名前を忘れた私が思い出す為には、彼らとの繋がりが必要だそうです

藤一

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正確に言うと、嫉妬深い男の匂い

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ふと、人が動く気配に目を覚ます。慌てて周りを見るとアルケーさんがクローゼットの近くで髪を一つに括っていた。

「・・アルケーさん、おはようございます」
「あぁ、オト、おはようございます。起こしてしまいましたか?」

彼はそう言いながら鏡で、仕事に行く前の自分の姿を確認している様だ。私は横になったまま頭を振る。

「大丈夫です。それより、今日は・・その、お休みじゃないんですね」
「えぇ、心の狭い誰かさんが一日しか休みをくれなかったので」

私は苦笑いをする。昨日、と言うか今日の明け方近くまで起きてた筈なのにアルケーさんは普段と変わらない。

「あの、アルケーさん、えっと・・身体、疲れて、ませんか?」

私は普段使わない部分の筋肉を酷使した所為で、腰やら太ももの辺りに引きつったみたいな痛みを感じる。微妙に脚の間に違和感も有るし。二晩でこんな状態になるとは。運動不足が原因だとは思うが・・。私が満身創痍なのに、目の前のアルケーさんは至って何時も通り。私の質問にアルケーさんは首を傾げる。

「いえ、全然。・・むしろ、何時もより気分が良い位です。ふふ、オトには私が疲れている様に見えますか?」
「・・いいえ、全然全く・・。アルケーさんの身体が辛くないなら・・その、良かったです」

アルケーさんがくすりと笑う。何故だ。私から生気を吸い取ったみたいにアルケーさんの肌艶が良い。
アルケーさんはベッドに腰掛けると、横になっている私の頬に軽くキスをした。

「早めに出ますけど、その分、早く帰って来ますから。あぁ、オトの身体が辛いなら、食事を持って来ましょうか?」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。行ってらっしゃい」

本当は玄関でお見送りした方が良いんだろうけど・・素っ裸だし筋肉痛だし、と心の中で開き直る。

「はぁ、時間切れです。残念ですが、行って来ますね」

私がこくこく頷くと、アルケーさんは名残惜しそうな顔をしながら寝室から出て行った。
独りきりになった寝室で二度寝をしようかと思ったが、明日になればミスティコさんが帰って来る。出来たら、部屋はいつも通りの状態にしておきたい。私は「うぅ、よいしょ」と気合を入れて、午前中は家事に当てる事にした。

ランドリーにシーツやらを持って行ったり、浴室の掃除をしたり、午前中には大体の家事が終わった。軽く昼食を取って、午後はどうしようかと考える。運動不足だと言う事を文字通り痛い程、自覚したので取り敢えずに手始めに散歩から始めようか。王子のお城も大概広い。これから先、あの膨大な敷地を連れ回される可能性も無くはないし、乗馬の話題も出てた様な気がする。夜の為だけじゃなくて、今後の為に体力を付けといた方が良い。
気合を入れ直し、身支度を整え洗面所の鏡で最終確認をしていると玄関のドアがノックされた。「オト、ちょっと良いか?」と尋ねる声が聞こえる。この声、ミスティコさんだ。どうしたんだろう?確か、明日まで戻らないって言ってたと思うんだけど。不思議に思いながらドアノブに手を掛けるが、ドア1枚隔てたミスティコさんの様子に何故だか違和感を感じ、ノブから手を引っ込める。
なんか変だ。何時もの彼なら、ノックはする事は有っても「ちょっと良いか?」みたいな事は言わない。
・・もしかして何か有ったの?それとも誰かと一緒?開けない方が良い?最善が分からない。こんな時の為に非常時用の合言葉でも決めとけば良かった!

「ねぇねぇ、オトちゃーん。ドア開けてくれないかなぁ?お届け物なんだけどぉ?」

私がぐるぐる悩んでいると、ドアの向こうからミスティコさん以外の聞き覚えのある声した。この語尾が若干間延びした口調、お城で会ったガラノース家のエナさんだ。ど、どうして彼が此処に居るの?しかもお届け物って何?色々疑問は浮かぶが、此処で長考に入ったとしても正解は分からない。取り敢えず、ミスティコさんとエナさんがドアの外に居るのは分かった。知らない人じゃないし、と考えを切り替え意を決してドアを開ける。

「お、お待たせして、すいません」

目の前には何やら大量の箱。そして物凄ーく苦い顔をしたミスティコさんと・・パリッとしたシャツにリボンタイ、そしてタイトなスカート。バッチリメイクで微笑むエナさんに似た美人が居た。えーっと・・エナさんの声がしたのは確かなんだけど・・この美人なお姉さんはエナさんの親戚なんだろうか?そ、そんな事より、まずは挨拶しなきゃ、と思っているとふわりとシナモンの香りが漂って来た。この香り・・美人なお姉さんの正体を確かめようと集中して香りを確かめる。

「あの・・エナさん・・ですよね?」
「あはぁ、こんにちは、オトちゃん。うふふ、そうだよ♡」
「・・あ、えっと・・こん、にちは」

お城で会った時もあざといアイドルみたいにキラキラしていたが、今の彼の見た目は完全にスラリとモデル風の女性だ。どうしてこんな格好で此処に来たのかは分からないが、エナさんの美しさに思わず見惚れてしまう。私が目の前の彼の変身ぶりに感心していると、エナさんはするりとミスティコさんの横から移動し、外開きの玄関のドアの前に身体を入れた。あ、これは・・簡単にドアを閉めれなくする手法だ。エナさんの行動の意味に気が付いて、私の顔が引きつる。

「ねぇ、オトちゃん。東の副司祭が呼んでも、すぐにドアを開けなかったのは良かったんじゃない?神殿内の居住区でもそういう警戒は重要だよねぇ」
「えぇ、貴方みたいなのが、いつやって来るか分かりませんから。その点は気を付けるよう、きつく言い付けております」

ミスティコさんが不機嫌さを隠さない声で言う。しかしエナさんは全く意に介さない。お城でも思ったけど、エナさんとミスティコさんとの相性は最悪だ。

「さぁ、もう宜しいでしょう?荷物はこちらで運んでおきますので、どうぞお引き取りを」

ミスティコさんがエナさんの肩に手を掛ける。それに対してエナさんは「ほっっんとに東の副司祭はケチだねぇ」と言いながら頬を膨らませる。傍目から見たら、彼氏に怒られて可愛らしく拗ねている彼女みたいだ。
こういう恰好をするのが趣味なのか、それとも趣味じゃないのか。色んな可能性が思い浮かんで来て目の前のエナさんから目が離せなくなってしまう。私の視線に気が付いたエナさんが自分の頬に両手を添え、わざとらしく恥ずかしそうにする。

「ねぇ、オトちゃん。そんなに情熱的に見詰められると照れるんだけど?」
「え?あッ!す、すいません。そ、その、エナさんがあんまり綺麗だったから」

私が慌ててそう言うとエナさんは、アイラインの入った目を細め「ふふ」と満足げに笑い、私の方へ一歩近寄る。シナモンの香りがふわり濃くなる。

「えー、オトちゃんに褒められるなんて嬉しいなぁ。あ、そうだ。なんなら今からオトちゃんにもお化粧してあげようか?」

良い事を思い付いた、と言う風にエナさんが手を叩く。「うんうん、善は急げだよねぇ」と言いながら、エナさんは私の肩に両手を置き、男性の力でぐいっと私を玄関のドアの内側へ押し込む。そのまま自分も部屋に上がり込もうとしている。

「え、あ、ちょっと、あッ!」
「わ、おっと」

肩を押された所為で、筋肉痛の影響も有ると思うが、踏ん張りが利かず、よろりと私は体勢を崩した。そのまま後ろに倒れそうになったが、腰にエナさんが腕を回し支えてくれた。エナさんと肌が触れ合う程、近い距離になる。

「ごめんねぇ、オトちゃん。ちょっと強引だったねぇ」

謝りながらエナさんが顔を近づけて来た。わ、悪いと思ってるなら何で顔を近づけて来るんだ!私が文句を言おうとエナさんを睨むと、彼の綺麗な空色の瞳を目が合う。混じり気の無いブルーに、言おうとしていた言葉が吸い込まれ何も言えなくなる。そんな私をエナさんがじとりとした目で観察する。視線に湿度を感じ、妙に居心地が悪い。

「ふ~ん。・・さっきオトちゃんがドアを開けた時から思ってたんだけど、何だかオトちゃん、少しの間に雰囲気が変わったね」
「は?え?どういう・・」

エナさんは無遠慮に私の首元に鼻を近づけ、すんすんと匂いを嗅ぐ。多分、何も知らない人から見たら綺麗な女性が友人相手にじゃれついている位にしか見えないだろう。
ミスティコさんは「おいッ」と怒気のこもった声でエナさんを窘める。私もエナさんの胸元に手を置いて彼を押し返そうとする。しかし、見た目は女性でも力は男性だ。どけてくれるどころか、より身体を押し付けて来た。エナさんの唇が私の耳元に触れる。いくらトマリギ候補とは言え、出会ってから間もないのに距離の詰め方が早過ぎる。少しは抗議しとかないと。このままの調子でいかれると色々困る、と思い口を開き掛けるが、エナさんの口からとんでもない言葉が飛び出す。

「・・男の匂いがするねぇ。正確に言うと、嫉妬深い男の匂い。んふ、よっぽど可愛がられたんだねぇ♡」

エナさんの言葉に、心臓がどきりと嫌な音を立て、彼を押し返そうとしていた腕もビシッと固まる。私は咄嗟にエナさんの背後にいるミスティコさんの様子を伺う。エナさんが密着していたのが幸いしてか彼の意味深な言葉はミスティコさんに聞かれずに済んだ様だ。まずは、その事に(何故だか)安心する。
な、何?「嫉妬深い男の匂い」って。お風呂だって入ったし、鏡で確認したから見える位置にはキスマークなんて無い筈。

「・・な、何で・・そんな、事・・」

私が小声でそう尋ねると、エナさんが再び私の耳元に唇を寄せ低く囁く。

「さぁ?何で分かっちゃうんだろうねぇ。僕もいやらしい事が好きだからかなぁ♡北の人に言っといた方が良いよぉ。『今の内だ』って」
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