名前を忘れた私が思い出す為には、彼らとの繋がりが必要だそうです

藤一

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朝を迎えても良い、と思っているか?

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テーブルの向こうのミスティコさんは苦虫を噛み潰したような表情だし、隣の王子は不穏なオーラを漂わせながら黙っている。静まり返ったリビングはとんでもなく居心地が悪い。エナさんは二人の様子は全く気にも留めず「あッ」と呟くと話を続ける。お願いだから黙って欲しい。

「勿論、僕との雛が一番嬉しいけど、ハルくんとの雛でも全然オッケーだよぉ♡僕、絶対に可愛がっちゃう♡」
「・・エナ・ガラノース、あまりオオトリを困らせるな」

限界を越えたのか王子が物凄く低い声でエナさんを咎める。私に向けられた言葉では無いのに、その声の圧力に私の肩が跳ね上がる。さすがのエナさんもばつが悪そうに、ほんの少しだけ縮こまり「ごめーん」と謝罪を口にする。ミスティコさんも眼鏡の奥からじろりとエナさんを睨んだ。

「エナ様、人を巻き込む様な妄想は口に出さない方が身の為ですよ」

ミスティコさんは冷たく言い放ちソファから立ち上がった。

「・・オオトリ様、今日の所は失礼させて貰いましょう」

不機嫌そうだとは思ったが「帰ろう」と言い出すとは。少し驚く。多分、王子もエナさんも私と同じ事を考えている筈だ。皆の視線が私に集まったのが分かった。私はミスティコさんの言葉に頷く事も立ち上がる事も出来ない。
ミスティコさんは私の事を思って提案してくれたんだろう。だが、この重苦しい雰囲気の中で「では、また今度」とあっさり帰ってしまったら、夕飯の時、夜寝る前、多分二度は後悔する。

王子から先代のオオトリとトマリギの話を聞いた時「私が消えてしまったら、私の事は忘れて欲しい」とお願いした。数年は消失しないと思うが、それは「今まで」であって確実ではない。もし、このまま元の世界に還ってしまう事が有ったら・・。王子の部屋から見えたあの温室を思い出す。オオトリが戻って来ると信じて待ち続けたトマリギが守り続けたあの温室の事を。
私は少し顔を上げ、ミスティコさんと視線を合わせる。

「あ、あの・・副司祭さん・・もうちょっと此処に居ても良いですか?」

私がそう言うと隣の王子が緊張が解けた時みたいに「ふっ」と息を吐いた。真逆なのがミスティコさんで、私の言葉に表情が強張る。私が「まだ此処に居たい」と言い出すとは思っていなかった様だ。胸の辺りに苦いものが広がる。

「あっ!本当にもうちょっとですよ?勿論、今日は神殿に帰りますよ!絶対に帰ります!」

苦いものを振り切る為に大げさに慌ててそう言うと王子が腕組みをしてどさりとソファに背を預けた。

「おい、帰る帰ると何回も言うな。そこの東の副司祭は喜んでも俺が傷付くだろう」

う、言われてみれば確かに。隣の王子に頭を下げる。

「・・す、すいません」

ミスティコさんにも「勝手言ってすいません」と謝ろうとしたが、私の言いたい事が分かったのかミスティコさんが少し手を上げ制した。どうやら、それ以上何も言うな、と言う事らしい。

「貴女はまだ此処に居たい、とそれが正直な気持ちなのでしょう?なら俺はそれに従うだけです」

事務的にそう言われチクリと痛みが走るが此処に居たいと言ったのは私だ。

「あ、えっと・・ま、まだ居ますけど、神殿には帰ります。それは約束します」

そうミスティコさんに伝えるとエナさんが「また『帰る』って言っちゃってるし」と茶化し、ミスティコさんと王子が同時にエナさんを睨む。エナさんは肩を竦めた。

「・・分かりました。オオトリ様がまだ残るのなら、俺は、今後の為に少しこの辺りを見て回ります。街中は不案内なので」
「それじゃあ、僕が副司祭さんを案内するよぉ。この辺りには詳しいし。フォスっちもその辺に居るんじゃないかなぁ」

エナさんが言うには、此処に入居したばかりなので、フォスさんはほとんどの時間を街中に出ているらしい。警備の為に周辺の地図を叩き込んでいる最中なのだそうだ。

「フォスっちは僕と違って仕事熱心だからさぁ。ホント尊敬しちゃう」
「お前だって仕事だけはきちんとこなすだろう」
「あは♡お褒めに預かり至極光栄♡」

エナさんは軽くそう言ったが、王子の言葉に満更でもなさそうだ。ミスティコさんを促すと、エナさんは奥に引っ込んだり、パタパタと慌ただしく出掛ける準備を始めた。

「えっとねぇ・・お昼までには戻って来るし、副司祭さんもこっちでお昼くらい食べて行けば?準備はエリヤさんにお願いしといたし。取り敢えずハルくんは家の中、案内してあげれば良いんじゃない?二人の愛の巣なんだしさぁ」

