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痴話喧嘩
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コンビニで弁当と飲み物を買って佐伯はアパートに戻る。
エアコンをつけっぱなしで出かけたので室内は涼しいが、外の熱気で疲れが体を襲う。
とりあえず腹ごしらえしようと座った時、玄関のドアが激しく叩かれた。
こんな時間に誰だよと少し苛立ちながらドアスコープを覗くと長谷川が可愛がっていた土屋透の姿が見えた。
何かが飛び散ったような模様のプリントTシャツにジーンズ姿で、全身から怒りのオーラを放っている。こいつさえいなければ物事はもっと緩やかに進んだと思うと怒りしか沸かない。
「おい開けろ!いるのはわかってんだよ!」
狭くて壁の薄いアパートに土屋の怒声が響く。
「いきなり来て何だ」
鍵をかけたままドア越しに応答した。
「ここは長谷川さんのものだろ!早く出てけ!!」
「引越し先は決めた。近いうちに出るから大きな声を出すな」
空腹で機嫌が悪いときにやってきた迷惑な人間に、佐伯も言い方がキツくなる。
「ふざけんな今すぐ出てけ!お前のせいでみんな迷惑してんだよ。何をぬけぬけとここに住んでんだ!」
「わかってるよ、明日出る!」
頼むから静かにしてくれないかな。警察を呼ぶとまた長時間拘束されるのがしんどい。
「とにかく明日には退去するから今日は帰って」
こんな時は後藤に泣きつくのが早いと思ってスマホを握るが、忙しそうな彼を何度も呼ぶのは気が引ける。
「ドア開けて顔見せろ臆病者が!」
「近所迷惑だから帰れ」
「お前のせいで全部壊れたんじゃねえか!出てこい!!」
「知らねえしっ!」
土屋は帰りそうにない。むしろヒートアップしている。
やっぱり警察を呼ぼうとスマホの画面を見た時、外で声がした。
「すみません、管理会社の者です。ここで騒いでいる人がいると住人の方から連絡がありまして」
冷静な西田の声が聞こえた。誰かが通報してくれたらしい。
ここも彼が勤める会社の管轄だったのか、偶然は怖い。
改めてスコープを覗くとグレーのスーツ姿の西田と警備会社の人間が立っていた。
体感的には土屋が現れてそう時間はたってないように思えたが、西田が来たということはけっこう長い時間言い争っていたようだった。
「こちらにお住みの方に何かご用ですか?」
慇懃な言い方だが有無を言わせぬ迫力がある。
「ふざけんな、お前らには関係ないだろう」
それでも土屋はいきなり現れた大人に向かって吠えている。
「どういったご用件ですか?」
スコープ越しに西田と目が合った気がした。
悔しそうな顔で土屋がドアを睨んでくる。
一歩後退してこの場から離れようとすると、警備会社の人間が彼を取り押さえた。
「ちょっと…っ、何すんだ離せよ!」
「お話だけ聞かせて下さい」
有無を言わせぬ声で土屋が連行されていく。
姿が見えなくなった頃、佐伯は玄関のドアを開けた。
「あの子誰?」
「元同僚。長谷川の店の店長のひとり」
「ああ…なるほど」
裏事情を知っているのか西田はひとり納得して頷いている。
「今すぐ引っ越せないですか?」
また来るかもしれないと思うと煩わしい。
「まだ電気ガス水道来てないよ。ここにいるのが嫌ならビジネスホテルか漫画喫茶にでも逃げる?」
「そう…ですか…」
「今夜はもう来ないでしょ。明日すぐ移動すれば」
「生活に必要なもの全部揃ってから引っ越そうと思ってたのに」
「何が必要なの?」
「全部。ここにあるのは全部長谷川のもので俺の荷物は何もない」
「それを俺が買うわけか…財布が痛い…」
西田は苦笑いをしながら頭をかいている。
後藤が初期費用も払えっと言っていたことを思い出した。
「今夜のホテル代出すからどこかに泊まって」
「…いいです。ここでおとなしく寝ます。もしまた土屋が来たら今度こそ警察呼びます」
「俺が休みの日に鍵渡して、一緒に買い物行こうと思ってたんだけど急いだほうがいいな」
「なんかすいません」
よく考えたら謝る必要はない。慰謝料がわりに金を出すという後藤が提示した手打ちの条件を西田は自分の意思で選んだだけだ。
「何かの縁だしつきあうよ」
佐伯の全身を舐めるように見て西田が笑う。
どこかで同じ笑顔を見た。
