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私の『トマリギ』だから
しおりを挟むあの大きな石造りの神殿の正門をくぐった所で、ミスティコさんが立ち止まり私の方に向き直る。
「では、私はこれで。・・家までの道は分かりますよね?」
今、ミスティコさんが『家』って言った。そっか、あそこは『家』なんだ。改めて言われると、ちょっとくすぐったい様な照れる様な・・。
私が返事をしないので、ミスティコさんが「もしかして、道が分からないのか」と言った風に首を傾げる。
「あ、すいません・・あそこの道を真っ直ぐ行けば良いんですよね?」
以前、アルケーさんの部屋から引っ越した時に歩いた小径を私は指差す。あの日は凄く晴れていて、家族用の居住区へ続く道で深呼吸していたら、アルケーさんから「自由が良いか?」と聞かれた事を思い出す。
私の指差した方向を見て、ミスティコさんが頷く。
「そうです。良かった、迷う心配は無さそうですね。安心しました。今日はお疲れになったでしょう。どうぞ早くお休みになって・・」
そこまで言ってミスティコさんがきゅっと口を噤む。私と目が合うと「今のは余計なお世話でしたね」と言い、肩を竦めた。そして私にお土産の箱を差し出した。私は小さな声でお礼を言い受け取る。
「・・北のが、貴女が帰って来るのを今か今かと待っているでしょう。早くお帰りになった方が・・その、良いでしょう」
ミスティコさんは少し歪な笑顔で言い終えると、家族用の居住区へ続く道を指差しアルケーさんの元へ早く帰る様に、と無言で促す。
日暮れが近い所為か少し強めの風が吹いて、ミスティコさんのグレーの髪を揺らす。
「・・早くお帰りなさい」
ミスティコさんが急かす様に小さく呟く。
・・何かミスティコさんに言わなきゃ。でも、何を言えば良いんだろう?言いたい事が喉元まで出掛かっている様な気がするけど、それが正解なのか分からなくて口に出すのを躊躇う。
「あの・・今日は本当にありがとうございました。東の副司祭さんが一緒で良かったです。その、えーっと・・お世話になりました」
私の口から出て来たのはそんな在り来たりな言葉だ。言い終えるとお辞儀をして、なるべく彼の方を見ない様にして小径へと歩き出した。本当はきちんとミスティコさんと目を見て挨拶した方が良いんだろうとは思うけど、何だか気まずくて出来なかった。自分がどんな表情をしているかも分からない。
呼び止められたらどうしよう、と思ったがミスティコさんが帰る私に声を掛ける事は無かった。
日が傾きかけた道を歩きながら、頭の中を整理する。
えーっと・・ミスティコさんが帰らない事をアルケーさんに伝えなきゃ。そう言えば、アルケーさんはトマリギ候補のエナさんの事、知ってるのかな?ちょっと聞いてみよう。まぁ、明日と明後日は出掛ける用事も無いから、そんなに慌てなくても良いか。
私は足を止め、タルトの箱が傾かない様に注意しながらピルケースを取り出す。ミスティコさんは飲み方は一緒に入れていると言っていた。家に戻る前に一応、確認しとこう。缶の蓋を開けると、ベージュ色の錠剤と一緒に丁寧に折りたたまれた紙が入っていた。
その服用説明書には、可能ならば行為の一時間位前に、男女共に服用する事、毎日服用しても成分的には問題無いよ、と書いてあった。成程、男女で服用するピルみたいなものか。ミスティコさんは私がこの世界の人間じゃないから効果の程は分からない、と言っていた。説明書の通りだと、確かに私に効くかどうかは分からないが、アルケーさんへの効果は確定してるって言う事だよね。
私はピルケースをしまう。よ、よし、心配事が一つ解決した・・かもしれない。どのタイミングでアルケーさんに切り出すか悩む所だが大丈夫な気がして来た。
私は来た道を振り返る。勿論、そこにはミスティコさんは居ない。でも私は彼の居た方向に向かって「色々ありがとうございました」と頭を下げた。
家族用の居住区に入ると、授業が終わった子ども達や仕事が早めに終わったらしい神官の皆さんとすれ違う。此処に越して来てからも外に出る時は大概、アルケーさんかミスティコさんと一緒なので、一人荷物を抱えて歩く私を見て「あら、お一人なんて珍しいわね」と声を掛けられる。私は「一人もたまには良いものですね、はは」と愛想笑いしながら足早に部屋へ向かう。
うーん、アルケーさん、帰って来てるかな?そう思いながら、部屋の茶色いドアをノックする。ミスティコさんはたまにお昼に帰って来たりするけど、基本、アルケーさんは日が暮れる位にならないと帰って来ない。今日はどうだろう?
