名前を忘れた私が思い出す為には、彼らとの繋がりが必要だそうです

藤一

文字の大きさ
上 下
70 / 126

私の『トマリギ』だから

しおりを挟む

あの大きな石造りの神殿の正門をくぐった所で、ミスティコさんが立ち止まり私の方に向き直る。

「では、私はこれで。・・家までの道は分かりますよね?」

今、ミスティコさんが『家』って言った。そっか、あそこは『家』なんだ。改めて言われると、ちょっとくすぐったい様な照れる様な・・。
私が返事をしないので、ミスティコさんが「もしかして、道が分からないのか」と言った風に首を傾げる。

「あ、すいません・・あそこの道を真っ直ぐ行けば良いんですよね?」

以前、アルケーさんの部屋から引っ越した時に歩いた小径を私は指差す。あの日は凄く晴れていて、家族用の居住区へ続く道で深呼吸していたら、アルケーさんから「自由が良いか?」と聞かれた事を思い出す。
私の指差した方向を見て、ミスティコさんが頷く。

「そうです。良かった、迷う心配は無さそうですね。安心しました。今日はお疲れになったでしょう。どうぞ早くお休みになって・・」

そこまで言ってミスティコさんがきゅっと口を噤む。私と目が合うと「今のは余計なお世話でしたね」と言い、肩を竦めた。そして私にお土産の箱を差し出した。私は小さな声でお礼を言い受け取る。

「・・北のが、貴女が帰って来るのを今か今かと待っているでしょう。早くお帰りになった方が・・その、良いでしょう」

ミスティコさんは少し歪な笑顔で言い終えると、家族用の居住区へ続く道を指差しアルケーさんの元へ早く帰る様に、と無言で促す。

日暮れが近い所為か少し強めの風が吹いて、ミスティコさんのグレーの髪を揺らす。

「・・早くお帰りなさい」

ミスティコさんが急かす様に小さく呟く。

・・何かミスティコさんに言わなきゃ。でも、何を言えば良いんだろう?言いたい事が喉元まで出掛かっている様な気がするけど、それが正解なのか分からなくて口に出すのを躊躇う。


「あの・・今日は本当にありがとうございました。東の副司祭さんが一緒で良かったです。その、えーっと・・お世話になりました」

私の口から出て来たのはそんな在り来たりな言葉だ。言い終えるとお辞儀をして、なるべく彼の方を見ない様にして小径へと歩き出した。本当はきちんとミスティコさんと目を見て挨拶した方が良いんだろうとは思うけど、何だか気まずくて出来なかった。自分がどんな表情をしているかも分からない。
呼び止められたらどうしよう、と思ったがミスティコさんが帰る私に声を掛ける事は無かった。

日が傾きかけた道を歩きながら、頭の中を整理する。
えーっと・・ミスティコさんが帰らない事をアルケーさんに伝えなきゃ。そう言えば、アルケーさんはトマリギ候補のエナさんの事、知ってるのかな?ちょっと聞いてみよう。まぁ、明日と明後日は出掛ける用事も無いから、そんなに慌てなくても良いか。
私は足を止め、タルトの箱が傾かない様に注意しながらピルケースを取り出す。ミスティコさんは飲み方は一緒に入れていると言っていた。家に戻る前に一応、確認しとこう。缶の蓋を開けると、ベージュ色の錠剤と一緒に丁寧に折りたたまれた紙が入っていた。
その服用説明書には、可能ならば行為の一時間位前に、男女共に服用する事、毎日服用しても成分的には問題無いよ、と書いてあった。成程、男女で服用するピルみたいなものか。ミスティコさんは私がこの世界の人間じゃないから効果の程は分からない、と言っていた。説明書の通りだと、確かに私に効くかどうかは分からないが、アルケーさんへの効果は確定してるって言う事だよね。
私はピルケースをしまう。よ、よし、心配事が一つ解決した・・かもしれない。どのタイミングでアルケーさんに切り出すか悩む所だが大丈夫な気がして来た。
私は来た道を振り返る。勿論、そこにはミスティコさんは居ない。でも私は彼の居た方向に向かって「色々ありがとうございました」と頭を下げた。

家族用の居住区に入ると、授業が終わった子ども達や仕事が早めに終わったらしい神官の皆さんとすれ違う。此処に越して来てからも外に出る時は大概、アルケーさんかミスティコさんと一緒なので、一人荷物を抱えて歩く私を見て「あら、お一人なんて珍しいわね」と声を掛けられる。私は「一人もたまには良いものですね、はは」と愛想笑いしながら足早に部屋へ向かう。

うーん、アルケーさん、帰って来てるかな?そう思いながら、部屋の茶色いドアをノックする。ミスティコさんはたまにお昼に帰って来たりするけど、基本、アルケーさんは日が暮れる位にならないと帰って来ない。今日はどうだろう?
一度、ノックして数秒後、ドアが少し開けられアルケーさんがノックの主を確認する為に顔を覗かせた。私の姿を確認すると、アルケーさんは、琥珀色の目を細めて小さく「あぁ」と安心した様な溜息を漏らす。アルケーさんのその様子に少し顔が紅潮する。
・・は、半日会わなかっただけなのに、何だか緊張するんですけど。

「あの、た、ただいま帰りました」
「・・はい、おかえりなさい。疲れたでしょう?どうぞ」

アルケーさんはゆっくり扉を開けて、私の肩を抱き部屋に招き入れる。私が箱を抱えている事に気が付いたアルケーさんはひょいっと箱を取り上げた。

「あぁ、春を呼ぶ王子から何か頂いたんですね」
「あ、それ、タルトなんですけど・・良かったら、後でアルケーさんもいかがですか?凄く美味しいんですよ」
「・・そうなんですね。今度、王子にお会いしたら、トマリギとしてお礼を言わなければなりませんね」

