62 / 126
俺を『トマリギ』にしなければならない
しおりを挟む花の香りがする王子の胸の中で、彼の「大丈夫だ」と言う言葉を噛み締める。
・・王子が大丈夫と断言した所で、これ以上私の記憶が欠けない保証は無い。でも、王子は一時しのぎにしかならないとしても私が求めている言葉をくれた。私は王子の胸元に一度、額を押し付けた。
「・・ありがとうございます」
「言い切れ、って言ったのは俺だからな」
王子はそう言うと、私から少し身体を離し、顔を覗き込んだ。
「さっきみたいに好物の甘い物でも食えば、嫌な事なんて忘れるだろ。どんなのが良いんだ?」
「え、でも・・フォスさんにお土産で用意して貰ってますし・・もう十分」
私が言い終わる前に、王子が私の頭をぽんぽんと叩いた。
「何だ、遠慮してるのか?甘い物は別腹って姉上が良く言ってたんだがな」
こ、こっちにもそんな言い方が。科学的根拠の有る話、とは聞いた事あるが、元の世界と異世界が同じ言い回しを使っている事に思わずくすりと笑ってしまう。
「・・じゃあ、次来た時にお願いしても良いですか?ふふ」
王子は答える代わりに、私の前髪を器用に掻き分けると額にちゅっと口付けた。
ぎゃッ!油断してた。私は慌てて前髪を下ろし額を押さえる。正式なトマリギじゃなくても「キス」位までOKみたいな事をミスティコさんは言っていた。実際、王子とはキスまでは済ませている。
なのに、なのに!こんな不意打ち。顔に熱が集まるのが分かった。第5王子の魔力が飛びぬけて強い所為なのか0距離で触れ合うとドキドキしてしまう。
私が額を押さえ顔を赤くして黙っていると、王子が私の耳元に唇を寄せ、少し震える声で囁く。
「・・口付けても、良いか?」
・・初めて神殿でキスをした時は、私に許可なんて求めなかったのに・・今日は私の気持ちを聞いてくれた。あの時と違って、今はトマリギであるアルケーさんが居るからなんだろうか。
・・目の前にいる男性は・・遅かれ早かれ正式な「トマリギ」になる男性だ。
私は自分の額から手を外し、一度だけ頷く。王子が私の肩に手を置いたのを合図に目を閉じる。
最初は軽く触れるだけ。次第に唇が押し付けられる。まるで「口を開けろ」と急かされている様だ。
・・あぁ、まただ。王子の吐息と自分の呼吸が混じって自制心がふやふやになってしまう。肩に置かれていた筈の王子の手はいつの間にか腰に回されていて、私がへたり込んでしまわないよう支えている。
「・・ん、はぁ、ん・・」
遠慮がちにほんの少しだけ口を開くと、歯の隙間から王子の舌の先がぬるりと咥内に入って来た。最初は様子を伺うみたいな感じだったのに段々、荒っぽくなり、その熱量に何も考えられなくなって来た。
ちゅ、ぐち、くちゅと言う濡れた音が廊下の片隅で漏れる。
あー、と・・ん?・・ろう、か・・廊下・・?そうだ!此処、お城の廊下じゃないか!人の往来のある場所じゃないか!それに、それに・・私、アルケーさんとのやく、そく・・約束。
湯煎されたチョコレートみたいにどろりとして生暖かくなってしまった自分の何とか意識を鼓舞して、私を向こう岸へ押し流さそうとしている王子の胸を慌てて叩いた。数度じゃ止めてくれなくて、私が必死こいて殴る位の勢いで叩いてようやく王子の顔が離れた。王子は濡れた口元を手の甲で雑に拭うと不満そうな表情を浮かべる。
「・・何で、止める。・・・・お前、もしかして北のに」
「王子!!・・あの、その、こ、此処、廊下ですよね?」
私は「王子!」と強めの口調で言い、第5王子の言葉を遮った。彼の言いたかった言葉は何となく・・予想が付く。
・・『もしかして、北のに、後ろめたさを、感じているのか?』
・・人から、トマリギ候補の人から、そう言われるのは・・心が軋む感じがするから今だけは何も言わないで。
「それに、あの!あー、何だかお腹が空いた様な空いてない様な?・・はは・・」
私が困ったフリで眉を下げてそう言うと、王子は何も言わずに腰に回していた腕をゆるゆると外した。0距離から解放され私は髪を手櫛でささっと整える。ちらっと王子の様子を伺うと、片手で顔を覆って長い溜息を吐いている。うぅ、この埋め合わせはいつか必ず・・多分。
溜息を2回程吐くと、王子はさっきまでの熱が引いたのか、私の方へ手を差し出した。
「・・腹が減っている所、申し訳無いがもう少し付き合って貰うぞ」
「はい」
私は王子の手を取る。あんな事が有った所為か、さっきみたいに気軽に話し掛けられない。少し気まずいが仕方無いか。
多分、この先いつか言わなきゃいけない事を、私は歩幅を合わせて歩いている金髪で癖毛の彼に心の中で語り掛ける。
・・あのですね、王子。私、王子の事は嫌いじゃないです。アルケーさんと違って、一緒に過ごせる時間が短いから「好き」になるまでちょっと時間が掛かるかも、ですけど。でも、私は貴方の事を「好き」になる。勘とかじゃない。決められた未来の様な、そんな気がするんです。王子は本当にツンツンしてて、口が悪くて少し強引だけど・・異世界から来た私に歩み寄ろうとしてくれてるのが分かるから。だから、ちょっと待って貰えると嬉しいです。
私は決意表明みたいに握っている手に力を込めると、王子も何も言わずに握り返してくれた。
王子の付き合って欲しかった場所は、王族の居住区の入り口?境界?だった。例のカーペットの色が変わる境目まで来ると、衛兵さん達が敬礼をして王子を迎える。王子は、私を指差し「これが城でうろうろしてたら、必ず俺の部屋か執務室まで連れて来る事」と言い付けた。成程、私の迷子対策の為に此処まで連れて来たのか。確かに迷子になった時用に、顔を覚えて貰うのは良いかもしれない。
「東の副司祭のお連れの方ですね。先程、お会い致しました」
