち、窓際の本棚から『日本のウミウシ生態観察図鑑』を持って来て、夏帆に表紙を示した。

 柊の研究対象は海産無脊椎動物なのである。

「ウミウシってほら、派手な色が多いだろ? 言わば、海のギャルだ。これは毒があることをアピールして、外敵から身を守るためなんだけど、」

 パラパラとページをめくる。

 そこにはオレンジ、紫、黄色、青など、色とりどりのウミウシが掲載されている。

 柊の指はその中から、適当に一体のウミウシを指し示した。
 そこには淡い紫色の体側に白い帯を走らせ、背面にヒラヒラとした黄色いエラと触手を持つ軟体動物の写真が。

「いいか? 例えばこのシンデレラウミウシ、体色は派手だが、この白い線を見てみろ。繊細なレース素材みたいだろ。白と紫の境界線の美。派手な中に秘めた清楚さ。これこそが至高なんだよ。わかるか倉永? 愚かな人間共は彼らを原始的で下等な動物と蔑むかもしれない。でも人間共はわかっていないんだ。我々も彼らを見習うべきなんだよ、驕り高ぶった人間共も母なる海に回帰すべき時が来たんだ。以上」

 もはや自分でも何を言っているのかわからないが、目的は夏帆を全力で煙に巻くことなので問題はない。

 柊の即席の力説に夏帆は「なるほど……秘めた清楚さ、至高、ウミウシ、万歳……」などとぶつぶつ呟き、

「わかりましたよ先生! 私、買い物があるから帰ります!」

 水を得た魚のようになって、即座に帰り支度を始めた。



 翌日。

「センセーーー!」

 いつもより遅れて入ってきた夏帆を見て、研究室の全人員はざわついた。

 夏帆は入室後、真っ先に柊の実験台へ突撃した。
 そして両目を閉じる下手なウインク及び右目の前にかざした横向きピースサインと共に、結果として一方通行に終わることとなる朝の挨拶を発した。

「あげぽよ~~」

 柊は三歩引き、実験台の上の、一リットルあたり約五千円の高価な試薬を台の上にぶちまけた。

 ──果たしてこの奇妙な生物は、どういう過程を経て誕生してしまったのか?

 柊は息をするのを忘れ、目の前に得意げに立つ教え子を上から下まで眺め回す。

 夏帆の身につけているのはいつものシンプルなシャツとくるぶし丈のパンツではなく、青紫色のキャミソールに、揃いのホットパンツ。
 その全体にはこれでもかとスパンコールが散りばめられている。キャミソールは短めであるから、ヘソが顔をのぞかせている。
 足元は昔懐かしルーズソックス。
 全体的に覚える違和感……。

 艶のある黒色だった頭髪は黄金色に染められ、固く結束されることにより、何本もの毛髪の束が天に向かって屹立している。

 そして最も注目すべきはその顔面であった。夏帆の顔全体は、小麦色に変わり果てていたのだ。
 さらに目の周りと鼻筋は不自然なまで白く塗りたくられ、もともと長い睫毛は過剰なまでに増量している。

 ──倉永……今は令和だぞ……。

 全体像をしげしげと観察し終えた柊は初めに覚えた違和感の正体に気付いた。小麦色に変色した箇所は顔面のみで、青紫で露出度高めの服から伸びる細い手足は白いままなのである。

 院生達が「倉永が発狂した!」「ガングロギャルの襲来だ!」などと騒いでいる。

 夏帆は周囲の動揺をよそに、自分の実験台に腰かけた。

「さてさて、あげぽよ。実験の続きだぽよ。今日は菌の培養を頑張るぽよ」

 ちらちらと柊を見る。

「コンセプトはシンデレラウミウシぽーよ!」
 また横向きのピースサイン。

 ああ、この奇妙なヘアスタイルはウミウシのえらを表現しているのか……それは柊がここ数年でした中で最も無益な発見だった。

「ちなみに今日のお昼ご飯は、わかめご飯だぽよ。なんてったって、ウミウシさんは海藻が大好きぽよからねぇ」

 そう言ってバッグから糊のよく利いた白いヒラヒラのエプロンを取り出す。装着したところでまた柊の方を向き、

「そそるぽよか?」と聞く。「これぞ至高! ぽよ!」

「お、おう?」
 柊は気が利かない返事をした。

「だから、派手と清楚の融合ですよ!」
 不本意そうな顔で、
「あ、ぽよ」と付け加える。

 どうやら彼女の中では「糊のよく利いた白いヒラヒラのエプロンイコール清楚」という図式が成り立つらしい。

 柊は両のこめかみに手をやった。

「ノーリアクションなのは、なあぜなあぜ??」
 ガングロ女に顔を下から覗き込まれる柊。

「急に令和ぶっ込んでくんなよ……」

 やっとのことで、それだけを返した。他に言うべきことが五万とある気がしたが、脳が完全に思考を停止してしまっていた。

「割烹着の方が良かったんでぽよか?」
「そういう問題じゃない」

 そこで遠くから見守っていたらしい准教授が、二人の元にやって来た。

「倉永君、青春を謳歌中に悪いんだけど、可及的速やかに着替えてきてくれる? 目がチカチカして脳が痙攣起こしそう」

 青紫と黄色は、補色の関係である。
 還暦間近の准教授が焦点の定まらない目をショボショボさせるので、夏帆はガクンと肩を落とした。
 心なしか、頭に生えた複数の触角様物体も萎れている気がする。

 夏帆は立ち上がってエプロンを外し、柊に問うた。

「先生、昨日聞き忘れたことがあるんです……先生は、『運命』を信じますか?」

「信じない」

 柊は夏帆の切実な響きを帯びた問いを、五音でバッサリ切り捨てた。
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