海に向かって

ひふみん

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第7章「旅の終わり」

深海

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 まるで、深い海の底にいるような気分だった。

 自分自身の感覚も意識も曖昧で、見える景色もずっとぼんやりとしたものだった。

 聴こえてくる声までも、水中で聞く外界からの声のように不明瞭だった。

 そんな意識の中で、昨日の夜のあの光景とあの声だけがずっと頭の中で繰り返し流れ続けていた。

『私は、昇と話がしたい!!』

 芹沢の声が、頭の中に響く。

 その時の芹沢の顔を、俺は見ていない。でも、なり振り構わずに叫んでいる芹沢の姿は、容易に想像ができた。

『俺は、芹沢と話をしたくない』

 そして、どこか他人事のように自分の声が聴こえる。

 俺の声は冷たく、そうして必死に叫んでいる芹沢には見向きもせず、非情に決別の言葉を告げている。

 あの時、芹沢はどんな表情をしていたのだろうか。

 いくら想像しようとしてみても、その表情だけは浮かんでこなかった。俺は、逃げ出すように何も見ずにあの場を後にしたのだから。

 しかし、その後の原田からの反応や芹沢の細かい態度で、芹沢が何を思ったのかは何となく想像ができた。

 そして、取り返しのつかないことをしてしまったんだな、と改めて気付かされた。

 それから、俺はずっと海の底にいた。

 いや、思えば昨日キッチンで芹沢と理久のやり取りを盗み聞きしてしまった時から、俺の意識はあやふやになってしまっていた。

 昨夜、皆で花火に行こうと言って連れ立っている時も、感覚らしい感覚はなく、どうにも元気で明るい皆と一緒にいることがしんどくて、バレないようにこっそりと皆の元から離れて行った。

 そうして、何の気なしに海辺で佇んでいた時に、芹沢が来た。

『昇』

 その声は、自分自身が無意識に作り出した幻聴だと思った。

 だが、振り返ると確かに芹沢は目の前に立っていた。

 芹沢は、やけに緊張した表情だった。月明かりしかない薄暗い海辺なはずなのに、芹沢の顔はなぜかはっきりと見て取れた。

 芹沢は、僅かに俯きがちでこちらを正面から見てはいなかったが、言葉は捲し立てるように次から次へと流れ続けていた。それは、沈黙になることが怖いかのように、何だか怯えた声色に聞こえた。

 しかし、その時芹沢が話していたことを、俺は聴こえていなかった。

 俺の中にあったのは、静かな苛立ちだった。

 なぜ今、このタイミングで、この場所で、たった一人で芹沢は俺の所に来たのか。

 色んなことで頭の中がグチャグチャだったところに、そんな思考が波のように押し寄せてきて、それがどうしようもなく俺を苛立たせた。

 あの場所で、あれ以上芹沢と話をしていたくなかった。

 だから、場を後にしようとした。いつもの芹沢であれば、そこで諦めて黙りこくってしまうはずだった。

 だが、芹沢は食い下がった。

『私は、昇と話がしたい!!』

 あの言葉を聞いた時、反射的に迫り上がってきた言葉を、内心で俺は止めていた。

 止めろ、その言葉を言うと全てが終わるぞ。

 それを分かっていた。

 今まで、かろうじて繋ぎ止められていた僅かな糸があった。もうほとんど芹沢との繋がりは断たれていた中で、その僅かな糸だけが芹沢をこの旅行に来させた。その糸がなければ、俺たちの関係は正真正銘とっくの昔に終わっていた。

