心に鍵を掛けて -海に向かって、その後-

ひふみん

文字の大きさ
上 下
1 / 3

①揺れる心

しおりを挟む

 〇〇〇

 私には秘密があった。

 それは、親友にも言えない秘密。

 女の子には、秘密を共有して、それを守ることによって友情を高めようとする子がいるけど、私はそれは違うと思ってる。

 秘密は、自分の中から外に出てしまった時点で秘密じゃない。他の誰かに聞かれてしまっては、それはもはや秘密でも何でもない。

 だって、本当に隠しておきたいものなら、自分の心の中で漏らさず、留めておくことが一番安全で安心だからだ。

 だから、私は秘密を抱えたまま、ずっと過ごしてきた。

--あの夏、みんなと一緒に海に向かうまでは。


 〇〇〇


 心持ちゆっくりとペダルを漕ぎながら、駅までの道を自転車で走っていた。

 吹き付けてくる風は、すっかり秋の気配を湛え始めていて、寒くなってきていた。少し早いかな、と思いつつも巻いてきたマフラーは大正解で、少しずり下がってきているのを口元まで引き上げる。

 もう一つ良かったのは、少し長めのロングスカートを履いてきたことだ。デニムや短めのスカートでも良いかと鏡の前でファッションショーしていたけど、悩んだ末にこれにしてきて良かった。いつもの制服のように、短いスカートで自転車に乗っていると流石に足がスースーしてしまうが、今日はおかげさまで随分快適だ。

「はぁーー…」

 吐き出した息は、まだ流石に白くはならない。

 北陸地方の冬は早い。こんなことを思っているうちに気が付けば冬が来て、身体を縮こませながらプルプル震えて自転車を漕ぐようになって、やがて雪が降り始めたらコートとマフラーを着こんで完全防寒して、少し長くなる駅までの道のりをトボトボ歩いていくようになるだろう。

 ふと、過ぎ去っていく風景に目が向く。

 別の町の高校に通っているから、駅までのこの道は毎朝決まって自転車で走り抜けていく、代わり映えのない通学路だ。見える景色はいつもと同じで、何ら変わり映えのない日常の風景だ。

 桜大橋を抜けて、役場の横を通り過ぎて、春には満開になる桜並木の木漏れ日を浴びながら、河原の水面を眺めながら走り抜ける。

 それがいつもと少し違うのは、自分の格好が制服ではなく私服であることと、いつもに比べてペダルを漕ぐスピードがゆっくりなこと。

 それと、家を出てからずっと心臓がドキドキしていることだ。

「……ふぅー」

 心を落ち着けるために、一度大きく息を吸い込んで深呼吸してみた。ひんやりした空気が肺一杯に入ってきて、胸が冷たくなる。

 深呼吸すると幾分かドキドキは収まるけど、冷たい空気が全て外に出てしまうと、またゆっくりと心臓はドキドキを始めてしまう。

 こんなにドキドキしてるなんて珍しいな、と他人事のような感想を抱く。

 普段、人と会う時にドキドキすることはほとんどなかった。お父さんの転勤の関係で小学校の時に何度か転校を繰り返していて、その度に新しい学校で新しい友達を作るということが当たり前になっていた。だから、初めて会う人でもそれなりに会話ができる処世術は身に付いていて、いつからか人見知りというのもなくなって、誰とでもそつなく話はできるし、それが見知った人であればなおさらだった。

 そんな私が、今日は珍しく緊張していた。それこそ、男の子と何処かに出掛けるなんてことは、中学時代はよくやっていたはずなのに。

「…あぁ、そういえば」

 思わず、呟きが漏れた。

 思い返せば、中学時代も遊びに出掛けていたのはあの三馬鹿トリオと連れ立って四,五人でということばかりだった。それこそ、この夏に海に行った時も男子四人とその時は桜も一緒だった。

