58 / 169
修道女、平民街で暮らす
私の婚約者は②
しおりを挟む風が強く吹いて近くにあった花屋のワゴンが傾いた。
がしゃんと花を入れてあった大き目の花瓶が倒れ、地面に落ちた花の花弁が風に飛ばされる。
その方角を見ると、やはり先ほどの子供たち程度の女の子が倒れた花瓶と花を直していた。
「大丈夫? 怪我はない?」
マリーはほぼ反射的に女の子に声を掛け、手伝った。
彼女は一人で花を売っているようで親の姿は見当たらない。
エプロンをして土汚れのある服を着た少女はどこか物憂げな青い瞳が印象的で、透き通るような混じりけのない綺麗な金髪だった。
世の中には確かに貧富の差があり、働かねばならない子どもと、安心して無邪気に遊んでいられる子どもがいるのだ。マリーはあえて少女に何も言わなかった。
「ありがとう、お姉ちゃん」
市場にはこんなにも人が居るのに、マリー以外は誰も見て見ぬふりだ。気にすら留めていない。
運よく花瓶は割れていない様だった。
ワゴンに隙間なく花が敷き詰められていた。今日はあまり売れていない様だった。どの花もよく手入れのされているのに。
マリーは財布をカバンから取り出し、微笑んだ。
「綺麗なお花ね。今日はたくさんお花を買おうと思っていたの。だからお花、買ってもいい?」
「うん! ありがとう! 何本欲しい?」
「たくさんほしいの」
「誰にあげる?」
あげる人は特にいない。ただ、花が買いたくなったのだ。無性に。
家に飾って、絵でも描くだけだけど。
「あげたい人って、好きな人よね?」
マリーはきらきら瞳を輝かせる少女の夢を壊したくなかった。むしろこの少女を題材にして描きたいくらいの、無垢であどけない美しさが彼女にはあった。
真っ直ぐな汚れのない、麗しさを生まれた時から持ち合わせているような、不思議な少女だった。
「え、ええ。そうなの」
「彼はどんな人? 恋人?」
「いや、その」
頭に描いたのはもちろんあの人だけど、なんといえばいいのだろう。妙に恥ずかしい。
「あ、旦那さんだね! 新婚さんってやつ?」
婚約者と言えば婚約者なので「そんな感じかな」と言葉を濁した。
「……困ったところもあるけど優しい、人」というと、少女は黄色い薔薇をベースに白と青の小ぶりな薔薇と紫陽花を使って花束を作ってくれた。
「ありがとう」
お金を払って、マリーは家に帰って花を生けた。
花は純粋に綺麗だった。
青はリシャールの瞳、黄色は淡い金髪、白は透き通る肌を思わせた。
なぜか親近感のある少女だった。
どこかで会ったことがある気がする。
(聖女様……?)
確かに声のトーンが似ていた。
でも、マリーが彼女にあったのはもう14年前だ。
いつもフードを深く被った長い金髪の美少女。
生きているなら、年はもう25歳を越えているはずだ。
聖女様は、マリーの実家の領地に巡回に来ていた教会関係者だ。マリーの実家が家事になった際に、重症火傷の弟の命を救った人物だ。
彼女に憧れて修道女になったのだが、未だに彼女に会えないでいた。
当時の関係者に訪ねても、誰も誤魔化したり、知らぬ顔、もしくは忘れなさいというのだ。
ユートゥルナ様に関してはそんなひとは知らないとまで言う。
マリーはずっと名前も知らない聖女を慕っている。
聖女に似た少女の事を思うと、まだ自分にも修道女として出来る事が有るんじゃないかと思った。
子どもたちが働かずに、学校に行ける機会があったら。家業を気にせず、遊べる時間があったら。
こんな自分でも、必要とされているなら、一度きりの人生を後悔しないように良いと思える道を行きたい。
(私にもできることがあるはず)
マリーは今一度自分を奮え立たせた。
ただ、その日、マリーは少女のワゴンに積まれた花瓶が地面に落ちても割れていなかったことに気づかなかった。
それがどういう意味か気づかなかったのだ。
0
お気に入りに追加
312
あなたにおすすめの小説

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。

【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!
高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。
7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。
だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。
成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。
そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る
【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】
拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】
僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。
※他サイトでも投稿中
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢
岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか?
「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」
「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」
マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる