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冷酷非情な王子と修道女、恋人ごっこをする
秋になったら、また薔薇が咲くだろう①
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なぜマリーは『伯爵令嬢』だったのに、『修道女』になったのか?
その質問を聞かれたことは数知れない。
マリーはそんな時はいつも包み隠さず、正直に話した。
生家の屋敷が火事になった際、大火傷で瀕死の弟を、修道女が救ったからだ、と。
いつも深くローブを被った修道女は、マリーのちょっとした知り合いだった。
たまたま、火事の現場に居合わせて、もう息もないような有様の弟の命を救ったばかりではなく、特殊な治癒魔法で傷さえも癒してしまった。
しかし、マリーは背中の半ばから腰あたりに火傷の痕が残っている。
弟を優先した為、マリーは最低限の治癒魔法しか受けられなかったのだ。
だから、マリーが伯爵令嬢だったが、火事で傷モノになったため、修道女になったと思う者もいるが、実際は違う。
当時、マリーは弟を救った修道女に強い憧れを抱き、修道院の門を叩いたのだ。
マリーは身分を捨てた事に一縷の惜しみもなかった。
恐ろしいほど治癒魔法が得意な、あの修道女がいなければ今のマリーも弟もいない。
今でも時々故郷に手紙を出して、弟が元気そうに伯爵子息として日々を過ごしていると聞くだけで嬉しかった。
マリーはいつも思っていた。
しっかり任務をこなし、立派な修道女になりたい。
取り柄のない地味な自分にも何か、できることはあるはず、と。
そう思って、自分を奮い立たせて今まで雑務も下っ端の仕事も文句も言わずに頑張ってきたのだ。
後輩に抜かれて馬鹿にされても。
同期に同情されても。
上司に気をつかわれて、声をかけられ惨めさを感じても。
だから、今回の王都の依頼が来た時、マリーは驚いた。
自信喪失からあまり乗る気ではなかったが、マリーは周りにすすめられ、王都までやってきた。
教会には絵に描いたような風貌の王子様が居て、温かい日々を過ごした。
こんな自分でも必要とされている気がしたくらいに勇気づけられた。
その後、夢から醒めるために、半ば強引に教会を後にした。
任務のため、気を引き締めて夜会に参加した。
(何がいけなかったのだろう?)
マリーにとって、いつも優しかった思い出の人が、自分を組み敷いている。
リシャールの眉根を寄せて、苛立ちを込めた視線がマリーに降り注いだ。
『お前なんか大嫌いで憎い』と言われているような眼差しだった。
「婚約者の不貞を正すのも、役目だろう?」
リシャールのやけに響く声は同じなのに、冷たく感じた。
不貞もなにも、マリーはついさっきリシャールに婚約者だと聞かされ、半ば強引に連れ去られて現在に至る。
もう、訳がわからない。突っ込みどころ満載だった。
「私は何もやましい事などありません! 何かの誤解です、やめて下さいっ、離してください」
マリーはバタバタ手足を動かすが全く身を起こす事は出来ない。
やはり力ではリシャールに敵わない。
「……不貞など、ないです。そもそも私と殿下はそういうのではない、はずです」
「……また、傷付くことを平気で言うな、貴様は」
しかし、マリーがいうことは当然だった。
つい先日までただの知り合いみたいなものだったからだ。
恋人などと呼べる交流もない、はずだ。
「今はもう、婚約者だ。残念だったな。やましいことが無いなら態度で示したらどうだ? 頭を使えといつも言っていただろう」
だから、何度も言っているように、不貞行為なんてやましいものは何もない。
(もう、脱ぐしかない……のかな。信じてもらえない。このままじゃあ、いつまで経ってもこの体勢だし。それに)
リシャールは自分を試しているのかもしれない。
もしかしたら、リシャールは任務の依頼主なんだろうか。
もしくは協力者か。
潜入調査のために口を割らないで、どこまで婚約者になりきれるかマリーの能力を見定めているのだろうか。
仮にそうであれば、マリーはその挑戦を受けてたつしかない。
マリーだって、伊達にずっと同期が出世する中、黙々と雑用をこなしてきたわけじゃない。
修道士の中には娼婦になりすまし、潜入捜査しているものすらいる。
