130 / 169
古教会で待っているから
金髪碧眼王子の憂鬱
しおりを挟むテオフィル・スウルス・メイルアンテリュールは心底うんざりして、内心ため息をつきたい気分だった。
テオフィルの仕事は当然のことながら王子なので公務である。
国王不在の現在、第一王子である兄リシャールが外交や式典などの公の業務を彼に一任しているため、テオフィルは今や王族の顔である。
建国祭や使節団の会食、領地の訪問。それらの『顔出し業務』はすべてテオフィルの担当というわけだ。
テオフィルは、別に社交は嫌いじゃないし、部屋にこもりっきりというのも気が滅入るから仕事に不満はない。
人の中で会話をする事が苦ではないないので、自分でも結構適職だな、とも思っている。
しかしだ。
「テオフィル殿下、知ってますか。最近、巷で若い娘が血を抜かれる事件があるそうですよ。新聞にはなっていないそうですがね。何せ、事件現場には一見硝子製にも見える透明の注射器があるそうで。しかも、その注射器、たぶん凶器だと思われるのですが、地面に落としても割れないくらい頑丈な品物の様です」
今日は王都で開かれている歴史ある絵画コンクール会場を視察という名目上、貴族や芸術家との交流会だった。
わが国であるローズライン王国は芸術も観光業において大事な産業であり、そのため貴族や王家も芸術家に昔から多額の資金を投じてきた。
そして、時々開かれるコンクールや芸術祭にも王家はいつも参加しているのだ。
テオフィルは明後日に開催される絵画コンクールの授賞式の下見に、会場訪問に来ていた。
ちなみにテオフィルも王族の代表としてコンクールの審査員であり、作品に票を入れる事が出来る。
運営もとである国立美術館の職員の話を聞きながら一通り作品を見物した後、そこで貴族の面々に囲まれて、『血抜き殺人事件』の話になったのだ。
その件については事件の犯人に兄リシャールが疑われているので、テオフィルは報道を止めていた。
しかし、連続殺人であった為、既にもう事件についてよく知れわたっているようである。
「殿下はご存知でしたか? 殿下は聖人と謳われる方です。ご慈悲があるのかもしれませんが……」
「そうです! 我々は何かあれば殿下の味方です」
「ぜひ、懸命な判断をしてください」
先ほどから、暗に彼の兄が犯人だという貴族どもが勝手な事ばかり言っている。
(いざとなったら僕に王太子になって悪役の兄さんを殺せと言いたいのだろうか、こいつらは。叔父も、こいつらも、本当に愚かだな)
テオフィルは表情には一切出さなかったが、親愛なる兄を侮辱され、腑が煮えくり返っていた。
というのも、彼は幼い頃、王が長らく王都を空けていた時代に、残された王弟たちにより権力争いに巻き込まれた。
その時代からテオフィルを傀儡にし、王座を狙うものがたくさんいたのだ。そもそも王は異母兄弟が12人もいるのだから、王弟と言えどさまざまな人間がいる。
あの時は王が帰還し、兄が裁判にかけられずに済んだし、その頃王座を狙っていた王弟は処罰された。
しかし、まだ懲りずもまだテオフィル側について王座までは無理にせよ、甘い汁を吸おうとする輩もいるのが現状だ。
今、国王不在の中、表立って公務を手伝ってくれる叔父たちも、内心はどう考えているかわからないふしがある。
テオフィルは穏やかに笑った。
「その注射器は本当に王家の作品ですか? 証拠があるのですか?」
「そ、それは……割れないですし、ねぇ。硝子は割れますがそれが透明度の高い水晶なら……」
「氷魔法かな、と思うのは普通だと思いますが……」
「証拠はないのですね。その発言は王家に対する不敬ではありませんか?」
テオフィルが首を傾げてその貴族たちを見つめると、彼らは黙り込んだ。
兄の事を何も知らないくせに、とテオフィルは腹正しくていられない。兄さんほど確実な血統はいないのに、と。
そんな時、向こうからサラが歩いてきた。
貴族の面々がサラの登場に「妃殿下、今日もお美しい! 美人画よりも輝いて居られます」「ぜひ、新婚のお二人様でゆっくり芸術を味わってください」「われわれはお邪魔なので、では。御機嫌よう」と先ほどのテオフィルの発言で気まずくなったのか、さっと離れていく。
そんな状況を知らないサラは初めての絵画コンクールは楽しそうで、目を輝かせながら、一枚の絵画を指さした。
「テオ、見てください。ローゼ様の作品がありましたよ!」
「ああ、彼女もこのコンクールに参加していたね」
「修道院の風景と人々について書かれた作品でしたわ。素晴らしいですわ。わたくしもぜひ修道院に行ってみたいです」
「そうだね。僕も一度は訪れてみたいところだよ」
サラはうっとりした顔で絵を見つめていた。
「ええ。ローゼ様が修道院はとっても素敵な所と言っていました。あ、そうでしたわ。来月、わたくしは修道院訪問をする事になりましたの」
『テオは最近忙しそうだったから言うのを忘れていましたわ』、なんてサラは悪気なく付け加えて言った。
「は……? それは初耳だな」
「だってテオは、来月から隣国を訪問しますでしょう? わたくし、その機会に修道院を見に行こうと思いまして。もちろんジャン様の許可もとりましたわ。楽しみですわぁ」
テオフィルは額に手を当てて、深く息を吐いた。
はぁ、っと。
(サラを一人にするとロクなことがないのに、また君は……)
テオフィルは確信していた。自分が常に目を光らせていないとサラは恐ろしい事をしでかす、と。ほぼ100パーセントの確率だ。
