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生涯、彼は初恋の修道女を忘れる事ができない

香り立つ薔薇の季節をきみに

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 時は瞬く間に過ぎ去り、季節は花が香り立つ10月。

 薔薇が咲き乱れる季節に、マリーとリシャールは過去のユートゥルナが祀られている大聖堂にて結婚式を挙げる事となった。

 そして結婚式当日。

 空は雲ひとつなく晴れ渡っていた。
 式場である大聖堂は王都の西、海側に面した高台に位置する。

 大聖堂は600年かけて作られ、完成したのが300年前。
 そこは、度重なる侵略を結界で守ってきたという古代のユートゥルナだった者たちを祀っている。

 ちなみに女神ユートゥルナの記憶を持つ神の生まれ変わりたちは、王都で暮らした者もいるし、国境で生涯を終えた者もいるのだ。

 マリーは、海が一望できる大聖堂内の花嫁用控室にいた。

(これでよし、と……)

 マリーは大きな鏡がついたドレッサーの前で、化粧の仕上げである口紅をさした。

 思えば、今日は夜明け前から起床し、入浴したり、身支度を整えたり、大忙しだった。
 何せ、今日は第一王子リシャールの婚姻だ。
 城中が慌ただしく、国中が騒がしかった。

 時刻はもう正午。
 昼を知らせる鐘が先程鳴ったばかりだ。
 そろそろ挙式時間が近づいてきていた。

「ローゼ。私はそろそろ行くから」

 そう言ってリシャールはマリーに目線を合わせるように膝を折って屈んだ。
 そしてドレッサーの前に座るマリーの頬に、優しく口付けた。

 ただ、困ったことに、リシャールはそれだけでは足りなかったようだ。
 今度は角度を変えて、マリーの紅のさした唇に、キスを深く落とした。
 マリーはなされるまま、まだ式も始まっていないのに、その唇を受け止めた。

「リシャール様。口紅を塗ったばかりなのにキスなんかするから……紅がついてますよ」

 マリーの口紅の色がリシャールに移り、彼の形が良い唇に赤い紅がついていた。
 その姿は男性なのに、ぞっとするくらい麗しく、色気があった。

「ついたままでもいいんだけどな」

 まさかリシャールはわざと紅がつくようにキスしたのではないか、とマリーは感じた。

 マリーの口紅と同じ赤は、まるで今キスをしてきました、と言わんばかりであり、それは周りに見せつける行為である。

「と、とりましょう……!」

 マリーはハンカチを渡すとリシャールは素直に拭き取った。
 そして、リシャールはドレッサーに置かれた紅を持ち、またマリーに塗り直した。

「綺麗だな」

 リシャールは目を細めて、感嘆した。

「ありがとう、ございます」

 リシャールは名残り惜しそうにマリーに言った。

「では、またあとで。向こうで待っている」
「わかりました」

 そして、リシャールがドアから出て行った。

(あっという間だったなぁ)

 マリーはふと思った。

 気がつけば季節は移ろぎ、以前リシャールが結婚を予告していた秋になっていた。
 マリーはしみじみと思い出した。

(春に修道院を出てから、いろいろあったな)

 マリーは修道院を出て王都に昇進試験のために行った時を懐かしく思った。

 マリーは修道女として王都に派遣されたのに、王子であるリシャールに気に入られた。
 そして、事件にかかわるうちに、短い任務期間中に何度も叶わぬ恋の先を見た。
 今まで物語の世界しか知らなかったマリーは、様々な愛と恋の形があると知ったのだ。
 マリーは恋愛という漠然としたものを、以前よりわかる様になった気がした。
 
 どんな恋も、切なくて、苦しい。しかし、後から思い出すと泣きたくなる程美しい。

 マリーはそう切実に感じた。
 そして、誰しもが、苦しくてつらいことばかりの恋自体に対する後悔はなかったのではないかと思った。
 だって、好きな相手に出会わなければ、なんて誰も思わないだろう。
 例えそれが叶わなくても。

 恋をすると言う事は、時に間違いはあれど、その時を精一杯生きた証なのだから。

 マリーはそんな事をぼーっと考えていると、侍女に声をかけられた。

「ローゼ様。もうすぐお時間なので、ドレスの確認をさせて頂きます。お立ち下さい」

 マリーは侍女に促されて、立ち上がって全身が映る鏡の前に移動した。
 最終チェックだ。

 そこの大きな姿見に映るのは、少し頬を赤らめた花嫁姿であるマリーだ。

 マリーのウェディングドレスは素肌を見せないレースの長袖だ。
 それはプリンセスラインで、胸元から長い裾まで真珠が縫い付けられ、全体的に繊細な薔薇の刺繍が施されていた。
 透けた生地のベールは長く、バージンロードを歩く際はその裾を青ちゃんが持つ予定だった。

「ママ、素敵です」

 マリーの横で椅子に座っていた青ちゃんが言った。

 午前にはサラもマリーの控室に顔を出し、先程まで母や親戚いたがリシャールとマリーと青ちゃんを残し、皆挨式場に入場した。
 リシャールが退室した今となっては、マリーの付き添いは青ちゃんだけだった。
 もう間も無く、式がはじまるのだ。

 ちなみに青ちゃんはロイヤルブルーの大きなリボンを髪につけ、ポニーテールを巻いている。
 淡い黄色の丈が短いドレスがよく似合っていた。
 まさに美少女だ。

「青ちゃん、ありがとう」

 実はこのドレスは以前ブラン侯爵邸にいたマリーを押しかけてきた業者に頼んで作ったものではない。
 マリーが選んだそれはあまりにも質素だから、却下されたらしい。

 今回のドレスは『結婚式実行委員会隊長サラ殿』(サラから聞いた話によると、取締役がリシャール)が王族にふさわしい高貴なデザインを集めた中から、リシャールが選んだものだ。

