海に向かって

ひふみん

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第6章「小さい頃のように」

夏を楽しまないと

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 本当、俺の気も知れってもんだ。

 皆のところに戻りながら、さっき自分で呟いた言葉がもう一度胸の中で繰り返される。

 それを思い出しながら、思わず顔を顰めた。

 どうして、自分からあんなことを言ってしまったんだろうか。

 俺の本音を唯一知っている健吾だったから油断していたのか、それとも今のこの状況に俺自身がどこか苛立ち、それを誰かに愚痴りたかったのか。

 恐らく、どちらも理由としてはあるか、と自分の中で納得してしまった。

 昨日、皆で集まった時から、ずっと皆のことを見てきた。それぞれの色んな事情を知っている立場としては、皆の行動や言動,態度が目について仕方なかった。

 だが、その中でも自分自身としては結構上手く立ち回れていたんじゃないだろうか、と思っていた。

 特に、昇と芹沢に関しては、一番事情を知っているのは俺だったし、そもそも今回の「海に向かって」であの二人を引き合わせようとしたのは他でもない俺だ。

 そのことで、途中昇から文句らしいものを言われたが、それはきれいにそのまま言い返してやった。

 昇は、ぐぅの音も出ないという様子で、あっけなく返り討ちにあっていたが、その反応を見て俺自身も内心で随分動揺していた。

 あんな態度を見せられたら、事情を知らなかったとしても昇の本音の部分は手に取るように分かるだろうと思った。

 そのことに、少し心を乱してしまった自分自身にただ腹が立った。

 それでも、それ以外に関しては万事上手くいっていた。無事、誰も途中離脱することもトラブルもなく、氷見まで到着することができた。身体は案の定疲れてはいるけれど、思いの外体力はまだまだ残っていて、そこはやはりまだこの前まで部活動をやっていた現役高校生様様といったところか。

 皆も、問題なく付いて来れて体力も残っているようだったので、この調子なら明日も楽しく無事に帰ることができるかな、と思っていた。

 ところが、花火を終えてから事態は急変した。

 俺と健吾のいない所で何かが起こっていた。そして、その何かは昇と芹沢、そして原田の様子を見たらすぐに察しがついた。

 上手くいかなかったのか。

 直感的に思ったのはそんなことだった。何が、という具体的なことまでは分からないし、正直あまり想像もしたくない。そして、その事に対して今の自分自身の心境は何とも複雑で言葉にできない。

 こじらせてるのは、俺も一緒なのかもな。

 そんなことを思って、でもすぐに「切り替えないと」と自分の中で呟いて、笑顔で皆の元に戻った。

「悪い悪い、このバカに巻き込まれてたわー」

 戻ると、持ってきたビーチパラソルを昇と理久がせっせと立ち上げていた。何か手伝おうかとも思ったが、もうすでに作業も終わり間際といった様子で、手は必要なさそうだ。

「元はと言えば、お前が俺のサンダルを大海原へと旅立たせようとしたからだろうが!」

 すかさず、後ろから追ってきた健吾が噛みついてきたので、苦笑で答える。

「いや、可愛い子には旅をさせろって言うだろ?」
「その、絶賛旅をしている俺自身が家路につけなくなるところだったんだが!?」

 健吾のツッコミが、浜辺に高らかに響き渡る。

「全く、こっちは暑い中ビーチパラソル立ててるっていうのに、何してるんだか」

 そんな健吾に対して、呆れ口調で割り込んできたのは原田だ。

「…でも、そう言いながら原田も特に何もしてないように見えるんだが?」

 偉そうに言った原田本人は、特に何かを手伝った様子もなく浜辺に座って、設置間近のビーチパラソルを待っているようだった。

「えっ?そんなことないって。ちゃんと、二人に指示出してたから」

 それは、サボってると言わないか?