 数人の男子と一緒に出掛けることは何度もあったけど、男の子と二人きりでというのは、何気に人生で初めてだった。

「…なんてね」

 そんなことを考えながら、それが言い訳であることは自分自身がよく分かっている。

 それでも、そんな言い訳をしないとこのドキドキは収まってくれなさそうで、「よし!」と自分自身に喝を入れ直して、気持ちペダルを漕ぐ足に力を込めた。

---

 駅に到着して、自転車置き場に自転車を止めた。

 腕時計を確認すると、時刻は集合予定時間の十分前だ。その時間を見てホッと胸を撫で下ろす。余裕を持って出てきたけれど、いつもよりゆっくりと自転車を漕いでいたので思いの外遅く着いていたらどうしようと思っていた。

 田舎なので、電車の本数は極端に少ない。今の時間はかろうじて一時間に二本は来てくれるけど、これが次の電車を逃したら一時間に一本になってしまう。だからこそ、田舎において電車の時間に遅刻は致命傷だ。その日の予定が全て総崩れになってしまう。

 ましてや、今日は映画を観に行くのだからなおさらだ。

 自転車置き場から駅に向けて歩きながら、思わずキョロキョロと辺りを見回していく。いつもの平日だったら、まだ今の時間は通勤通学の時間帯で、同じように駅に向かっている人がいるけど、今日は休日で辺りには全く人がいない。

 それでも、今から男の子と会いに行くわけで、そんなところを間違っても知り合いや友達に見られるのは困る。だからこそ、余計な心配とは思いつつも一応辺りを伺いつつ駅に向かう。

「……あっ」

 駅前に、理久君の姿を見つけた。

「おーい、理久くーん!」

 大きく手を振りながら、声を掛けた。

 理久君は少し落ち着きなく辺りの様子を伺っているみたいだったけど、私の声が聞こえて慌てて顔をこちらに向けた。

「あっ、原田さん。おはよう」

 理久君は、少し緊張した面持ちで挨拶を返してきた。

「おはよう!いやー、今日は寒いねー」

 笑いながら、少し小走りに理久君に近寄って行く。

「うん、寒いねー。僕もマフラーとか巻いてきたら良かったかも」

 そう言った理久君は、シンプルにジーンズに白いシャツスタイルの格好だった。確かに、その格好だったら首元が今日は少し寒いかもしれない。

「そうでしょー?そう思って、私はバッチリ巻いてきたよー」

 戯けながら、まさに道中誇らしく思っていたマフラーをクイクイと引き上げて見せる。

「うん、そうだね。今日はそれが正解かも」

 そんな私に、理久君は笑いながら答えてくれた。

 そうして、少し会話がひと段落したタイミングで、理久君は何だか落ち着かない様子で辺りをキョロキョロと見渡した。

「うん?どうかしたの?理久君」

 気になって、理久君に問い掛けた。

「えっ?…あぁ、ごめんごめん。別に何でもないから気にしないで」

 理久君は、苦笑いを浮かべながらポリポリと頭を掻いた。話す時は視線が合うのに、その視線はすぐに逸れて、何だか恥ずかしそうだった。

 それは、気付かれたくないことに気付かれてしまった、という表情に見えて、その態度でピンと来た。

「ふふふ。大丈夫だよ、理久君。私も辺り見渡しながら来たけど、知り合いとか友だちとかは誰もいなかったよ」

 先回りで言ってあげると、やはり図星だったみたいで、理久君は一瞬驚いた顔を浮かべた。だけど、その顔がすぐさま赤く染まって、「そっか。それは良かった」と小さく呟くと俯いてしまった。

 そんな理久君を見ると、言ったら怒られてしまうかもしれないけど、素直に可愛いなと思った。

「日曜日だし、誰もいないとは思うけど、もしもいたらちょっと恥ずかしいよねー。私も、来る時もずっと辺りキョロキョロしながら来ちゃったよ」

 理久君ばかりに恥ずかしい思いをさせるのも申し訳ないので、私も内心を吐露する。すると、理久君はこれまた顔を上げるとホッとした表情を浮かべた。

「あっ…うん、そうだね。そうだよね」

 それは、本当に何か安心したかのようで、噛み締めるように言葉を繰り返していた。

 その表情を見て、少し胸が疼いた。

「ほら、電車ももうすぐ来るだろうし、早く切符買っちゃおう!」

 誤魔化すように、明るく声を上げながら理久君と連れ立って駅構内に足を進めた。

---

 ガタンゴトンと、まさしくそんな音を立てながら電車は走っていた。

 都会の電車は、結構なスピードで走っていても静かであまり揺れも感じないけど、こっちの電車はそこまでスピードが出てなくてもうるさくてしかも大分揺れる。必ず何かに捕まってないと、走行中でも普通に転んでしまいそうになる。

