私は修道女なので結婚できません。私の事は忘れて下さい、お願いします。〜冷酷非情王子は修道女を好きらしいので、どこまでも追いかけて来ます〜

舞花

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修道女と王都と、花と、死者

街外れのパン屋①

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 3度のキス。

 それは、地味で色気のない修道女マリーにとって驚き以外何者でもなかった。
 マリーの人生になかった、恋愛物語のワンシーンのような恋人にする濃厚な口づけだったからだ。
 あれはマリーにとってある意味奇怪な事件みたいなものだった。
 マリーは執務室から逃げ出すように飛び出した後、平民街の家に帰っても、落ち着かなかった。

(なんで、どうして、私……殿下とキスを? 今までは、恋人じゃなくて、『恋人ごっこ』のはず、だったじゃない!)

 今までマリーはリシャールに身体に痕をつけられることはあれ、押し倒されても未遂だった。
 言うまでもなく、その日は、夜が来ても、眠れず朝を迎えた。

 実は前にも、唇がかするくらいの、軽い口づけはあった。
 しかし、これとそれは全く違う。
 今回のは触れるところか、粘膜が触れて唾液が混ざり合い、口の中に侵入されて、掻き回されて、自分では無い味がした。
 ファーストキスというものは、人によってはレモン味だとかキャラメル味だとか訳の分からない例えをするが、正直なところ味はなかった。
 ただ、しっとりとした自分よりもやや温度の低い、柔らかい舌の感触は、覚えている。
 自分と相手の境がわからなくなるような、溶け合うような、頭がグラグラの鍋の中で溶かされてしまうような、麻酔のようなものだった。

(……嘘、なんで、私は、殿下と、き、キスを……? どうして……!)

 思い出すだけで悶絶するよりも頭の中が混乱して、マリーは現実を受け入れられなかった。

(修道女になんでキスなんかするの?)

 修道女も何も、リシャールはマリーの事が好きだから、キスをするのは当たり前なのだが、マリーはそんな単純な事が納得いかなかった。
 マリーはキスをされた事を信じられないくらい色恋事に縁がない人生を送ってきたのだ。

(もしかして、本当に殿下は私を性の対象を含めて好き?ってことかな。いや、まさか、でも……)

 マリーは考えていた。
 今までは押し倒されそうになっても、何もしないのが当たり前だったから。
 リシャールは独占欲からか、マリーの首筋や肩に痕をつけても、それ以上触れもしないし、何もしないのは、マリーがそういう対象から少しずれているからだと解釈していたのだ。
 事実、痕をつけられる事も求愛なのだが、それしかされなかったのがマリーの解釈を歪める原因だったのかもしれなかい。
 マリーは正直、リシャールの『マリーに対する好き』は目下の者に対する可愛がりたい類いの好きだと思っていた。
 可愛いから、側に置いておいて、世話したい。
 女というより、養女に近い。
 もしくは妹か。
 だから、彼に関しても恋人ごっこの『ふし』があった。
 大昔であるまいし、婚約したならば、本当に好きなら婚前交渉くらいあるだろう。

 そういうのは全くなかったのだ。
 監禁まがいのお持ち帰りされることはあれ、いつもリシャールはマリーに逃げる時間をくれていた。
 今までは、マリーもリシャールはなんだかんだで逃してくれるとなんとなく頭ではわかっていたが、追いかけられたら怖いし、あの顔での告白や際どい言葉は危ないものを感じ、必死で逃げてはいた。
 だから、リシャールは、恋人の真似をして楽しんでいたようにすら思っていた。
 追い詰めるだけ追い詰めて、逃して、捕まえて、やっぱり逃す、的な。
 そう言う事もあって、マリーも、リシャールに節操があると安心している面もあった。

 しかも、リシャールはこれが恋だと錯覚しているんじゃないかと、マリーはずっと思っていたのだ。
 だから、リシャールがいつか素敵な女性にであったとき、『おや、違うぞ? マリーは恋人じゃない、ただの親愛だ』といつか目が覚めると。

 しかし、実際にキスされると、『本当に好きだったんだ』、と実感した。

 変な話だった。

 リシャールのマリーに対する愛は、親愛であり、恋ではないから、時が経てば新たな恋人だってできると。確信していたのに。

(なんか思っていたのと、違う感じだな……。本気で殿下は私とそう言う事したいのかな……。何故だろう?)

 マリーにはわからない。というか信じられない。
 だって恋なんてした事がないのだから。
 地味な下っ端修道女が、王子様に求愛されるなんて考えたこともなかったから。
 そのような事を悶々と考えた結果、朝が来たのだ。
 マリーは一睡もできず、かと言って、昇進試験も終わり、予定もなく。

(あ、食べ物何もないなぁ。買い出しに行こう)

 家に食べ物は干し肉と卵1つくらいしかなく、買い出しは免れない状況だ。
 仕方がないだろう。
 昨日は買い出しどころじゃなかったのだ。
 イケメンで、顔が大好きで、香りも好きで、要は全部好みの知り合いだと思っていた(失礼な話だが)、リシャールとキスをしたのだから。

 マリーは顔を洗い、髪をとかし、薄水色のワンピースを着て、簡単に身だしなみを整えて、早朝から街に出た。

 そういえば、数日前に、最近評判のパン屋があると侯爵邸メイドから聞いたことを思い出した。

 マリーは市場を横切って、やや街外れにある評判のパン屋に行った。
 赤い屋根が印象的な煉瓦造りの可愛らしい店だった。
 朝7時前と言うのに、早くから列ができている。
 マリーも列について、30分ほど待ってから店内に入った。
 店の中は、通路がゆったりとしており広々としていた。
 ところどころにベンチのような作り付けの木の椅子あり、温かい空間だった。
 手すりもあるから、高齢者も入りやすい。
 パンの種類も多く、パンにチーズやウインナーが乗っているピザから、カスタードクリームが入った菓子パン、バターが香るロールパンなど、どのパンも焼きたてでおいしそうだった。
 種類も豊富で、その他クッキーやハーブティーなどの飲み物も充実していた。

(空間も優しい感じだし、パンも美味しそうだし、いい店だな)

 マリーは、人気と噂されるバターパンをトングで3つ掴んで自分のトレーに入れた。
 クリームパン、食パン、珍しい異国のハーブティーをいくつかとり、クッキーもついでに購入することにした。

(多めに買っておこう。もし、ジャン先輩やフレッドが訪ねてきたら分けてあげよう)

 ちゃっかり、仕事仲間の分も購入するつもりだった。
 いや、もう任務は終わったから仕事仲間ではないが、彼らは時たま1人で暮らすマリーを心配して顔を出してくれるのだ。

 マリーがいい買い物が出来たと喜んで会計の列についていると、厨房にパンを豪快に捏ねる知り合いを発見した。

(あれ、あれは……レイさん?)

 バンバンバン!
 パンが殴られるように捏ねられている。
 小麦粉が宙に舞っている。
 可愛らしい店には不似合いの武官らしい男が豪快にパンと格闘していたのだ。

 あれは、まさしく、数日前にリシャールが生き返らせた、レイそのものだった。
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