 その僅かにあった糸、繋がりを、芹沢は必死に手繰り寄せようとしていた。

 だけど、俺の口はその言葉を告げていた。

『俺は、芹沢と話をしたくない』

 言ってしまった言葉は返ってはこない。伝わってしまった事は、相手の中からは消えない。

 それを言ったら、どんな風になるのか。俺は分かっていたはずなのに、あの時の俺は自分自身が制御できなくなっていた。

 そして今、俺はハッキリと後悔していた。

『でも、きっとこのまま「海に向かって」が終わったら、お前は絶対もっと後悔するぞ』

 ついさっき言われた、亮からの言葉が頭の中を貫いていく。

 その言葉に、妙に素直に自分の中でも納得してしまった。

 確かに、そうかもしれないな、と。

 亮は、「もっと」と俺に言った。

 その言葉を付けたのが、意図的なのか無意識なのかは分からない。

 しかしそれは、俺が後悔していたことを、亮は知っていたように聞こえた。

 俺自身が必死に認めようとしていなかったことを、亮の方が分かっていたんだ、と。

 それに対して、我ながらすんなりと受け入れて「分かった」と返事をしてしまった。

 亮は、自分の言ったことが恥ずかしくなったのか、それからは振り返ることなくそそくさと皆の所に戻って行ってしまった。

 そして、ビーチパラソルの下で、一人ポツンと取り残された。

「…さて、そろそろ行くか」

 まるで、誰かに言い訳するかのように、そんな呟きが漏れた。

 立ち上がり、軽く伸びをしてから一歩踏み出して日向に出ると、容赦ない太陽の熱がすぐさま全身を焼きに来た。

 その眩しい光に、思わず顔を顰めて手でひさしを作って遠くにいる皆の姿を見つめる。

 五人は、楽しそうにビーチボールをやっていた。

 その光景が、何だか蜃気楼のようにやけに遠くでぼんやりと見えた。

 一歩一歩、砂の感触を確かめるように砂浜を踏み締めながら、そんな皆の所へと近付いていく。

 心の中は、少しずつ静かになってきていた。

 そんな心の中に、言葉が降りる。

『俺は、後悔しているんだ』

 改めてはっきりと自覚した。

 でも、



 それは一体、いつからだ?



---

「おっ!昇、おせぇぞ!」

 皆の所に着くなり、いの一番に声を掛けてきたのは健吾だった。

「隙あり!」

 そんな健吾に、すかさず天高く飛び上がり、原田が強烈なジャンプスマッシュを打ち込む。

「…って、甘いわ!」

 思い切り顔面直撃コースの一撃を、健吾は両手で防いだ。ビーチボールは、いい音を立ててそのままポトリと砂浜に落ちた。

「ちっ、ちょこざいな…」
「ふっふっふ、そう何度も何度も同じ手が通じると思うなよ、原田」
「とか言いつつ、さっきは三連続で顔面にボール喰らって伸びてたけどな」
「おい、亮!昇は今来たところなんだから、そういうネタバレをするんじゃない!」

 せっかく決め顔を作っていた健吾が、すぐさま亮からチクられて情けなく顔を赤らめる。

「というか、原田!さっきからお前、ビーチバレーのルール分かってんのか!」
「えっ、顔面にボールをぶつける遊びでしょ?」
「違うわ!じゃあ、芹沢にも同じことできるのか!」
「えっ?するわけないでしょ?バカなの?」

 さも、当たり前かのように言い放つ原田は、その態度がすっかり板についていた。

 もはやお決まりのように「キー!」とギャーギャー文句を言ってる健吾を、「お前、そろそろ新しい切り返しがないと、飽きられるぞ?」と亮がくさした。

「ねぇ、昇も来て皆揃ったんだし、チーム作って試合しようよ!」

 ポカスカと健吾と亮が喧嘩しているのを横目に、ビーチボールを拾いながら原田が提案した。

「えっ?試合?」
「良いじゃん、やろうぜ!」

 すぐさま喧嘩を止めて、亮と健吾がその提案に乗る。

「良いね、やろう」

 そこに、芹沢も乗ってきた。

「じゃあ、私と桜がリーダーで、指名制でメンバー決めて試合しよう!」

 テキパキと指示を出しながら、原田が少し場を離れて、手招きで芹沢に横に来るように促す。芹沢も特に異論を挟むこともなく、トトトと原田の隣に並んで俺達男子陣を眺める。

「なるほど、緊張のドラフト会議ってわけだな。最有力選手、吉川健吾を獲得するのは、果たしてどちらか…」
「じゃあ、とりあえずジャンケンでどちらから先に選ぶか決めようか」

 息をするように健吾を無視しながら、女子二人は早速ジャンケンを始めた。

 先行は、原田に決まった。

「じゃあ、私から選ぶね。そうだなー…」

 顎に手を当てながら、品定めをするように俺達四人を眺める。

 健吾ではないが、確かにこれは少しドキドキする。

 他の三人も、選ばれるかどうかを待つ姿は三者三様で、亮は飄々と手首足首を回して準備しており、理久は少し緊張の面持ちで気をつけの姿勢を取っている。そして、健吾は威風堂々、腰に手を当ててドヤ顔で待っている。

