毒姫達の死行情動

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私は過去を超える

猛毒の舌戦

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 建物が犇めき合う街並みの一角。車を盗み数十分走らせたところで古いアパートが姿を見せる。外観は錆びがこびり付き黒ずんでおり、くすんだ鉄の階段を登った夜羅は慣れた手付きで二階最奥の扉を開けた。

「少し待っていて下さい」

 辿り着いたのは稀崎きざき 夜羅ゆらが住むアパート。広さこそ事務所には劣るが、外観とは裏腹に部屋内は小綺麗に保たれていた。
 
「まずは身体を拭いてください」

 足早に部屋へと向かった夜羅は、ものの数十秒で玄関で待つ茉白にタオルを届ける。夜羅の頭にもタオルが乗っており、完全に乱れてしまった髪が雨風の強さを物語っていた。

「悪いな」

「その格好のまま中を歩かれては私が困りますので。こう見えて綺麗好きなんですよ」

 迷惑を掛けないようにと濡れた身体を拭いた茉白はようやく部屋へと上がる。慌てて振り返ると丁寧に靴を並べた。

「……お邪魔します」

「難しい言葉を知っていますね」

「殺すぞ」

「どうぞ適当に寛いで下さい」

 窓際に真っ白い木枠のベッドが置かれており、部屋の中央のテーブルや壁際のソファなど全てが白で統一されていた。ふかふかで毛並みの長い絨毯が、遠慮がちに座った茉白に温もりを齎す。

「でも先ずはこれに着替えて下さい。制服なら部屋干しでも一日あれば乾きますから」

 渡された着替えは灰色のフード付きパーカーであり、中央には舌を突き出す蛇の絵が描かれている。柄の悪い蛇とは裏腹に柔軟剤の良い香りが漂っていた。

「男もんだろこれ」

 所々ほつれておりサイズも大きく、夜羅の身体に合わないことは一目瞭然。「兄のですよ」と答えた彼女は目の前で躊躇い無く着替え始める。

「おい、向こうで着替えろ」

「何故です? 私の両親は早くに離婚していて、命の再分配で二人とも死にました。それからは父の元にいた兄と住むようになったのです。だから、例え男の人の前でも着替え程度なら平気ですよ」

「……勝手にしろ」

 首を背ける茉白に、僅かな揶揄からかいを含んだ視線が突き刺さる。茉白はこの場への居辛さを吹き飛ばすように白々しい咳払いをした。

「もしかして、目のやり場に困るだとか思っています? まさか女同士でありながらそんな訳ないですよね。貴女が私のことを性的対象として見ると言うのなら話は変わってきますが」

「はあ? 馬鹿かお前、寝言は寝て言え。うちが男でもお前だけは選ばないだろうな」

「奇遇ですね、私も貴女だけは選ばないでしょう。目付きも口も足癖も悪いとなるとお嫁にいけませんよ?」

 猛毒の舌戦の中、服を脱ぎ下着姿になった夜羅。一切傷の無い細い線のしなやかな身体だった。外は闇のように真黒で、その対比からか茉白の目には色白の肌がやけに艶やかに見えた。

「やはり下着まで雨水でびっしょりです」

 ブラのホックを外し、パンツのゴムに手が掛けられたと同時に「頭おかしいだろ」と吐き捨てた茉白がキッチンへと避難する。

「変態には付き合ってられないな」

「変態? 雨に濡れたから着替えるだけでしょう? そういう言葉が平然と出て来る時点で、変な勘繰りをしているのは貴女でしょう」

「人の前で下着を脱ぐ馬鹿が何処にいる。頭のネジ何本か抜けてるだろ」

「一本足りとも抜けていませんし、これは合理的な行動です。洗濯機はベランダなので此処で着替えるのが一番早いのです。賢いでしょう? 毒蛇と違って脳がありますから」

「勉強し直してこい。蛇にも脳くらいはある」

 キッチンと部屋内で視界は遮られているものの舌戦は暫し続く。そんな中でも茉白は、久方振りに気を抜ける環境に身を置いている事実に内心安堵していた。

「もう大丈夫ですよ」

 部屋へと戻る茉白の目に映ったのは、動きやすそうな部屋着兼パジャマ姿の夜羅。大量のひよこの絵が描かれたアイボリー色のブラウスに、同じ柄のショートパンツだった。露出した両脚は細く、普段は気にもしないスタイルの良さが際立つ。

