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しおりを挟むリュゼラナに落ちる影が茜色から黒になった頃、ドアがノックされた。入室を許可したら、満面の笑みのソフィが現れた。
「こんばんは、奥様。さあ、準備をしましょう」
その一言で、彼女の仕事が始まった。
入浴からナイトウェア選び。テキパキと動く彼女に全部素直に任せ、あっという間に手入れまで終わった。
それが夜の始まりの合図だ。
ソフィに案内されて、私の部屋と主寝室を繋ぐドアの前に立っている。
口の中に溜まった唾を飲み込み、私は腹をくくりながらドアを開けようとした。
「奥様、信じてくださいとか、そんな無責任なことはいえないのですが」
「ソフィ?」
呼び止めたソフィは、一輪のリュゼラナを私に渡した。
あまりにも唐突で、唖然としながらそれを受け取った。
「ルカ坊ちゃまって他国では色んな噂が出回っていますし、本当に言葉が足りない上に、口を開けば失礼なことばっかりをいう方で男としてダメダメなんですが」
ソフィはリュゼラナを持つ私の手のひらを両手で包んだ。
「人としては、いい人なんですから」
ぎゅっと、彼女の手に力が入った。私を安心させるよう、自分の言葉を保証するように。
「奥様が、幸せでありますように」
祈りとも呼べる言葉だった。
まだ、あって間もなくなのに、その言葉から確かな温かさを感じる。
目の奥から溢れだしそうになったものを堪えて、なんとか笑顔を作って、頷いた。
「ありがとう、ソフィ。とても心強いわ」
「はい! 何かあったら私に教えてください。奥様のために、私が旦那様を懲らしめて差し上げましょう」
元気よく拳を作りながら右手をあげるソフィを見て、もう一度頷いた。
そして、覚悟を決めて、ドアを押した。
暖炉に火がついている。春と言っても、フルメニアよりも北にあるゼベランの夜は未だに冷えているからだろう。
部屋の中を見渡せば、どうやら彼はまだここにいなかった。
ため息を吐き、とりあえず窓際に置いてある椅子に座る。
彼がまだいないと分かった瞬間、安堵はした。だけど、同時にこの拷問がまだ続くのかと落胆するところもあった。
目を閉じて、深呼吸を繰り返す。
どんなに待ってても、彼は未だに来ていない。
もう一度大きなため息を吐いて、左手に収まっている青い花に視線を向けた。
(幸せ、か)
私の幸せって、なんだろうか。
二ヶ月前なら「ファルク様を支えられる立派な妃になること」と即答するだろうね。
だから、苦手な妃教育を受けても頑張れるし、辛くても我慢できた。だって、これは将来に繋がるからと分かっているから。彼の「ありがとう」は溢れるくらい私の心を満たす。
そうやって、彼の感情が私に向けられた瞬間は私の喜びだった。
愛してくれる家族と優しい婚約者に囲まれた日々がとても眩しい。
だから、あの日まで、私はちゃんと幸せなはずだった。大変なことも確かにあるけれど、幸せだった。
じゃあ、今の私にとって、幸せってなんだろう。
(私は――)
ガチャ。
その音は私の思考を中断した。
それに刺激されて、抑えた鼓動が再び鳴り出した。
そこから現れたのは、この部屋の主であるロートネジュ公爵だ。
彼はそのまま歩き、向こう側にある椅子に座った。
「待たせてすまない」
「いいえ、大丈夫です」
「そうか」
窓から月明かりが彼を照らし、彼は確かにこの次元で存在していることが浮き彫りになった。異様にこれから起きることが強調された気分になった。
無言を貫く彼に、私の緊張は高まるばかりだ。
それでも私は俯きたい気持ちに逆らって、背筋を伸ばして、姿勢を正す。
私は無知ではない。だが、これからどうすればいいのかがわからない。だから、目の前にいる彼に託すことにした。
「シエラ嬢」
「は、はい!」
少し気まずくなった頃合いに、彼はようやく口を開いた。
(ここから先が、怖い。でも……)
ようやく、この想いを完全に埋葬できる。
あの方が終止符を打ってくれない。だから、私自身がそれを打てばいい。
あの方への想い、あの方との想い出を全部全部、心の奥に固く仕舞い込む。
そうすると、この胸を苦しめる想いから解放される。
そう、目を閉じながら思ったのに。
だけど、彼の口から出た言葉は想定外なものだった。
「君に伝えたいことがある」
彼は温度を感じさせない声で告げた。
「俺は君を抱くつもりはない」
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