 東京に住んでた時は、電車の揺れなんて気にしたことはなくて、気になるのはいつも満員電車のぎゅうぎゅう詰めにされた人の多さばかりだった。

 こちらの方でも、普段の通学の時は色んな学校の生徒が一斉に乗るので、なかなかの混雑具合になる。その度に、友だちは「うわー、満員電車きっつー」なんてことを言ってくるけど、それを聞く度に「都会の満員電車はこんなもんじゃないんだよー」と本場の満員電車を知ってる身としては内心でいつも苦笑いだ。

 それでも、混雑してることに変わりはなく、いつも通学の時は座れないのが当たり前だ。なので、転ばないように何かに掴まりながら、さながら体幹トレーニングのように身体のバランスを保ちながら学校に向かうのが日課となっている。

 そんな電車も、今日はいつもの混雑具合が嘘のように乗ってる人はまばらで、普通に四人掛けの席に二人で座っていても咎められることなんてない。

「いやー、何かいつも電車通学してると、こうして座って行けるのって何か新鮮だね」

 斜め向かいに座っている理久君に声を掛ける。

「あっ、そっか。いつもこの時間だったら、座れないの?」
「無理無理。私たちの駅も、結構最初のはずなのに、いざ乗ってみたらほとんど他校の子達に占領されてて、私たちが座る席なんて残ってないよ。だから、いつも通学は立ってることがほとんどかなー」
「そうなんだね」
「というか、理久君も電車通学だから、同じじゃないの?」

 確か、理久君も通っている高校は他の街の高校だったはずだ。

「あぁ、僕は部活の朝練があるから、皆より多分乗ってる時間早いんだ」
「へぇー、だからいつも顔見ることないんだ。早いって、何時くらいのに乗ってるの?七時くらい?」
「ううん、いつも乗ってるのは六時台かな」
「六時台!?」

 思わず、大きな声が出てしまった。ほとんど人が乗っていない車内に、私の声はよく響き渡った。

「…すごいね、いつもそんな時間に行ってるんだ」

 車内に響き渡った自分の声に恥ずかしくなって、声をしぼめる。

 そんな私に、理久君はあははと小さな笑い声を上げた。

「そうだねー。最初の頃は結構しんどかったけど、もう三年もそんな感じで通ってるから慣れちゃったよ」
「すごいなー。でも、六時台に乗るってことは、いつも何時くらいに起きてるの?」
「うーん、大体五時くらいかな」

 サラッと言われた時間に、また声が出そうになったけど、今度はグッと堪える。

「…本当、すごい。私には、絶対に無理だなー」

 六時に起きろと言われても、即答で「無理」と言える自信があるのに、五時に起きるなんて一体どうやったらそんな時間に起きられるんだろう。ベッドの周りを目覚まし時計で埋め尽くしたら、何とか起きれるのかな。

「僕も、今思えばよくやってたなって思うよ。今は、普通に六時起きでよくなったんだけど、それでもまだ一応五時には目が覚めて、咄嗟に目覚まし時計に手が伸びる癖が直らないよ」

 理久君が五時に飛び起きて目覚まし時計に手を伸ばして、「あっ、鳴らないのか」ってうな垂れてる姿が浮かんできて、思わず笑った。

「あはは、それは何というかお気の毒だね。朝までぐっすりの幸せを、理久君はまだ手に入れてないわけだ」
「うん、そうだね。卒業までに手に入れられれば良いけど」

 そう言って、理久君は笑った。

「でも、今は六時起きでよくなったってことは、もう朝練はしてないの?」
「あぁ、実は九月までは地方大会があって部活続けてたんだけど、そこで負けちゃって部活自体はもう引退してるんだ。今も、たまに顔出したりはするけど」
「ええっ!地方大会ってことは、北陸地区のだよね?そこまで行ったってことは、県大会も勝ち上がってたってことだよね?」
「うん、まぁ、一応そうだね」
「すごいすごい!」

