短編まとめ

ちゃあき

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黎明とセーラー(ホラー)男主

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 吐き出した息が白くて、まるで魂が立ち昇っていくようだった。

 未明の駅前の駐輪場から自転車を引っ張り出す。いつも誰かの下敷きにされるのは、僕がツいてない証拠だ。悴んだ手で持ち上げた、汚れたロードバイクのホイールが冷たい。


 彼女は花壇に腰掛けていた。キャメル色の分厚いマフラーに小さな顔を埋めて。寒さで焼けた赤い耳が可愛い。セーラー服のスカートから覗く白くて細い脚は、寒々しくて何だか可哀想に見えた。

「ごめん、待ってた?」
「うん、遅い」
「怒った?」
「怒ってない」

 小声で投げ返される短い単語が、小さな針で突くように彼女の不機嫌さをアピールする。

「電車終わってるよね?」
「タクシーだよ、自転車置いてたから」

 明日困るしと言うと、ふぅんと言って立ち上がる。僕の隣にとことこと歩いてきて、横に並んで歩き出す。彼女の自宅までの短い道のりだ。

 彼女とは小中と同級生だった。でも高校が別れてしまったから、こうやって肩を並べる帰路だけが一緒に過ごせる貴重な時間だ。

 バスケの練習で帰りが遅くなるという彼女を、駅前から自宅前までの街灯の少ない道を送っていく。それを大義名分として。こんなに寒くて暗い日は、特に。

 まだ夜は明けない。いや、真夜中なのだ。

 駅前にも人気がなく、駐輪場と自販機の明かり以外は真っ暗で、時折通る自動車のヘッドライトが視界を満たしてちらついて消えていく。

「大学どう? 良く受かったよね、いつ勉強してたの? 中学の時は見た事なかったよ」
「馬鹿にすんなよ、これでも学年で二十番以内には入ってたよ」
「どうせ数学と化学が十番以内で、国語と英語が100番より後ろなんでしょ?」
「……うるさいなぁ」

 彼女はあははと可愛い声で笑って、ごめんと謝ってくれた。
 白い手を寒そうに擦り合わせている。コートのポケットから手袋を出して差し出した。

「家まで貸す」
「いいの? 佐山さやまくんの方が顔赤いけど」
「俺は酔っ払ってるだけ」
「…そ、ありがと」

 彼女の小さな手に大きな僕の手袋が被る。不釣り合いなサイズ感がまるでカカシみたいだ。

 いつまでも白いままで、暖まることも、老けることも、ネイルを覚えることももうない手だ。

「ごめんね」
「なーに? どうしたの」
「あの日も迎えに行けばよかった」
「何だっけ?」
「気にしてないならいいいや」

 してないよと彼女は笑う。何年も変わらない笑顔で、何年も変わらない懐かしいセーラー服で。タータンチェックのキャメル色のマフラーで。

「何で佐山くんだけ、大学生になったんだっけ」
「……説明すると長いぞ」
「えーっ、じゃあいいや。あんまり遅くなるとパパが怒る」
「じゃまた今度だな」

 東側の一軒家の屋根の向こうに、赤い朝日の気配が輝き始める。

 もうこんな時間だ、と呟く。彼女のマフラーが解けて消えていく。黒いセーラー服は白に、赤いスカーフの夏服に瞬く間に変わって行く。
ふふと楽しそうに笑う小さな唇からは、白い息も上がる事はない。

「プールに行こうねって言ってたでしょ」
「そうだな」
「実はねさやかと水着買いに行こうねって、話してたの」
「それ言ってよかったの?」

 しまったと彼女は笑う。朝日に透けて、その姿も記憶も言葉も、年を追うごとにぼやけて解けるように曖昧に拡散して消えて行く。

「もう行かなくちゃ、パパが怒る」
「おう、じゃまた」
「明日ね!」

 ちゃんと迎えに来てねと、最後は可愛い声だけが響いて、立ち昇る魂の名残のように大きな手袋が地面に降ってきた。

 黎明は終わって、また全てを暴く朝がきてしまった。


 彼女の踏み出した先には空き地がある。
 ここにはかつて彼女の家族が住んでいた。あの日、高校三年生になったばかりの四月の夜に、彼女が姿を消した頃までだ。

 僕たちの同伴帰宅は約束じゃなかった。あの日、花壇に座って来るか分からない僕を待つ彼女の姿を見た人がいた。でもその後の事は誰も知らない。僕はその日、彼女を放ったらかして友達と遊びに行ってしまったから。彼女の痕跡はあの日以降、今に至るまで一つたりとも見つかってはいない。
 僕が高校を卒業して、大学生になって、大学も卒業して就職し、こんな時間になるまでどこかで酔っ払って過ごすようになってもだ。

 たまにあの花壇に彼女の姿を見つける。そう言う時は夢みたいに短い帰路をともにする。決まって寒い日だ。
 はじめはその姿に驚いて、喜んで……その内その存在の希薄さに気が付いて、何も言えなくなってしまった。

 彼女が誰のせいで、どうやって何処へ行ってしまったのかは分からない。しかしもう帰ってくる事はないのだろう。

 僕には解けて行くセーラー服の彼女の記憶と、黎明までの短い時間を共に過ごす事しかできない。

 滑り落ちて行く砂のように、どんどん輪郭を曖昧にして細く小さくなって行く彼女の思い出を懸命に繋ぎ止めながら。
 いっそ僕に取り憑いてくれればいいのに。そんな風に執着してしているのは多分僕の方だけで、彼女はいつまでも軽やかな女子高生のままだった。

 告げられなかった想いも、その答えも、何処か遠くで凍りついて彼女と共に眠ってしまったのだ。

 僕はスーツのポケットに、冷たく潰れた手袋をそっと仕舞った。



fin.


初出 2020.12.16
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