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ニルヴァーナ
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たまに昔の夢を見る。
仕事が終わって酔って帰ると翔子が「お帰りなさい」といって走り寄ってきてフラついた体を支えてくれる。そのまま一緒にシャワーを浴びて同じベッドで眠る、それだけの夢。
翔子はウェーブの髪にこだわりがあるのか、いつも鏡の前でドライヤーで巻いていた。その間水森は少し苛々しながらベッドで待っている。
顔は元々綺麗だったから女に見えないこともない。
だが男を示すそれ、平坦な胸は翔子が『男』だと主張している。頭の中だけ『女』。
「生まれ変わっても翔子を見つけてくれる?」
ふたりとも裸でベッドに沈んでいると、翔子は水森の肩に顔をよせてそんな埒もない事を聞いてくる時があった。
「何でそんな事聞くんだ?」
来世なんて信じていない水森には不思議な質問で答えようがない。
「だってずっと一緒にいたいから」
もし生まれ変わったとしてもお前は小泉翔で、男だよ。
俺が悪いことしなければ人生歪まないから、もし会うことがあったら友人としてだ。
「逆に俺を見つけろよ」
言って欲しい答えはわかっている。「必ずみつける」といえば翔子は安心するんだろうが、嘘に嘘を重ねて罪悪感に押し潰されそうな時は、言ってやる余裕がない。
「センパイがいないと怖い…」
案の定心細そうに水森の腕にすがりついて目を閉じる。
翔子の頭の中はどんな世界になっているんだろう。同じ年なのに水森をセンパイと思い込んでいる。
俺を睨んで『殺してやる』と叫んでいた小泉翔が、女で年下という人格になり自分に会いに来た事がまず謎だった。
長谷川でもほかの連中でもない水森のところへ、何故。
「また会えるよ」
幼い表情で不安そうに目を閉じている翔子に言って欲しいだろう言葉をかけてやると、瞳を開けて嬉しそうに微笑んだ。
起きているときは翔子の事を考えないようにしているが、夢の中に翔子が現れる。
ただ今まで過ごしていた過去が再生されるだけで特に意味はない。
今夜も夢に翔子が現れる。
ただそれは非日常的な内容だった。
「もう行かなきゃ」
いつの間に服を着たのか季節外れの白いワンピースに黒いコート姿の翔子が立っている。
髪はいつものウェーブだが裸足だった。
「…お前そんな格好でどこに行くんだ」
半身を起こして翔子を射竦めると部屋の背景が暗い草原になり、遠くに川が流れているのが見える。
気がつくと翔子が好きだった黒いスーツ姿になっていたが、気にする暇もないまま立ちあがった。
「向こうで待ってるね」
水森に背を向けてどんどん川のほうに歩いていく翔子を慌てて追いかけて腕を掴む。
「待てって!ひとりで動くなっていつも言ってるだろ。約束破る気か?」
困ったような顔で翔子は笑顔を浮かべている。
「翔子先に行くから、必ず見つけてね」
自分の言うことを聞かない翔子に、水森はカッとなる。
「そうやって勝手なことするから死んだんだ。これからは俺の言うこと聞いて大人しくしてろ!」
背後で大きな衝突音が聞こえた。
そうだ、こいつは死んだんだ。
あれが三途の川ってやつか?イメージどおりで陳腐な風景だ。
花畑でないことが、どこかで聞いたものと違っていた。
「一緒にいたいって言ってたのに、俺を置いていくのか?」
馬鹿馬鹿しいと思った。これは夢だ。
なのに俺はどうして必死になっているんだろう。
「ごめんなさい」
申し訳なさそうに頭を下げるが、引き返す様子はない。
「俺の言うことがきけないならお別れだ翔子」
いつもなら喧嘩しても別れをちらつかせば捨てないでと言って泣きついてくる。それで揉め事は終わり。
別れたくないのは翔子で、俺じゃない。
いつもより強い視線で翔子を睨むと、悲しそうに目をそらした。
それでいい。戻ってこい。
「先に行って待ってるね」
だがこの翔子は今まで見たことのない頑固さで水森から離れていく。