 同じテニス部なので、県大会から地方大会まで行くのがどれだけ凄いかはよく分かっていた。だからこそ、素直に称賛の声が出て、音は鳴らさずに拍手を送った。

「すごいなー。地方大会なんて、私も出たことないのに」
「えっ、でも確か原田さんも強かったよね?」
「うーん…まぁ、それなりに良いところまでは行ったけど、あと一歩のところで県大会で負けちゃった」

 確かに、理久君達と一緒だった中学時代は、桜とペアを組んでたこともあって県内でも中々に強かったんじゃないかな、と多少の自負はあった。だけど、高校に行くと周りのレベルも上がって、中学の時のように勝ち切ることは難しくなっていた。

「やっぱり、私が一番強かったのは、桜とペアを組んでた時だったかなー」
「確かに、芹沢さんも強かったね。何回か試合やったことあるけど、簡単には勝てなかったなー」

 中学時代、男子との合同練の時に何度か試合をしたことがあった。もちろん、男子と女子とでは流石に実力差があるので、他の皆はほとんど普通に負けてしまっていたけど、私と桜のペアは善戦して、そう簡単に負けることはなく、時には勝つことだってあった。

「そうかなー?確かに、相手によっては勝てたこともあったけど、流石に理久君達には全く歯が立たなかった気がするけど」

 理久君達レギュラー陣は流石に強くて、私たちでも正直全く歯が立たずに惨敗していた思い出しかない。ちなみに、吉川に関しては、私たちに勝つと調子に乗るもんだからすかさずドロップキックを喰らわすのがお決まりだった。

「えっ?そうだったかな?」

 理久君は、本当に「そうだったっけ?」というようにキョトンとした表情で首を傾げた。

 その理久君の純粋な反応に、思わず微笑んだ。

「そうだよー。理久君達は、私たち相手でも全然手加減してくれなかったんだもん」
「ううっ……それはそうだったかもだけど、原田さん達相手に手加減したら普通に負けそうだったし、僕たちも負けたら先生に何言われるか分かったもんじゃなかったから…」

 そう言いながら、どんどん萎んでいく理久君を見ながら、私は「あはは、ごめんごめん」と笑った。

 すると、理久君もホッとしたのか私の方を見ながら、微笑んでくれた。

 他愛無い会話が続けられていた。

 理久君は自然な笑顔で自然に話してくれていて、私もきっと普通に話せていると思う。

 きっと、笑顔だってちゃんと作れている。

 だけど、そうやっている中で、どうしようもなく胸の疼きは収まってくれない。

 理久君の笑顔を見る度に、ドキッとしている自分を自覚している。

 純粋に向けられる理久君からの優しい眼差しに、以前は素直にほっこりとした気持ちで受け止められていたはずだった。それは、皆といる時でも、こうして二人で話をしている時でも。

 でも、その笑顔に今は胸が疼く。

 私は、もう知ってしまっている。その優しい眼差しの先にある、理久君からの感情を。

 それが、私を疼かせる。

 今日、答えを出さなきゃいけないと。

 私の中の私自身が、そう急き立ててくる。

⚫︎⚫︎⚫︎

 私は、自分自身の容姿が男子から好かれるものなんだ、ということに小学校高学年くらいで気が付いた。

 こんなこと、口が裂けても友だちの女の子達には言えないけれど、しかしそれを自覚しないこともそれはそれで失礼かもしれないと、中学校に入るくらいから思い始めていた。

 転校を繰り返す中で、初めて行く街の初めて会う同級生たちとすぐに仲良くなるというのは、幼い時はなかなかに大変だった。

 元々明るく元気な性格ではあったと思うけど、それはあくまでも仲の良い人だったり見知った人の前で、誰に対してもそんな風に接することができた訳ではなかった。人見知りしない、なんて処世術は一朝一夕で身につくものじゃない。

 それこそ、転校生に対する同級生達の反応というのは、各地域や学校によってまちまちだ。

 都会の学校では、そもそも生徒数が多く、転校生もそこまで珍しいものではないからか、クラスメイト達の反応は比較的あっさりしたものだった。

 一方で、田舎の学校はそもそも生徒数が少ないこともあるし、転校生自体が珍しいので皆最初から好意的で、色んな所に気を遣ってくれる。

 そうして、それぞれの地域で十人十色の反応をされながらも、何とか仲良くなれる人を作って友だちになって、それでも「ようやく仲良くなれてきたなー」なんて思ってるうちに、転校が決まってその友だちとはお別れになってしまう。

