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修道女と王都と、花と、死者
薔薇の街⑤ 回想
しおりを挟むマリーはその当時から好奇心旺盛で、分からない事が有れば直ぐに聞くタイプだった。
ミサのある休日の昼下がり。
この日もいつものようにマリーはエマに、「その本、面白いの?」と毎日題名の違う本を読む彼女に聞いていた。
マリーの記憶では、エマはいつも様々なジャンルの本を読んでいた。
エマの読む本は、『部下の躾け方』、『一番効率的な戦争』、『優しい言葉使い』、『嫌われない様にするためにする事』、『女子が喜ぶ花言葉』、『解剖大辞典 直腸のすべて』など様々なジャンルだった。
言うまでもなく、エマは読書家で、多種多様な知識を持っていた。
当時、マリーは絵ばかり描いており、あまり本を読まなかったが、そのころからエマの影響で簡単な小説は読むようになっていた。
その日、マリーはエマの本で、いつになく気になったものがあった。
「花言葉なんて素敵な本ね。……エマらしくない」
マリーは思わずくすくす笑った。
本当にエマらしくない。いつもは軍人や医者の様な本ばかり読んでいるので、見かけにあった少女らしい本を読むエマがひどく滑稽だったからだ。
すると、エマがゆっくりと顔を上げ、気まずそうに言った。
「ああ、そうだ。……私らしくない。自分でも、気持ち悪いと思う」
「気持ち悪くなんてないよ、素敵な本だよ」
「しかも、この本、全然面白くない。まぁ、これは、図書館で読んだことないやつを適当にとってきただけだからな」
エマは見かけにそぐわず、口調も、ものすごく偉そうだった。
見かけはどう見ても金髪碧眼の絶世の美少女なのに、態度が男みたいだった。
そして、エマはいつも、腕を組み、語る。
教会の裏庭で、シスターの服を着た美少女であるエマは、足も組み、ベンチに座ってふんずり返っているのだ。
「ああ、でも人間の体の作りは知っておいて損はないからな。だが、勘違いするな、私にそんな趣味はない」
エマは、『人間解剖図 直腸編』を持って、言った。
マリーはきょとんとして、エマに聞いた。
「そんな趣味ってなあに?」
「知らないならいい」
「ねぇ、エマ。なんで直腸に興味があったらダメなの?」
「……」
「教えて? いつもそんなことも知らないのかーって言って親切に教えてくれるじゃない」
「……いやだ」
エマは珍しく、少しだけ顔を赤らめていた。
それ以外にも、エマは変わった女の子で、ホルマリンや腐食剤、乾燥剤にも詳しかった。
将来はミイラ職人にでもなるような。
ちなみにエマは、王都から巡回できている神官の令嬢らしい。
しかし、エマはミサには参加しないし、いつも神という存在を否定していた。
「神なんていない、くだらない幻想だ。聖書なんて時間の無駄だ、祈りなんて気休めだ。ほら、見ろ、ローゼ」
ミサの終わって人気がない教会。
エマは嬉しそうに笑った。
「祈らなくても、今日一日、昨日と変わりない。垂れ幕の奥にある、皆が崇める祭壇の御神体の位置を裏物置に変えてやっても誰も気づかない。馬鹿みたいだろう? ははは」
「エマ……」
この罰当たりな少女、エマはのちに聖女と崇める人物だった。
綺麗な少女はどこかいつも肉らしげに世界を見ていたのが、印象的だった。
********
「かすり傷だ、ライアン。男は泣くな。やり返すか、耐え忍べ。人生、新練の連続だ」
マリーの弟ライアンは7歳だ。
背が低く、気が弱いライアンはくだらない事で同級生にからかわれて、泣いているところをエマが発見したらしい。
エマはそのライアンの同級生2人の髪を掴み、教会一周分、引きづりまわしたらしい。
エマはライアン代わりにやり返して、さらに彼に説教をはじめた。
マリーはやりすぎだと、思った。
しかし、エマがあまりに人殺しの様な狂気を思わせる形相で少年たちを引きずっていたので、怖かった。
正直、エマが一番怖い。
すっかり、ライアンも怯えて、涙が止まらなかった。
マリーは弟を助けるべく、間に入った。
「エマ。助けてくれてありがとう」
「きみは引っ込んでいろ。ライアンと話がある。彼も男なら、この程度で弱音を吐いてはいけないんだ。それを教えてやる」
「男っていっても、ライアンはまだ子どもだから……」