第二の黒部がいる。佐伯は背筋に冷たいものを感じた。
だけど俺は今までの俺とは違う。
誰にも感情を動かさないし、長谷川への想いも後藤の反則で消え失せた。
むしろ体に残るのはその反則だった。
あんな気持ちいい事はもうないと思うと余計欲しくなる。
「…佐伯くん?」
西田の言葉に我に返った。黙り込んだ佐伯を心配そうに見ている視線が痛い。
「じゃあ、俺はまだ仕事中だから戻るね」
「すいませんでした」
警備員が去っていったのと同じ方向に向かって西田が歩いていく。
迷惑をこうむった側なのに頭を下げなければいけない理不尽さに納得いかない気分になったが、面倒なことを避けるには頭を下げるのが手っ取り早い。
どうも西田は自分の体目当てのようだった。
後藤が『体の相性がよくて離れられない人間もいる』と言っていたように、今度は西田に追われるのだろうか。
何かの因縁のようで気味が悪かった。
後藤のスマホのディスプレイが光る。
「もしもし」
裸の体にバスタオルをかけて、下は部屋着のジャージを履いてソファに座る。
「そういうのは遠慮なく俺に連絡くれれば行くのに」
寝室のドアが静かに開いて水森が出てきた。
「警備も兼ねているストーカー対策に長けた会社を立ち上げたいと思ってたからいい肩慣らしになったのにな。土屋って奴マークしておいたほうがいいぞ。若いし何度でも来る可能性ある。とりあえず早く引っ越して様子を見ろ」
ソファに座る後藤の後ろ姿を眺めながら、何の話だろうと水森は首をかしげて壁にもたれた。
後藤の私服だろうか大きめのTシャツに同じようなジャージを履かされて横になっていたが、動けそうなので部屋から出てみた。
「セキュリティがもっとしっかりした物件にしたほうがよかったなあ。お前の負担は大きくなるけどな、はは」
この男はいつも誰かと電話で話している。それだけ陳情が多いのだろう。別に新事業を立ち上げなくても人脈で食っていけそうなのに何故か焦っている。
「お前は隠れておけ」
長々と話してから、後ろに立っている水森に向かって背中越しに話しかけてきた。
「佐伯はまだ学生時代の復讐を諦めていないかもしれない。保留にしておけとは言ったが素直に聞くかどうか」
「別に殺されてもいいですけど」
「まあそんな死に急ぐことはないだろう」
物騒なやり取りだが、顔が見えない男の声は弱々しく寂しそうだった。
エアコンをつけっぱなしで出かけたので室内は涼しいが、外の熱気で疲れが体を襲う。
とりあえず腹ごしらえしようと座った時、玄関のドアが激しく叩かれた。
こんな時間に誰だよと少し苛立ちながらドアスコープを覗くと長谷川が可愛がっていた土屋透の姿が見えた。
何かが飛び散ったような模様のプリントTシャツにジーンズ姿で、全身から怒りのオーラを放っている。こいつさえいなければ物事はもっと緩やかに進んだと思うと怒りしか沸かない。
「おい開けろ!いるのはわかってんだよ!」
狭くて壁の薄いアパートに土屋の怒声が響く。
「いきなり来て何だ」
鍵をかけたままドア越しに応答した。
「ここは長谷川さんのものだろ!早く出てけ!!」
「引越し先は決めた。近いうちに出るから大きな声を出すな」
空腹で機嫌が悪いときにやってきた迷惑な人間に、佐伯も言い方がキツくなる。
「ふざけんな今すぐ出てけ!お前のせいでみんな迷惑してんだよ。何をぬけぬけとここに住んでんだ!」
「わかってるよ、明日出る!」
頼むから静かにしてくれないかな。警察を呼ぶとまた長時間拘束されるのがしんどい。
「とにかく明日には退去するから今日は帰って」
こんな時は後藤に泣きつくのが早いと思ってスマホを握るが、忙しそうな彼を何度も呼ぶのは気が引ける。
「ドア開けて顔見せろ臆病者が!」
「近所迷惑だから帰れ」
「お前のせいで全部壊れたんじゃねえか!出てこい!!」
「知らねえしっ!」
土屋は帰りそうにない。むしろヒートアップしている。
やっぱり警察を呼ぼうとスマホの画面を見た時、外で声がした。
「すみません、管理会社の者です。ここで騒いでいる人がいると住人の方から連絡がありまして」
冷静な西田の声が聞こえた。誰かが通報してくれたらしい。
ここも彼が勤める会社の管轄だったのか、偶然は怖い。
改めてスコープを覗くとグレーのスーツ姿の西田と警備会社の人間が立っていた。
