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第一話
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金曜の18時。
パソコンの時計を秒単位で確認し、定時丁度に退勤をタイムスタンプを押す。
「お疲れ様でした」
小さいけれど、周囲の人にはしっかりと聞こえる声であいさつして職場を出る。
秋の終わりの空は既に暗く、どこかもの悲しささえ感じる。
(…早く帰ろう)
道行く人並みに紛れ、私は家路を急いだ。
駅前のスーパーで買い込んだ食材を手にアパートへ向かう。
駅から徒歩10分、家賃6万円の小さなアパート。
ワンルームだけどロフト付きというところに惹かれた、
案外使い勝手は良くて、何より周囲が静かなところが気に入っていた。
そんな閑静な住宅地。
もう少しで我が家というところで、私は自分の目を疑った。
(…えっ、人…!?)
道路脇の電柱にぐったりと寄りかかるようにして、そこに座っていた。
いや、座っていたというより、寝ている…?
とにかく意識はないようで、私は思わずその場で立ちすくみ、誰か他に人はいないかと辺りを見回した。
けれど夕食時を過ぎた住宅街に人通りはない。
さすが、静かという点が取り柄なだけはある。
(…死んでたらどうしよう)
一瞬で最悪の事態まで想定する。
仕事でミスをした時のリカバリー術なわけだが、こんなところで発揮したくはない。
(警察に連絡…?いやでもその前に救急車…?)
いっそ両方呼んでしまおうかとも思ったが、後から不要だったと分かれば多方面に迷惑をかけることになる。
そして私は、あいにくどちらも呼んだ経験はない。
(ど、どうしたらいいんだこれ…)
とりあえず近づいて声を掛けるべきなのは分かる。
けれど、あまりのことに足がすくんで動かない。
(…でも私が何かしないと、この人本当に死んじゃうかも…)
季節的にはまだ秋とは言っても、毛布もなく外で一晩過ごすのはあまりにも無謀だ。
私は意を決して、まだぴくりとも動かないその人に近づいた。
「あの…、大丈夫ですか?」
震える声。返事はない。
声が小さすぎたか、それとももっと近づくべきか…。
迷いながらも一歩、そしてもう一歩と、少しずつ近づきながら声をかける。
「…あ、あのっ…!」
「…んっ、…」
「!?」
(気が付いた…!?)
こちらの呼びかけに、長い前髪に隠れた瞼がぴくりと動いたような気がして、その人のそばへ駆け寄った。
「大丈夫ですか…?」
肩を叩き、揺れた前髪の隙間から、その表情を確認する。
重そうな瞼をゆっくりと開かれる。
(…ん?こども…?)
16歳…、いや18歳くらいかもしれない。
けれど自分より年下であることは間違いないと思った。
「…、ここ、どこ…?」
「どこって、音塚駅の近くだけど…」
「おと、づか…?」
聞いたことない、というように首を傾げる彼。
「そっか…、僕、知らない所に来ちゃったのか」
「来ちゃったって、ここまで自分で来たんじゃないの?」
「う~ん…、多分そうだけど、あんまりよく覚えてなくて」
「覚えてないって、もしかして記憶喪失…!?」
「喪失、って言われると少し違うかも。ちゃんと引き出せば出てくると思うし」
「…?」
『引き出す』という単語に、私は少しだけ違和感を覚えたけれど、あまり深く考える余裕はない。
(っていうか、いい加減この子どこかに動かさない…!)