エマはその天女みたいな外見とは裏腹に過激だった。
その発言は、軍隊の上官のようだ。
エマは不服そうに、マリーを睨んだ。
あまりの迫力に、マリーはライアンを抱えて、3歩、後ずさる。
「いや、甘やかすな。彼のためだ。私にも弟がいるが、これくらいじゃ泣かないぞ。何度、人質にされても、ニコニコしてるようなやつだ。今まで私はあいつの笑い顔しか見たことない」
「すごい弟だね、その子……」
「う、うううう……」
ライアンは相変わらず、泣いていた。
エマは膝をつき、彼を見上げて言った。
その顔は、フードに光を遮られておらず、息を飲むくらい美しかった。
真っ白な白い肌に、深い海よりもきれいな青瞳、光に反射して輝く金髪。
薄くて形の良い唇、鼻筋の通った高い鼻、そして、ライアンに向ける、少し微笑んだ甘い表情。
「お前はできる男だ。私は信じている」
「……僕、がんばるよ!」
ライアンはエマの美貌に落ちた。
後日、ライアンはエマに告白した。
「僕、男らしくなるし、将来伯爵になって頑張るから、その……大人になったら結婚してほしい!」
ライアン7歳はエマに求婚した。
マリーはもちろん、周りも、エマ自身も大変驚く、事件だった。
しかし、エマはすぐに冷静さを取り戻し、ライアンの肩に手を置き、言い聞かせた。
エマ14歳は、7歳に対して、「私は若い男に興味はない。それに、我が国の法律が許さない」とか、「私は修道女だから無理だ、もう少し年を重ねてから、ほかのまともな女を当たれ」と真摯に答えていた。
ライアンは納得できない様で、エマに会うたび、求婚していたが。
そののち、エマは真剣にライアンを心配していた。
「女の趣味がおかしなところにいかないか、心配だ」
しばらく、実に申し訳なさそうに眉を下げ、珍しくエマは大まじめに悩んでいるようだった。
「あんな若いうちから道を踏み外すと言うか、私なんかを好きになってはいけない」、と繰り返しぶつぶつ言っていた。
エマはため息をついて、頭を抱えた。
「私なんかが性の目覚めになってはいけないんだ」
「何言っているのエマ?」
とにかく、エマはマリーの理解できない事で悩み、いつも、ぶつぶつ言っていた。
********
マリーの生まれ育った領地は田舎だったので、川での水遊びも普通だった。
日差しが強いある日、「足でも水につけて涼みに行こう」とエマを川に誘った。
マリーが滑らせて、ずぶ濡れになった。
「……早く、着ろ」
エマは視線をそらし、フードつきの羽織をかけてくれた。
エマはなんだかんだで優しかった。
その日、マリーはエマを屋敷に招待した。
マリーの部屋で、2人は並んで狭いソファーに座った。
エマは彼女の出身である王都の話をしてくれた。
芸術が盛んで、広場では時折楽器を奏でる人が集まり、日々の中で音楽が流れていること。
大きな美術館、美術大学、展覧会があること。
ガラス細工が有名で、割れないくらい丈夫なこと。
薔薇が咲き乱れて、海がきれいで、橋がガラスでできていて美しいということ。
そして、語り終えたのち、何を思ったのか、エマはマリーを引き寄せた。
12歳の夏だった。
エマは一瞬ためらったあと、マリーの頬にキスをした。
ちゅっと触れるだけのキスだった。
そして、おでこ、こめかみ、耳、口角の端にキスを緊張した熱い呼吸で落とし、最期に唇をゆっくり押し付けた。
「ん……っ」
マリーはそれが何かわかるまでに時間がかかった。
何度か唇を合わせた後、マリーはエマを躊躇いがちに引き離した。
エマは熱のこもった深い青の瞳で、マリーを見ていた。
「どうして……?」
「好きだから。したら悪い?」
それからマリーはやはり体が金縛りにあった様に動けず、拒めず、エマと何度かキスした。
それは不思議なくらい自然な流れだった。
「流されやすいな」
「え?」
「いつか変な事に巻き込まれないか、心配だなぁ」
「ローゼは抜けているから」
エマは目を見張るほどの、綺麗な表情で、笑った。
あの綺麗で、胸を締めるつける表情を、マリーは11年経っても、未だに覚えている。
マリーはずっとあの日の部屋の胸につかえるような甘い空気も、エマの唇の渇いた感触も、彼女の長い睫毛の角度も、全部、忘れることなんてできなかったのだ。
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