体感的には土屋が現れてそう時間はたってないように思えたが、西田が来たということはけっこう長い時間言い争っていたようだった。
「こちらにお住みの方に何かご用ですか?」
慇懃な言い方だが有無を言わせぬ迫力がある。
「ふざけんな、お前らには関係ないだろう」
それでも土屋はいきなり現れた大人に向かって吠えている。
「どういったご用件ですか?」
スコープ越しに西田と目が合った気がした。
悔しそうな顔で土屋がドアを睨んでくる。
一歩後退してこの場から離れようとすると、警備会社の人間が彼を取り押さえた。
「ちょっと…っ、何すんだ離せよ!」
「お話だけ聞かせて下さい」
有無を言わせぬ声で土屋が連行されていく。
姿が見えなくなった頃、佐伯は玄関のドアを開けた。
「あの子誰?」
「元同僚。長谷川の店の店長のひとり」
「ああ…なるほど」
裏事情を知っているのか西田はひとり納得して頷いている。
「今すぐ引っ越せないですか?」
また来るかもしれないと思うと煩わしい。
「まだ電気ガス水道来てないよ。ここにいるのが嫌ならビジネスホテルか漫画喫茶にでも逃げる?」
「そう…ですか…」
「今夜はもう来ないでしょ。明日すぐ移動すれば」
「生活に必要なもの全部揃ってから引っ越そうと思ってたのに」
「何が必要なの?」
「全部。ここにあるのは全部長谷川のもので俺の荷物は何もない」
「それを俺が買うわけか…財布が痛い…」
西田は苦笑いをしながら頭をかいている。
後藤が初期費用も払えっと言っていたことを思い出した。
「今夜のホテル代出すからどこかに泊まって」
「…いいです。ここでおとなしく寝ます。もしまた土屋が来たら今度こそ警察呼びます」
「俺が休みの日に鍵渡して、一緒に買い物行こうと思ってたんだけど急いだほうがいいな」
「なんかすいません」
よく考えたら謝る必要はない。慰謝料がわりに金を出すという後藤が提示した手打ちの条件を西田は自分の意思で選んだだけだ。
「何かの縁だしつきあうよ」
佐伯の全身を舐めるように見て西田が笑う。
どこかで同じ笑顔を見た。
第二の黒部がいる。佐伯は背筋に冷たいものを感じた。
だけど俺は今までの俺とは違う。
誰にも感情を動かさないし、長谷川への想いも後藤の反則で消え失せた。
むしろ体に残るのはその反則だった。
あんな気持ちいい事はもうないと思うと余計欲しくなる。
「…佐伯くん?」
西田の言葉に我に返った。黙り込んだ佐伯を心配そうに見ている視線が痛い。
「じゃあ、俺はまだ仕事中だから戻るね」
「すいませんでした」
警備員が去っていったのと同じ方向に向かって西田が歩いていく。
迷惑をこうむった側なのに頭を下げなければいけない理不尽さに納得いかない気分になったが、面倒なことを避けるには頭を下げるのが手っ取り早い。
どうも西田は自分の体目当てのようだった。
後藤が『体の相性がよくて離れられない人間もいる』と言っていたように、今度は西田に追われるのだろうか。
何かの因縁のようで気味が悪かった。
後藤のスマホのディスプレイが光る。
「もしもし」
裸の体にバスタオルをかけて、下は部屋着のジャージを履いてソファに座る。
「そういうのは遠慮なく俺に連絡くれれば行くのに」
寝室のドアが静かに開いて水森が出てきた。
「警備も兼ねているストーカー対策に長けた会社を立ち上げたいと思ってたからいい肩慣らしになったのにな。土屋って奴マークしておいたほうがいいぞ。若いし何度でも来る可能性ある。とりあえず早く引っ越して様子を見ろ」
ソファに座る後藤の後ろ姿を眺めながら、何の話だろうと水森は首をかしげて壁にもたれた。
後藤の私服だろうか大きめのTシャツに同じようなジャージを履かされて横になっていたが、動けそうなので部屋から出てみた。
「セキュリティがもっとしっかりした物件にしたほうがよかったなあ。お前の負担は大きくなるけどな、はは」
この男はいつも誰かと電話で話している。それだけ陳情が多いのだろう。別に新事業を立ち上げなくても人脈で食っていけそうなのに何故か焦っている。
「お前は隠れておけ」
長々と話してから、後ろに立っている水森に向かって背中越しに話しかけてきた。
「佐伯はまだ学生時代の復讐を諦めていないかもしれない。保留にしておけとは言ったが素直に聞くかどうか」
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