「…っていうか君、まだ子供だよね?記憶喪失じゃないなら家の場所は?それと、連絡先分かるものある?」
「家…、あるにはあるけど、連絡先かぁ…」
「かぁ~、じゃなくて。もしかして家出してきたの?」
「…ごめん、よくわからないや」
「わからないって…、はぁ~…」
「ごめんなさい、お姉さん」
そう謝る彼は、申し訳なさそうにしながらも、本当のことを言っているようには思えなかった。
騙されているのか、はぐらかされているというか、今の私には判断がつかない。
ただ、もう彼を放ってはおけないと思った。
ごめん、と困ったように笑いながら謝る彼は、外見の割りにずっと大人びた表情をしているように見えた。
彼に何があったのかは分からないけれど、今までもこうしてきたのかもしれない。
本当の気持ちを隠しながら、大人に混ざって、大人のふりをして。
可愛いとか、母性だとか、そういうのとは少し違う気もしたけれど。
とりあえず、理由なんてどうでもいいと思った。
「…まぁいいや、とりあえずうちにおいで?一晩ぐらいなら泊めてあげるから」
「えっ、いいの…?」
「いいも何も、行くところないんでしょ?あるならそこまで送ってけど」
「…ない、です…」
「でしょ?なら泊ってって。私んち、すぐそこだから」
彼の手を取り、ゆっくりとその場から立ち上がらせた。
すると、今度は私の方が彼を見上げる立場になった。
(…あれ、意外と大きい)
顔を上げて、彼と目線を合わせる。
すらりと伸びた手足に、明るめの茶髪。
瞳は、黒よりもグレーに近かった。
「それ、持つよ」
「へっ?」
さっと差し出された手に、思わず持っていたビニール袋を2つとも渡してしまう。
「そんな、大丈夫だよ?家、すぐそこだし」
「いいから。助けてくれたお礼…って、これじゃ足りないだろうけど」
「…なら、お言葉に甘えて」
「どういたしまして。…って、これは本当はお姉さんのセリフか」
そう言って笑う彼の顔は、今度こそ年相応の可愛らしい笑顔に見えた。
その表情に、私も思わず口元が緩む。
(お姉さん、か…。…ん?)
そう呼ばれて、私は大事なことを聞き忘れていたことに気付いた。
「ねぇ、君、名前は?」
「…あぁ、そういうえばまだ言ってなかったっけ。僕はカナ。お姉さんは?」
「私は麻衣。とりあえず一晩、よろしくね」
「うん、こちらこそ、よろしくお願いします」
そうして、私とカナくんとの奇妙な同居生活が始まったのだった。
パソコンの時計を秒単位で確認し、定時丁度に退勤をタイムスタンプを押す。
「お疲れ様でした」
小さいけれど、周囲の人にはしっかりと聞こえる声であいさつして職場を出る。
秋の終わりの空は既に暗く、どこかもの悲しささえ感じる。
(…早く帰ろう)
道行く人並みに紛れ、私は家路を急いだ。
駅前のスーパーで買い込んだ食材を手にアパートへ向かう。
駅から徒歩10分、家賃6万円の小さなアパート。
ワンルームだけどロフト付きというところに惹かれた、
案外使い勝手は良くて、何より周囲が静かなところが気に入っていた。
そんな閑静な住宅地。
もう少しで我が家というところで、私は自分の目を疑った。
(…えっ、人…!?)
道路脇の電柱にぐったりと寄りかかるようにして、そこに座っていた。
いや、座っていたというより、寝ている…?
とにかく意識はないようで、私は思わずその場で立ちすくみ、誰か他に人はいないかと辺りを見回した。
けれど夕食時を過ぎた住宅街に人通りはない。
さすが、静かという点が取り柄なだけはある。
(…死んでたらどうしよう)
一瞬で最悪の事態まで想定する。
仕事でミスをした時のリカバリー術なわけだが、こんなところで発揮したくはない。
(警察に連絡…?いやでもその前に救急車…?)
いっそ両方呼んでしまおうかとも思ったが、後から不要だったと分かれば多方面に迷惑をかけることになる。
そして私は、あいにくどちらも呼んだ経験はない。
(ど、どうしたらいいんだこれ…)
とりあえず近づいて声を掛けるべきなのは分かる。
けれど、あまりのことに足がすくんで動かない。
(…でも私が何かしないと、この人本当に死んじゃうかも…)
季節的にはまだ秋とは言っても、毛布もなく外で一晩過ごすのはあまりにも無謀だ。
私は意を決して、まだぴくりとも動かないその人に近づいた。
「あの…、大丈夫ですか?」
震える声。返事はない。
声が小さすぎたか、それとももっと近づくべきか…。
迷いながらも一歩、そしてもう一歩と、少しずつ近づきながら声をかける。
「…あ、あのっ…!」
「…んっ、…」
「!?」
(気が付いた…!?)