一度、ノックして数秒後、ドアが少し開けられアルケーさんがノックの主を確認する為に顔を覗かせた。私の姿を確認すると、アルケーさんは、琥珀色の目を細めて小さく「あぁ」と安心した様な溜息を漏らす。アルケーさんのその様子に少し顔が紅潮する。
・・は、半日会わなかっただけなのに、何だか緊張するんですけど。
「あの、た、ただいま帰りました」
「・・はい、おかえりなさい。疲れたでしょう?どうぞ」
アルケーさんはゆっくり扉を開けて、私の肩を抱き部屋に招き入れる。私が箱を抱えている事に気が付いたアルケーさんはひょいっと箱を取り上げた。
「あぁ、春を呼ぶ王子から何か頂いたんですね」
「あ、それ、タルトなんですけど・・良かったら、後でアルケーさんもいかがですか?凄く美味しいんですよ」
「・・そうなんですね。今度、王子にお会いしたら、トマリギとしてお礼を言わなければなりませんね」
『トマリギとして』と言われ、ぐっと言葉に詰まる。「トマリギとしてお礼申し上げます」とアルケーさんから言われた王子を想像してぶるりと震えた。お礼を言うのは大いに結構なんだけど、あんまり王子を刺激しないで欲しい。
リビングのテーブルに箱を置くと、アルケーさんは私と向かい合い、頬に手を添えて目線を合わせた。
「・・オト、色々お聞きしたい事は有るんですが・・その前に抱きしてめても、良いですか?」
普段のアルケーさんは断り無く色々して来るのに。こうやって改めて聞かれると恥ずかしいやら嬉しいやらで落ち着かない。
私は頷く代わりに自分からアルケーさんにぎゅっと抱き着いた。彼のお香に似た香りが鼻孔をくすぐる。こうやって、彼の匂いが近いと帰って来たんだな、と実感する。背中に回した腕に力を込めるとアルケーさんも応えるみたいに私の首筋に顔を埋める。彼の細い銀色の髪がくすぐったい。
「おかえりなさい、オト。帰って来なかったら、どうしようと一日中ずっと不安でした。・・仕事も手に付かなかったんですよ」
「心配しなくても、此処に、アルケーさんの所に帰って来ますよ。だってアルケーさんは私の『トマリギ』だから」
私がそう言うと、アルケーさんの身体が少し震えた。私は彼を安心させたくて肩に乗せられた頭をよしよしと撫でる。
私も第5王子の所に行くのは不安だったが、送り出すアルケーさんの方がよっぽど心配だったに違いない。王子はオオトリ誘拐未遂までしてるトマリギ候補だから。
アルケーさんは私の頬にちゅっと軽く口付けて嬉しそうに笑う。
「・・オトにそう言って貰えて幸せです。本当に」
私が「それは良かったです」と言う前に、アルケーさんが私の後頭部に手を添えて、我慢が出来ないといった感じで、がばっと覆いかぶさる様な口付けをして来た。強く唇をぎゅうと押し付けられて、その後、ゆるゆると下唇を甘噛みされる。その刺激が心地良くて薄く唇を開くと待ち構えていた様に、ぬるりとアルケーさんの舌が入って来た。
「っん・・ふぁ」
アルケーさんの舌が私の舌を探して咥内の深く深くへ侵入する。もうこうなったら口なんか閉じられない、彼を受け入れるしかない。私が自分から口を開いたから簡単に舌同士が接触する。アルケーさんの舌は最初は遠慮がちに触れるだけだったけど、私の身体の力が抜けて行くのが分かったんだろう。ぬるぬると無遠慮に舌を絡ませて来た。完全に主導権をアルケーさんに奪われた。鼻から息を吸おうにも密着してるから上手くいかない。酸欠なのか、大胆なキスの所為なのか頭がぼーっとして来た。
・・い、色々、アルケーさんに言わなきゃいけない事が有るのに。
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