(……私にだって、できる。殿下の婚約者ぐらいなれる、はず)
仮にリシャールが噂通り、修道院嫌いで依頼主でなかったとしても、ここで修道女ですとバラして身分詐称罪になっても困る。
それに、この婚約の疑問点はリシャールがマリーのどこを気に入って婚約者にしたのかがまず不明だ。
リシャールなら、もっと素敵な令嬢がいるはず。
もし、仮にリシャールがマリーを試しているのではない場合。
考えられるとすれば、弟殿下が御婚姻され、彼自身も周りに急かされ、ちょうどいいところに割と気の知れた友だち風情のマリーがいたから、『もう面倒だし、こいつでいいわ!』と言う感じか。
その2つの可能性のどちらかだった。
どちらにせよ、マリーは受けて立つしかなかった。
「わかりました、殿下。今お見せしますので、そこを退いて頂けますか?」
試されているなら、挙動不審ではダメだ。
堂々としなければいけない。
マリーは、リシャールに、このようなはっきりとした口調で話したのははじめてだった。
リシャールは何も言わず、退き、マリーも体を起こした。
マリーは膝を立てて座り、おもむろにドレスの裾を上げる。
しかし、マリーは膝あたりまで裾を上げて手が止まった。
(……やっぱり、恥ずかしい。見せる相手が殿下だと特に)
少し前まで淡い行為を寄せていた麗しい殿下が何も言わず、マリーの足に視線を這わせている。
「まだ肝心なところが見えない。もっと裾をあげろ」
羞恥心で内心おかしくなりそうなマリーの気も知らないで、鬼のような一言だった。
どうやらリシャールは太もも辺りまで確認したいそうだ。
(やるしかない。殿下は本気だ)
マリーはまだ誰にも見せたことのない足を晒すしかない。
しかしそれ以上はなかなか手が上に進まなかった。
なんだか、かなしかった。
こんな姿を見られるのも、疑われるのも、冷たい視線も、仮の婚約者なんていう残酷な任務も。
しかし仕方ない。
マリーはそっと裾をあげた。
「何もないな」
マリーの内股に手を添え、リシャールは念入りに確認した。
遠慮なんて全くない。
だが、股を開かれなかっただけマシかもしれない。
「殿下、すいません、コルセット外してもらえませんか。自分ではどうしようもないんです」
マリーはドレスもコルセットも後ろに紐があるため、自分では脱げなかった。
マリーはリシャールに背を向けた。
「お願いします、脱がせて下さい。ただ、背中には……」
「……」
リシャールはマリーを後ろから抱きしめるように引き寄せた。
(もう、見られてもいい)
ぽたぽた、マリーの頬に涙が伝った。
マリーはあのままリシャールときっぱりお別れして、綺麗な思い出として終わらせてほしかった。
しかし、この状況。任務なら仕方ない。
今からマリーは背中の傷を『一番見せたくない人』に見せなくてはいけない。
これは、どういう仕打ちなのだろうかと思わずにはいられなかった。
「見て、後悔しないで下さいね。私、背中から腰にかけて……」
マリーは小刻みに肩が震えた。
「傷があるんです。火傷の。これを見たら、殿下だって、私を婚約者なんて冗談言えなくなりますよ」
「……」
「あまりお見せできるような身体でなくて、申し訳ありません」
リシャールはするするとマリーの紐が解いていった。その手に容赦ない。
あっという間にマリーのコルセットが脱げてしまった。
マリーは胸元だけ隠した。
マリーは後ろにいるリシャールがどのような顔をしているかわからない。
しかし、ここまで来たらもう半ばどうでもよくなっていた。
「どうせなら、前も確認します?」
どうせ、この傷を見られたら、あとはどこを見られても平気だ。
マリーは悲しそうに顔を歪めて、言った。
「……もう、いい」
マリーを静止下のは、低い、絞り出すような声だった。
「……え? 脱ぎますよ。いいです、仕事みたいなものです」
リシャールは後ろからマリーを抱きしめた。
「本当に貴様は救いようがないやつだな」
********
どれくらい時間が経っただろう。
リシャールは無言で表情はない。
きっと、リシャールは、背中の傷についての同情心と無理に脱がせた罪悪感でいっぱいなのだろう、とマリーは思っていた。
しかし。
「まだ貴様を信じたわけではない」
信じるも何も。
マリーは疑問を感じ、首を傾げた。
(あなたは依頼主じゃないの?)