「じゃあ、一人目は井川で」
「よし、第一巡指名!」
「なんでだー!!」

 亮が渾身のガッツポーズで喜びを表し、選ばれなかった健吾は絶望の雄叫びを上げて膝から崩れ落ちた。

 だが、すぐさま膝に手をつけながらむっくりと立ち上がる。

「しかし、まだだ……恐らく、芹沢さんは俺を、」
「あっ、じゃあ、私は理久君で」

 間髪入れずに、芹沢がサッと手を挙げた。

 そのタイミングに、原田と亮が吹き出した。

「桜、いいよ…すごくいいよ」
「芹沢、結構笑いのセンスあるな…」

 まだ、笑いが治まらないようで、二人とも必死に腹を抱えてヒーヒー言っている。

「…………」

 一方、一巡目指名をもらえなかった健吾は、唖然とした表情で虚空を見つめていた。

 その横を通り過ぎながら、苦笑いを浮かべて「ごめんね」と呟きながらも芹沢の元へ歩いていく理久に、重ねて原田と亮が大声を上げて笑った。

「桜も理久君も、止めて…笑い過ぎで死んじゃう」

 目に浮かんだ涙を拭いながら、ようやく原田が顔を上げた。

「おい、原田、ちょっとお前笑い過ぎだぞ!俺の気持ちも考えろ!」
「えっ?そんなの考える必要ある?」

 堪らず、健吾が抗議の声を上げているが、原田はそんなことお構いなしだ。

「あー、死ぬかと思った。…さて、じゃあもう一人を決めないとね」

 言いながら、目元の涙を拭い、気を取り直して原田が残された俺と健吾を見比べる。

 健吾は、さっきまでの自信満々な様子はどうしたのか、もうなりふり構わずに、ギュッと目を瞑りながら両手を組んで祈っている。

 「次は選ばれますように…次は選ばれますように…」と健吾は横でブツブツ呟いているが、「吉川、ちょっとうるさい」と原田から言われ、すぐさま声のボリュームを下げた。

 しかし、俺も脈が速くなっていた。

 正直、一巡目で呼ばれることはないだろうとは思っていたが、二巡目で原田が俺を選ばなかったときにどうなるのか。

 それを想像すると、また意識が海の底に沈みそうになる。

「よし。じゃあ、桜、残り二人しかいないから、同時に『せーの』で選ぼうよ」

 ところが、原田からは思いがけない提案が出た。

「えっ?由唯が先に選ぶんじゃないの?」
「いや、それよりも同時に選んだ方が面白いかな、と思って」

 言いながら、原田がニヤリと笑みを浮かべる。

 その笑顔が、どう見ても悪魔の笑みだった。

 一体、こいつは何を言い出すのか。

「同時に選んで、もしも被った場合はそれこそドラフト会議と同じ形式で、ジャンケンで決めるってのでどう?」

 すでに、原田はジャンケンする気満々と言わんばかりに両手を合わせてグルグル回している。

 本当に、こいつは何を考えてるんだ。

 原田の真意が掴めず、混乱する。そして、実際に動悸が更に速くなってきて、本気で気分が悪くなりそうだ。

「…いいよ、分かった」

 ほんの少し、逡巡する様子を見せた芹沢だったが、コクリと頷いた。

 そんな芹沢の態度に、驚いてそちらに目が行った。

 芹沢は、ギュッと口を結んでじっと原田の方を見つめていた。その顔は、何か意を決したかのように見えた。

 そんな表情を見せる芹沢を、この二日間で何度も見た気がする。

 昨日、海辺で見た芹沢もそうだった。昨日の夕食の時、目が合った時も確かそうだ。それ以外でも、俺が目を向けた時には芹沢は何か思い詰めたような表情を浮かべていた。

 原田と一緒にいる芹沢は、原田のテンションに押されて大人しく付いて行っているように見えることが多かった。

 でも、そんな中でも芹沢は、時折まるで昔四人で遊んでいた時のように、元気で皆を引っ張っていくような一面を何度も垣間見せた。

「よーし、じゃあ、行くよー…せーの!」

 考え事をしている間に、気が付けば原田が話を進め、こちらの心の準備を待たずしてジャンケンをしようとしていた。

 目を瞑る間も与えてくれず、審判が下る。

「ほい!」
「……よっしゃー!!」

 原田は俺を。芹沢は健吾を指差していた。少し遅れて届いたのは、芹沢に選ばれた健吾の歓声だ。

「健吾選手、ドラフト第二巡指名勝ち取りましたー!」
「いや、一位と二位しかいないドラフト会議で二位なら補欠合格だろ」

 歓喜に沸く健吾に、亮がボソッと健吾に聴こえる声で呟く。

「じゃあ、私チームは井川と昇。桜チームは理久君とバカね」

