私は修道女なので結婚できません。私の事は忘れて下さい、お願いします。〜冷酷非情王子は修道女を好きらしいので、どこまでも追いかけて来ます〜

舞花

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修道女、平民街で暮らす

私の婚約者は①

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 氷華ごっこ。

 マリーがその単語を初めて聞いた時は『なんだ、その不穏な響きの無邪気そうな名前の遊びは』と思ったのは言うまでもない。
 世間のキッズたちにはそんなものが流行っている事を知ったのは、マリーが街で暮らし始めてからだった。
 いわゆる鬼ごっこみたいなもので、鬼が『氷華役』で、氷華から逃げる『兵隊役』たちは『氷華』にタッチされたら凍って動けない。その場で他の凍っていない仲間の兵隊にタッチしてもらえるまで動けないのだ。  
 最終的に兵隊が全員掴まれば、氷華の勝ちというどこでもある鬼ごっこの派生ゲーム。

 澄んだ青空の、生暖かい風の日だった。
 時刻は10時過ぎで、今日は珍しく予定がなく、マリーにとって『休日』だった。休日というのは、サロンや夜会などの表面上の仕事も、捜査に関する仕事もないごくまれに珍しい暇な日なのだ。今日は執務室に用もないので、王城に行くつもりもなく、一人で市場でゆっくり買い物をしてから、午後からはマリアから来た手紙の返信でもしようと思っていた。
 来週からもう6月だが、薔薇の都と言われるほど品種の多い王都では、薔薇はまだまだ美しい盛だった。
 市場の通路を駆け出した少年少女が楽しそうな奇声をあげて、いらずらな風のように、行きかう人々の間を縫って走っていた。

「氷華きたーーーー!」と叫びながら。

(え、殿下? どこ?)

 氷華とは、氷華殿下の事だ。
 つまり、マリーの婚約者であるリシャールである。
 確か彼は今の時間、公務のはず。午後からは隣国との交流の深い貴族と会食もあったような、と思い出す。
 辺りを見回しても、リシャールの姿はない。
 だって、こんな市場に王子様である彼がふらふら歩いているのも考えずらい。

「逃げろ、逃げろ!」
「うわ、殺される」

 大げさに逃げまどう子たちを追いかける、一人の少年は

「待て待て! 凍らせて食べてやる! 俺様は子供の柔らかい肉が一番好きなんだ、げへへへへへ!」
「げ、氷華だ!」

 氷華と呼ばれた少年は、走って逃げる少女を建物の壁際まで追い詰め、まさかの壁ドンをした。

「ひい!!」

 少女は悲鳴を上げて、少年にタッチされ、動けなくなる。

(殿下なら壁ドンしそう。……なかなか想像力豊かな少年だわ)

 下品な言葉使いは感心しないが、色んな意味で襲いそうなイメージはあった。なんか他人事と思えない。

「待て待て、貴様ら、皆街ごと凍らせて冷凍食材にしてストックして美味しく最後まで食べてやるわ!」

 少年は実に楽しそうだ。悪役に酔っているというべきか。
 リシャール、いや、氷華殿下は彼らにとっては何なんだろうと思う。
 悪魔?
 食材を大切に扱う主婦?

「きゃあああああ、助けて!」
「冷凍が一番新鮮なんだ、鮮度が一番さ!」
「来ないで、化け物! 私は美味しくないの!」
「絶対君は美味しい。食べられるのが嫌なら、君は可愛いからクリスタルのオブジェにしてやろう! 一生俺様の地下に閉じ込めてやるわ! 光栄に思え」

 まさに非人道的なセリフで演じて盛り上がるゲームらしい。
 少年の台詞があながち間違っていないのが怖い。
 マリーはリシャールに監禁されそうになったり、違う意味で歯形をつけられ食べられそうになったことも数しれない。
 さすがにマリーを冷食にするとは思えないが。

 変な気分だった。

 そもそも、話はずれるが、保存食が塩や油などの調味料を使用したものしかない世の中、冷凍保存という概念。子どもの思いつかなのかもしれないが、それは冬しかない国の手法で、ローズライン王国では冬が長いが夏もあるので、画期的、かつ商売になりそうな気もした。
 街一面を凍らせるリシャールなら大きな冷凍保存室が造れそうな気もする。

(しかも、殿下なら、氷魔法で一級品の硝子細工も作れるし、王子じゃなくても生活に困らないよね。私なんか、修道女辞めたらどうやって自立して生きていくか悩んでいるのに)

 もう一人、『王子じゃないリシャール』がいて、一緒に街で暮らせたら生活にも困らないのに、とすら思う。非現実的だけど。

「ぎゃー!」
「げへへへへ!」

(しかし、まぁ、なんてひどい遊びなんだろう)

 庶民が、しかも子どもが王族を貶めている。あれだけあることない事新聞に書かれれば分からなくもないが、心に刺さるものがある。
 だいたい、リシャールは俺様なんて言わないし。偉そうだけど、綺麗な話し言葉でそんな下品に笑わない。
 市場で買い物に来たマリーは深くため息をついた。 
 子どもだから仕方ない、のかもしれない。