暗い空間に、時々ふっと人が現れて川のほうへ進んでいく。岸の向こうには誰も見えない。
これはいつもの夢ではない。
「なるほどね…」
この世とあの世の、本当の別れの場だと無理やり理解した。
「これで最後なら今まで言いたかった事を言ってやる。死ぬまで小泉翔に戻らなかったようで可哀想だな。自分を狂わせた相手を好きになるなんて馬鹿な奴だとずっと思ってた。好き?愛してる?笑わせんな。俺はお前が小泉翔に戻らないよう暗示かけて求められた人間を演じていただけさ。妻と子どもを捨ててもな」
言いながら自分のセリフが支離滅裂なのを自覚する。
妻子を捨ててまでやることか?口封じだけならほかにも方法があっただろう。
翔子は微笑を浮かべたまま黙って独白を聞いていた。
「お前が弱いから悪いんだ。人格変えて俺にすがってきて何がしたかったのかわからないが、人の人生を背負うのはもう限界だよ。翔子の事は好きだけど、小泉翔に戻ってほしいと思ったこともある。俺の罪が暴露されてもそのほうが気が楽だ。翔子を失うのは寂しいけどな…。はは…、俺は何言ってんだろう……」
小泉翔が悪いんじゃない。
「…俺が悪かった」
水森はその場に崩れ落ちる。今さら罪の告白に翔子は何も言わない。
完全に小泉翔は消えてしまって、翔子しか存在しないのなら、水森が言っている意味を理解できないのかもしれない。
「言ってることわかるかな翔子」
優しい口調に戻って水森はたずねてみた。
「むずかしくてよくわかんない」
まあそうだろうなと思っていると、翔子は同じ高さに膝立ちして水森の肩に手をまわして抱きついた。
「わかんないけど翔子はセンパイのぜんぶが大好き」
俺のどこが好き?と聞くといつもぜんぶ好きと答える。
「全部…飲み込まなくていいよ…俺は、お前を壊した悪い奴なんだ…。でも翔子を失うのが怖かったから……嘘ついてた…」
人生が終わる前に、翔子の理想を演じていただけの自分を許してもらいたかった。
翔子に抱きしめられている力が強くなった気がする。
ふたりで一緒に偽物の人生のまま消えていくなら、それもいいのかもしれないと思って水森は翔子に体重を預けて目を閉じた。
仕事が終わって酔って帰ると翔子が「お帰りなさい」といって走り寄ってきてフラついた体を支えてくれる。そのまま一緒にシャワーを浴びて同じベッドで眠る、それだけの夢。
翔子はウェーブの髪にこだわりがあるのか、いつも鏡の前でドライヤーで巻いていた。その間水森は少し苛々しながらベッドで待っている。
顔は元々綺麗だったから女に見えないこともない。
だが男を示すそれ、平坦な胸は翔子が『男』だと主張している。頭の中だけ『女』。
「生まれ変わっても翔子を見つけてくれる?」
ふたりとも裸でベッドに沈んでいると、翔子は水森の肩に顔をよせてそんな埒もない事を聞いてくる時があった。
「何でそんな事聞くんだ?」
来世なんて信じていない水森には不思議な質問で答えようがない。
「だってずっと一緒にいたいから」
もし生まれ変わったとしてもお前は小泉翔で、男だよ。
俺が悪いことしなければ人生歪まないから、もし会うことがあったら友人としてだ。
「逆に俺を見つけろよ」
言って欲しい答えはわかっている。「必ずみつける」といえば翔子は安心するんだろうが、嘘に嘘を重ねて罪悪感に押し潰されそうな時は、言ってやる余裕がない。
「センパイがいないと怖い…」
案の定心細そうに水森の腕にすがりついて目を閉じる。
翔子の頭の中はどんな世界になっているんだろう。同じ年なのに水森をセンパイと思い込んでいる。
俺を睨んで『殺してやる』と叫んでいた小泉翔が、女で年下という人格になり自分に会いに来た事がまず謎だった。
長谷川でもほかの連中でもない水森のところへ、何故。
「また会えるよ」
幼い表情で不安そうに目を閉じている翔子に言って欲しいだろう言葉をかけてやると、瞳を開けて嬉しそうに微笑んだ。
起きているときは翔子の事を考えないようにしているが、夢の中に翔子が現れる。
ただ今まで過ごしていた過去が再生されるだけで特に意味はない。
今夜も夢に翔子が現れる。
ただそれは非日常的な内容だった。
