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修道女と王都と、花と、死者
雨の日と、聖女②
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フレッドは何も言わずにしばらく沈黙した後、陽気な声で言った。
「治癒魔法まで使って傷を治すなんてねぇ。マリーは殿下を見捨てて逃げるわけないのに、無理したね」
「……」
フレッドが久しぶりにリシャールを、子どもを見るような愛しげな顔で見た。
それはまるで、幼い子にまた喧嘩したの?と大人が向ける表情のような、優しいものだった。
フレッドは昔みたいに、リシャールがまだ女の子によく間違えられていた少年の頃のように、彼の頭を撫で撫でしてあげたい気分に駆られ(ついでにキスも)、思わず手が出たが、リシャールに「それはやめろ、気持ち悪いこの上ない」と静止されてやめた。
フレッドは止められても、やはり怒ることもなく、笑っていた。
「本当に逃したくないほど、好きなんだね。命まで削ってさ」
フレッドはわかっている。
リシャールは怪我を悠長に治しているうちにマリーが修道院に帰るかもしれないと思い、最短で治したのだ。
修道院は目に見えないが魔法に囲まれた要塞みたいなものなのだ。
修道院に一度入れば、リシャールといえどマリーを見つけるのは大変な話になる。
「あーあ、おれ、仕事早く見つけなきゃな。クビだわクビ」
フレッドはわざと投げやりに言った。
マリーがリシャールのもとに留まることになるなら、フレッドはクビだ。
フレッドは、マリーの昇進試験の管理が仕事で、無事にマリーを修道院に戻す義務がある。
なんたって、マリーはユートゥルナのある意味お気に入りなのだ。
修道院にフレッドだけ帰るなんて許さないだろう。
「悪かったな」
「別に。いいんだよ、もう。責任とって、マリーに雇ってもらうから」
「どう言う意味だ?」
「殿下とマリーの一生を見届けるという意味さ」
「……」
「もう離れないよ、殿下?」
フレッドはにこやかに言った後、颯爽と「まだ仕事があるから」と退室した。
リシャールはため息をついた。
********
「『マリー』……か」
リシャールはニコルについては、あとはテオフィルがどうにかするので心配していなかったが、問題はマリーだ。
ローゼとマリーは違う。
マリーは修道女だ。
ローゼは修道女でない彼女だ、とリシャールは思って、そう呼んでいる。
リシャールは、マリーには一からいろいろ説明しなくてはいけない。
目を閉じれば、思い出す。
神を信じ、人々に尽くす人生を望む信仰に真摯なマリー。
マリーという人物は、聖女を追い求め、修道女に固執している。
リシャールは、フレッドが退室してからしばらく額に手を当て、ため息をついた。
徐に立ち上がり、リシャールは窓の外を見て呟いた。
「聖女なんていないのに、憧れて目指すなんて、な」
こんな雨の日は嫌な事を思い出す。
嫌でも、昔噺のように頭の中で誰かが勝手に物語を語り出すのだ。
×××年5月×日
ああ今日は雨だ。
まだ5月なのになぁ。
最近の季節は早足のようで、私に冷たい。
空も風も星もみんな私にそっけない気がする。
当然、祈りにも身が入らない。
信者には悪いけど、私は何のために祈り、生きているのか疑問に思うときもある。
中略
明日、私はあの人に別れを告げに行く。
もうそんなに時間が経っていたようである。
出会ってから今の今まで一瞬だった。
悲しくて悲しくて仕方がない。
だけど、しっかりお別れをしなきゃならない。
しなくないのに、お別れすると決めたのは、私。
国の為に、彼のために。世界のために。
全てのために。
いや、違う。本当は雁字搦めの鎖みたいな、宗教上の規則のために。
自分に何の徳もないそんな馬鹿げた理由で自身を言い聞かす。
神が恋なんてしない? 愛し合うと身体が穢れる?
馬鹿ね。
1人だけを骨の髄まで求めるなんて有り得ない? 身体を繋げたらハシタナイ?
