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06.最初はあなたのことが嫌いだった

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「どうしたんだ、リフェウス。怖い顔をしているぞ」

 人との面会を終えて戻ってきたルクレシウスが、執務室の控えの間でバサバサと書類整理をしているリフェウスのもとにやってくる。

「これは地顔です、陛下」
「ねえ、リフェウス。君はロイシュネリアと仲がいいよね」
「……。陛下やクレオメデスのほうが仲良しだと思いますね」

 突然の問いかけに目を上げることなく答える。

「ロイシュネリアに好きな人はいると思う?」
「……どういう意味ですか?」

 予想外の質問に思わず目を上げたリフェウスに、うーん、とルクレシウスが唸った。

「もしロイシュネリアに好きな人がいるとして、それが片想いだったら、あんなふうに結婚を命令してしまったら困るよね……と、さっき、人と話しながら考えてた」
「それは会談相手に対して失礼なのでは」
「あいさつ以上の話がないみたいだったから、退屈でね」

 あー疲れた、と十六歳の若き国王はコキコキと首を鳴らして肩をもんだ。

「で、リフェウスはロイシュネリアと仲がいいだろう? ちょっと聞いてほしいんだ。好きな人がい」
「お断りします」
「るかどうか、って、早いな!」
「ネリは二十一歳のうら若き乙女です。オレは今年で二十八です。彼女の気持ちを探るのに適任とは思えません。そういう話は同性の同世代の友人のほうが向いています」
「じゃあ、ロイシュネリアの同性で同世代の友人に探りを入れるように頼んできてほしいんだ」
「……それは別に、オレに頼まなくてもいいことですよね」

 リフェウスが主君を見つめると、
「まあ、ね」
 ルクレシウスは琥珀色の目を細めて微笑んだ。

「リフェウスが気乗りしないのならクレオメデスに頼むからい」
「あいつに頼むくらいならオレが聞いてきます」
「いよって、早いな!? なんなんだ、もう」

 リフェウスの決断にルクレシウスが呆れる。

「それより陛下、リガから陳情が届いておりますのでご確認を。先日の件だと思いますが」
「そうか。意外に行動が早かったな」

 リフェウスが差し出した分厚い書状を受け取ると、ルクレシウスは表情を引き締めてそのまま執務室へと去っていった。
 ルクレシウスを黙らせるには仕事を与えるのが一番だ。

 何かと心をざわめかせる主君がいなくなったところで、リフェウスはもう一度、心にロイシュネリアを思い浮かべた。
 ロイシュネリアのそばにいたからわかる。ロイシュネリアは、明るくて屈託のない人物のほうが気楽に付き合える。クレオメデスは明るくて屈託がない。まっすぐな性格で情にも篤い。ルクレシウスも基本的には明るくて素直な性格だ。この二人に対してロイシュネリアは笑顔を見せる。

 クレオメデスはどういうわけか女に興味がないようだが、同性愛者というわけでもなく、単純にルクレシウス一筋なだけだ。別にルクレシウスに邪な気持ちがあるというわけでもない。飼い主と飼い犬の関係が一番近いと思う。

 だから飼い主が命じれば飼い犬は喜んでロイシュネリアの手を取るだろう。ロイシュネリアがそれをよしとすれば、だが、クレオメデスのおおらかな性格は心に癒えない傷を負っているロイシュネリアを刺激しない。穏やかな関係を築いていけると思う。

 ――いや待て。あいつはオレと同い年だからナシだ。あんなオッサンにネリはふさわしくない。

 では誰がロイシュネリアにふさわしいのかと思うと、誰も思い浮かばない。
 しばらくもやもや考えたあと、主君の指示通りロイシュネリアに探りをいれるか……という結論に至った。ロイシュネリアの結婚なのだから、ロイシュネリアの気持ちを尊重するべきだ。
 とは、いえ、どう切り出せばいいのかわからない。

 わからないまま数日が過ぎた。

 慌ただしく過ごして気が付くと夕刻になっていた。ふと外を見上げると、空には大きな月がかかっている。
 月を見るとロイシュネリアを思い出す。
 ロイシュネリアに会いたい。
 理由がなければ会えない。戦場にいたころはいつも一緒だった。今、ロイシュネリアは神殿にいて、自分は国王の執務室の隣にいる。王宮という同じ敷地内だが、すれ違うことすらない。

 寂しさを紛らわすには酒が一番だ。仕事帰りにクレオメデスを誘ったら「先約がある」と断られた。明るくておおらかな将軍閣下を慕う人間は多い。なんだか憎たらしい。
 大きな月を楽しみたくて、帰りに葡萄酒を瓶で買い求めるとそのまま王都のほど近くにある、打ち捨てられた古い神殿へと向かった。
 月の女神シアを祀っていた神殿だ。

「……どうしておまえがここにいる」

 誰もいないと思っていたのに、そこには先客がいた。

「あなたこそ、どうしてこんなところへ?」

 神殿の前の泉に足を突っ込んで夕涼みをしていたらしいロイシュネリアが、驚いた顔をする。
 いつものシア神殿の法衣姿ではなく、簡素なワンピース姿だった。髪の毛は大きな布で包んでいる。