 浮かんできた反論は、飲み込んで口には出さなかった。今は元の原田に戻っているが、昇のように不用意な発言でまた恐い原田が出てきたら堪らない。

 昨日の原田は、俺達に恐怖心を植え付けるには充分すぎるくらい恐かった。

「よし、これでいいだろ!」

 俺たちのやり取りを尻目に、大きく息を吐き出しながら昇が声を上げた。見ると、無事ビーチパラソルを立て終えて、昇と理久は額に浮かんだ汗を拭っていた。

「開くぞ」

 昇の掛け声とともに、閉じていたビーチパラソルがバサッと大きな音を立てて開いた。灼熱の浜辺に出来上がった日陰のオアシスに、誰からともなく「おー」という声が上がり、自然と拍手が起こった。

 まだ浜辺に出てきたばかりで、作業時間もそんなに掛かってないはずなのに、早くも昇と理久の額からは汗が止め処なく噴き出している。

「うん、上出来上出来、ありがとう」

 まるで、従者に礼を言う女王様のように、原田は満足そうにビーチパラソルを見上げて、尻に付いた砂を払って立ち上がった。

「ほら、桜も入ろう」
「えっ?」

 何の躊躇いもなく、男子二人に立てさせたビーチパラソルに入っていこうとする原田に対して、芹沢の反応は少し遅れた。

 原田と違い、立って作業が終わるのを待っていた芹沢だったが、その様子はどこかぼんやりとしていて、上の空といった感じだった。

「おっ、芹沢は入らなくていいのか?だったら、俺がお言葉に甘えて…」
「って、甘えさせるか!」

 反応が遅れた芹沢に代わって、ごく自然にビーチパラソルの中に入って行こうとした健吾を、すかさず蹴りで原田が撃退した。流石に本気の蹴りではないと思うが、それでも健吾の体は再び日光の下へと押し戻されて、俺の元へ跪くように舞い戻ってきた。

「流石だよ、健吾」

 健吾だけに聞こえるくらいの声で称賛を送る。ついさっき「バカをする」と言っていたが、まさかこうも早く実践するとは。

「…流石ってどういう意味だ。俺は、本当に暑いから素直に日陰に行こうかと」
「いや、あのタイミングで行ったら、こうなるのは目に見えてただろ」

 言いながら苦笑いを浮かべるが、これはこれで健吾なりの場を和ませようとしての行動かな、と思い至る。といっても、今目の前で尻を上げて跪いている姿は何とも情けない。

 ビーチパラソルから健吾を追い出して、原田は改めて芹沢を招き入れた。芹沢は申し訳なさからか少し躊躇っている様子だったが、昇と理久が空気を読んでビーチパラソルから出ると、恐る恐るビーチパラソルへと入っていった。

「よーし、じゃあ早速遊ぶとするかー!」

 跪いていた健吾が勢いよく起き上がって、テンション高く叫んだ。健吾は、基本切り替えが早い。

「そうだな、何しようか?」
「とりあえず、早く海に入りたい!以上!」

 それはその通りだが、その言い方が阿呆丸出しで呆れる。現に、ビーチパラソルの下で涼んでいる原田からは、冷ややかな視線が向けられている。

「そこのお二人さんもご一緒にどうですか?」

 しかし、そんな原田の様子に気付いていないのか、それともあえて気付いていないフリなのか、ビシリと指差しながら無駄に渋い声で女子二人を誘う。

 そして、案の定原田からの返答は視線と同じく冷ややかだ。

「いや、バカでしょ?せっかく日影に入ったばかりなのに行くわけないでしょ。バカでしょ?」
「あーっ!バカって二回言いやがった!『大事なことだから二回言いました』みたいな感じで二回言った!」
「はいはい、阿呆もそれくらいにして行くぞ」
「あーっ!お前まで、言い方変えればいいとか思ってるだろ!」