マリーはリシャールの考えていることが全く理解出来なかった。
ふつう、ここは『疑って無理に脱がして悪かった、傷を見るつもりはなかった』という場面だろう。
コルセットの紐を通り、ドレスを整えてくれたリシャールはマリーの顎を掴み、強引に振り向かせた。
「ん……んっ?」
マリーは思わず惚けた声が出た。
リシャールはぷにぷにと指でマリーの頬を揉んだ。
「んんっ?! なにを」
マリーは長い指に頬を摘まれ、変な顔をしているに違いないことだけはわかった。
「貴様は、何度注意しても全く聴かない。いや、理解ができない。挙げ句の果てに、ふらふら気がついたら誰でも着いていく。……私の身にもなれ」
リシャールは呆れたような顔をしていた。
さっきまでひどい仕打ちをしていた人とは思えないほど、穏やかだ。
「は、はぁ……」
「秋には式を挙げる。ふらふら貴様を野放しにするほど私の心は広く無い」
何やら説教をされているようだった。
マリーは相変わらずリシャールに掴まれているせいで視線は動かせず、真っ直ぐ彼を見据えるしかできなかった。
リシャールは真剣に語った。
「私は貴様のせいで、誰かを知らぬ間に殺めるかもしれない。どうしてくれる。また恨まれるじゃないか」
殺めるとはなかなか物騒だった。
そういえば、もうジャンという立派な犠牲者が出たのだった。
「自由を得たいなら、それまでせいぜい信頼を得られるよう努力するんだな」
「あの、殿下。……ひとつお聞きしますけれど、式とは、何かの式典でしょうか?」
秋にあげる式とやらについてマリーは把握していなかった。
貴族文化について十分学んだつもりになっていたのだが、大切な部分が抜けているようだった。
「何をまた馬鹿な事を……はぁ……もう嫌になるな」
明らかにため息をつくリシャール。
「すいません、勉強不足ですね、何か祭典なのでしょうか?」
リシャールは呆れながらも、これまでもマリーが質問すれば丁寧に1から10まで教えてくれるので、マリーはその甘えからつい質問してしまった。
「結婚式に決まってる」
「誰の?」
「貴様と私だ」
「私と殿下」
馬鹿みたいに変なオウム返し。
(私と殿下の式。秋だって。ああ、もう4ヶ月しかないじゃないの)
「なんで?」
思わずマリーは、リシャール相手に無礼なタメ口が出てしまう。
「婚約しただろう。次は正式に式を挙げて、夫婦になる」
「……本気で言ってます? もういいですよ、殿下。私のお手上げです、任務一緒に頑張りましょう!」
(殿下は人が悪い。もう絶対、悪いからかいだ)
マリーはこの場に及んでリシャールの態度からそう確信した。
ちなみにマリーは神官であるジャンにも正体明かしたし、もう十中八九、マリーの『婚約者』とは任務関係者しかあり得ないのだ。
例えリシャールが修道院嫌っていても彼は王族。
マリーの任務協力者のはずだった。
それに、ここまで来たら今の穏やかなリシャールの様子から、今更マリーが修道女だってバラしたところで首ってこともないはずだ、とマリーは考えた。
(……この悪ふざけは、殿下はきっと私に身元をいい加減明かせと言っているんだろう。きっと)
だいたい、リシャールが偽物の令嬢と結婚するわけないとマリーは思った。
しかし。
「任務? なんだそれは」
「……はい?」
「おかしなことを言っているのは貴様だ。よく聞け」
リシャールは立ち上がり、ソファーにかけた上着から書を取り出す。
マリーはそれを受け取り、中身を確認すると、それは結婚式までの準備の日程だった。もうひとつは明日の日付の新聞。
「秋には貴様と私は結婚するんだ。それだけが事実だ。王族に二言はない」
おや、これは。
なんか想像していた展開と違うぞ?
新聞には大きな見出しで『氷華殿下、御婚約! 凍てつく彼の心を溶かしたのは誰か? 真相に迫る』と大きな見出しが書いてあった。
「……急展開過ぎませんか?」
「もっと早くに言おうとしたが、貴様があれっきり教会に来ないから言えなかった。屋敷に訪ねようか迷ったが、いろいろ忙しいと言っていたからまぁいいかと思ってな」
マリーはガタガタ震えた。なんて事だ、と。
(まぁ、いいかって……全然よくない!)
だが、リシャールはマリーの気も知らないで、続けた。
「大丈夫だ、もう準備は式に間に合うようにはじめている」
なんと、マリーの知らない間に結婚準備が進められていた。
「秋になればまた薔薇が咲く。その頃に式をあげよう」
薔薇は一年に二度咲く。
春の次の見頃は秋だ。
リシャールはマリーの顎を掴み、蕩けるような甘い笑みを浮かべた。
その言葉は順番無茶苦茶なプロポーズにも聞こえた。
その質問を聞かれたことは数知れない。
マリーはそんな時はいつも包み隠さず、正直に話した。
生家の屋敷が火事になった際、大火傷で瀕死の弟を、修道女が救ったからだ、と。
いつも深くローブを被った修道女は、マリーのちょっとした知り合いだった。
たまたま、火事の現場に居合わせて、もう息もないような有様の弟の命を救ったばかりではなく、特殊な治癒魔法で傷さえも癒してしまった。
しかし、マリーは背中の半ばから腰あたりに火傷の痕が残っている。
弟を優先した為、マリーは最低限の治癒魔法しか受けられなかったのだ。
だから、マリーが伯爵令嬢だったが、火事で傷モノになったため、修道女になったと思う者もいるが、実際は違う。
当時、マリーは弟を救った修道女に強い憧れを抱き、修道院の門を叩いたのだ。
マリーは身分を捨てた事に一縷の惜しみもなかった。
恐ろしいほど治癒魔法が得意な、あの修道女がいなければ今のマリーも弟もいない。
今でも時々故郷に手紙を出して、弟が元気そうに伯爵子息として日々を過ごしていると聞くだけで嬉しかった。
マリーはいつも思っていた。
しっかり任務をこなし、立派な修道女になりたい。
取り柄のない地味な自分にも何か、できることはあるはず、と。
そう思って、自分を奮い立たせて今まで雑務も下っ端の仕事も文句も言わずに頑張ってきたのだ。
後輩に抜かれて馬鹿にされても。
同期に同情されても。
上司に気をつかわれて、声をかけられ惨めさを感じても。
だから、今回の王都の依頼が来た時、マリーは驚いた。
自信喪失からあまり乗る気ではなかったが、マリーは周りにすすめられ、王都までやってきた。
教会には絵に描いたような風貌の王子様が居て、温かい日々を過ごした。
こんな自分でも必要とされている気がしたくらいに勇気づけられた。
その後、夢から醒めるために、半ば強引に教会を後にした。
任務のため、気を引き締めて夜会に参加した。
(何がいけなかったのだろう?)
マリーにとって、いつも優しかった思い出の人が、自分を組み敷いている。
リシャールの眉根を寄せて、苛立ちを込めた視線がマリーに降り注いだ。
『お前なんか大嫌いで憎い』と言われているような眼差しだった。
「婚約者の不貞を正すのも、役目だろう?」
リシャールのやけに響く声は同じなのに、冷たく感じた。
不貞もなにも、マリーはついさっきリシャールに婚約者だと聞かされ、半ば強引に連れ去られて現在に至る。
もう、訳がわからない。突っ込みどころ満載だった。
「私は何もやましい事などありません! 何かの誤解です、やめて下さいっ、離してください」
マリーはバタバタ手足を動かすが全く身を起こす事は出来ない。
やはり力ではリシャールに敵わない。
「……不貞など、ないです。そもそも私と殿下はそういうのではない、はずです」
「……また、傷付くことを平気で言うな、貴様は」
しかし、マリーがいうことは当然だった。
つい先日までただの知り合いみたいなものだったからだ。
恋人などと呼べる交流もない、はずだ。
「今はもう、婚約者だ。残念だったな。やましいことが無いなら態度で示したらどうだ? 頭を使えといつも言っていただろう」
だから、何度も言っているように、不貞行為なんてやましいものは何もない。
(もう、脱ぐしかない……のかな。信じてもらえない。このままじゃあ、いつまで経ってもこの体勢だし。それに)
リシャールは自分を試しているのかもしれない。
もしかしたら、リシャールは任務の依頼主なんだろうか。
もしくは協力者か。
潜入調査のために口を割らないで、どこまで婚約者になりきれるかマリーの能力を見定めているのだろうか。
仮にそうであれば、マリーはその挑戦を受けてたつしかない。
マリーだって、伊達にずっと同期が出世する中、黙々と雑用をこなしてきたわけじゃない。
修道士の中には娼婦になりすまし、潜入捜査しているものすらいる。
(……私にだって、できる。殿下の婚約者ぐらいなれる、はず)
仮にリシャールが噂通り、修道院嫌いで依頼主でなかったとしても、ここで修道女ですとバラして身分詐称罪になっても困る。
それに、この婚約の疑問点はリシャールがマリーのどこを気に入って婚約者にしたのかがまず不明だ。
リシャールなら、もっと素敵な令嬢がいるはず。
もし、仮にリシャールがマリーを試しているのではない場合。
考えられるとすれば、弟殿下が御婚姻され、彼自身も周りに急かされ、ちょうどいいところに割と気の知れた友だち風情のマリーがいたから、『もう面倒だし、こいつでいいわ!』と言う感じか。
その2つの可能性のどちらかだった。
どちらにせよ、マリーは受けて立つしかなかった。
「わかりました、殿下。今お見せしますので、そこを退いて頂けますか?」
試されているなら、挙動不審ではダメだ。
堂々としなければいけない。
マリーは、リシャールに、このようなはっきりとした口調で話したのははじめてだった。
リシャールは何も言わず、退き、マリーも体を起こした。
マリーは膝を立てて座り、おもむろにドレスの裾を上げる。
しかし、マリーは膝あたりまで裾を上げて手が止まった。
(……やっぱり、恥ずかしい。見せる相手が殿下だと特に)
少し前まで淡い行為を寄せていた麗しい殿下が何も言わず、マリーの足に視線を這わせている。
「まだ肝心なところが見えない。もっと裾をあげろ」
羞恥心で内心おかしくなりそうなマリーの気も知らないで、鬼のような一言だった。
どうやらリシャールは太もも辺りまで確認したいそうだ。
(やるしかない。殿下は本気だ)
マリーはまだ誰にも見せたことのない足を晒すしかない。
しかしそれ以上はなかなか手が上に進まなかった。
なんだか、かなしかった。
こんな姿を見られるのも、疑われるのも、冷たい視線も、仮の婚約者なんていう残酷な任務も。
しかし仕方ない。
マリーはそっと裾をあげた。
「何もないな」
マリーの内股に手を添え、リシャールは念入りに確認した。
遠慮なんて全くない。
だが、股を開かれなかっただけマシかもしれない。
「殿下、すいません、コルセット外してもらえませんか。自分ではどうしようもないんです」
マリーはドレスもコルセットも後ろに紐があるため、自分では脱げなかった。
マリーはリシャールに背を向けた。
「お願いします、脱がせて下さい。ただ、背中には……」
「……」
リシャールはマリーを後ろから抱きしめるように引き寄せた。
(もう、見られてもいい)
ぽたぽた、マリーの頬に涙が伝った。
マリーはあのままリシャールときっぱりお別れして、綺麗な思い出として終わらせてほしかった。
しかし、この状況。任務なら仕方ない。
今からマリーは背中の傷を『一番見せたくない人』に見せなくてはいけない。
これは、どういう仕打ちなのだろうかと思わずにはいられなかった。
「見て、後悔しないで下さいね。私、背中から腰にかけて……」
マリーは小刻みに肩が震えた。
「傷があるんです。火傷の。これを見たら、殿下だって、私を婚約者なんて冗談言えなくなりますよ」
「……」
「あまりお見せできるような身体でなくて、申し訳ありません」
リシャールはするするとマリーの紐が解いていった。その手に容赦ない。
あっという間にマリーのコルセットが脱げてしまった。
マリーは胸元だけ隠した。
マリーは後ろにいるリシャールがどのような顔をしているかわからない。
しかし、ここまで来たらもう半ばどうでもよくなっていた。
「どうせなら、前も確認します?」
どうせ、この傷を見られたら、あとはどこを見られても平気だ。
マリーは悲しそうに顔を歪めて、言った。
「……もう、いい」
マリーを静止下のは、低い、絞り出すような声だった。
「……え? 脱ぎますよ。いいです、仕事みたいなものです」
リシャールは後ろからマリーを抱きしめた。
「本当に貴様は救いようがないやつだな」
********
どれくらい時間が経っただろう。
リシャールは無言で表情はない。
きっと、リシャールは、背中の傷についての同情心と無理に脱がせた罪悪感でいっぱいなのだろう、とマリーは思っていた。
しかし。
「まだ貴様を信じたわけではない」
信じるも何も。
マリーは疑問を感じ、首を傾げた。
(あなたは依頼主じゃないの?)
