失われる未来を救けて

アホウドリ

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プロローグ

殺しの顛末

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「遂にここまで来た……」

 早鐘を打つ心臓を抑えるため、胸に手を当てて深呼吸をした。

 あの男を殺すため、様々な方法を考えてきた。まずは刺殺、撲殺、絞殺といった即座に思いつく方法を考えた。しかし、そのどれもが警察に逮捕される結末と思えた。

 あの男は過去に人を殺したことがある。しかし、逮捕されずのうのうと生き続けている。それにも関わらず、自分だけが殺人の罪を問われるというのは合点がいかない。

 相手を油断させ、不意を付き背中を一突き。刺殺について考えた。これはひと目で他殺とわかる。この時点で既に却下だ。それにこれは、衝動的な殺人でよく使われる手口であって、計画殺人で使うものではないであろう。

 金属バットやバールのような硬い物で頭を殴る。撲殺について考えた。これも刺殺同様ひと目で他殺とわかる。却下だ。

 相手の首にロープのような紐状のものを巻き付けて絞める。絞殺について考えた。これも索条痕や吉川線といった、絞殺特有の痕を誤魔化す工夫ができれば、首吊り自殺に見せられるかもしれない。しかし、自分は決して殺しのプロではない。あまり現実的ではないであろう。却下だ。

 そのとき一度、五里霧中となってしまった。

 そこでふと、あの男の私生活について考えた。あの男は酒を好んで飲んでおり、仕事終わりには必ずビールを嗜んでいた。そして、酔いやすい体質であった。缶ビールの半分を飲んだあたりになると、決まって耳と顔を真っ赤にさせ呂律の回らない状態になっていたのである。この体質を利用できるのではないかと思った。

 ここである殺害方法を思いついた。誰にでもできて、かつ自殺に見せられる方法を。

 あの男を殺す決意は堅い。


 玄関のドアを引いてみる。田舎だからということもあって、鍵はかかっていないみたいだ。しかし、このまま入り込むわけにもいかないだろう。怪しまれないよう呼び鈴を押した。
 
 数刻待つと、「はいはい」という声が聞こえた。家の中で床を大きく鳴らせ、忙しない足音でやってくる。玄関で靴を履く音が聞こえ、ドアが開いた。

「おーお前か。どうした? 何の連絡も寄越さないでからに」

 男のあまりの巨躯さに辟易し、思わず一歩下がってしまった。これから自分がすることを思うと、ますます息が上がってくる。男に緊張を悟られないよう、努めて冷静を心掛けて会話を続ける。