エナさんはミスティコさんに「それで文句無いでしょう?」と尋ねる。ミスティコさんは渋い表情と声色で答える。

「・・ご一緒いただかなくとも俺は一人で大丈夫なんですが」
「名門のお坊ちゃまに、入り組んだこの辺りを攻略出来るかなぁ?僕と一緒の方が良いと思うけどぉ」

ミスティコさんがぐっと黙ってしまう。あのミスティコさんが反論しない所を見ると「不案内」と言うのは、謙遜でも何でも無く本当の様だ。エナさんが「沈黙は了承と言う事で。交渉成立ね♡」と満足げに嗤う。

「僕はお坊ちゃまとデートして来るから、王子の事は頼んだよぉ」

エナさんがミスティコさんの腕を強引に引っ張る。ミスティコさんの紫の瞳が何か言いたげにこちらに向けられた。ミスティコさんの唇が動き掛けたが止まる。一呼吸置くとミスティコさんは王子に頭を下げた。

「・・オオトリ様の事、くれぐれも宜しくお願いします」

ミスティコさんの言葉にエナさんが「わぉ♡健気だねぇ」と大げさに声を上げ、王子とミスティコさんが同時にエナさんを物凄い目で睨む。うーん・・この光景、今日何度目だろう。

「あの・・気を付けて行ってらっしゃい」

私が小さく手を振ってそう言うと、エナさんもヒラヒラ手を振り返して「行って来まーす」と出て行った。ミスティコさんとエナさんが出掛けると王子と二人きりになってしまった。正確に言うとエリヤさんが居るから違うけど。
応接間が急に静まり返り何となく気まずい。私が話題を探していると隣の王子が立ち上がって、私の方へ手を差し出した。

「・・家の中、案内してやる。お前の家でもあるからな」

私は「・・お願いします」と言い、王子の手を取って立ち上がる。握られた手を見詰め考える。私、本当に「今日は帰りますね」と王子に言えるんだろうか?ミスティコさんに頼らず、自分の口ではっきり言わないといけない。あの一言多いエナさんが居ない、家の中を案内して貰っている時が一番のチャンスだろう。私が気合を入れ直していると、王子が顔を覗き込む。怪訝な表情だ。

「おい、お前、眉間に皺が寄ってるぞ。親鳥に似て来たんじゃないか?」
「え?えッ!本当ですか?」

き、気付かなかった!眉間に指を当て慌てていると、王子がくっくっと笑い出した。

「何を考えてるのか知らんが、後回しにしたらどうだ。まずは俺の方を優先しろ」

言葉は強引、俺様そのものだが、優しく手を引かれる。王子の言う通り考えるのは後回しだ。気分を切り替えて、王子に笑顔を向ける。

「・・そうですね。では、案内をお願いしても良いですか?」
「あぁ、勿論。俺のオオトリ」

王子が顔をほころばす。そうやって綺麗な顔をくしゃと崩されると・・胸が苦しくなって、どういう顔をすれば良いのか私の方が分からなくなる。

一階は、リビングの他に水回り関係、キッチンやお風呂が有って、エナさんが言ったようにフォスさんの部屋らしき扉も有った。エリヤさんは通いだから、自室みたいなのは無いそうだ。階段を上がると、二階には私と王子の部屋しかないと王子が教えてくれた。

王子の部屋まで入るつもりは無かったが「遠慮するな」と言われ、やや緊張しながらお邪魔した。
王子の寝室は、やはり広々としていた。くすんだ青色の壁にはライトの様な燭台がかけられていて、何と言うかクラシックで高級感が漂う。青色に合わせたベッド周りで、うちの寝室と色味が真逆だ。そして、隣の部屋つまり私の寝室(予定)とは扉で繋がっていた。所謂「コネクティングルーム」だ。隣同士なんだし、わざわざ扉付けなくても良かったのでは?と思ったが、王子からの質問で扉の理由が分かった。

「北のとは・・寝室も一緒なんだろう?」
「・・あ、えっと・・はい」

アルケーさんとの事を聞かれて気が付いた。王子は部屋を分けたくなかったんだろうな。でも、色々考えて私用の部屋を用意してくれたんだろう。

「・・寝る時も・・その、一緒なんだろうな・・」

独り言の様な尋ねている様な曖昧な感じで王子が言う。言葉の意味が「一緒に寝ている」なのか「身体の関係」なのか、それとももっと違う意味なのか分からないが、迷いながら答える。

「・・そう、ですね。北の副司祭さんは『トマリギ』ですから」
「・・お前は、俺と、朝を迎えても良い、と思っているのか?」
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