何せ、テオフィルは彼女と出会ってから、『いろいろな笑えない事件』が多々あった。
中でも印象的だったのは、テオフィルが仕事で外国訪問時に勝手に婚約破棄したり、公務に忙殺されている時に娼館に攫われたり、勝手に彼をモデルにコアな層にウケそうな官能小説を執筆したり。
まぁ、数えきれない。彼の苦しみも計り知れない。
(僕を悩ませる天才と言うべき、愛しき妻、サラが一人で修道院を訪問だって? そんな怖いことさせれるわけがない。その外出はそもそも許してはいけないね)
テオフィルはここ近年、深く反省し、学んでいた。
「サラ。君は僕と隣国訪問に行くんだよ。君だって最近はこのような社交の場に慣れてきただろう?」
「え……そんな」
「なんでそんなに残念そうな顔をするの? そんなに友達と居たいの、君は」
テオフィルは失礼な話だと思った。
彼はむっとしてサラを見下ろした。
「テオ。お、怒らないでください……。嫉妬深過ぎですよ。やましいことはありません! だから、も、もう逆襲は勘弁してください!」
「逆襲って何さ」
「だって、昨夜だってちょっと近衛騎士様を褒めたら散々じゃなかったですか……! 最近、テオはしつこいですよ。それに今日はゆっくり休みたいのです」
「だって、サラが他の男を褒めるのが悪いんだよ。眠いなら昼間まで寝てればいいじゃないか。僕は仕事に行くけど、気にしなくていいから」
サラが独り言のようにつぶやいた。
「今夜が怖いですわ」
サラはぶるぶると、身震いした。
テオフィルは「優しくするよ」と言って微笑んだ。
人が周りにいない事をいいことに、2人が昼間からそんな話をしていると、コンクールの開催者である画家が何も知らずに陽気に声をかけてきた。
「殿下。お久しぶりです」
彼は柔和な雰囲気の画家であり、美人画から風景画まで自身も様々な絵画を描く人物だ。
政治的にはテオフィルの熱心な支持者でもあり、戦争経験から平和を説いた活動家でもある。
テオフィルたちは世間話をしたあと、彼はいつものようにテオフィルに残念そうな顔をして呟いた。
「早く殿下が王太子になればいいのですけどね」
「いえ、僕は第二王子ですから」
「そうですね。リシャール様も、平和の大切さを解って頂けると嬉しいです。戦争は悲惨ですから」
「兄も、戦が好きなわけではないんですよ」
この人も大変勘違いしているようなので、テオフィルははっきりとした口調で述べた。
彼も「そうですね。失礼しました。何も分からない年寄りの戯言だと思ってください」と、謝った。
そして、絵画の話に戻り、彼はテオフィル夫婦がお似合いだと言って帰って行った。
テオフィルは世の中なんて本当に表面しか見ないものだな、と改めて思うとともに、あの『血抜き殺人事件』ももう終わる悟るように、絵画を見つめた。
0
お気に入りに追加
312
あなたにおすすめの小説

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。

【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!
高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。
7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。
だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。
成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。
そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る
【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】
拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】
僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。
※他サイトでも投稿中
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。

病弱な幼馴染と婚約者の目の前で私は攫われました。
鍋
恋愛
フィオナ・ローレラは、ローレラ伯爵家の長女。
キリアン・ライアット侯爵令息と婚約中。
けれど、夜会ではいつもキリアンは美しく儚げな女性をエスコートし、仲睦まじくダンスを踊っている。キリアンがエスコートしている女性の名はセレニティー・トマンティノ伯爵令嬢。
セレニティーとキリアンとフィオナは幼馴染。
キリアンはセレニティーが好きだったが、セレニティーは病弱で婚約出来ず、キリアンの両親は健康なフィオナを婚約者に選んだ。
『ごめん。セレニティーの身体が心配だから……。』
キリアンはそう言って、夜会ではいつもセレニティーをエスコートしていた。
そんなある日、フィオナはキリアンとセレニティーが濃厚な口づけを交わしているのを目撃してしまう。
※ゆるふわ設定
※ご都合主義
※一話の長さがバラバラになりがち。
※お人好しヒロインと俺様ヒーローです。
※感想欄ネタバレ配慮ないのでお気をつけくださいませ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる