名前を忘れた私が思い出す為には、彼らとの繋がりが必要だそうです

藤一

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トマリギは二本になる

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私が身体の奥でゆるゆると燻っている熱を逃がそうと呼吸を整えていると、アルケーさんが私の前に水の入ったグラスを置いた。元凶の彼は申し訳無さそうに私の顔を覗き込む。

「・・すいません、止められなくて・・オト、許して下さいね」

な、何が「許して下さい」だ!隣で私を心配する彼は、陽を浴び過ぎた切り花みたいに分かり易く萎れているが、もう絶対に騙されない。私は「許す」とは口に出さない事を決めた。

「・・うぅ・・今回はアレですけど・・絶対に、絶対に次は有りませんから」

私が胸元を隠しながらじとりと睨むとアルケーさんは「その反応、思っていた通り」とでも言いたそうな笑みを浮かべる。え、何だ、その余裕の笑顔は。私の方が怯んでしまう。

「『次は絶対に無い』・・ですね。えぇ、肝に銘じておきます。・・でもオトは優しいですから」

アルケーさんは続けて「次もきっと許して下さるでしょう?」と猫撫で声で私に同意を求める。私は頭をぶんぶん左右に振る。

「無い!次は絶対に無いです!」
「ふふ、それは残念です。オトの気分を害さない様に気を付けますね」

この後、途中だった夕食を口にしたが、色々有った所為かゆっくり味わって食べられなかった。作ってくれた人に申し訳無いから、食事中の悪さは今後、絶対に絶対に控えて貰おうと心に誓った。

アルケーさんと一緒に片付けをしている時、いつもミスティコさんが座っている席に目を遣る。当然だが、彼のカップも無いし当人も居ない。

『・・ミスティコさん、どうしてるかな?』

ちらっと隣のアルケーさんの整った横顔を盗み見る。
アルケーさんは、今日、神殿に行った時にミスティコさんから「色々言われた」と言ってたが、本当はどんなことを言われたんだろう。きっと実際に言われた内容は話してくれないだろうなぁ・・。

片付けが済むと、アルケーさんから「疲れたでしょうから、今日は早めに休んで下さい」と丁寧だが、有無を言わさず勢いで寝室に追いやられた。もし今日の私が「疲れた」様に見えるなら、多分、きっと絶対に「休んで下さい」と言っているアルケーさん本人が原因だと思うんだけど。
まぁ、確かにリビングに居てもする事も無いので、私は途中になっていたバシレイアーの歴史の本をベッドで眺めながらアルケーさんを待つ事にした。枕の下に置いて有る例の不味い薬を服用する事も忘れないようにしないと。

夜も更けて来た頃、アルケーさんもようやく寝室にやって来て「オト、待っててくれたんですか?」と顔をほころばせた。起きていただけでそんなに喜ばれるとは。私もおどけながら「どうぞ」と自分の隣をぽんぽんと叩いた。アルケーさんはくすっと笑い「お誘いありがとうございます」と言いながらベッドに入って来た。
明かりを消した寝室で、二人で手を繋いで横になる。心の片隅で「そういう雰囲気なったらどうしよう」と思っていたので、ほのぼのした空気感にちょっとホッとする。
私は少しだけ頭を動かして、隣のアルケーさんに話し掛けた。

「あのー、アルケーさん、その、明日は遅刻しない様に、私も気を付けますね」
「オト、お気遣いありがとうございます。・・でも、実は今日は遅刻していないんですよ」
「へ?あれ?」

どういう事?だって朝、ベッドの中で「大遅刻」だってアルケーさん本人が言ってたのに。

「実は、オトが登城しないと分かった時に休みの申請をしてたので・・」

そう言えば昨日、第5王子の所から帰って来て、アルケーさんに予定を聞かれた。それで、その後アルケーさんは「仕事が残っている」と言って神殿に行ったっけ。あれは休みの申請をする為だったんだ。

「え、あ、じゃあ、もしかして今日はお仕事お休みだったんですか?」

アルケーさんの次の言葉を待たずに尋ねると、隣の彼は天井を見詰めたまま、こくりと頷く。

「慌てているオトがあんまりにも可愛らしくて。ふふ、本当の事を言うタイミングを逸してしまいました。すいません」

謝罪している割には、隣のアルケーさんの横顔は「ふふ」と思い出し笑いをしている。よくよく考えたら、アルケーさんもミスティコさんもよっぽどの事が有っても、私みたいに寝過ごすタイプじゃない。やられたッ!

「あ、私、今朝、目が覚めた時・・めちゃくちゃ焦って・・それで申し訳ないなって、今日一日思ってて」

私が不機嫌さを隠さない声色でそう言うと、アルケーさんはこちらに手を伸ばし、小さい子を宥めるみたいに私の頭をゆるゆる撫でた。

「えぇ、そうですね。オトの慌てる姿も、その後の快楽に抗えない姿も、全部愛らしかったですよ」

アルケーさんは口では「そうですね」と不貞腐れている私の気持ちは理解出来るみたいに言ってるが、違うッ!全然分かってない!

「も、もう!!明日から絶対にアルケーさんは起こさないですッ!」

私は頭を撫でていたアルケーさんの手を押しやってがばっと毛布をかぶった。毛布を一枚隔てて、アルケーさんのくすくすと笑う声が聞こえる。ぐぬぬ、こうなったらリビングで寝ようか。私がむくれているとアルケーさんの軽やかな笑い声がふいに止む。そして私の方へ身体を寄せる気配を感じた。何をする気なんだろう。見えない不安から私は少し身体を固くする。

「・・休みは休みでしたが一応、神殿には顔だけ出したんですよ。その時、東のに色々言われたのも本当です」

ミスティコさんから何を言われたのか聞きたい気持ちは有ったが、それは口に出さない方が良い様な気がして、毛布をかぶったまま「・・そうなんですか」とだけ答える。

「・・『北の、これからのオオトリ様は城にも通うから、そのつもりで。近い内にトマリギは二本になる』」

アルケーさんがミスティコさんの口調を真似てそう言った。
彼の言葉に心臓がぎくりと嫌な音を立てる。さっきみたいにさらりと『そうなんですか』と答えられない。

『近い内にトマリギは二本になる』・・。アルケーさんは私と王子との触れ合いがどの程度まで進んでいるかは・・勘の良い人だから分かっていると思う。けれど「トマリギ候補」から正式な「トマリギ」になる事に関しては、きっと覚悟はしていても、時期までは予想出来なかった筈だ。
「春を呼ぶ王子が正式なトマリギになる」・・いずれは知られてしまう事とは言え、私の口からではなくミスティコさんからアルケーさんに伝わってしまった。胸の辺りが罪悪感に似たものでずしりと重くなる。爪先から血の気が引いて行く様な気がする。毛布の中で自分の心臓の音がやけに耳障りだ。
・・どう答えれば「正解」なんだろう。二人の間に流れる重い沈黙の中で考える。
多分、アルケーさんだって「いずれはトマリギが増える」と予想していただろう。そう考えた瞬間、ちょっと前にリビングでアルケーさんと交わした言葉を思い出した。

『きっと東の副司祭の言葉も忘れられると思うのですが』

あぁ、アルケーさんが忘れたいと思っていた言葉。今日、神殿でミスティコさんから言われた事は、嫌味では無く「王子がトマリギになる」事だったんだ。謝罪も弁解も正解じゃない。私は何も言えずぎゅっと毛布を握る手に力を込めた。すぐ傍からアルケーさんの息遣いを感じる。柔らかいけれど、覚悟を決めた様な落ち着いた声で話し掛けられる。

「・・第5王子に、私にする様に強請ってはいけませんよ」
「・・はい」
「ありがとうございます。・・それで充分です」

アルケーさんの「ありがとうございます」に対して、思わず「すいません」という言葉が出そうになるが、ぐっと堪える。
アルケーさんは、毛布を握る私の指を一本一本丁寧に外し、私から毛布を剥がした。彼が無言で覆い被さって来て、息がしづらい位に抱き締められる。私はアルケーさんの背中に腕を回してぎゅうと力を込めた。彼の香りと体温、重さを全身で感じる。

『アルケーさんは最初のトマリギだから』

これから「トマリギ」が増えたとしても、それは変わらない。私はそう思っている。そのまま、どちらからともなく唇を合わせて身体を繋げた。
アルケーさんはじりじりと私を追い詰めて、私は彼にしか言わないと約束した言葉を何度も言わされ、気が付くと窓の外が白んでいた。
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