「あーうん。暇だったから、たまには良いかなーと思って来たんだ。そうそう、差し入れも持ってきたよ」

 そう言って焼酎を二本差し出す。

「おうおう気が利くなーさあさあ、上がってくれ」

「うん、それじゃあお言葉に甘えて」

 何の抵抗もなく家の中に連れられ、リビングの椅子に腰を据える。

「つまみとか用意してないけど、早速飲むかー」

 男は早速グラスを用意するため立ち上がり、食器棚から一つ取り出した。こちらにはペットボトルのお茶を差し出してくる。

「焼酎をジョッキで飲むっていうのも変だが、今日は特別だ。お前も飲むか?」

「いや、いいよ。だいたい、未成年だってことわかってるよね。お酒勧めないで。ほらほら、ジョッキ出して。注いであげるよ」

 そう言って、男の手からひったくるようにジョッキを取ると、焼酎をなみなみと注いだ。

「最近調子はどう? 元気してる?」

 相手に警戒を与えないためにも雑談を持ち掛ける。

「おう、元気だぞ。お前も元気か?」

 男はそう言いながらも、ジョッキ一杯に入った焼酎をちびちびと飲み始める。

「ほら、もっと飲みなよ」

 男のジョッキへと手を出し、少し強引に飲ませる。

「ちょ、ちょっと待て、自分で飲めるから」

 そして、男は先ほどと打って変わって一気に飲み干した。

「おー良い調子」

 そして、また一杯に注ぐ。

「お、今日は元気だなぁ。俺も気合入ってきたぞ」

 本調子が出てきたのか腕を捲り、気合を入れてまたぐいっと一気に飲む。

「もっと飲んでー」

 手をパチパチと叩いて飲酒を煽る。

 こうして十数分ほど、適当に話を合わせていった。

「それにしても、冬の山梨は寒いね。東京ももちろん寒いけど、隣り合わせなのに別世界みたいだよ。お風呂とか沸かしてない? 凍え死にそうだよ」

 まだ早いかもしれないが、早速犯行の準備を始めることにした。椅子を立ち上がり、風呂場へと行く。

 お湯を沸かし、数分待ってリビングへと戻った。

「あーもう酔ってきたなー」

 先ほどより顔を赤らめ、ふらふらとした口調ながら話し掛けてくる。どうやら焼酎を半分ほど空けたようだ。

「そっかそっか。でもまだ飲めるんじゃない?」

 そう言って、また焼酎をジョッキへなみなみと注ぎ、アルコールを呷らせる。

「よし! 今日は久しぶりにお前に会ったからな。泥のように酔い潰してやるぞ! 明日は日曜日だし、誰にも咎められんしな」

 そして、一杯の焼酎を一気飲みする。

「おーその意気その意気! もっともっと飲んで飲んでー」

 また焼酎をジョッキへなみなみと注ぐ。

「お、おう? 少し待ってくれな。少し休憩」

 男は一息ほっとつき、深呼吸をした。また一気飲みする。

「おー良いね。その調子だよ」

 そして、また焼酎をジョッキへなみなみと注ぐ。

「あーくらくらして来たなぁ……」

 そう言って、また一気飲みする。これで一本を飲み空けたようだ。

「あーもうだめだ、少し休憩……」

 男はそう言うと眠るようにテーブルへと項垂れた。

 数分ほど待ち、肩を揺らしてみる。起きる気配がないので、「おーい、寝たの?」と聞いて肩を叩く。それでも全くビクともせず、寝息を立てている。これでは梃子でも動かないだろう。

 これで良いはずだ。
 
 椅子から立ち上がり、男のそばへと立つ。

 椅子を目いっぱいに引いてみるが、少し動いただけだった。眠った人間はこんなにも重いのか。それでもめげず椅子を引き、男の両脇に手を差し、椅子から浮かして席を離れようとした。すると、勢い余って床に落としてしまった。

 焦って思わず、あっと大きな声を出してしまい、思わず口を手で塞いだ。それでも起きる気配を見せなかった。

 安心してほっと息を吐き、先ほどと同様引きずりながら運び出す。

 数分経っただろうか。時間を掛け、風呂場へと到着した。服を脱がし、洗濯機へと放り込む。そして、今回一番の力作業となるだろう、男をお姫様抱っこの形で持ち上げ、起こさないよう慎重に湯船の中へと入れる。これで完了だ。

 飲酒後すぐに高温の風呂に浸かると、急激な血圧の上昇により、脳梗塞や心筋梗塞、脳出血を起こす可能性があるそうだ。しかし、こういった偶然に任せても、四十代の人間が死に至るという確実性は低いだろう。

 十分ほど経った。すると男はうぅとうなり、苦しみだした。これではまずい。起きてしまうかもしれない。

「だ、大丈夫? 水持ってこようか?」

 声を掛けると、「持ってきてくれ」と小さく呻くような声を出す。

 急いでリビングへと戻り、置いてあった予備の新しい焼酎を風呂場へと持って行き、男に渡す。これほど酔っていれば水と勘違いするだろう。馬鹿なこの男のことだ、この予想はきっと当たる。
 
 そして、男は瓶口へと口を当て、吐き出すこともなく一気にごくごくと飲み始める。どうやら勘違いしたようだ。瓶の中身を一滴も残さず飲み切り、床に落とした。もがき苦しむようにうぅと声を出し、腕を空へと伸ばす。

