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ユウくんママ VS 美魔女
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「ハァ、ハァ、ハァ……」
子沢山は自らの身に何が起きたのか全く理解出来ず、肩で息をし座り込んだまましばらく動けないでいる。
建物の屋根がパタ……パタパタ……と音を立てる。外では雨が降り出したようだ。
「大丈夫ですか?」
山道教諭が子沢山の手を取り起こしてやり、彼女をビニールテープの円から離れた場所へと誘った。
子沢山は再びへたり込み、額に噴き出した大粒の汗が顎を伝い床へと滴る。ベビーバスケットに眠る双子の様子を窺う余裕すら、今の彼女には無かった。
一部始終を目撃したユウくんママの手も、まるで自分が美魔女の攻撃を喰らったかのように汗で湿り気を帯びている。相変わらずの姿勢の良さで水筒を傾けホットジンジャースムージーを飲んでいる美魔女を、ユウくんママは俯いたままチラリとうかがった。
――あの不可解な技を自分も受けなければならないのか……? 私なんかが太刀打ち出来るのか……?
「さぁ、次の取り組みに参りましょうか」
山道教諭がユウくんママを見て言った。子沢山の様子を考慮し、次はユウくんママと美魔女がぶつかり合う事となった。
「……はひ」
何とか立ち上がりながら、ユウくんママの喉はもはやカラカラだ。声が裏返ってしまったが羞恥の感情さえ湧き上がらない。
円の中にて向かい合う二人の構えは対照的である。美魔女は天井から糸で吊るされたかの如くその背筋をスッと伸ばしているのに対し、ユウくんママは完全に芋を引いている。
「大丈夫、さっきみたいに直ぐ終わらせてあげるから」
美魔女が自信たっぷりに囁いた。
「マッスル~スタートゥッッ‼︎」
ユウくんママには、山道教諭の合図が死刑の宣告に聞こえた。
――「刮目効果」‼︎
美魔女が早速技を仕掛けてくるが、ユウくんママの動きは止まらなかった。フェイス用シェイバーだのスクリューブラシだのアイブロウパウダーだの言う、呪文の様な美眉メイク道具で整えられた一本の乱れもない眉を美魔女はひそめる。
――「刮目効果」が効かない⁈
ユウくんママは人の目を見る事を不得手としていた。それが功を奏し、「刮目効果」が現れなかったのである。
しかし美魔女が動揺したのもつかの間だった。何しろ彼女はユウくんママより十年も長くこの世知辛い世の中を生きているのだ。さらに、長く苦しい婚活は彼女に様々なもの――例えば度胸や、突発的に生じた物事を臨機応変に対処する能力――を授けたのである。
「ほら、私を見て。じっと見て。私みたいに綺麗になりたくなぁい? あなた、絶対に化粧映えすると思うのよねぇ。眉を整えて、眼鏡も外してしまいましょ。チークはそうね、あなたみたいなブルーベースタイプには、可愛らしいベビーピンクなんてどうかしら……」
美魔女はユウくんママへじわりじわりと詰め寄る。
――怖い……。
ユウくんママは目を背けつつ思わず後じさりするが、このままでは円の外へはみ出てしまう。
「……髪もほら、そんな真っ黒な色じゃ重たいでしょう。明るくして前下がりのパーマボブにして……すっごく似合うと思うわよ。私の行きつけの美容院、紹介してあげようか?」
美魔女の言葉は催眠術の様にユウくんママの視線を美魔女の目に固定させ、とうとうユウくんママは技に掛かってしまった。
「うぅっ‼︎」
ユウくんママの動きが止まる。しかし美魔女の手が触れる直前、なんとか技を解き美魔女の手を右に避けた。
どういうこと? 技の解除がやけに早いわ……
人の目を見るのが苦手なユウくんママは、面積の極端に小さい美魔女の白眼部分を凝視したのである。その為完全には動きを封じられなかった。
――……とにかく逃げろ!
