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11.悪女になれなかった私は、どうすればいいの? 1

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 その夜、コリンナは伯爵夫妻に対し私が行方不明になったことは秘密にしてくれた。コリンナのおかげで私の評判は何ひとつ傷ついていない。悪女への道のりは険しい。

 伯爵夫妻とコリンナとの和やかな晩餐後、与えられた客間に引き揚げた私は、アロイスの最後の言葉のことを考えていた。

 彼がどんな人なのか、私にはまったくわからない。
 わからないけれど、アロイスのことはとても気になる。彼のことをもっと知りたい。
 素顔をさらせるか、というのは、どういう意味なんだろう。文字通り仮面を外して素性をさらせるか、ということ? それとも、イケナイことをしましょうということ?

 妃教育の一環で妊娠・出産について一通りは習うので閨の知識はゼロではないが、テキストを一通り読んだだけだし、男女の駆け引きのことまでは載っていない。妃候補という立場上、独身の貴公子がいる場には近づくことができなかった私に、そのあたりのことがわかるはずもない。勘違いしていると恥ずかしいことになりそうではある。

 アロイスのことは知りたい。仲良くなりたい。
 でも明日のうちに深い仲になるというのはさすがに早計だとは思う。
 本物の悪女ならためらわずに深い仲になるのかもしれないが、私には無理だ。誰、悪女になってアルトウィン様に婚約破棄してもらおうなんて考えたのは。――私です。
 私の柄ではなかった。アロイスに世間知らずと言われるわけだわ。
 とはいえ、男性関係で悪評を立てるというのが最も効果的なのだから、「柄ではないので」といって怯んではいけないわ。

 ところで、私はまだアルトウィン様のことが好きなんだろうか。
 今日、アロイスと出会って、彼と一緒に行動してとても楽しかったから、アルトウィン様への気持ちが揺らいでしまったのか気になる。
 昔、まだ小さかった頃、私はよくお父様に連れられて王宮を訪れ、当時は王太子だったアルトウィン様と遊んでいただいた。その時は間違いなくアルトウィン様のことが好きだった。
 優しくて紳士的に接してくださる、素敵な王子様。
 でも妃候補になって……アルトウィン様がコリンナと微笑み合うようになってからは……。
 好き、ではある。今でも私の中では特別な存在だ。
 でも彼を想うとつらい気持ちになるのも事実だ。

 アロイスはどう?
 アロイスのことを考えると、ドキドキして落ち着かなくなる。もっと話したい。彼のことを知りたい。
 私はアロイスのことを好きになってしまったんだろうか。
 わからない。だって、私はアロイスのことをほとんど知らないもの。
 好きになれそう、とは思う。
 そしてアロイスは私にお互いを知り合う機会をくれた。アロイスも少しは私のことを気にしてくれている、ということだろう。
 ためらうのは現時点で私が国王陛下の婚約者であり、アロイスのことを利用して婚約破棄を目論んでいるからだ。
 彼は私に本当のことを告げていないから、本当の彼に累が及ぶことはないはずだ。占い師の言う通り、彼は私の運命の人に違いない。

 なんて自分勝手なんだろう、私。
 アルトウィン様が私を選ばないのもわかる。
 私はアロイスの好意を踏みにじり、自分の計画のために利用しようとしている。

 アロイスとの時間はとても楽しかった。
 明日、アロイスに会おう。そしてありがとうと、楽しかったと伝えよう。
 仮面は外さない。素顔は見せない。
 なぜなら、エレインの正体は国王の婚約者、エレオノーラ・ウェストリーだからだ。

   ***

 翌日。
 夕方、と呼ぶには少し早い時間。日がかげり始めた頃に、伯爵夫妻は私たちをマールバラの夜の仮面祭りに連れていってくださった。
 仮面祭りなので仮面はつけているけれど、昨日みたいなことになってはいけないということで、ぴったりと護衛がそばについている。
 夜は夜で盛り上がりお祭りだというから、人の減る気配はない。相変わらず、すごい人込みだ。

 ――どうしよう……。

 日がかげり始める。約束の時間が来てしまう。今日は昨日みたいにはぐれることができそうにない。

「どうしたの、エレオノーラ。気分が悪そうね」

 気持ちが焦って上の空になっていた私を、気分が悪いと受け取ったのか、コリンナがそう言って覗き込んでくる。

「え? いえ、だいじょ……」
「コリンナ、どうかして?」

 私が答える前に伯爵夫人がコリンナを振り返って声をかけてきた。

「夫人、エレオノーラの気分が優れないようなのです。少し、人の少ない場所に連れていきますね。伯爵と夫人は先に広場へ向かってください。私たちもあとで行きますわ」

 コリンナは伯爵夫人にそう言うと、護衛の一人に伯爵夫妻についていくように指示を与えた。護衛は二人しか連れてきていないからだ。そして私を人込みから連れ出し、街の真ん中を流れる川の橋の上――昨日、アロイスと約束をした橋だ――にやってきた。
 手すりの側に立てば、川面を渡る涼しい風を感じられる。