こちらの呼びかけに、長い前髪に隠れた瞼がぴくりと動いたような気がして、その人のそばへ駆け寄った。
「大丈夫ですか…?」
肩を叩き、揺れた前髪の隙間から、その表情を確認する。
重そうな瞼をゆっくりと開かれる。
(…ん?こども…?)
16歳…、いや18歳くらいかもしれない。
けれど自分より年下であることは間違いないと思った。
「…、ここ、どこ…?」
「どこって、音塚駅の近くだけど…」
「おと、づか…?」
聞いたことない、というように首を傾げる彼。
「そっか…、僕、知らない所に来ちゃったのか」
「来ちゃったって、ここまで自分で来たんじゃないの?」
「う~ん…、多分そうだけど、あんまりよく覚えてなくて」
「覚えてないって、もしかして記憶喪失…!?」
「喪失、って言われると少し違うかも。ちゃんと引き出せば出てくると思うし」
「…?」
『引き出す』という単語に、私は少しだけ違和感を覚えたけれど、あまり深く考える余裕はない。
(っていうか、いい加減この子どこかに動かさない…!)
「…っていうか君、まだ子供だよね?記憶喪失じゃないなら家の場所は?それと、連絡先分かるものある?」
「家…、あるにはあるけど、連絡先かぁ…」
「かぁ~、じゃなくて。もしかして家出してきたの?」
「…ごめん、よくわからないや」
「わからないって…、はぁ~…」
「ごめんなさい、お姉さん」
そう謝る彼は、申し訳なさそうにしながらも、本当のことを言っているようには思えなかった。
騙されているのか、はぐらかされているというか、今の私には判断がつかない。
ただ、もう彼を放ってはおけないと思った。
ごめん、と困ったように笑いながら謝る彼は、外見の割りにずっと大人びた表情をしているように見えた。
彼に何があったのかは分からないけれど、今までもこうしてきたのかもしれない。
本当の気持ちを隠しながら、大人に混ざって、大人のふりをして。
可愛いとか、母性だとか、そういうのとは少し違う気もしたけれど。
とりあえず、理由なんてどうでもいいと思った。
「…まぁいいや、とりあえずうちにおいで?一晩ぐらいなら泊めてあげるから」
「えっ、いいの…?」
「いいも何も、行くところないんでしょ?あるならそこまで送ってけど」
「…ない、です…」
「でしょ?なら泊ってって。私んち、すぐそこだから」
彼の手を取り、ゆっくりとその場から立ち上がらせた。
すると、今度は私の方が彼を見上げる立場になった。
(…あれ、意外と大きい)
顔を上げて、彼と目線を合わせる。
すらりと伸びた手足に、明るめの茶髪。
瞳は、黒よりもグレーに近かった。
「それ、持つよ」
「へっ?」
さっと差し出された手に、思わず持っていたビニール袋を2つとも渡してしまう。
「そんな、大丈夫だよ?家、すぐそこだし」
「いいから。助けてくれたお礼…って、これじゃ足りないだろうけど」
「…なら、お言葉に甘えて」
「どういたしまして。…って、これは本当はお姉さんのセリフか」
そう言って笑う彼の顔は、今度こそ年相応の可愛らしい笑顔に見えた。
その表情に、私も思わず口元が緩む。
(お姉さん、か…。…ん?)
そう呼ばれて、私は大事なことを聞き忘れていたことに気付いた。
「ねぇ、君、名前は?」
「…あぁ、そういうえばまだ言ってなかったっけ。僕はカナ。お姉さんは?」
「私は麻衣。とりあえず一晩、よろしくね」
「うん、こちらこそ、よろしくお願いします」
そうして、私とカナくんとの奇妙な同居生活が始まったのだった。
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