 本当、こいつのテンションはどこまで底抜けなのか。俺と原田に対してのツッコミが全力過ぎて、この夏の暑さ以上に暑苦しい。

「さーて、こいつもギャーギャーうるさいし、早く海に行って涼もうぜ」

 言いながら、海に向かって歩き出す。「ギャーギャーうるさいだと!」と案の定噛みついてきたが、それがまさしくうるさいので当然無視だ。

「まぁ、行くけど…というか、お前ら本当に元気だな。言っても、俺達もまぁまぁ疲れてるんだけど」

 昇は、付いて来ながらも苦笑いを浮かべている。

「何言ってるんだ、青少年!」

 しかし、そんな気怠そうな反応を吹き飛ばすように、健吾が振り返りビシィ!と昇を指差した。

「俺たちに残された時間は後僅かしかないんだ!ここで海に行かずしてどうする!ほら行くぞー!」

 問答無用で取り仕切って、健吾は大きく腕を振りながら海へと先だって歩き出した。

「…何が、青少年だよ。お前も一緒だろうが」

 昇はツッコミを入れているものの、健吾のテンションに当てられたのか、声にキレはなかった。

 しかし、そうは言うものの昇と、そして理久も俺たちの後をトボトボとついてきた。

「いやー、お前の底なし体力と同じに分類されるって、何だか微妙な気持ちだな」
「何でだよ!」

 横に並びながら言ってやると、すかさずツッコミが返ってくる。

「言っても、そんなに亮だって疲れてないだろ。さっきも、全力疾走してたし」
「いや、どちらかというとさっきのはお前のテンションにつられたというか何というか…」

 俺の言い分に対して、「まぁ、あれだけ全力で走れれば充分元気だろ」と勝手に決め付けられてしまった。

「何にせよ、もうここにいられる時間も実際そこまでないんだから、遊ばないと損だろ!」

 言いながら、健吾は拳を高く突き上げた。

 健吾の言い分も確かにその通りで、俺たちがここにいられるのは言ってもあと数時間しかない。だったら、帰り道分の体力を残すことを考えたとしても遊んでおきたい。

 だからなのか、文句を言いつつも何だかんだ後ろの二人も付いてきている。

「……」

 ふと、振り返って昇に視線を向けた。理久と何やら話をしている昇は、僅かではあるが微笑んでリラックスしているように見えた。

 あと数時間しかない。

 昇の顔を見ながら、健吾の言葉を胸の内で反芻すると、ジワリと胸が締め付けられる感覚を覚えた。

「それにしてもお前、確かにバカやろうぜとは言ったけど、あれはやり過ぎだろ」

 そんな自分の内心を誤魔化すように、健吾に話題を振る。

「えっ?俺、何か変なことしてたか?」

 ところが、健吾はキョトンとした表情でこちらを見た。その表情は、本当に俺が何のことを言ってるのか分からないといった感じだ。

 その反応に、思わず呆れる。

 何だか、こいつと話をしているとあれこれ考えていることがバカらしく思えてくる。

「…オーケー。とりあえず、さっき俺が言ったことは忘れてくれ。バカやろうとか言ったけど、お前はやっぱりいつも通りでいいわ」
「ちょっと待て、それはもしかして普段で充分阿呆だからって言いたいのか?」
「……」

 沈黙が回答だ。

 そのまま何も答えず、一足飛びに駆け出した。「あっ、てめぇ待て!答えろ!」と、すかさず健吾が後を追ってくる。

 その勢いのまま、打ち寄せる波を蹴り上げて海に駆け込んだ。

「うおー!気持ち良いーー!!」

 思わず、声が出た。

 気温はすでに充分高くなってきているが、とは言ってもまだまだ朝方と言っていい時間帯だ。海はまだ温められておらず、火照った素足を冷ましてくれてすごく気持ちが良い。

 これは、潜ったら気持ち良いだろうな。

 そんなことを思った矢先だった。

「おりゃー!!」

 背後から何かが来たな、と思ってすぐに、背中に強い衝撃を受けてそのまま海に叩きつけられた。思い切り海水を飲んでしまい、口の中に強い塩味が広がると共に気持ち悪さが込み上げてくる。そして、叩きつけられたせいかじんわりと顔面が痛い。