「もう行かなきゃ」
いつの間に服を着たのか季節外れの白いワンピースに黒いコート姿の翔子が立っている。
髪はいつものウェーブだが裸足だった。
「…お前そんな格好でどこに行くんだ」
半身を起こして翔子を射竦めると部屋の背景が暗い草原になり、遠くに川が流れているのが見える。
気がつくと翔子が好きだった黒いスーツ姿になっていたが、気にする暇もないまま立ちあがった。
「向こうで待ってるね」
水森に背を向けてどんどん川のほうに歩いていく翔子を慌てて追いかけて腕を掴む。
「待てって!ひとりで動くなっていつも言ってるだろ。約束破る気か?」
困ったような顔で翔子は笑顔を浮かべている。
「翔子先に行くから、必ず見つけてね」
自分の言うことを聞かない翔子に、水森はカッとなる。
「そうやって勝手なことするから死んだんだ。これからは俺の言うこと聞いて大人しくしてろ!」
背後で大きな衝突音が聞こえた。
そうだ、こいつは死んだんだ。
あれが三途の川ってやつか?イメージどおりで陳腐な風景だ。
花畑でないことが、どこかで聞いたものと違っていた。
「一緒にいたいって言ってたのに、俺を置いていくのか?」
馬鹿馬鹿しいと思った。これは夢だ。
なのに俺はどうして必死になっているんだろう。
「ごめんなさい」
申し訳なさそうに頭を下げるが、引き返す様子はない。
「俺の言うことがきけないならお別れだ翔子」
いつもなら喧嘩しても別れをちらつかせば捨てないでと言って泣きついてくる。それで揉め事は終わり。
別れたくないのは翔子で、俺じゃない。
いつもより強い視線で翔子を睨むと、悲しそうに目をそらした。
それでいい。戻ってこい。
「先に行って待ってるね」
だがこの翔子は今まで見たことのない頑固さで水森から離れていく。
暗い空間に、時々ふっと人が現れて川のほうへ進んでいく。岸の向こうには誰も見えない。
これはいつもの夢ではない。
「なるほどね…」
この世とあの世の、本当の別れの場だと無理やり理解した。
「これで最後なら今まで言いたかった事を言ってやる。死ぬまで小泉翔に戻らなかったようで可哀想だな。自分を狂わせた相手を好きになるなんて馬鹿な奴だとずっと思ってた。好き?愛してる?笑わせんな。俺はお前が小泉翔に戻らないよう暗示かけて求められた人間を演じていただけさ。妻と子どもを捨ててもな」
言いながら自分のセリフが支離滅裂なのを自覚する。
妻子を捨ててまでやることか?口封じだけならほかにも方法があっただろう。
翔子は微笑を浮かべたまま黙って独白を聞いていた。
「お前が弱いから悪いんだ。人格変えて俺にすがってきて何がしたかったのかわからないが、人の人生を背負うのはもう限界だよ。翔子の事は好きだけど、小泉翔に戻ってほしいと思ったこともある。俺の罪が暴露されてもそのほうが気が楽だ。翔子を失うのは寂しいけどな…。はは…、俺は何言ってんだろう……」
小泉翔が悪いんじゃない。
「…俺が悪かった」
水森はその場に崩れ落ちる。今さら罪の告白に翔子は何も言わない。
完全に小泉翔は消えてしまって、翔子しか存在しないのなら、水森が言っている意味を理解できないのかもしれない。
「言ってることわかるかな翔子」
優しい口調に戻って水森はたずねてみた。
「むずかしくてよくわかんない」
まあそうだろうなと思っていると、翔子は同じ高さに膝立ちして水森の肩に手をまわして抱きついた。
「わかんないけど翔子はセンパイのぜんぶが大好き」
俺のどこが好き?と聞くといつもぜんぶ好きと答える。
「全部…飲み込まなくていいよ…俺は、お前を壊した悪い奴なんだ…。でも翔子を失うのが怖かったから……嘘ついてた…」
人生が終わる前に、翔子の理想を演じていただけの自分を許してもらいたかった。
翔子に抱きしめられている力が強くなった気がする。
ふたりで一緒に偽物の人生のまま消えていくなら、それもいいのかもしれないと思って水森は翔子に体重を預けて目を閉じた。
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