 逃げる亮を追いかけて行った健吾を横目に、淡々と原田は場を進めた。「何か、本当にこのやり取りが馴染んできたねー」と理久がしみじみと呟く。

「…で、ルールはどんな感じにするんだ?」

 逃げ戻ってきた亮が、両手で健吾と取っ組み合いながら聴いた。

「そうだねー…」

 原田は、おもむろに皆の元から数歩離れると、何やら考え事をする素振りを見せてから何もない砂浜に足で真っ直ぐ線を引いた。

「この直線を境目にして両サイドに分かれて、先に地面にボールを落としたら失点、っていうのはどう?ビーチバレーだから、いくら強く打ち込んでもそんなに遠くまで飛ぶことはないと思うから、アウトラインは特に設けずそれぞれの範囲は基本自由で。トス繋げるのは普通のバレーボールと同じように三回まで。それで、十ポイント先取で勝ち」
「おぉ、何か即興で作ったルールにしてはいいんじゃねぇか?とりあえず、線超えて自分たちの陣地にボールが落ちたら負けってことだよな?」
「そゆこと」

 原田は、自分の作ったルールに満足げな様子で、亮に向けてピースサインを送っている。

「皆も、ルール分かった?」

 他のメンバーも思い思いに頷いたり「はーい」と返事をしたりしながら、各々手首足首を回したりして、もう両サイドに分かれて準備に入っている。俺も、原田と亮の元に歩み寄っていく。

「よろしく」

 片手を上げながら、チームメイトの二人に挨拶をする。

 「おう」「よろしくー」と、亮と原田は自信ありげに腰に手を当てて応じた。

「よし、敵はあの生意気野郎・亮と天敵・原田様とクールボーイ・昇だ。けちょんけちょんにやっつけてやろうぜ!」
「うん、もちろん頑張るけど、吉川、私怨に私たちを巻き込むのだけは止めてね?」

 向こうサイドは、健吾がいるせいで声がでかく、会話が丸聞こえだ。そして、早速芹沢から窘められている。

「さーて、何回あいつの顔面にぶつけられるかな?」

 一方、こちらはこちらで原田が物騒な企みを口に出しながら、舌なめずりをしている。

 そんな原田を何気なく見ていたら、原田がこちらを向いて目が合った。まさか目が合うとは思ってなかったので、咄嗟に焦る。水着姿に見惚れてたとか、あらぬ誤解をされかねない。

 原田は、そんな俺につかつかとこちらに歩み寄ってきて、耳元に口を寄せた。

「どう?さっきは、ちょっと焦った?」

 耳元で囁かれた言葉に、違う動揺が走った。

 やはり、さっきの原田の行動は意図的だったのだ。

「お前、やっぱりさっきのって…」
「ふふふ。ちょっと、お灸据えてやろうと思ってね」

 不敵に笑いながら、原田は顔を離した。

 少し距離が取れて、原田の表情を真正面から見ることができた。

 しかし、そこで見た原田の表情は、一転してほぼ無表情になっていた。

「でも、本当に勘違いしないでね。正直、あの時吉川を指しても良いかと思った。でも、指さなかったのはあんたの為じゃなくて、あくまでも桜の為だから」

 真っ直ぐ、突き付けられるように投げられた言葉に身体が固まる。

 やはり、原田は怒っていた。さっきまで笑顔を浮かべていたのが嘘のように、俺に対して向ける視線は明らかに冷ややかで静かな怒りに満ちていた。

 昨日の夜、俺に対して向けてきた憎悪にも近い感情。それは、一晩過ぎても全く落ち着いてなどいなかったのだ。

「よーし、皆準備できたら、始めるよー」

 原田は、またコロッと表情を変えて、皆に向けて笑顔で呼び掛ける。その切り替えの早さに底知れぬ恐ろしさを感じたが、同時にそんなことを俺が思う資格なんてないんだなと思った。

「よっしゃ、いつでも来い!」

 健吾は、向こう陣地の中央で腰を落として両手を広げ、既に臨戦態勢に入っていた。その両斜め後ろで、同じように腰を落とした理久と芹沢も「いつでもいいよー」と既にスタンバイ済みだ。

 原田と亮も自然と配置についたので、動揺をなるべく頭の隅にどかして俺も配置につく。原田が中央にいるので、自然とその右斜め後ろに亮、俺は左斜め後ろだ。

 ちょうど、向こう側と対照的に対峙する形になった。原田は健吾と、亮は理久と。そして、まさかの俺の正面は芹沢だった。

「じゃあ、ルールはさっき言った通り、ボールを地面に落としたら失点。ラインを越えたら、陣地は特に範囲なしで。十点先取で勝ちってことで」
「良いだろう、望むところだ!」