 ようやく状況を理解し、勢いよく顔を上げる。

「…って、健吾てめぇ!」

 叫びながら、後ろを振り返る。姿を見たわけではないが、こんなことするの一人しか考えられない。

 しかし、そこに健吾の姿はなく、その代わりにすぐ横で「うわ、止めろー!」という声が聞こえたと思ったら、豪快な水飛沫が上がった。その衝撃で、こちらにも大きな波が打ち寄せてきた。

 見ると、恐らく俺も同じようにされたのだろう、昇が顔面から海に叩きつけられていた。

「よーし、次は理久行ってみよー!」
「うわっ、来ないでー!」

 バシャバシャと波打ち際を必死に逃げる理久を、健吾が楽しそうに追いかけていた。ドラマなどでは、男女で微笑ましく見られる光景だが、本気で嫌がって逃げている理久をいかつい健吾が嬉々として追いかけているので、シュールでしかない。

 本気で健吾に追いかけられると、逃げ切るのは容易ではない。必死の逃走空しく、すぐさま健吾に肩を掴まれた理久は、馬鹿力で引き寄せられて「うわー!!」という叫び声と共に俺たち同様海に投げ出されて大きな水飛沫を上げた。

「わっはっはっはっ!」

 男子三人をまんまと海に叩きつけた健吾は、満足げに腰に手を当てて高笑いをしていた。

「あの、バカ…」

 楽しそうに高笑いをしている健吾を見て、ただただ苦笑いしか浮かんでこない。

「おえっ、まともに海水飲んだ。しょっぺー」

 海面から顔を出した昇は、咳き込みながら口に入った海水を吐き出していた。

「まんまとやられたな。というか、何でお前は逃げられなかったんだ?」
「いや、今目の前で理久がされたことを見てなかったか?亮が吹っ飛ばされた直後に、振り向きざまにぶん投げられた」

 あぁ、と苦笑いと共に合点がいった。その時の健吾の楽しそうな表情と、昇の引き攣った顔が目に浮かぶ。

「あの野郎、楽しそうに笑ってやがるな」

 そして、視線は高笑いを続けている健吾に向く。

 昇を見ると、昇は俺の方を見てニヤリと笑いを浮かべていた。

 その表情で、お互い考えていることはすぐに分かった。

「あいつ一人だけ無傷っていうのは、おかしいよな」
「同感」

 言うなり、昇も立ち上がってほぼ同時に走り出した。

「「健吾、次はてめぇだー!!」」

 二人して全力で健吾に向かった。

「やばっ!逃げろー!」

 俺たちの突撃に気付くなり、健吾は高笑いを止めて泡食って逃げ出そうとした。

 ところが、どういうわけかその足が止まった。

「あれ?」

 戸惑う健吾が固まった足を見下ろすと、水飛沫と共に理久が海面に顔を出した。掲げられた右手は、がっちりと健吾の足を掴んでいた。

「…健吾、逃がさないからね」
「ナイス理久!」

 思わず、理久に向けてグッと親指を突き立てた。

 「ギャー!理久離せー!」と、必死に理久を引っぺがそうと抵抗しているが、流石に足蹴にするわけにもいかないのだろう、掴まれている足をジタバタさせるだけで逃げるための決定打に欠ける。流石、現役テニス部。力であれば理久は健吾にそこまで劣っていない。