(大人っぽいと思ったけど、上品で素敵だわ)

 ちなみにリシャールがこのドレスを選んだ理由は、一番露出が少なかったから、らしい。

 さすが、嫉妬の鬼リシャール。
 大切なのはそこらしい。
 愛情が過ぎるのも考え物だ。

 マリーは実のところ今回の結婚式を迎えるにあたって、あの美人なリシャールの隣にいる自分が地味過ぎるのではないか、と大変不安だった。

 それでマリーは、先日その事をリシャールに話したら「ローゼはかわいいのに、自覚が足りないんだ。だからいつも懲りずにふらふら無防備にいる。私がどれほど心配しているか分からせてやる」と言った。

 そしてマリーはリシャールの低くてちょっと掠れているあのとても心地良い声で散々褒めちぎられる結果になった。

 昨日もリシャールに『綺麗だ』とか『かわいい』とか『愛してる』とか、様々なレパートリーの愛の言葉を寝台だけではなく、四六時中ひたすら言われたのだ。
 食事中も、移動中も、目が合えばずっとだ。

 しかも、ドレスぎりぎりの胸元付近もあざだらけになるほど痕をつけられたのだ。
 
 マリーはリシャールに恥ずかしいくらいに褒められ、愛でられた。
 マリーは相変わらず、あの好きな声に身体が溶かされ、言葉に恋をするように顔を赤らめた。

(あれは……新手の嫌がらせだわ。絶対、からかっている)

 リシャールはいつも嬉しそうに口角を上げていた。
 あれは紛れもなく、マリーの反応を楽しんでいる顔だった。

 さらに最近は、リシャールはマリーの香りに酔うように目を細めて匂いを嗅いでくるのだ。
 しきりに、自分たちは『相性がいい』、とか言ってくる。
 マリーは何の相性か、イマイチわからない。

 でも、マリーも香りに包まれるのは幸せなので、つい、リシャールの匂いを嗅いでしまうのだ。
 何やってるんだ私たちは、と思いながら。

(リシャール様、本当何考えているのかしら……?)

 リシャールは結婚が正式に決まってからは、訪問地で出会う男性とマリーが話すだけであからさまな嫉妬していた。
 『あの男はいやらしいやつだ』、『ローゼに気があるんだ』、等。

 もう、しつこい。しつこい。

 リシャールほどマリーをいやらしく見つめ、気がある人物はこの世にいないというのに。

 だから、リシャールはマリーがどこにいても抱き上げて、膝に座らせ、身体に触れて来るようになった。
 まるでリシャールはマリー専用の人間椅子。
 彼は王子だから世界で一番高級な椅子だ。

 リシャールは『もう結婚するから何でも受け入れてほしい』の一点張りだ。
 マリーはリシャールがただ触りたいだけなのでは、と思わずにいられない。

 そんな彼は夜も優しかったり、情熱的だったり、執拗だったり。

 リシャールは飽きもせずにマリーを美しい瞳で見つめて、愛でる。
 頭から足のつめの先まで、愛しているらしい。
 とっても重い愛。
 朝も夜も関係ない。時に窒息しそうだ。
 でも、悪くない。とても不自由を感じるけれど。

(とりあえず後宮の心配はなさそうね……?)

 マリーの妄想では有能な側室が現れる予定だったが、リシャールにそれを言った日は散々お仕置きされてしまった。
 マリーはそこでやっとサラが言うお仕置きの怖さを知った。

(もう、リシャール様を怒らせないわ。あとが大変だもの)

 マリーはまだ腹上死したくない。
 リシャールはイケメンでお金持ちではあるが、彼の愛情すべてがマリーに嫌というほど注がれているので浮気の心配はなさそうだった。

 リシャールは来世があったらまたマリーと結婚したいと言っていた。

(来世とかあるかわからないけど……私は幸せね)

 だってマリーは好きな人と結ばれたのだから。
 マリーは鏡を見て微笑んだ。

「ママ、今日の夜から頑張ってください。アレも大切な公務ですよ」
「あれ」
「繁盛です」
「……その話はいいから!」

 ちなみにマリーの愛娘青ちゃんは兄弟があと10匹ほしいらしい。虫の感覚は恐ろしい。
 蝶は卵を200個産むらしいから10匹なんてどうって事ないんだろうけど。

「でもよかったです。ママはきっと誰とも結婚しないと思ってましたから。私は嬉しいです」

 マリーは修道女だった。普通の幸せや人生を捨て、神のために生きて死ぬ予定だった。
 だから、結婚しないつもりだった。

 いや、令嬢だった時も、地味でぱっとしない自分に自信がなく、自分なんかが誰かに愛されて結婚するわけないとずっと思って生きてきた。

 マリーには恋の機会もなく、質素な部屋で絵の具まみれになりながらひたすら絵を描いて、時に恋愛小説を読み、一般的な恋愛のそれに憧れた。

 いつか好きな人に出会い、心通わせ、結ばれる事に惹かれながら、自分には関係のない世界だと思いながら、恋を、愛される人生を諦めていたから。

 だが、人生とは何があるかわからないものだ。
 物語よりも奇異である。

 マリーは昔からずっと慕っていた恩人であるリシャールと再会し、今彼と結婚しようとしている。

「もうすぐ式が始まりますので、そろそろ控室から移動します」

 案内係がそう言ったので、マリーは立ち上がった。
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