馬鹿ね、本当に馬鹿ね。
私は悪くない? 悪いに決まっている。
中略
だけど、変わらないこともあるの。
私には貴方だけ。
あの時の肌の感触も、繋がった熱さも、香りも、抱きしめていく。
来世があれば、また結ばれたい。
さようなら。さよなら。
多分、私は私でいるのは、今だけなんだろうけど。
リシャールが思い出すのは、遠い昔に書かれた20代くらい前のユートゥルナの詩だ。
もちろん、非公開の私的な日記の抜粋だ。
たぶん、何百年経った今は残っていないだろう。
彼女はこの後、自暴自棄になって大魔法を何度か使用した後亡くなった。
最後まで後悔しながら、修道院に尽くし、祈り、短い人生を終えたのだ。
いつの時代も女、いや、修道女はこんなものだ、とリシャールは思う。
本当は、聖女もいないし、神もいないし、来世もないのに、哀れだとリシャールは思った。
事実、これらは全部、人が作ったのだから。
己を支えるために作った存在に意味はないと、リシャールは皮肉をこめて笑った。
今日は珍しく雨が降っていた。
リシャールがあの日を思い出したのも、無理はない。
リシャールは思う。
いつも上手くいかない恋の道は、こんなものだ、と。
だから、離してはいけないのだ。
この女のように諦めたら、死んでも、生きていても、虚しいだけだ、と。
「治癒魔法まで使って傷を治すなんてねぇ。マリーは殿下を見捨てて逃げるわけないのに、無理したね」
「……」
フレッドが久しぶりにリシャールを、子どもを見るような愛しげな顔で見た。
それはまるで、幼い子にまた喧嘩したの?と大人が向ける表情のような、優しいものだった。
フレッドは昔みたいに、リシャールがまだ女の子によく間違えられていた少年の頃のように、彼の頭を撫で撫でしてあげたい気分に駆られ(ついでにキスも)、思わず手が出たが、リシャールに「それはやめろ、気持ち悪いこの上ない」と静止されてやめた。
フレッドは止められても、やはり怒ることもなく、笑っていた。
「本当に逃したくないほど、好きなんだね。命まで削ってさ」
フレッドはわかっている。
リシャールは怪我を悠長に治しているうちにマリーが修道院に帰るかもしれないと思い、最短で治したのだ。
修道院は目に見えないが魔法に囲まれた要塞みたいなものなのだ。
修道院に一度入れば、リシャールといえどマリーを見つけるのは大変な話になる。
「あーあ、おれ、仕事早く見つけなきゃな。クビだわクビ」
フレッドはわざと投げやりに言った。
マリーがリシャールのもとに留まることになるなら、フレッドはクビだ。
フレッドは、マリーの昇進試験の管理が仕事で、無事にマリーを修道院に戻す義務がある。
なんたって、マリーはユートゥルナのある意味お気に入りなのだ。
修道院にフレッドだけ帰るなんて許さないだろう。
「悪かったな」
「別に。いいんだよ、もう。責任とって、マリーに雇ってもらうから」
「どう言う意味だ?」
「殿下とマリーの一生を見届けるという意味さ」
「……」
「もう離れないよ、殿下?」
フレッドはにこやかに言った後、颯爽と「まだ仕事があるから」と退室した。
リシャールはため息をついた。
********
「『マリー』……か」
リシャールはニコルについては、あとはテオフィルがどうにかするので心配していなかったが、問題はマリーだ。
ローゼとマリーは違う。
マリーは修道女だ。
ローゼは修道女でない彼女だ、とリシャールは思って、そう呼んでいる。
リシャールは、マリーには一からいろいろ説明しなくてはいけない。
目を閉じれば、思い出す。
神を信じ、人々に尽くす人生を望む信仰に真摯なマリー。
マリーという人物は、聖女を追い求め、修道女に固執している。
リシャールは、フレッドが退室してからしばらく額に手を当て、ため息をついた。
徐に立ち上がり、リシャールは窓の外を見て呟いた。
「聖女なんていないのに、憧れて目指すなんて、な」
こんな雨の日は嫌な事を思い出す。
嫌でも、昔噺のように頭の中で誰かが勝手に物語を語り出すのだ。
×××年5月×日
ああ今日は雨だ。
まだ5月なのになぁ。
最近の季節は早足のようで、私に冷たい。
空も風も星もみんな私にそっけない気がする。
当然、祈りにも身が入らない。
信者には悪いけど、私は何のために祈り、生きているのか疑問に思うときもある。
中略
明日、私はあの人に別れを告げに行く。
もうそんなに時間が経っていたようである。
出会ってから今の今まで一瞬だった。
悲しくて悲しくて仕方がない。
だけど、しっかりお別れをしなきゃならない。
しなくないのに、お別れすると決めたのは、私。
国の為に、彼のために。世界のために。
全てのために。
いや、違う。本当は雁字搦めの鎖みたいな、宗教上の規則のために。
自分に何の徳もないそんな馬鹿げた理由で自身を言い聞かす。
神が恋なんてしない? 愛し合うと身体が穢れる?
馬鹿ね。
1人だけを骨の髄まで求めるなんて有り得ない? 身体を繋げたらハシタナイ?
馬鹿ね、本当に馬鹿ね。
私は悪くない? 悪いに決まっている。
中略
だけど、変わらないこともあるの。
私には貴方だけ。
あの時の肌の感触も、繋がった熱さも、香りも、抱きしめていく。
来世があれば、また結ばれたい。
さようなら。さよなら。
多分、私は私でいるのは、今だけなんだろうけど。
リシャールが思い出すのは、遠い昔に書かれた20代くらい前のユートゥルナの詩だ。
もちろん、非公開の私的な日記の抜粋だ。
たぶん、何百年経った今は残っていないだろう。
彼女はこの後、自暴自棄になって大魔法を何度か使用した後亡くなった。
最後まで後悔しながら、修道院に尽くし、祈り、短い人生を終えたのだ。
いつの時代も女、いや、修道女はこんなものだ、とリシャールは思う。
本当は、聖女もいないし、神もいないし、来世もないのに、哀れだとリシャールは思った。
事実、これらは全部、人が作ったのだから。
己を支えるために作った存在に意味はないと、リシャールは皮肉をこめて笑った。
今日は珍しく雨が降っていた。
リシャールがあの日を思い出したのも、無理はない。
リシャールは思う。
いつも上手くいかない恋の道は、こんなものだ、と。
だから、離してはいけないのだ。
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