 この機を逃す手はないと、昇と一気に距離を詰める。

 そして、

「「おらー!!」」
「ギャー!!」

 昇と同時に健吾に飛び掛かり、勢いそのままに三人諸共海に突っ込んだ。健吾の叫び声はすぐさま海の泡へと消えて、豪快な水柱が海面に上がった。

「大丈夫か?理久」

 海面から顔を上げて、すぐさま案じたのは理久の安否だ。

「大丈夫だよ。二人が飛び掛かる前にちゃんと逃げたから」

 顔を拭って見ると、理久はちゃっかり俺たちから距離を取って、浅瀬でピースサインを掲げていた。

「…いてて、ちょっと勢いつけ過ぎた」

 続いて海面から顔を上げた昇が、何やら頭をさすっている。確かに、ちょっと勢いをつけすぎたかもしれない。

「いやー、二人とも勢い凄かったよ。それこそ、怖くなって思わず手放しちゃった」

 言いながら、理久は少し苦笑いを浮かべている。

「というか、亮が勢いつけ過ぎだ。そこまでやらなくても」
「いや、相手は健吾だぞ?これくらいやらないとこいつは…」
「ぷはぁ!死ぬかと思ったー!」

 俺たちの会話に割り込んで、大きな水飛沫と大声を上げて健吾が浮上してきた。図体がでかい健吾が海から上がってくると、さながらポセイドンだなと阿呆なことを考える。

「おぉ、生きてたか。そのまま、海に沈んでいれば良かったものを」
「いや、マジで死ぬわ!」

 すぐさま返ってきたツッコミは、いつになく真剣だ。

「お前ら、少しは加減ってもんを…!」
「とりゃー!!」

 健吾の抗議は途中で途切れ、素っ頓狂な声が突然割り込んできた。

 そして、健吾が目の前で消えた。

「おわーー!!」

 一際大きな水飛沫と叫び声と共に、健吾は再び海へと吹っ飛ばされていた。

 唖然としてその光景を見つめていると、男二人掛かりで吹っ飛ばした健吾を一人で吹っ飛ばした原田が、嬉々として笑っていた。

「あはは!楽しそうな遊びしてるじゃん!私も混ぜてよ」

 原田は、本当に楽しそうにキャッキャとはしゃいでいる。しかし、今目の前で健吾がされたことを考えると、その笑顔がむしろ怖い。

 しかし、そんなことを思ったのも束の間。水飛沫が収まると同時に、目の前の光景に視線を釘付けにされた。

「うおー!一度ならず二度までも!」

 先ほどと同じように、ポセイドンよろしく健吾が勢いよく海面に姿を現した。

「いやー、良い吹っ飛ばされっぷりだったよ。流石、吉川」
「そんなことで褒められても嬉しくねぇ!」

 ツッコミを入れながら、顔を拭っていた健吾が目の前を見た。

 そして、見るからに固まった。

「うん?どうしたの?」

 しかし、当の本人は分かっていない様子で可愛らしく首を傾げる。

 原田は、さっきまで着ていた上着を脱ぎ捨てて、上も水着姿になっていた。下と同じレモン色のビキニ姿だ。

 服の上から分かっているつもりだったが、原田のスタイルは出るところは出ていて凹んでいるところはしっかり凹んでいるという、男子が思い描く完璧なスタイルだった。

 際、服の上から見ていた時より、心持ち胸は小さく見えたが、とりあえずそんなことはどうでもいい。

「原田さん」

 妙に神妙な面持ちで、健吾が原田に言う。

「本当にありがとうございます」

 唐突で脈略のない感謝の言葉だったが、その言葉に俺も思わず強く頷きそうになる。

 本当にこの旅行に来て良かったと、この二日間で一番思った。

「えっ、海に吹っ飛ばされてお礼言うとか、本物の変態?」

 だが、このタイミングで健吾が言うと確かにその通りで、原田は結構本気で引いた様子で、実際に健吾から一歩距離を取った。

「って、そこじゃねぇ!」

 健吾は慌てて訂正するが、そもそも正しい意味もそれはそれで変態認定は覆りそうにないので何とも締まらない。

「まぁ、変態は適当に無視して、皆でビーチボールやろうよ!」
「あの、とりあえず変態認定を取り消すところから始めてもらっていいですか!?」

 そう言う健吾をそのまま無視して、原田は持ってきたビーチボールを掲げた。

「皆って、芹沢は?」

 原田が来ているのであれば、てっきり芹沢も来ているかと思いきや、後ろを見てもその姿はなかった。ビーチパラソルの方に目をやると、芹沢は変わらずビーチパラソルの下で座ったままだった。