「・・これからは頻繁にこっちに来る事になる。許可証が無くても通してやれ」
「そ、それは・・」
許可証って、ミスティコさんが此処を通る時に見せてた紙の事だと思う。衛兵さん達が王子の無茶な要求に顔を見合わせている。
「ゆくゆくは、此処で生活する予定の有る者だ。構わんだろ。父上も了承済みだ」
は?その件は、さっき王子の部屋でお断りしたのに。でも、衛兵さん達の前で「お断りしましたよね?」と口に出してしまうとマズい。私は取り敢えず「はは・・」と引き攣った笑顔で同意も否定もしない事に決めた。
私の心の中なんて分かる訳も無い衛兵さん達は、私と王子を期待に満ちたきらきらした笑顔で交互に見比べる。そして、一人の衛兵さんが意を決した様な緊張した声色で王子に尋ねた。
「も、もしかして、そ、それは・・春を呼ぶ王子に・・ついにご本人に『春』が来た、と言う事でしょうか?」
う、上手い事、言ったつもりかー!全然上手くないからなー!心の中でツッコむ。
王子は衛兵さんの言葉に、肯定も否定もせず余裕の笑顔で「さぁ?これ次第だろうな」と私の顔を覗き込んだ。
私と目が合うと、緑の瞳が意地悪く細められる。ぐぬぬ、絶対に私の反応を楽しんでいる。
王子の一連の振る舞いに衛兵さん達が女子だったら「キャーッ!」と色めき立ちそうな位、男性4人でざわついている。これはお城から帰る頃には、お城全体に噂が広まっているかもしれない。
王子はキャッキャッウフフしている衛兵さん達に「頼んだぞ」と言い、踵を返した。
王子は自分の部屋の少し手前で立ち止まる。周りに誰も居ない廊下で王子が手を繋いだまま「・・オオトリ」と話し掛けて来た。私は第5王子の方へ視線を向ける。王子の表情が少し強張っている様な気がする。
「はい、何でしょう」
「神殿から一人、トマリギを選んだ以上、お前は遅かれ早かれ、俺を『トマリギ』にしなければならない。それは決定事項だ。引っくり返せない」
「・・はい。オオトリで有る以上、理解しているつもりです」
「お前は、俺を『トマリギ』にしたいと思っているか?」
私は王子の頬に指を伸ばして触れる。・・そんなに不安そうな顔をしないで。
「・・貴方は、私の『トマリギ』になる人・・です」
1
お気に入りに追加
133
あなたにおすすめの小説
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
交換された花嫁
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」
お姉さんなんだから…お姉さんなんだから…
我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。
「お姉様の婚約者頂戴」
妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。
「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」
流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。
結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。
そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない
陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」
デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。
そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。
いつの間にかパトロンが大量発生していた。
ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
目が覚めたら男女比がおかしくなっていた
いつき
恋愛
主人公である宮坂葵は、ある日階段から落ちて暫く昏睡状態になってしまう。
一週間後、葵が目を覚ますとそこは男女比が約50:1の世界に!?自分の父も何故かイケメンになっていて、不安の中高校へ進学するも、わがままな女性だらけのこの世界では葵のような優しい女性は珍しく、沢山のイケメン達から迫られる事に!?
「私はただ普通の高校生活を送りたいんです!!」
#####
r15は保険です。
2024年12月12日
私生活に余裕が出たため、投稿再開します。
それにあたって一部を再編集します。
設定や話の流れに変更はありません。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結・7話】召喚命令があったので、ちょっと出て失踪しました。妹に命令される人生は終わり。
BBやっこ
恋愛
タブロッセ伯爵家でユイスティーナは、奥様とお嬢様の言いなり。その通り。姉でありながら母は使用人の仕事をしていたために、「言うことを聞くように」と幼い私に約束させました。
しかしそれは、伯爵家が傾く前のこと。格式も高く矜持もあった家が、機能しなくなっていく様をみていた古参組の使用人は嘆いています。そんな使用人達に教育された私は、別の屋敷で過ごし働いていましたが15歳になりました。そろそろ伯爵家を出ますね。
その矢先に、残念な妹が伯爵様の指示で訪れました。どうしたのでしょうねえ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる