名前を忘れた私が思い出す為には、彼らとの繋がりが必要だそうです

藤一

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正直に答えて貰えませんか?

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二人の間に微かな緊張が走る。立ち上がり掛けていたが、ミスティコさんの質問を無視する訳にも行かず、一旦腰を下ろす。気まずさから私はテーブルに視線を落とした。ミスティコさんがどんな表情をしているのかは分からないが、こちらを見ているのは分かる。じとりとした湿度の有る視線を感じる。
腰を下ろしたものの・・ど、どうしよう。

『・・幾度も身体を重ねたのに?』

・・何と答えれば良いんだろうか。嫌な汗がじわりと滲む。何を言っても墓穴を掘りそうな気がする。此処は聞こえなかった振りをして、話題を変えるしかない!そう決意した瞬間、ミスティコさんが口を開いた。

「・・疲れてますね」
「え」

私が顔を上げると、ミスティコさんは額に手を当てて溜息を吐いていた。

「・・自分が思っているよりも、疲れているようです」

そう言うと、ミスティコさんは大きい溜息を吐いて眼鏡を外した。そして学生が居眠りをするような体勢でテーブルに伏せてしまった。

「あ、あの、ミスティコさん・・大丈夫ですか?やっぱり部屋で休んだ方が・・」
「どうぞ、ご心配なく」

おろおろする私の言葉に、テーブルに伏せたままのミスティコさんが素っ気なく答える。こちらから見えるのは、灰色の髪だけで、彼の表情は窺えない。
ミスティコさんは今、何を考えているんだろう・・。あんな事を言ったのも「疲れの所為」なのかな・・?此処はそっとしておいた方が良い、と頭では分かっているが、放っておけなくてミスティコさんの方へ躊躇いがちに手を伸ばす。

「・・ねぇ、オト」

後、数センチでミスティコさんに届くという所で、私の名前が呼ばれた。慌てて手を引っ込める。

「な、なんでしょう?」
「疲れている男の戯言だと思って聞いて貰えませんか?」
「あ、は、はい・・」

私が頷きながら答えると、ミスティコさんが伏せたままポツリポツリ話し始めた。

「さっきは失礼な事を言いました。謝ります。すみません」
「あの、ミスティコさん。その、謝らなくても、大丈夫です。えっと、本当にお疲れなんですよね・・」

あの言葉がミスティコさんの言うように、疲れの所為で出て来た言葉なのか・・私には分からない。出来る限り明るく彼の謝罪に答えたつもりだが、重苦しくなっていた場の雰囲気を和ませる、とまでは行かず頭を抱えたくなる。
少しの沈黙の後、ミスティコさんが言葉を選びながら口を開いた。

「俺は、アルケーと違って、経験が豊富という、訳でも無いので男女の機微に関しては疎い、と言うか全く分かりません」
「・・」

うぅ、これは「そうですね」とも「そうですか」とも言えない。私は黙っている事しか出来ない。彼の様子を見詰めながら次の言葉を待つ。

「・・無自覚に貴女を責め立てたり、傷付けたりした事は?正直に答えて貰えませんか?」

まさかミスティコさんがこんな質問をするとは。彼の感情も質問した意図も分からない。

「な、無いです!そんな事無いので、安心して下さい!」

質問した彼は私が答えても反応は無い。私は何だか黙っていられなくて矢継ぎ早に話しを続ける。

「あの、正直に言います。何と言うか・・戸惑ったりする事は有ります。だけどミスティコさんが私を傷付けた事なんて無いので、その、安心して下さい。本当に。嘘じゃないです」

ミスティコさんは顔を伏せたままだ。私の気持ち、伝わったんだろうか。反応が無いと次に何と言ったら良いのか分からない。

「・・ミスティコさん・・」

向かい合う彼の名前を呼ぶ。その声色は、自分でも驚くほど弱々しい。まるで縋っているみたいだ。
私の声があまりにも情けなかったからか、ミスティコさんがゆっくりと顔を上げた。顔に掛かった髪を無造作に払う。彼の紫の瞳とやっと目が合った。その事にひどく安堵する。私の安堵とは対照的に、向かい合う彼は浮かない顔だ。気持ちを切り替える為なのか、ミスティコさんは大きく息を吐いた。

