貴方のそば

希京

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最初はほんの少しの罪悪感だけだった。
涼真は俺のことをどう思っているのだろう。
俺の愛人。生活費を出している保護者。再就職先が見つかるまでのつなぎ。そのために媚を売って体を差し出して金を稼いで。

「そうですか…」
不採用の電話は俺がした。採用するつもりだった人事担当者に散々文句を言われたが、彼が会社にいたら気になって仕事にならない。
「お詫びといっては何だけど、時間あるかな」
せめて食事でもと思って誘ってみたが「しばらく就活するので」とあっさり断られた。
しつこいと思ったが次の日の夜も電話をかけた。今度は涼真は会う約束をしてくれた。
リクルートスーツとは違う、少しカジュアルなスーツを着て、待ち合わせたコーヒーショップに彼はぽつんとひとり座っていた。

俺を見つけたとき、嬉しそうに見えたのは勘違いだっただろうか。
「会社の偉い人がこんな早い時間に大丈夫ですか?」
早いといっても日が沈んで随分たっていた。
「仕事なんか部下がやるよ」
スプリングコートを脱いで椅子の背に無造作にかけて座る。
「悪い男」
涼真はその細い指で俺の胸を軽く突いて意地悪そうに笑った。
見えない杭が、俺の胸を刺した。

「仕事は決まった?」
「まだですよ。貯金が少しあるので焦ってはいないですけど」
「俺が援助する。君を不採用にしたのは俺だ。責任は取る」
不採用、その言葉に涼真の片目がぴくりと動いた。
「採用されなかった理由を聞いてもいいですか?」
「……」
長い沈黙が続く。答えが引き出せないと諦めたのか、涼真はストローを噛んで視線をそらせた。
「好きになった人とは距離を取るようにしている」
勇気を出して絞り出した俺の言葉に、涼真はぽかんと口を開いたまましばらく動かなかった。多分脳内で納得できる理由を探していたんだと思う。

「あ…、そういうこと…ですか……」
「軽蔑した?」
「元カレに似てたから残念だとは思ってた。またフラれたーと思った」
透明な胸の杭が深く刺さった。

「涼真くん。前の男の残り香がある部屋なんか引っ越せ。資金は全部俺が出す」
嫉妬の念が渦巻いて俺は一気にまくしたてた。
「勝手に名前で呼ばないでくれます?それは恋人の特権です」
テーブルに頬杖をついている涼真に軽く睨まれた。
「すまない…」
「今からは呼んでいいですよ」
涼真はそう言って微笑を浮かべた。

贅沢に興味はないらしく、学生の一人暮らしの延長のような狭いマンションばかり選ぶ。
「俺が泊まれないから駐車場がある所と、大きなベッドが置ける部屋にしてくれよ」
耳元で小さく囁くと「泊まるの?」と不思議そうに聞き返してきた。
「当たり前だろう」
嫌そうに聞いてきたわりに、泊まるというと嬉しそうな顔をする。

「あんまり家賃が高い所だと、自分で生活するようになった時キツくなるなあ」
「何言ってるんだ?」
「まあその時になったら引っ越せばいいだけなんだけどね」
そんな日は来ない。お前が俺を捨てない限り。

涼真はたまに俺を不安にさせる言葉を口にする。その度に胸の杭が痛む。
念の為身辺調査をさせたが、大学卒業後一度就職したがアメリカに短期留学のため退職。履歴書に書かれたとおりで不審な点はなかった。家の事情で帰国して現在再就職のために仕事を探しているという。

「俺飽きっぽいし、気まぐれなんで」
仕事を辞めた事と留学した理由を聞くと、無邪気な笑顔でそう答えた。
いつか俺も涼真の気まぐれで飽きれれるのだろうか。
そんな俺の不安を知ってか知らずか、彼は今俺のそばで笑っている。

なんとなく昔のことを思い出していたら酔いもさめて眠れなくなった。
シャワーでも浴びようと起き上がったとき、寝起きの悪い涼真が珍しく目をさました。
「まだ帰らないで…」
もしかして眠っていなかったのかもしれない。

「シャワー浴びるだけだ。今日はもう動きたくない」
「俺も一緒に。せっかくだしお湯につかろうよ。時間があるうちに」
「時間があるうちに?無くなる時があるのか」
「まだ朝まで時間あるから。あなたも帰らないっていうし。いいでしょ?」
別れを予感させるような言葉を口にする涼真にいつも不安を煽られる。特に意味はないはずだ。気持ちを切り替えて立ち上がった。

湯を張るためにバスルームに向かった榊の背中を見ながら、涼真は腕時計に仕込んだカメラで試作品を撮影した。
そのデータをすぐ上司には送らず、しばらく寝転んでバスルームのほうを眺めていた。



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