 男はとうとう「助けてくれ」と声を出し、顔を湯船の端に置き、右腕を外に出したままの状態で力尽きたように気絶した。

 どうやら無駄に手こずってしまった。

 ひと仕事終えたこともあって、緊張が少しほぐれた。しかし、ここからが本番だ。さらなる緊張に備え、大きく深呼吸をする。そして、右ポケットに入ったカッターナイフを取り出す。

 お湯に浸かった男の左腕を取り出すと、手首に刃先を当てた。

 ここではなるべく出血量を多くするため、動脈に沿って縦に切る。血液を見ることに慣れていないため、あまりの惨さに目を背けながらも、男が起きださないよう慎重を期すことに心掛ける。

 それでもカッターナイフを持った手はプルプルと震えてしまい、心臓の動悸も止まらない。

 一旦、男の腕を浴槽のそばに置く。手の震えを抑えるため、空いた手で利き手を強く握った。

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 徐々に震えが収まってきたので、深く深く息を吸う。そして男の腕を再び持ち上げ、息を止めた。

 刃先に力を入れると、鮮やかな色をした血液がゆっくりと出始める。溢れて零れ落ちた血液は、無色透明なお湯をまるで煙のように赤く染めた。

 そうして、手首を縦一線に切り終えようとしたその瞬間、血がこちらの顔をめがけて噴き出してきた。勢い余ってしまった。シャワーヘッドを握り、水を出して顔を洗った。

 洗い終えると、水が男の顔めがけて出る位置にシャワーヘッドを固定した。

 手首を切っている間止めていた息を再開すると、肺は大量の空気を取り込もうとした。深く吸い込み過ぎたあまり、咳が出た。

 息を整え、男の腕を見ると、その間もどんどん血が溢れ出てきている。そして、この赤く染まった腕をお風呂の中に戻した。

 水の中において血液は固まらないため、お湯を鮮血で赤く染め続ける。既にお湯は真っ赤になっていた。

 そして、利き手に持ったカッターナイフに付着した指紋を服の袖で拭き取り、湯船から飛び出した男の右手に握らせた。

 ここまでの犯行中、この男の体に何度か触っている。正確に言うと、男を持ち上げたときに脇の下、同じく持ち上げて運ぶときに腕、脚、そして、カッターナイフで傷つけるときに手首。最近知ったのだが、どうやら人間の肌に触れた場合でも指紋は付着し、検出することができるようだ。

 指紋というものは、指の脂分が物に触れた際にできる跡のことだが、長時間水に触れていると徐々に浸透し、終いには消えるそうだ。つまりこの男を風呂の中に入れるという行為には、証拠隠滅の意味も含まれている。

 風呂場を見渡し、自分の頭髪が落ちていないかを確認してみる。おそらく大丈夫なはずだ。最後に、シャワーヘッドと焼酎の空き瓶に触れているはずなので、指紋を服の袖で拭き取った。

 ここまですれば十分だろう。

 男の顔に向き直った。

「さようなら、今までありがとう」

 そう言い残して風呂場を出た。

 家を退散するため、玄関へと向かう。

 その途中でふと、食器棚の上に置いてある電話機のそばにキーホルダーの付いた鍵を見つけた。鍵を見つめ、このキーホルダーをあげた過去がフラッシュバックのように蘇った。あの頃は楽しかった。しかし、あの頃にはもう戻れない。

 後悔の念が一瞬だけ過ぎる。こんなことを思ってはいけない。あの男は死んで然るべきことをしたのだ。首を振り、邪念を払う。鍵は元々掛かっていなかったため、手に取らず家を出る。

 去り際、ふと家の外観を眺めた。何度見ても大きな家だ。

「どうしてこうなってしまったんだ……」

 最後にそう呟き、この場を離れた。
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