「・・オトに『傷付けた事はない』と言って貰えると、少し安心します。すみません、気持ちの悪い質問をしましたね」

硬い表情のまま、ミスティコさんはもう一度「すみません」と言い席を立つ。ガタンという音と共に立ち上がり、自室に引き上げようとする彼を急いで止める。

「あ、あの!ミスティコさん!ちょっと待って下さい!えっと・・言いたくなかったら言わなくても良いんですけど、その、何か有りました?」

私の言葉にミスティコさんの肩がぴくりと揺れ、目が僅かに泳ぐ。ミスティコさんは何かを言い掛けるが、そのまま言葉を呑み込む。こんな表情をされては、大人しくミスティコさんを自室に帰す訳にはいかない。

「無理強いはしませんけど、もう少し、私と話しませんか?」

ミスティコさんは一度目を伏せ、観念したように元の席に戻った。自分の隣の席の椅子をゆっくりと引く。

「・・オト、こちらへどうぞ」

向かい合っていた方がミスティコさんの様子が良く分かるんだけど、引き留めたのは自分だ。断るのも気が引けて大人しく彼の隣に移動する。
腰掛ける際に、ちらりとミスティコさんの横顔を観察した。何かに耐えているような、思い詰めているような・・そんな風に見える。
私が隣に座るとミスティコさんは顔をこちらに向け、視線を合わせ話し始めた。

「ご存じのように、オトのトマリギは、今進行中の手続きが済めば、正式に一人増えます。アルケーと第5王子、二人になります」
「そう、ですね」

私がこくり頷くと、ミスティコさんの表情が微かに強張った。

「・・その、二本目のトマリギの手続きをしていると・・こんな風にオトの周りにトマリギが少しずつ増えて・・いつか・・いや、近い未来・・オトに俺は必要無くなるんだろうか・・、とそんな事を考える瞬間が有って・・」

言い終えると、ミスティコさんは私から顔を背け俯いた。

「トマリギ選定を任されているのに、情けないんですが・・」

普段のミスティコさんは素っ気ないけれど、色々な経験、知識に裏打ちされた自信を感じさせる話し方をする。けれど、今の彼は違う。その声色、俯く直前の瞳は、ゆらゆら揺れて今にも消え入りそうな蝋燭の灯りを思い起させた。
ミスティコさんの『必要無くなる』という言葉は思った以上に重く、驚くと同時に胸がぎゅうと締め付けられる。

「あ、あの・・」

頭の中では言いたい事が色々有る。けれど、上手い言葉が見付からない。言葉に詰まる。隣に居る筈の彼が急に遠くに感じられ、私はミスティコさんのシャツの袖を掴んだ。

「必要無くなるとか・・無いです。それに情けなくないです。ミスティコさんが居ないと・・私、絶対に困ると思います。えっと、思うじゃなくて、困ります」

袖を掴む私の手にミスティコさんは、もう片方の自身の手を重ねた。

「・・奇遇ですね。俺も、オトが居ないと困ります」

その声はさっきよりも僅かだが落ち着いているような気がした。
多分、ミスティコさんは疲れ過ぎて、感情が不安定になっているだけだ。元の世界で私もそんな事が何度も有った。

「あの、ミスティコさん、私に、何か出来る事、有りますか?」
「・・オト」

ミスティコさんに名前を呼ばれ、視線を向けた瞬間、ぐっと腕を引かれ強く抱きしめられた。かなり強引に引っ張られたので、彼の胸の中へ倒れこむような体勢になる。慌てて離れようとするが、ミスティコさんの腕の力がぐっと強まり、シャツ越しに彼の体温と湿度がはっきり感じられ、息一つするのも躊躇われる。

「・・み、ミスティコさん・・」
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