マリーはリシャールの考えていることが全く理解出来なかった。
ふつう、ここは『疑って無理に脱がして悪かった、傷を見るつもりはなかった』という場面だろう。
コルセットの紐を通り、ドレスを整えてくれたリシャールはマリーの顎を掴み、強引に振り向かせた。
「ん……んっ?」
マリーは思わず惚けた声が出た。
リシャールはぷにぷにと指でマリーの頬を揉んだ。
「んんっ?! なにを」
マリーは長い指に頬を摘まれ、変な顔をしているに違いないことだけはわかった。
「貴様は、何度注意しても全く聴かない。いや、理解ができない。挙げ句の果てに、ふらふら気がついたら誰でも着いていく。……私の身にもなれ」
リシャールは呆れたような顔をしていた。
さっきまでひどい仕打ちをしていた人とは思えないほど、穏やかだ。
「は、はぁ……」
「秋には式を挙げる。ふらふら貴様を野放しにするほど私の心は広く無い」
何やら説教をされているようだった。
マリーは相変わらずリシャールに掴まれているせいで視線は動かせず、真っ直ぐ彼を見据えるしかできなかった。
リシャールは真剣に語った。
「私は貴様のせいで、誰かを知らぬ間に殺めるかもしれない。どうしてくれる。また恨まれるじゃないか」
殺めるとはなかなか物騒だった。
そういえば、もうジャンという立派な犠牲者が出たのだった。
「自由を得たいなら、それまでせいぜい信頼を得られるよう努力するんだな」
「あの、殿下。……ひとつお聞きしますけれど、式とは、何かの式典でしょうか?」
秋にあげる式とやらについてマリーは把握していなかった。
貴族文化について十分学んだつもりになっていたのだが、大切な部分が抜けているようだった。
「何をまた馬鹿な事を……はぁ……もう嫌になるな」
明らかにため息をつくリシャール。
「すいません、勉強不足ですね、何か祭典なのでしょうか?」
リシャールは呆れながらも、これまでもマリーが質問すれば丁寧に1から10まで教えてくれるので、マリーはその甘えからつい質問してしまった。
「結婚式に決まってる」
「誰の?」
「貴様と私だ」
「私と殿下」
馬鹿みたいに変なオウム返し。
(私と殿下の式。秋だって。ああ、もう4ヶ月しかないじゃないの)
「なんで?」
思わずマリーは、リシャール相手に無礼なタメ口が出てしまう。
「婚約しただろう。次は正式に式を挙げて、夫婦になる」
「……本気で言ってます? もういいですよ、殿下。私のお手上げです、任務一緒に頑張りましょう!」
(殿下は人が悪い。もう絶対、悪いからかいだ)
マリーはこの場に及んでリシャールの態度からそう確信した。
ちなみにマリーは神官であるジャンにも正体明かしたし、もう十中八九、マリーの『婚約者』とは任務関係者しかあり得ないのだ。
例えリシャールが修道院嫌っていても彼は王族。
マリーの任務協力者のはずだった。
それに、ここまで来たら今の穏やかなリシャールの様子から、今更マリーが修道女だってバラしたところで首ってこともないはずだ、とマリーは考えた。
(……この悪ふざけは、殿下はきっと私に身元をいい加減明かせと言っているんだろう。きっと)
だいたい、リシャールが偽物の令嬢と結婚するわけないとマリーは思った。
しかし。
「任務? なんだそれは」
「……はい?」
「おかしなことを言っているのは貴様だ。よく聞け」
リシャールは立ち上がり、ソファーにかけた上着から書を取り出す。
マリーはそれを受け取り、中身を確認すると、それは結婚式までの準備の日程だった。もうひとつは明日の日付の新聞。
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おや、これは。
なんか想像していた展開と違うぞ?
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なんと、マリーの知らない間に結婚準備が進められていた。
「秋になればまた薔薇が咲く。その頃に式をあげよう」
薔薇は一年に二度咲く。
春の次の見頃は秋だ。
リシャールはマリーの顎を掴み、蕩けるような甘い笑みを浮かべた。
その言葉は順番無茶苦茶なプロポーズにも聞こえた。
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