 健吾が、張り切った声で応えた。

 そして、原田がビーチボールを掲げてサーブの構えに入る。

「ふっふっふっ」

 すると、向こうで健吾が不敵な笑みを浮かべた。

「…原田よ、この二日間、お前には随分煮え湯を飲まされてきたな」

 何やら、健吾が語り始めた。

「俺は、どこかでその復讐ができないかと虎視眈々と狙っていたのだ」

 語り続ける健吾に、視線が原田に向いた。原田は、サーブの構えで固まったまま一切動かなかった。

「そして今、勝負となれば合法的にお前に復讐ができる…」

 健吾は、ふっと笑いを零した。

「かく…!」
「おっらぁぁぁ!!」

 一瞬の出来事だった。全く動く気配のなかった原田が、一瞬でボールをトスし、瞬時に健吾の顔面目掛けてスパイクを放った。

 健吾は、口上を最後まで言い終える前にまともに原田のスパイクを顔面に受け、綺麗に真後ろに吹っ飛ばされた。

「よし!まずは一発!」

 言いながら、原田がガッツポーズを決めるが、ポイントの数え方がおかしい。

「…健吾、大丈夫?」

 恐る恐るといった様子で、理久が近寄って健吾の安否を確かめる。

 健吾は、動かず大の字になって倒れたままで、一方こちらは「イエーイ!ナイス、原田!」と亮が嬉しそうに原田とハイタッチしている。

「…って、うがー!!」

 健吾が、雄叫びを上げながら跳ね起きる。

「貴様、武士の名乗りを途中で遮りやがって、男の風上にも置けない!」
「男じゃないわ、バカ!」

 流石に、それは聞き捨てならなかったのか、すかさず原田が噛み付く。

「審判、審判はいませんか!今の原田選手のプレイに審議を!」
「何言ってもダメ。ボールを地面に落としてるんだから、そっちの失点」

 ルールを作った原田が、問答無用で健吾の抗議を却下する。

「くそー、悪魔め。しかし、次はこちらのターンだからそういうことなら…」
「何言ってるの?バレーボールのルールは、ポイント獲得した側のサーブでしょ?さぁ、ボールちょうだい」

 原田が、指をクイクイと曲げてボールを催促する。

「……」

 そんな原田の言葉に、健吾はビーチボールを持ったまま固まった。

「…くそー!ならば、パース!!」

 叫びながら、健吾が大きく振りかぶって原田目掛けてビーチボールを全力で投げつける。まぁまぁ早いはずのスピードボールを、原田はいとも簡単に両手でバシッと掴んだ。

「サンキュー。よーし、じゃあ次ももう一本決めよう!」

 そして、涼しい顔で「もう一本」と指を立てている。

「…くそー、このスポーツ少女め」
「吉川、それだと単なる褒め言葉だよ」

 悔しそうに捨て台詞を吐いた健吾に、珍しく芹沢がツッコミを入れ、健吾はしょぼんとうな垂れた。

「ほらー、とりあえず1対0。あと、9回ぶつけなきゃいけないんだから、早く構えて」
「原田さん、全て俺の顔面からポイントを獲得するおつもりですか!?」

 健吾の悲痛な叫びに、思わずプッと笑いが込み上げた。横を見ると、亮も顔を逸らしており、前方の原田もプルプル震えている。

 向こうの亮と芹沢も(苦笑いかもしれないが)笑っていた。

 たったワンプレーで、場の雰囲気が一気に和んだ。

 昨日の夜からの出来事、そしてついさっきの俺と亮のやり取りで、皆の雰囲気はどことなくぎこちないものになっていた。

 各々が気を遣おうとしてくれている空気感があった。

 それを作り上げてしまっているのが、紛れもなく自分自身に原因があることは自覚していても、俺ではその場を元に戻すことはできなかった。

 でも、今健吾のたった一つのアクションで、凝り固まっていた空気が緩和した。

 思い返せば、この二日間でそんな場面は幾度とあった。

 それは、ほとんど全てが健吾から始まっていくものだった。

 それが意図的なのか、天然なのかは分からないが、健吾の明るさに何度も助けられていたのは間違いなかった。

『小学校からの幼馴染二人が、高校になっても相変わらず犬猿の仲っていうのは、昔を知っているこっちとしては、何かとやりにくいんだよ』

 ふと、昨日健吾と並走していた時に言われた言葉が頭を過ぎる。

 今思えば、健吾からも亮から言われたようなことを言われていたんだな、と思い当たる。

 やはり、あの二人には色々と気苦労を掛けていたのかもしれない。

 それは、この二日間。そして、きっと中学校の三年間も。

「よし、次はポイント取るぞ!」
「やれるもんならやってみろ!」

 健吾の掛け声に、原田が応えてサーブを放った。

 原田のサーブは、綺麗な放物線を描いて青い空に飛んでいった。

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