 小学校低学年くらいの時は、その度に大泣きしていた。「何で、いつも仲良くなってすぐに転校なの!」とお父さんに食ってかかったことも何回もある。その度に、お父さんは申し訳ない顔をしながら「ごめんなー」と私に謝っていた。

 しかし、少しずつ人見知りをしなくなってきて、転校自体もすっかり慣れてきた小学校高学年になった時、周りの反応がそれまでとは少し変わった。

 その時、私は転校で東京の学校に行くことになった。

 都会の学校は何回か行ったことがあるけど、流石に大都会東京に行くのは初めてで、緊張していたし、それと同時にワクワクもしていた。

 皆の憧れの東京。そして、その学校はどんな所だろう、どんな子達がいるんだろう。

 そんな風に私は思っていた。

 しかし、転校初日、もう何度やってきたか分からない自己紹介をした時、クラスメイト達の反応が目に見えて違ったことに気が付いた。

 それまで、自己紹介をしている段階で好意的な反応を見せてくれるのは女の子達が多かった。「新しい子だ」「友達になれるかな?」と、特に人懐っこい子はすぐに私のところに来て、色々興味津々に質問をして来てくれた。(大体そういう子とは、一番最初に友だちになる)

 でも、東京の学校は明らかに反応が真逆だった。

 自己紹介をしている時、明らかにテンションが上がっているのは男子達の方で、どういうわけか女の子達は何だか少し冷めたようなテンションで私を見ている気がした。 

 その当時の私は、そのことに気付いていながらも、その理由はとんと見当がつかず、ただ何となく「東京はそんな感じなのかな?」という感想しか浮かんでなかった。

 自己紹介が終わり、一限目の授業が終わり、二限目までの僅かな時間で最初に話しかけてくるクラスメイトが毎回一人はいた。

 ただ、その時にいつもと違ったのは、最初に話しかけて来たのは少し目立つ雰囲気の男子だった。

 一体何て声を掛けられたのかは、今はもう覚えてない。覚えているのは、一番最初に男子から声を掛けられたことに面食らったことと、「何かこの子ヤダなー」という印象を持ったことだけだった。

 戸惑っている私を尻目に、その子は私に二,三個質問をして、そうしている間に友だちらしき男子が二人ほど増えて、その子達と話しているうちにその時間は終わった。

 そんなことが、授業の合間に繰り返されて、転校初日で友だちもいなかった私は、ただその子達と一緒にいることしかできなかった。幸か不幸か、既に転校にも慣れていて人見知りもしなくなっていたので、楽しそうに振る舞うことはその時の私にはそこまで難しいことではなかった。

 ただ、後になって思えばそれが悪かった。

 翌日になっても、その子達は既にもう友だちとばかりに自然と私の側に来て私に話しかけて来た。どういうわけか、呼び名が「由唯」になっていて、昨日に比べてやけに距離が近いなと感じた。

 自分の中で誤魔化しようのない嫌悪感が募っていく中で、一度トイレに行くフリをしてその子達から離れた。

 女の子というのは、特に用事もないのに授業の合間にトイレに行く子が決まって何人かいる。理由としては、女の子同士で気兼ねなく話せる場所として、トイレが色々と都合が良かったんだろう。

 その時も、トイレに入ると、特に個室に入るわけでもなく数人のクラスメイトが雑談をしていた。

 だけど、トイレに入るなり、それまで楽しそうに談笑していたその子達が、嘘のように黙って、不自然にトイレの中はシンと静まり返った。

 訳も分からない沈黙に面食らったけど、そんな私に対してその子達は何も言わずにじっと私のことを見ていた。

 本当にトイレしに来たわけでもないので、どうしようかと思ったけど、その空気の中にポツンといることがいたたまれなくて、思わず入りたくもない個室に入った。

 ただ腰を下ろしながら、じっと息を詰めてクラスメイト達が出て行くのを待った。しばらく、扉の外で息を潜めている気配が漂っていて、何だか外で私に対して耳をそばだてているような気がして、余計に息が詰まった。

