私は修道女なので結婚できません。私の事は忘れて下さい、お願いします。〜冷酷非情王子は修道女を好きらしいので、どこまでも追いかけて来ます〜

舞花

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恋人ごっこまでの経緯

茜空の刻

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 マリーは男のエメラルドともサファイアとも言えない色の澄んだ瞳に見つめられると、時が止まったように何も言えなくなった。

(凛々しい眉に、研ぎ澄まされた曇りひとつない綺麗な色、白い肌。顔面がーー綺麗すぎる)

 マリーは呆然と立ちすくむ。
 年齢は20代半ばから後半あたりだろうが、落ち着き過ぎている雰囲気からもっと上なのかもしれない。

(フレッドとか美形だけど、それとは違う。何だろうこの違和感。整い過ぎた顔つきは冷たさとか無情さを感じるのに、神聖というか……人らしくないんだ。次元の問題? まるで絵画を眺めてるみたいだわ。それでもって、すごく……)

「おい、聞いているのか?」

 男のやけに通る声にはっと我に帰る。

「え、えっと…雨が降ってきて、私、絵を描くんですけど、画材が濡れたら困るので雨宿りさせて頂きたいんですが…神父さんはいらっしゃいますか?」
「誰もいるわけないだろう。今日は婚礼で私だけだ」

 腕を組み、ピシャリと言い放つ。

「あの……」
「まだ何か?」

 不機嫌そうに形のいい眉が上がる。
 初対面のどこぞの娘か分からぬ私に対して、愛想どころか『1ミリも関わりたくないわ!』という拒否すら感じて、いい感じではない。

 でも、その態度を差し引いても、すごく魅力的だったのだ。
 修道院に関わる貴族は慈善事業に力の入れている紳士ばかりで、あまり巡りあわない『ザ貴族様タイプ』だったが、肌がぞわりとするぐらいの、不思議な魅力があった。
 見つめていると心地よくなる顔がある。
 耳に響く、低くかすれたいい声。
 澄ましているのに、見つめれば見つめるほど綺麗で、完璧で、ケチのつけようがない。
 理想だった。
 マリーは昔の婚約者のトラウマから偉そうな男性があまり得意ではない。普段だったら、嫌で絶対避けるタイプなのに。でも。だめなんだけど。でも。

(はじめて人を描きたい、描き残したいと思った。今までは風景として人を描くこともあったけど、こんなにも単独で彼だけを描きたいーーこの不思議な感覚はなんだろう)

「よかったらすこしーー」

 ほんの少しの間でいいから絵のモデルになってほしいと言いかけた時、魔本が暴れて中に残っていた蝶が飛び出すとともにスケッチ途中の紙が宙を舞う。

「あーーっ」

 マリーの蝶はマリーの意思関係なく、時々飛び出すことがあった。
 まだまだ未熟者なのだ。
 ひらひらと気まぐれに蝶は飛んでいる。

 マリーは足元に散らばった紙を拾いあつめるが、男は腕を組み突っ立ったまま見下ろしていた。すごくすごく偉そうだった。一緒に拾ってくれることなんてなく、ただマリーはせっせと拾う。
 マリーが男の足元の紙を拾おうとしたとき、その視線と重なり、刃物のような鋭利な眼差しに囚われて身動きがとれなくなった。

「この絵の風景は辺境地か?」

 マリーは男の声かけにはっと我に帰る。
 男は蝶が本から飛び出したのはことについては言及しなかった。
 王都であるから、このような簡単な術は珍しくもないのかもしれない。

「……ええ、私の故郷なんです」

 マリーは最後の一枚を拾い上げる。

「国境付近は何度も行ったことがあるが……よく描けている。……いつも変わらない風景だな」

 田園風景と働く人々の絵だった。
 マリーがよく描く、修道院で暮らす人々の暮らし。
 コンクールでは入賞に届かない画題だったが、男は感心したように見ていた。このように絵を褒められると、素直にうれしい。どんなことを褒められるより、気分が良く、つい微笑んでしまう。

「国境付近は城壁や結界のイメージが強いですけど、自然がとても素敵なところなんですよ」

 自分の描いたものを、自分の故郷――修道院を褒められたようで嬉しかった。
 彼はすこし冷たい雰囲気があるし、眼差しは強いけれど、案外話してみると怖くないのかもしれない。
 衣服から貴族か王家関係者かと思ったが、こんな日にこんな古ぼけた教会にいるはずないし、辺境に行ったことがあるなら、地位のある軍人かもしれない。

「えっと、私、マ、ローゼと言います! ご無礼承知でお願いします。どうか、雨の上がるまでの間だけ絵のモデルになっていただけませんか?」
「……私が?」

 男は一瞬虚をついたような顔をしたが、すぐに眉根をよせて不機嫌そうになった。

「私次のコンクールで成績を残さないといけないんです。諦めたくないんです! ずっと動物とか景色ばかり書いてました。でも、人の心を動かすのは人だと思います。こんなにもひとりの人について描きたいと思ったのははじめてなんです」

 初対面で高貴な人に不敬罪になるかもと思いながら真摯に訴える。
 男はほんの僅かながら瞳に狼狽の色を見せていた。

「私の事を……知らないのか?」

 マリーは男が何を言っているかわからなかった。
 初対面で知っているはずがないし、高貴な知り合いもいない。
 有名な貴公子なのかもしれないが、二日前に王都に来たマリーが彼を知るはずもない。
 社交界デビューもしていないのに。

「申し訳ありません、あなた……高貴な方ですよね。私は王都に先日来たばかりでして、あなたをご存知あげません。でも、あなたのとても綺麗な瞳に見惚れてしまいました。神秘の水底のような私の言葉では表現しきれない深く、美しい色のです。息を呑むほど…綺麗で、好きです」

 マリーは真摯に訴えているつもりだった。
 嘘偽りなんてない。好きだった。
 どくん、どくん。
 胸が高鳴り、頬が赤くなるほど好きだった。身体が芯から熱を伴うほど、彼を求めていた。好き。大好き。愛してる。それは恋ではない。

(最高のモデルだわ!!)

 本気で男のことが『題材』として、純粋に好きだった。

「…………」
「その澄んだ高貴なお顔も、優雅な立姿も、陽の光を浴びた事が無いような白すぎる肌も好きです」
「…………」

 男は黙り込んでいる。
 マリーはつい熱くなり過ぎて、主張するたび前のめりに一歩ずつ男に近づき、すぐ目の前に男の端正な顔があった。
 頭1つ分以上背の高い男は、顔色ひとつ変えず、マリーを見下ろしていた。
 マリーの言葉は、聞き方によってはある意味愛の告白に聞こえるかもしれないが、マリーは気づいてない。
 ただお願いをするときは真摯に、真っ直ぐ見据えて、心を込めてお願いするだけだ。
 大抵の男ーーいつもマリーが題材にしてる修道士たちや農夫はここで容易く描かせてくれるが、なかなか手強かった。
 さすが高貴な方だ。
 高い誇りを持っている人種なんだろう。

「どこのどなたか存じ上げませんが、そんな事はどうでもいいのです。……好きなんです!」
「……」
「どうか、どうか、お願いします。その素敵な『お顔』を描かせてくれませんか?! 後悔はさせません、美しく、描いてみせますッ」
「…………ああ、絵の事だったな」

 相手は微かな声で呟いた。
 男は、しばらく何をするわけでもなく、じろじろマリーを見ていた。

(ああ、やっぱり、だめか。そりゃあそうだよね。結構ストレートにいっちゃったから怒ってるよね。男のひとに綺麗なんて)

 断られると思ったとき、男の形の良い唇が微かに弧を描く。

「私に何か貴様のモデルとやらになって、得があるのか? まぁ、それなりの報酬があるなら考えてやらんこともないが、持ち合わせているように見えないな」
「そ、それは……」

(タダではしてくれないって事?)


 断られると思っていたため、まだ少し希望の光があることを知り、自分がこの男のためにできる、価値があるお礼を考え巡らす。
 マリーが考えつく前に男が述べた。

「……新手のいやがらせタイプの刺客ってこともありえなくもないな。ただの小娘ではあるまい。めずらしい術も使うのだろう?」

 男の品定めするかのように視線が這う。

「まぁ、ただの世間知らずの小娘でも、間抜けな刺客でもなんでもいい。いつもなら怪しいやつは即効で始末するんだが……」

 そういえば今日は王族の結婚式であった。
 無駄な殺生は控えるべきなんだろう。


「貴様の遊びに付き合ってやる。ただしーー」


 男は徐に上衣から豪奢な宝石が連なるピアスを取り出し、左耳につけた。


「この耳飾りに貴様が触れることができたらだ。どんな手を使っても構わない。……すこしはできるのだろう? 退屈しのぎに付き合ってやる」


 男は腕を組み、不遜な態度でマリーに微笑みかけた。
 やや大振りで長いピアスがきらきらと西陽を浴びて輝いた。
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