「今日は気温が高いし、人が多いから、気持ち悪くなってしまったのね。ここで休んでいて。飲み物を買ってくるわ」

「コリンナ、一人で?」

 コリンナの言葉に私はぎょっとして聞き返した。

「一人でも大丈夫よ。昨日も、まあ、一人だったし……護衛と一緒だったけれど」
「だめよ、一人はだめ。私はここから動かないから、護衛と一緒に行って」

 実際、私は一人になった途端、アロイスに出会った。コリンナの身に思わぬことが起きたら大変だ。

「あなたを一人にするほうが心配なんだけれど……どうしましょう」

 コリンナは、私たちについてきた護衛を振り向く。

「私はコリンナ様とご一緒しているほうがよろしいかと。ここは大きな通りで、人も多い。警邏隊も巡回しています。それに、エレオノーラ様は護身術が使えます」

 護衛が目をやった先には、騎馬で巡回中の警邏隊の姿があった。

「言われてみればそうね……じゃあ、何か元気が出そうなものを買ってくるわ。エレオノーラは絶対にここから動かないでね」

 そう言ってコリンナが護衛を引き連れて離れていく。
 私は手すりに手を乗せ、川を見つめた。
 もうすぐ約束の時間。ここは約束の場所。アロイスはまだ現れない。

 ……って、はっ!
 今は絶好の機会じゃない!?
 アロイスに会えるかどうかはともかく、ここで私が一人の時間を作ることで、コリンナや伯爵夫妻に「男の人と逢引き」しているように思わせることができるではないか。
 アロイスには会いたかったけれど、彼に会ったところで「昨日は楽しかったわ」以上のことを言うつもりはないのだから、これでいいのかもしれない。

 私はコリンナたちが消えた方角を気にしながら、反対側に歩き出した。……が。
 数歩も行かないうちに、ドンと人にぶつかり、反動でよろけてしまう。

「君は人込みの中の歩き方も知らないのか。よそ見をしていたら危ないだろう」

 大きな手がよろけた私の腕をつかむと同時に、呆れた声が降ってきた。
 目を向けるとそこには仮面姿のアロイス。

「本当に危なっかしいな」
「……アロイス……来てくれたの……?」
「信じていなかったのか? ここで待つと言ったのは俺のほうだけど。むしろ君のほうが来てくれないかと思っていた。君は、相当いいところのお嬢様だから」
「私はただの使用人よ」

 むっとなって言い返した私に、アロイスの口元が緩む。信用していないのが丸わかりだ。

「ここに来たってことは、素顔を見せる気になったってことでいいか?」
「いいえ。仮面は外せない……あなたにはお礼を言いに来たの」
「そうか。やっぱりお嬢様に俺はふさわしくないか」
「そうじゃないわ!」

 がっかりした様子のアロイスに、私は強めに言い返した。

「そうではないけれど、あなたを私のゴタゴタに巻き込みたくないの。あなたはとても親切で、誠実だったから」
「ゴタゴタ?」
「そう。……私、そろそろ行くわね」

 私はちらりとコリンナたちが消えた方向に目をやった。大丈夫、コリンナたちの姿はまだ見えない。

「最後にあなたに会えてよかった。昨日はとても楽しかったわ。ありがとう」
「待てよ、エレイン」

 そのまま立ち去ろうとした私の腕を、アロイスがつかむ。

「そのゴタゴタってなんだ。一人でどこへ行くつもりなんだ」
「行きたいところは特にないわ。一時間ほどどこかで時間をつぶしたいだけだから。ゴタゴタに関しては、ごめんなさい。あなたには言えない」
「一時間だな? 付き合うよ」
「……でも……」
「仮面を外せとも言わない」
「……けれど……、私といても、得るものは何もないわよ……?」
「君から何かをもらおうなんて思っていない。一緒にいたいだけだよ」

 アロイスの言葉にドキンと心臓がはねた。
 ああ……私……こんなふうに、アルトウィン様に接してほしかったんだわ。私を見て、私の事情に首を突っ込んで。
 条件のあう娘だからしかたなく、というのではなく。
 アロイスには悪いけれど、ここにいるのがアルトウィン様でないのがとても悲しい。
 そんなことを思ってしまった。

「とにかくエレインを一人にするわけにはいかない。君はもの知らずだから」
「わかったわ。あなたが一緒だと私も心強い。とりあえずここから離れたいのだけれど、それでもいい?」
「いいだろう」

 アロイスはそう答えると、腕から手を離して私の手のひらをつかんだ。私たちは手をつないだまま、コリンナたちが消えたのとは逆の方向へ、足早に歩き出した。

 ごめんなさい、コリンナ。
 ごめんなさい、アロイス。
 そして誰よりも、ごめんなさい……アルトウィン様……。
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