『トマリギとして』と言われ、ぐっと言葉に詰まる。「トマリギとしてお礼申し上げます」とアルケーさんから言われた王子を想像してぶるりと震えた。お礼を言うのは大いに結構なんだけど、あんまり王子を刺激しないで欲しい。
リビングのテーブルに箱を置くと、アルケーさんは私と向かい合い、頬に手を添えて目線を合わせた。

「・・オト、色々お聞きしたい事は有るんですが・・その前に抱きしてめても、良いですか?」

普段のアルケーさんは断り無く色々して来るのに。こうやって改めて聞かれると恥ずかしいやら嬉しいやらで落ち着かない。
私は頷く代わりに自分からアルケーさんにぎゅっと抱き着いた。彼のお香に似た香りが鼻孔をくすぐる。こうやって、彼の匂いが近いと帰って来たんだな、と実感する。背中に回した腕に力を込めるとアルケーさんも応えるみたいに私の首筋に顔を埋める。彼の細い銀色の髪がくすぐったい。

「おかえりなさい、オト。帰って来なかったら、どうしようと一日中ずっと不安でした。・・仕事も手に付かなかったんですよ」
「心配しなくても、此処に、アルケーさんの所に帰って来ますよ。だってアルケーさんは私の『トマリギ』だから」

私がそう言うと、アルケーさんの身体が少し震えた。私は彼を安心させたくて肩に乗せられた頭をよしよしと撫でる。
私も第5王子の所に行くのは不安だったが、送り出すアルケーさんの方がよっぽど心配だったに違いない。王子はオオトリ誘拐未遂までしてるトマリギ候補だから。
アルケーさんは私の頬にちゅっと軽く口付けて嬉しそうに笑う。

「・・オトにそう言って貰えて幸せです。本当に」

私が「それは良かったです」と言う前に、アルケーさんが私の後頭部に手を添えて、我慢が出来ないといった感じで、がばっと覆いかぶさる様な口付けをして来た。強く唇をぎゅうと押し付けられて、その後、ゆるゆると下唇を甘噛みされる。その刺激が心地良くて薄く唇を開くと待ち構えていた様に、ぬるりとアルケーさんの舌が入って来た。

「っん・・ふぁ」

アルケーさんの舌が私の舌を探して咥内の深く深くへ侵入する。もうこうなったら口なんか閉じられない、彼を受け入れるしかない。私が自分から口を開いたから簡単に舌同士が接触する。アルケーさんの舌は最初は遠慮がちに触れるだけだったけど、私の身体の力が抜けて行くのが分かったんだろう。ぬるぬると無遠慮に舌を絡ませて来た。完全に主導権をアルケーさんに奪われた。鼻から息を吸おうにも密着してるから上手くいかない。酸欠なのか、大胆なキスの所為なのか頭がぼーっとして来た。
・・い、色々、アルケーさんに言わなきゃいけない事が有るのに。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

逃げて、追われて、捕まって

あみにあ
恋愛
平民に生まれた私には、なぜか生まれる前の記憶があった。 この世界で王妃として生きてきた記憶。 過去の私は貴族社会の頂点に立ち、さながら悪役令嬢のような存在だった。 人を蹴落とし、気に食わない女を断罪し、今思えばひどい令嬢だったと思うわ。 だから今度は平民としての幸せをつかみたい、そう願っていたはずなのに、一体全体どうしてこんな事になってしまたのかしら……。 2020年1月5日より 番外編:続編随時アップ 2020年1月28日より 続編となります第二章スタートです。 **********お知らせ*********** 2020年 1月末 レジーナブックス 様より書籍化します。 それに伴い短編で掲載している以外の話をレンタルと致します。 ご理解ご了承の程、宜しくお願い致します。

交換された花嫁

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」 お姉さんなんだから…お姉さんなんだから… 我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。 「お姉様の婚約者頂戴」 妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。 「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」 流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。 結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。 そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

女性の少ない異世界に生まれ変わったら

Azuki
恋愛
高校に登校している途中、道路に飛び出した子供を助ける形でトラックに轢かれてそのまま意識を失った私。 目を覚ますと、私はベッドに寝ていて、目の前にも周りにもイケメン、イケメン、イケメンだらけーーー!? なんと私は幼女に生まれ変わっており、しかもお嬢様だった!! ーーやった〜!勝ち組人生来た〜〜〜!!! そう、心の中で思いっきり歓喜していた私だけど、この世界はとんでもない世界で・・・!? これは、女性が圧倒的に少ない異世界に転生した私が、家族や周りから溺愛されながら様々な問題を解決して、更に溺愛されていく物語。

王宮に薬を届けに行ったなら

佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。 カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。 この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。 慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。 弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。 「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」 驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。 「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

責任を取らなくていいので溺愛しないでください

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
漆黒騎士団の女騎士であるシャンテルは任務の途中で一人の男にまんまと美味しくいただかれてしまった。どうやらその男は以前から彼女を狙っていたらしい。 だが任務のため、そんなことにはお構いなしのシャンテル。むしろ邪魔。その男から逃げながら任務をこなす日々。だが、その男の正体に気づいたとき――。 ※2023.6.14:アルファポリスノーチェブックスより書籍化されました。 ※ノーチェ作品の何かをレンタルしますと特別番外編(鍵付き)がお読みいただけます。

処理中です...