 私が何もせずにただ座っていると、ゆっくりと外の空気が揺れて、ゾロゾロとクラスメイト達が二,三言葉を交わしながら出て行くのが分かった。

 クラスメイト達が完全に出て行ってから、ゆっくりと個室の扉を開けた。そこには、誰一人残ってはおらず、私はトイレに一人だった。

 でも、そのことに何だかホッとしている自分がいて、そうして冷静になったところでさっきのメンバーの中に知った顔がいた事に気が付いた。

 その内の一人は、クラスでもリーダー格に位置する可愛い女の子だった。名前はまだ覚えてなかったけど、クラス内での立ち回りですぐにリーダー格であることはわかったし、実際に目立つ子でもあった。

 ただ、その子からは明らかに敵意を向けられていたな、と冷静になった私は気付いていた。

 それが「嫉妬」だったと理解するのは、しばらくしてからだった。

 しばらく経ってから、一番最初に話し掛けてきた男の子から告白をされた。

 いきなり校舎裏に呼び出されて、「もしかして?」と少しばかり予想はしていたものの、実際にその言葉を言われた時に頭の中が一気に冷めた。

 いつもは自信満々で誰に対しても強気な態度を取っていたその子が、その時ばかりは緊張した面持ちで、しどろもどろになっていた事は覚えている。

 ただ、それを私は冷静に見ていた。

 どうして、この子は私のことが分かっていないのに、私のことを「好き」だと言うんだろう。

 私は、まだ君のことをちゃんと友だちだとも思えてなくて、それなのに君が私のことを好きだと言う理由が、全く理解できなかった。

 だからこそ私は、思わず「どうして?」とその子に聴いた。

 その子は、一応理由らしい理由を並べてはみたものの、そのどれもが何だか空虚なもので、本当の理由ではないように聞こえた。

 そして、その間にもその子は、恥ずかしそうに私のことをチラチラと見ていた。

 その態度を見て、「あぁ、この子は『私』のことが好きなんじゃなくて、『私の顔』が好きなんだ」と思った。

 なぜなら、思い返してみてもこの子と楽しく何かのことを話したことはなく、いつもただこの子やその友だち達が私の知らない話をして盛り上がっているばかりだった。

 その会話の中には、いつも私は加わらず、ただ空気のようにその場に居るだけだった。その子達にとって、私は「居ること」が価値だった。

 私と一緒に居るのが楽しいから好きなんじゃなくて、私という存在を傍に置けている自分が好きなんだろう、と冷静に理解してしまった。

 私は、その場でその子からの告白を丁重にお断りした。しかし、そのことに対してその子は信じられないといった表情を浮かべて呆然としていた。多分、クラスでも目立って人気がある子だったので、振られるなんて露ほども思っていなかったんだろう。

 もう一度「ごめん」と告げて、そのままその場を後にした。もしかして、後を追ってくるんじゃないかと少し不安になったけど、その子が追ってくることはなかった。

 翌日、それまでは登校すると必ず私の席に来ていたその子はもう来なくなって、そうなると自然と取り巻きだった周りの男の子達も私の所に来ることはなかった。何やら、固まりになって「どうしたんだよ?」とあの男の子に詰め寄っている雰囲気もあったが、あえて私はそれには気付かないフリでおもむろに席を外した。

 それから数日は、一人で過ごしていた。しかし、数日経ったある日、唐突に女の子達から声を掛けられた。

 そこからは、何度も転校を繰り返してきた中で培ってきたコミュニケーション能力で、それまでが嘘のようにクラスの女の子達に溶け込むことができた。

 一度トイレで敵意を向けて来た女の子とも話ができるようになった。一度だけ、「あの子とは何でもないの?」と聞かれたけど、それに対してはあっけらかんと「あるわけないじゃん!」と答えて、事なきを得た。

 それまでは、そんなことを意識することなんてなかった。

 自分自身の容姿がどう見られるかなんて意識する事はなく、男子女子なんて垣根もなく、皆フラットに接していられた。

 しかしそれが、ガラリと変わった。周りの私を見る目は、男子からは性的な視線を、女の子達からも嫉妬の視線を送られることが増えた。昔の弱いままの自分であったら、もしかしたらイジメとかを受けていたかもしれないけれど、その時の私はいじめられるほど弱くはなく、自分自身の立ち位置を立て直す術も身に付けていた。