「わぁぁ、氷華だ! 人じゃないぞ、悪魔だ、逃げろ!」
「凍らせてやる、みんな殺してやるぞ、げへへへ!」

(子ども、だけど……)

 殺してやる、なんて残酷な言葉を彼が言うわけない。
 リシャールは国のために身を犠牲にして戦に出ているのだから。
 普段はそっけないけど、顔は冷たいし、口も悪いけど、お節介で、どことなく温和で、不器用な人なのだ。

「ああ、凍らせるのは楽しいな、みんな死ね!」

 マリーの中で何かがかちんとはじけた。
 マリーは騒ぎ立てる氷華役の8歳程度の少年の首根っこを掴んだ。

「何するんだよ。おねえちゃん、離してよ」

 マリーに睨まれた少年は委縮しながら、マリーを見上げて言う。

「殿下……リシャール殿下に謝りなさい」
「リシャール殿下? 誰それ」
「氷華殿下よ」

 少年はぽかんとしていた。だってそうだろう。
 マリーですら、リシャールの事を氷華殿下としか知らなかったのだから。
 リシャールは自分の名前より『氷華殿下』とあだ名が国を越えて知られている。誰も彼の名前に興味がない。
 語られるのは、冷酷で非情な、すべてを凍らすおとぎ話のような悪なのだ。
 少年が納得いかない顔をしてマリーに問う。

「ねーちゃん、氷華の信者?」
「違うけど」

 さすがにマリーは『婚約者です』とは言えなかった。
 でも、いくら子供だからってリシャールの事を何も知らないのに、そんなことふざけても言わないでほしかった。
 どうせ、リシャールはこの残酷な遊びを見ているのだろう。
 彼は四六時中、マリーを分身で監視しているのだから。
 リシャールは、自分が何を言われようとも、気にも留めないし、注意もしないし、素知らぬ顔で、言われても当たり前という感じなのだ。
 口では無礼だとか言うが、本当のところ、不敬罪なんて彼にはないのかもしれない。

 リシャールが何とも思っていなくても、マリーはそういう風に思えない。

 最近では、もう、無理だった。

 少年がマリーに捕まれたのを見た他の子たちも寄ってくる。
 全員で5人くらいの10歳にも満たない少年少女たちだ。

「いい? ちょっと聞いて。君たち、氷華殿下と会ったことあるの?」
「ないよ」
「会ったら食べられちゃう」
「いいや、先に保存されて熟成だよ」

 悪気のない顔で言う言葉は彼らが想像した氷華殿下なんだろう。
 マリーは修道院で子どもたちに勉学を教える様に優しく、かつはっきりとした口調で諭す。

「会ったことないのにそういう風に言うの、良くないと思うな。しかも殿下は、王族でしょ? 王族に対する無礼はよくないと思うの」
「処刑される?」
「そういうのじゃなくて」
「じゃあ、おねぇちゃんは氷華殿下の事、好きなの?」

 一番小柄な女の子が不思議そうに聞いてきた。

「す、好き、よ。……殿下は、王子様で国の為に戦っていて、強くて、寝ないぐらい仕事熱心で真面目で」

 もしかして、リシャールが分身で近くで訊いていると思うと恥ずかしいが、ここで照れていてはいけない。
 言う事は言わないと伝わらないのだ。
 しかし、マリーの言葉もむなしく、少女は笑い出した。実に無邪気に。

「あはは、へんなの。化け物なのに」
「戦争馬鹿で人殺しだろ。じゃなきゃ、王子なのに戦争行かないだろ」
「それは……」

 マリーは言葉に詰まる。

「人殺しは人殺しだよ」
「ちょっと変だよ、こいつ」
「行こう!」と言って子供たちは笑いながら走り去っていく。

(変、か……)

 確かにマリー自身も、リシャールに会うまで本当に彼を誤解して決めつけて、恐れていた。
 だいたい、リシャールの事はまだあまり知らない。
 彼は勉学は教えてくれるけれど、話し上手でもなかったし、言葉足らずな事もある。ましてや、自分の事なんてべらべら話すタイプでもない。

(殿下はわかりやすい私の事なんて過去も今もお見通しなんだろうな。私は何も知らないのに)

 風が強く吹いていて、屋台が揺れていた。
 子どもたちは悪気があるわけではない。それは解る、子どもとそういう正直で残酷な存在なのだ。
 たぶん、彼らの両親が、そのような事を言っているのだろう。

 私の婚約者は、冷酷で、非情で、人間離れしている、化け物らしい。
 人の死を何とも思わない戦争好きな男らしい。
 そんなことは知っている。

 人殺しはどんな方法でも、どんな理由があっても同じ。
 そんなことは当たり前だ。

 殺人については自他ともに認めるほど、鮮やかで、剣も魔法も上手だ。
 その人を殺めた手で、自分に触れてくると思うと、何とも言えない気分だ。
 修道女であり、神の持ち物であるマリーがそんな残虐な人物と親しくなってしまった。
 マリーには彼が分からない。

 リシャールが何思って、王子なのに戦に赴くか、なぜ残虐な道に手を染めたか、人を生き返らせたとか。自害を厭わないのか。

 彼の事は、何も知らないけど。
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