ユウくんママはひたすら円内を、美魔女の手から逃れようと駆け出した。それを美魔女が悠然と追いかける。ユウくんママは積極的に攻撃を仕掛けて来ない、そう美魔女は踏んでいた。
――逃げろ、逃げろ……!
ユウくんママは円周に沿ってグルグルとひた走る。だがすぐに息が上がってしまった。美魔女が常日頃からジムでマッスルを鍛えているのに対し、ユウくんママの毎日の運動と言えばスーパーや公園への往復くらいである。二人の体力の差は歴然であった。加えてユウくんママの服装はスカートスーツであり、可動性の面でも圧倒的に不利なのだ。
「何故逃げるの? 恥ずかしがらずにこっちを見なさいよ」
「ハァ、ハァ、ハァ……」
息を切らし顎を出し、ユウくんママのスタミナはもはや、ほとんど空だ。その一方で美魔女はこの円運動を楽しんですらいた。彼女は恋愛においても、追われるよりも追う方を好んだものである。
「いつまで逃げるのかしら? 早く楽になりましょうよ」
「ハァ、ハァ、ハァ……」
しかし二人の追いかけっこはなかなか終わらない。美魔女のこの様な執念深さは、婚活を長引かせた要因でもある。
――長い。早くしてくれないかなぁ……職員室に戻って、彼からのラインをチェックしたいんだけど。
審判の山道教諭は欠伸をかみ殺す。
「なんて恐ろしい……私とは相性の悪いマッスル使いだわ……園長、もう見ていられません、可哀想過ぎます‼︎」
戦況を見守っていた、接近戦型のアマチュア・ボクサー時代に相手の目を射るように睨む事で「リング上の猛禽類」と称されていた副園長が叫ぶ。
「まぁ見てなさい。今に分かるわ……」
園長は意味深に微笑んだ。
「あっ……‼︎」
とうとうユウくんママは足をもつれさせ転んでしまった。その背後に美魔女の影が忍び寄る……。
窓の外では心なしか雨足が強くなってきたようだ。
子沢山は自らの身に何が起きたのか全く理解出来ず、肩で息をし座り込んだまましばらく動けないでいる。
建物の屋根がパタ……パタパタ……と音を立てる。外では雨が降り出したようだ。
「大丈夫ですか?」
山道教諭が子沢山の手を取り起こしてやり、彼女をビニールテープの円から離れた場所へと誘った。
子沢山は再びへたり込み、額に噴き出した大粒の汗が顎を伝い床へと滴る。ベビーバスケットに眠る双子の様子を窺う余裕すら、今の彼女には無かった。
一部始終を目撃したユウくんママの手も、まるで自分が美魔女の攻撃を喰らったかのように汗で湿り気を帯びている。相変わらずの姿勢の良さで水筒を傾けホットジンジャースムージーを飲んでいる美魔女を、ユウくんママは俯いたままチラリとうかがった。
――あの不可解な技を自分も受けなければならないのか……? 私なんかが太刀打ち出来るのか……?