 ただ、その時から定期的にそこまで仲良くない男子から告白される機会が増えてきて、そのことで少しずつ男の子に対する嫌悪感が自分の中で膨らんでいった。

 どうして皆、私のことをそこまで知りもしないのに、簡単に「好き」なんて言ってくるんだろう。

 次第に私は、男子と距離を取るようになっていた。完全に拒絶をしてしまうと、それはそれで別の反感を買いかねないので、そこは周りに気付かれないよう上手く立ち回っていたけど、必要以上にあえて自分から話しに行ったり、仲良くしたりすることはなくなった。

 それでも、私に対する告白は色んな男子から定期的に続いた。

 ただ、あの頃の私には誰かを好きになることなんて想像はできなくて、そう言われることに対して、戸惑いと拒絶しかなかった。

 今になって思えば、私自身の対応にも悪かったところは多かったと思うし、特に最初のあの子に対しては悪かったな、と思う部分もある。

 ただ、あの時はあの子はませていて、私が冷めていたんだと思う。

 誰にでも良い顔をして、仮面を被って表面だけ装っていて、自分の感情も隠していた。そのツケを、こんな形で払うことになるとは思ってもいなかった。

 そこから、中学に上がってすぐは、ある程度男子とも話すけど、あまり距離は詰められないように、そして私からも極端に距離を詰めることはしなかった。

 そんなタイミングで、東京から富山に引っ越すことが決まり、よりにもよってこれまた中学生活も慣れてきた冬の時期だった。

 そして、私は富山に引っ越してきて、

--あいつと出逢うことになる。

●●●

「いやー、面白かったねー!」

 映画館を出るなり、堪らずそんな感想が飛び出した。

 映画は、とても面白かった。上映前から随分話題にもなっていたし、「今年最大の大ヒット!」の謳い文句も伊達ではなかった。

「うん、面白かった!」

 現に、この映画を観たいと言ったのは私の方だったのに、映画館を出て興奮冷めやらなかったのは理久君の方が強かった。

「いやー、観て良かったなー…」

 もう、何度聞いたか分からない感嘆の声を聞いた。

「ふふふ。これは、どこかお店にでも入って大いに語り合うしかないね」
「だね!」

 すかさず、理久君が満面の笑顔で大きく頷いた。

 その反応に、思わず笑ってしまった。

「理久君、本当に面白かったみたいだね。私が選んだ映画で良かったかな?って思ったけど、そんな風に思ってもらえてるなら何よりだよ」
「いや、僕もちょうど観たいなって思ってた映画だったから、それはもちろん!」

 そう言いながら、今にもスキップしそうなくらい見るからにルンルンだ。

 そんな理久君を見て、また笑った。

 映画終わりのタイミングで、なおかつちょうど時間はお昼時なので、フードコートは人でごった返していた。人を避けながら、ほとんど埋まっている席をキョロキョロ探しながら、何とか二人で座れる席を確保した。

「さて、何食べよっか?」

 フードコートのお店はどこも行列ができていて、料理が出てくるのも時間は掛かりそうだった。特に映画の後に時間を気にする用事はなかったけど、今は単純にお腹がペコペコで早く何か食べたい。

「そうだねー、色々あって迷っちゃうよね」

 そう言って、理久君も周りを見渡していた。

「…あっ、私マックにしようかな」

 目に留まって、思わず声が漏れた。我ながら安直なチョイスかな、と思ったけど、色々迷うよりここは安定とスピードを重視だ。東京に住んでたら当たり前のようにいつでも食べられたけど、こちらに来てからはわざわざ食べに行かないといけないものになっていたので、こういう時無性に食べたくなる。

「あっ、いいね。僕もそうしようかな」

 思いがけず、理久君も賛同してくれた。

「えっ、良いの?せっかくフードコートだから、私に合わせる必要もないよ?」
「ううん、そういうんじゃなくて、マックなんてこういう機会しか食べられないから、むしろ食べたいんだよね」

 どうやら、考えることは同じだったみたいだ。確かに、私は日常的に食べてた時期はあるけど、理久君からするとそんな気軽に食べるものではないだろう。

 そんなわけで、二人でマックに並ぶことにした。流石に結構並んでる人も多かったけど、そこは流石スピードを売りにしているので行列はどんどん縮んでいって、思いの外早く注文することができた。

 私はてりやきマックバーガーセットで、理久君はビッグマックセットだ。

「流石理久君。よく食べるね」
「まぁ、せっかくだからね」

 私のものよりもう一段階高くなってるハンバーガーをトレーに載せて、理久君は少しだけ恥ずかしそうに笑った。

 取っておいた席に戻り、二人で手を合わせて食べ始めた。

「うーん、やっぱり美味しい」
「そうだね、美味しい!」

 映画同様、またしても理久君はご満悦な様子で、私以上に美味しそうに齧り付いていた。

 その姿に、また思わず笑ってしまった。

「うん?どうかした?もしかして、ソース顔に付いてるかな?」

 私が笑ったことで、理久君は恥ずかしそうに口元を拭った。

「いや、ごめんごめん。ただ、理久君はさっきの映画の時もそうだけど、本当に感情がコロコロ表に出るから楽しいなー、って思ってね」
「えっ?そうかな?」

 理久君は、キョトンとしながらもまたパクリとハンバーガーをひとかぶりした。それに倣って、私もパクリとハンバーガーを食べた。

 お互い食べながら、先程見た映画の感想を言い合った。アクションが凄い迫力があったこと、あのシーンで泣かせに来たのはズルイってこと、クライマックスの畳み掛けが凄かったこと。

 語り出すと止まらなくて、食べ終わった後もセットのジンジャエールを飲みながら、満足するまで語り尽くした。

 こんな風に、男の子と二人で何か好きなものの話を思う存分するなんてことは久しぶりで、それはすごく楽しかった。

「あっ、もうこんな時間経ってる」

 ふと時計を見ると、気が付けばフードコートに入ってから一時間半経っていた。それだけ、夢中で話していたわけだ。

「そうだね。……うーんと、どうしようか?」

 理久君も時間を確認しながら、私に伺いを立てた。

「じゃあ、せっかくだから色々お店回ろうよ!理久君が付き合ってくれるなら、ちょっと服とかも見たいしさ」

 私が提案すると、理久君は何だかホッとしたような表情を浮かべて笑った。

「良いね。じゃあ、服屋さんとか色々見て回ろうか」

 理久君は言うなり立ち上がって、私の分のトレーも一緒にまとめてくれた。

「じゃあ、ちょっと片付けてくるから、待ってて」

 そして、理久君は返却口へとトレーを持って歩いて行った。

「ありがとう」

 そんな理久君の背中に声を掛けながら、私も席を立った。

 少しずつ遠ざかって行く理久君の背中を見つめながら、つい今まで笑顔を作っていた顔がふと緩む。

 さっきの「どうしようか?」と言った時の理久君の表情が思い起こされる。

 理久君は、何だか少し怯えたような不安な表情を浮かべていた。映画も観終わって今日の予定はとりあえず終わってしまって、果たして私は何て言うんだろうか、と。そんな風に理久君は思ってたんじゃないかな、と思う。

 もし、理久君がそう思っていたとしたら、どうしてそう思ったのか。その答えを想像しようとして、止めた。

「……」

 向こうで、片付けをしてくれてる理久君の背中を見つめた。

 今、自分は一体どんな顔をしているのか。少なくとも、理久君の前ではしちゃいけない顔をしてるんだろうな、ということだけは分かっていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました

入海月子
恋愛
有本瑞希 仕事に燃える設計士 27歳 × 黒瀬諒 飄々として軽い一級建築士 35歳 女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。 彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。 ある日、同僚のミスが発覚して――。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

幼馴染以上恋人未満 〜お試し交際始めてみました〜

鳴宮鶉子
恋愛
婚約破棄され傷心してる理愛の前に現れたハイスペックな幼馴染。『俺とお試し交際してみないか?』

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

crazy Love 〜元彼上司と復縁しますか?〜

鳴宮鶉子
恋愛
crazy Love 〜元彼上司と復縁しますか?〜

処理中です...