「夜葉、次は貴女が着替えて下さい。早くしないといつまで経っても洗えません」

 土砂降りに晒され、未だ濡れたままの制服。風邪を引くことを懸念した茉白は躊躇い無く着替え始めるも、下着姿になった際に手を止めて夜羅と視線を合わせた。

「向こう行ってろ」

「何故?」

「お前、モラルとかデリカシーって言葉を知ってるか?」

「ええ、もちろん。貴女の胸の小ささに同情するくらいには」

「……知らないことが確定したな」

 自分の洗濯物を抱えたままの夜羅は、早く済ませろと言わんばかりの視線を向ける。茉白は観念したのかその場で着替えると渡されたパーカーを纏った。やはりサイズは合っておらず、裾が膝上付近にまで至っている。口を尖らせて裾を掴んだ茉白は見せ付けるように長さを主張した。

「おかしいだろこれ」

「まあ男性用ですからね。この様子なら、丈の長さ的にズボンは要りませんね」

「はあ? 座ったら見えるだろ」

「そういえば下着はどうします? 私ので良ければお貸ししますが」

「……貸してくれ」

 迷い無く即答。だが何かに気付き首を横に振る。

「うちに使われるのを少しでも嫌だと思うのなら無理にとは言わない」

「綺麗好きですが潔癖症じゃありませんから。そっちのクローゼット内の引き出しに入っていますから、ズボンと合わせて自由に使って下さい」

「悪いな」

 茉白の制服を抱えた夜羅は慣れた手付きで洗濯機を回し始める。一番上にあったブラとパンツを身に付けた茉白は、もこもこのショートパンツも取り出すと両足を通した。それから順番にシャワーを浴びて部屋内に洗濯物を干し、粗方落ち着いた二人はテーブルを挟んで向かい合う。互いの前に置かれたコーヒーが飲み頃を伝えるように湯気を立てていた。

「一先ず落ち着きましたね」

「世話を掛けたな」

「やけに素直ですね」

「あのなあ、お前は一言多いんだよ」

 所謂いわゆる、女の子座りと呼ばれる座り方をする夜羅。対する茉白の足癖の悪さは健全で胡座あぐらをかいて座り込んでいた。

「言い忘れましたが禁煙ですので。吸いたければベランダでお願いします」

 未だ降り続く執拗い雨が絶えず窓を叩いている。時折鳴り響く雷を煩わしく思いながらも、二人は置かれた状況を脳内で整理していた。

「これからどうするつもりですか? 柊は救いの街の地下に囚われているのでしょう?」

「乗り込むしかないだろ」

「十中八九罠ですよ」

「なら、残りの一と二は?」

「せいぜい高く見積もっての勝算、といったところでしょうか。行ったところでどうにかなるのなら、如月が情報を渡してくるとも思えない」

「それだけあれば十分だろ、何ならゼロでも構わない」

 コーヒーに口を付けた茉白は、あまりの熱さに顔を遠ざける。火傷したのか、冷やすように少し長めの二又の舌が突き出された。
 
「バイクを奪う際に脅しにも使っていましたが、変わった舌ですよね」

「お前は化け物だと言われたことを泣いていたが、本当の化け物はうちみたいな奴を言うんだ」

「私はそうは思いません。化け物だと人を嘲笑う者の心こそが、救いようの無い穢れた化け物なのです」

 熱さを物ともせずにコーヒーが啜られる。鼻から抜ける深く苦味のある香りが夜羅の心を落ち着けた。

「それにお恥ずかしながら、少し可愛いと思ってしまいました」

「お前も弥夜と同じことを言うんだな。感性おかしいだろ」

 可愛いと言われて悪い気はしなかったのか僅かに視線が泳ぐ。惰性でコーヒーに口を付けるも、やはり熱かったのか再び舌が突き出された。

「お前はどうするんだ? うちは救いの街へ行くぞ」

「最優先事項は柊を救うこと、そして可能な限りは戦わずして逃げること。それが最も生存率の高い方法だと思います」

 茉白は小さく鼻で笑う。紡がれた言葉が上辺だけのものであると彼女には解っていた。

「……それでいいのか?」

「まさか、良い訳ないでしょう。あくまで机上の空論です。蓮城だけは命に代えても必ず討つ。優しかった優來は敵討ちなど望まないでしょうが、残された者の辛さは遺された者にしか解らない。だから……」