「さぁ、次の取り組みに参りましょうか」
山道教諭がユウくんママを見て言った。子沢山の様子を考慮し、次はユウくんママと美魔女がぶつかり合う事となった。
「……はひ」
何とか立ち上がりながら、ユウくんママの喉はもはやカラカラだ。声が裏返ってしまったが羞恥の感情さえ湧き上がらない。
円の中にて向かい合う二人の構えは対照的である。美魔女は天井から糸で吊るされたかの如くその背筋をスッと伸ばしているのに対し、ユウくんママは完全に芋を引いている。
「大丈夫、さっきみたいに直ぐ終わらせてあげるから」
美魔女が自信たっぷりに囁いた。
「マッスル~スタートゥッッ‼︎」
ユウくんママには、山道教諭の合図が死刑の宣告に聞こえた。
――「刮目効果」‼︎
美魔女が早速技を仕掛けてくるが、ユウくんママの動きは止まらなかった。フェイス用シェイバーだのスクリューブラシだのアイブロウパウダーだの言う、呪文の様な美眉メイク道具で整えられた一本の乱れもない眉を美魔女はひそめる。
――「刮目効果」が効かない⁈
ユウくんママは人の目を見る事を不得手としていた。それが功を奏し、「刮目効果」が現れなかったのである。
しかし美魔女が動揺したのもつかの間だった。何しろ彼女はユウくんママより十年も長くこの世知辛い世の中を生きているのだ。さらに、長く苦しい婚活は彼女に様々なもの――例えば度胸や、突発的に生じた物事を臨機応変に対処する能力――を授けたのである。
「ほら、私を見て。じっと見て。私みたいに綺麗になりたくなぁい? あなた、絶対に化粧映えすると思うのよねぇ。眉を整えて、眼鏡も外してしまいましょ。チークはそうね、あなたみたいなブルーベースタイプには、可愛らしいベビーピンクなんてどうかしら……」
美魔女はユウくんママへじわりじわりと詰め寄る。
――怖い……。
ユウくんママは目を背けつつ思わず後じさりするが、このままでは円の外へはみ出てしまう。
「……髪もほら、そんな真っ黒な色じゃ重たいでしょう。明るくして前下がりのパーマボブにして……すっごく似合うと思うわよ。私の行きつけの美容院、紹介してあげようか?」
美魔女の言葉は催眠術の様にユウくんママの視線を美魔女の目に固定させ、とうとうユウくんママは技に掛かってしまった。
「うぅっ‼︎」
ユウくんママの動きが止まる。しかし美魔女の手が触れる直前、なんとか技を解き美魔女の手を右に避けた。
どういうこと? 技の解除がやけに早いわ……
人の目を見るのが苦手なユウくんママは、面積の極端に小さい美魔女の白眼部分を凝視したのである。その為完全には動きを封じられなかった。
――……とにかく逃げろ!
ユウくんママはひたすら円内を、美魔女の手から逃れようと駆け出した。それを美魔女が悠然と追いかける。ユウくんママは積極的に攻撃を仕掛けて来ない、そう美魔女は踏んでいた。
――逃げろ、逃げろ……!
ユウくんママは円周に沿ってグルグルとひた走る。だがすぐに息が上がってしまった。美魔女が常日頃からジムでマッスルを鍛えているのに対し、ユウくんママの毎日の運動と言えばスーパーや公園への往復くらいである。二人の体力の差は歴然であった。加えてユウくんママの服装はスカートスーツであり、可動性の面でも圧倒的に不利なのだ。
「何故逃げるの? 恥ずかしがらずにこっちを見なさいよ」
「ハァ、ハァ、ハァ……」
息を切らし顎を出し、ユウくんママのスタミナはもはや、ほとんど空だ。その一方で美魔女はこの円運動を楽しんですらいた。彼女は恋愛においても、追われるよりも追う方を好んだものである。
「いつまで逃げるのかしら? 早く楽になりましょうよ」
「ハァ、ハァ、ハァ……」
しかし二人の追いかけっこはなかなか終わらない。美魔女のこの様な執念深さは、婚活を長引かせた要因でもある。
――長い。早くしてくれないかなぁ……職員室に戻って、彼からのラインをチェックしたいんだけど。
審判の山道教諭は欠伸をかみ殺す。
「なんて恐ろしい……私とは相性の悪いマッスル使いだわ……園長、もう見ていられません、可哀想過ぎます‼︎」
戦況を見守っていた、接近戦型のアマチュア・ボクサー時代に相手の目を射るように睨む事で「リング上の猛禽類」と称されていた副園長が叫ぶ。
「まぁ見てなさい。今に分かるわ……」
園長は意味深に微笑んだ。
「あっ……‼︎」
とうとうユウくんママは足をもつれさせ転んでしまった。その背後に美魔女の影が忍び寄る……。
窓の外では心なしか雨足が強くなってきたようだ。
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