「一人で来たのか。供は」
「一人です。供は必要ありません」

 そう言ってロイシュネリアが頭にかぶっている布を取り去ると、金色に輝く髪の毛が零れ落ちた。

「雲が出たらどうする。危ないだろう」
「これだけ晴れていて? それにすぐに帰るつもりですから」

 たしなめるリフェウスにそう言ってロイシュネリアはごろんと仰向けに転がった。……つもりだったのだろうが、ふわりとその体が宙に浮く。金色の髪の毛がまるで水中のように、ふわふわと舞う。

「外はいいですね。空が広い」
「いくら空が飛べるといっても女一人では不用心だろう。しかもこんな人気のない場所に」
「人気がないから、でしょう?」

 自分の周りを踊る髪の毛を一束つかんで、ロイシュネリアが微笑む。
 ロイシュネリアにはもうひとつ、女神の愛し子らしい力がある。普段は漆黒の髪の毛が、月の光の下では淡い金色に輝くのだ。そして、その状態だと空を飛べる。
 一見便利な力だが、月がかげると墜落するし、髪の毛が光を発するので闇にまぎれるということもできない。それに先視の力を差し出しているのにこの飛行能力まで差し出す気にはなれないということで、このことは誰にも秘密にしてきたのだという。
 偶然知ってしまったリフェウスを除いて。

「陛下からの話だが、おまえはいいのか?」

 ロイシュネリアの隣に腰を下ろし、聞いてみる。

「結婚の話ですか? 命令とあらば、従うまでですよ」
「結婚したら、おまえは女神から授かった力をすべて失う」
「この力があることで、得をしたことは一度もありません。こんな力がなければ、私は父に売られることもなかったし、家族を目の前で殺されることもなかった。文字通り檻に閉じ込められて、腕を切られることも、先視のたびに悪夢のような光景を見ることも」

 そう言ってロイシュネリアは右手で左腕を撫でた。傷痕は腕カバーで見えない。

「でも、この力のおかげで命を落とさなかったのは事実ですから、王命とはいえ捨てなさいと言われるとさすがに躊躇します」
「だろうな」
「リフェウス様としては、私に裏切ってほしいのかもしれませんけれど。あなたの目には、私は相当したたかな娘に見えているようですから。……でも私だって、好きで裏切ってきたわけじゃない。ロツ族にしてもルウォールにしても、私の扱いがもう少しまともなら、そうね、もう少しくらいはかばってあげたかも」
「そういう意味では陛下の決断は正しくて、オレは間違っていたわけだな。陛下は、おまえの力は使わないと主張し、オレはおまえの力を使うべきだと主張した」
「そうですね。だから、最初はあなたのことが嫌いだった。……あら、いいものをお持ちなのね」

 ロイシュネリアがそう言って、ふわふわと浮かんだまま近づいてくる。リフェウスが持参した袋の中に酒瓶を見つけたらしい。

「まあ、西海産の葡萄酒じゃないの! このあたりでも手に入るようになったのですか?」

 手を伸ばして袋から酒瓶を取り出し、ラベルを確認する。

「戦争が終わって航路が使えるようになったからな。ネリは酒が好きだったか?」

 そんな記憶はないのだが。

「夜、眠れなくて。お酒に頼っていた時期があるんです」
「ルウォールにいたころの話か? まだ子どもだろうに」
「飲まずにはやってられなかったんですよ。でも、エランジェに来てからはちゃんと眠れるので、お酒は口にしませんでした」
「ふうん?」
「これは普通の葡萄酒かしら。開けてみないとわからない? あのあたりには発泡の葡萄酒があるんですよ。一度だけ口にしたことがあるの。とてもおいしかった」
「そこまで高い酒じゃないから、発泡はしていないだろう。飲みたそうだな? だが神官の飲酒は禁じられているだろう? 酔っぱらって帰ったら神殿の人間に怒られるんじゃないか?」

 とはいえ、ロイシュネリアは神官の中でも特殊な立場にいるため、厳しい戒律に縛られているわけではない。

「ひ、一口なら大丈夫……」
「一口ねぇ」

 きらきらとした目で見つめられたら、断るなんてできない。リフェウスは腰から短剣を引き抜き、瓶の口に当てた。勢いよく栓を抜くと、ひとつだけ持ってきていたゴブレットに注いでロイシュネリアに手渡す。

「葡萄酒だけ飲むと酔いが早く回るから、こ……」

 袋の中からつまみとして持参していた燻製肉を取り出して振り向いたところで、言葉を失う。ロイシュネリアがゴブレットを抱えて、ぐいー、と一気飲みしたあとだったからだ。

「おい……果汁とはわけが違うんだぞ……?」

 空になったゴブレットを持って、ロイシュネリアがにっこりと微笑む。

「おかわり、いただけますか?」
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