 漆黒の瞳を細めた夜羅が決意を込めて前を向く。茉白と交わった視線に以前のようないがみ合いの色は無かった。

「生き方は私が決める」

「戦うことは、生かされた命を無駄にすることにはならないだろ」

「腹立たしいですが同感です」

「別にうちは生き残ることが目的じゃない」

「……それも同感です」

 パーカーのフード部分から垂れる左右の紐。指先に巻き付けたり引っ張ったりと、茉白は無意識に手遊びをする。

「だからと言って、素直に死にに行く訳でもないでしょうに」

「当たり前だろ。還し屋もタナトスも皆殺しだ。ただし、弥夜だけは必ず助ける」

「その話、私も乗りましょう。兄が死んでいると解った以上、最早生きる目的すらない」

 言うや否や口を噤む夜羅は、ベッドの上からひよこのぬいぐるみを引っ張ると胸元に抱いた。多少ほつれてはいるものの綺麗な状態で保たれており、それを見た茉白は悟られないように目を輝かせた。

「一つ提案です」

「提案?」

「もしも生きる為の目的が見付かれば、この世界でもう少し生きてみませんか?」

「そんなもん見付かる訳ないだろ」

「いいえ、物事はどう転ぶか解らない。一概に決め付けるのは宜しくないかと」

 まるで腹話術。ひよこのぬいぐるみが話していると表現がしたかったのか、茉白の顔の前に突き出された。

「生きてさえいればきっと救われる……明けない夜は無いんだよと、弥夜はそう言ってた。だから目的が見付かれば生にしがみ付いてやるよ」

 術中にはまり肯定した茉白は、ぬいぐるみを奪い取ると胡座をかいた脚の上に座らせる。可愛さとふかふかの感触のダブルパンチに表情が緩んだ。

「そのパジャマはお前のセンスか?」

「そうですが、何か?」

「……だっさ」

 アイボリー色のブラウスには、大量に描かれたひよこが溢れんばかりに犇めき合っている。茉白の抱いているぬいぐるみと同じひよこのキャラクターだった。

「そのパーカーの蛇よりマシでしょう」

「これは洒落てるだろ。お前の兄とはセンスが合いそうだな」

「そんなことを言いながら、夜葉はちゃっかりぬいぐるみが好きですもんね。クマの頭を千切った時も落ち込んでいましたし、今だってひよこを大事そうに抱えている」

「落ち込んでないだろ」

 舌打ちをする茉白。顔を見合わせて僅かに微笑み合うも、我に返った二人は即座に目を逸らして首を背けた。

「夜ももう遅い。そろそろ寝ませんか?」

 壁掛け時計が示す時刻は二十三時を回っており、景色の変わらない雨のせいで時間感覚が狂い始める。相槌を打ちながら立ち上がった茉白は、クローゼットから綺麗に畳まれた毛布を取り出した。

「これ借りるぞ」

 そのまま座布団を枕代わりにして寝転がった茉白は長かった一日を脳内で繰り返す。冷えていた身体は嘘のように温まり、適度な眠気が瞼に圧を掛けていた。

「ベッドで寝ていいですよ」

「此処でいい」

「ベッドで寝ていいですよ」

「お前が使え、うちは此処でい──」

「ベッドで寝ていいですよ」

「……サイコパスかよ。解ったよ」

 ふわりとした感触が疲労した身体を抱擁する。セミダブルほどの大きさのベッドがゆったりとした広さで茉白を受け入れた。質の良いマットレスと掛け布団から齎される温もりが睡魔を誘発する。枕代わりにされていた座布団を片付けた夜羅は無言で隣に寝転んだ。

「おい、お前が使うなら下で寝るって言っただろ」

「自分の家のベッドで寝て何が悪いのです?」

「別に悪いとか言ってないだろ。何で一緒に寝てるのかって話だ」

「何か楽しくないですか? いじめられていたから、こういうお泊まり会みたいなことを一度もしたことが無いんです」

 呆れてため息をついた茉白は「そうかよ」と諦めて背を向ける。小さな背を見つめる夜羅は、齎された不器用な優しさに感謝するように微笑んだ。

「……夜葉はありますか?」

「無い。うちの性格見れば解るだろ」

「乱暴者で誰も寄り付かないですもんね」

「……一言多いんだよ」

 毒づく茉白はものの数分で眠りにいざなわれ律動的な呼吸を繰り返す。興味本位で寝顔を盗み見した夜羅が小さく口元を緩めた。

「寝ている時はこんなにも可愛い顔をしているのに、どうして起きている時は生意気なのでしょう」

 照明を落とした夜羅。待っていたと言わんばかりに静寂が蔓延はびこる。等しく時を刻む秒針の音が、雨音に混じって心地良く響いた。
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