「あぁ、桜はもう少し休んでから行くって」

 見ると、ビーチパラソルの下で芹沢は体育座りをしてじっと斜め下を見つめていた。

 それは、休んでいるというよりも、どこか落ち込んでいるように見えた。

「あれれ?どうしたの、井川?もしかして、桜の水着姿が気になるとか?」

 言われて、しまったと思った。

 視線を、芹沢から目の前の原田へと向けると、明らかにおちょくる気満々で原田がニヤニヤと笑みを浮かべている。確かに、ちょっと見てた時間が長かったかもしれない。

 なるべく不自然にならないように、落ち着いて口を開く。

「お前な、そんなわけ…」
「はい!私は芹沢さんの水着姿気になります!」

 俺が言い終わるより早く、ピンと真っ直ぐ手を伸ばした健吾が阿呆丸出しで割り込んできた。

「あはは、そっか!じゃあ、とりあえず吉川はもう一回海に沈んで二度と上がって来ないようにしようか?」
「笑いながら、さらっと物騒なことを言うのは止めてもらっていいですか!?」

 目の前で阿呆なやり取りが繰り広げられているが、内心でほっと胸を撫で下ろす。今は、少し健吾に助けられたかもしれない。

 そのまま、夫婦漫才を始めている二人をいいことに、視線は思わずビーチパラソルの下の芹沢へと向けられた。

 こちらからでは、遠くにいる芹沢の表情はよく分からない。落ち込んでいるように見えるのは、ただの俺の思い過ごしな気もするし、本当に疲れて休んでいるだけかもしれない。

 それでも、それがどちらにしても気になって仕方なかった。

「さーて、せっかくの残り少ない海での時間だ!楽しもー!」

 ビーチボールを高々に掲げながら、元気いっぱい原田の声が響く。その声に、慌てて視線を皆の元に戻した。

 他の三人も、その声に呼応するように、まず真っ先に健吾が「おー!!」と拳を掲げ、釣られて昇と理久も「おー」と棒読みで声を上げながら拳を掲げている。

 ここは、皆に合わせておかないとまた違和感が出る。そう思って慌てて拳を上げようとした。

 だが、心がそれを止めた。

「…わりぃ、ちょっと先にやっててくれ。俺、その阿呆のせいで体力使ったから、ちょっと飲み物飲んでくるわ」

 掲げようとした手は、そのまま顔の前で片手合掌を作り、申し訳ないという仕草をしながらビーチパラソルの方を指差した。

「何だ、もうバテたのか…っておい待て、それは誰のせいって言ってるんだ?」
「いや、あんた以外にいないし、すかさず返事しているのが自覚している証拠でしょ?」

 今度はすぐに抗議を上げた健吾に対して、すぐさま原田がツッコミを入れる。

「熱中症になると本当にまずいと思うから、行ける時に行っておきなよ、井川。このバカは私がここで足止めしておくから」
「足止めなんてされなくても、邪魔なんてするか!」

 そう言いながらグイグイこちらに来ようとしている健吾を、手に持ったビーチボールで押し返しながら、原田が行くようにと笑顔を向けてくれた。更に、そこにはウィンクのオマケ付きだ。

 私が足止めしておくから、行ってきてよ。

 まるで、原田はそんな風に言われたように思えた。

 「さぁさぁ、じゃあ私たちは先にビーチバレーをしよー!」と俺から背を向けるようにして、原田は男子三人をまとめて引っ張って歩き出してしまった。

 原田の強引な感じに、苦笑しながらも心の中で礼を言う。

 思えば、この二日間で芹沢と二人きりになるのって初めてだな。

 その事実に思い至り、少し緊張が込み上げてきた。しかし、それを振り切るようにして頭を振り、俺は歩き出した。
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