名前を忘れた私が思い出す為には、彼らとの繋がりが必要だそうです

藤一

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俺を『トマリギ』にしなければならない

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花の香りがする王子の胸の中で、彼の「大丈夫だ」と言う言葉を噛み締める。
・・王子が大丈夫と断言した所で、これ以上私の記憶が欠けない保証は無い。でも、王子は一時しのぎにしかならないとしても私が求めている言葉をくれた。私は王子の胸元に一度、額を押し付けた。

「・・ありがとうございます」
「言い切れ、って言ったのは俺だからな」

王子はそう言うと、私から少し身体を離し、顔を覗き込んだ。

「さっきみたいに好物の甘い物でも食えば、嫌な事なんて忘れるだろ。どんなのが良いんだ?」
「え、でも・・フォスさんにお土産で用意して貰ってますし・・もう十分」

私が言い終わる前に、王子が私の頭をぽんぽんと叩いた。

「何だ、遠慮してるのか?甘い物は別腹って姉上が良く言ってたんだがな」

こ、こっちにもそんな言い方が。科学的根拠の有る話、とは聞いた事あるが、元の世界と異世界が同じ言い回しを使っている事に思わずくすりと笑ってしまう。

「・・じゃあ、次来た時にお願いしても良いですか?ふふ」

王子は答える代わりに、私の前髪を器用に掻き分けると額にちゅっと口付けた。
ぎゃッ!油断してた。私は慌てて前髪を下ろし額を押さえる。正式なトマリギじゃなくても「キス」位までOKみたいな事をミスティコさんは言っていた。実際、王子とはキスまでは済ませている。
なのに、なのに!こんな不意打ち。顔に熱が集まるのが分かった。第5王子の魔力が飛びぬけて強い所為なのか0距離で触れ合うとドキドキしてしまう。
私が額を押さえ顔を赤くして黙っていると、王子が私の耳元に唇を寄せ、少し震える声で囁く。

「・・口付けても、良いか?」

・・初めて神殿でキスをした時は、私に許可なんて求めなかったのに・・今日は私の気持ちを聞いてくれた。あの時と違って、今はトマリギであるアルケーさんが居るからなんだろうか。
・・目の前にいる男性は・・遅かれ早かれ正式な「トマリギ」になる男性だ。
私は自分の額から手を外し、一度だけ頷く。王子が私の肩に手を置いたのを合図に目を閉じる。

最初は軽く触れるだけ。次第に唇が押し付けられる。まるで「口を開けろ」と急かされている様だ。
・・あぁ、まただ。王子の吐息と自分の呼吸が混じって自制心がふやふやになってしまう。肩に置かれていた筈の王子の手はいつの間にか腰に回されていて、私がへたり込んでしまわないよう支えている。

「・・ん、はぁ、ん・・」

遠慮がちにほんの少しだけ口を開くと、歯の隙間から王子の舌の先がぬるりと咥内に入って来た。最初は様子を伺うみたいな感じだったのに段々、荒っぽくなり、その熱量に何も考えられなくなって来た。
ちゅ、ぐち、くちゅと言う濡れた音が廊下の片隅で漏れる。

あー、と・・ん?・・ろう、か・・廊下・・?そうだ!此処、お城の廊下じゃないか!人の往来のある場所じゃないか!それに、それに・・私、アルケーさんとのやく、そく・・約束。
湯煎されたチョコレートみたいにどろりとして生暖かくなってしまった自分の何とか意識を鼓舞して、私を向こう岸へ押し流さそうとしている王子の胸を慌てて叩いた。数度じゃ止めてくれなくて、私が必死こいて殴る位の勢いで叩いてようやく王子の顔が離れた。王子は濡れた口元を手の甲で雑に拭うと不満そうな表情を浮かべる。

「・・何で、止める。・・・・お前、もしかして北のに」
「王子!!・・あの、その、こ、此処、廊下ですよね?」

私は「王子!」と強めの口調で言い、第5王子の言葉を遮った。彼の言いたかった言葉は何となく・・予想が付く。

・・『もしかして、北のに、後ろめたさを、感じているのか?』

・・人から、トマリギ候補の人から、そう言われるのは・・心が軋む感じがするから今だけは何も言わないで。

「それに、あの!あー、何だかお腹が空いた様な空いてない様な?・・はは・・」

私が困ったフリで眉を下げてそう言うと、王子は何も言わずに腰に回していた腕をゆるゆると外した。0距離から解放され私は髪を手櫛でささっと整える。ちらっと王子の様子を伺うと、片手で顔を覆って長い溜息を吐いている。うぅ、この埋め合わせはいつか必ず・・多分。
溜息を2回程吐くと、王子はさっきまでの熱が引いたのか、私の方へ手を差し出した。

「・・腹が減っている所、申し訳無いがもう少し付き合って貰うぞ」
「はい」

私は王子の手を取る。あんな事が有った所為か、さっきみたいに気軽に話し掛けられない。少し気まずいが仕方無いか。
多分、この先いつか言わなきゃいけない事を、私は歩幅を合わせて歩いている金髪で癖毛の彼に心の中で語り掛ける。

・・あのですね、王子。私、王子の事は嫌いじゃないです。アルケーさんと違って、一緒に過ごせる時間が短いから「好き」になるまでちょっと時間が掛かるかも、ですけど。でも、私は貴方の事を「好き」になる。勘とかじゃない。決められた未来の様な、そんな気がするんです。王子は本当にツンツンしてて、口が悪くて少し強引だけど・・異世界から来た私に歩み寄ろうとしてくれてるのが分かるから。だから、ちょっと待って貰えると嬉しいです。

私は決意表明みたいに握っている手に力を込めると、王子も何も言わずに握り返してくれた。

王子の付き合って欲しかった場所は、王族の居住区の入り口?境界?だった。例のカーペットの色が変わる境目まで来ると、衛兵さん達が敬礼をして王子を迎える。王子は、私を指差し「これが城でうろうろしてたら、必ず俺の部屋か執務室まで連れて来る事」と言い付けた。成程、私の迷子対策の為に此処まで連れて来たのか。確かに迷子になった時用に、顔を覚えて貰うのは良いかもしれない。

「東の副司祭のお連れの方ですね。先程、お会い致しました」 
「・・これからは頻繁にこっちに来る事になる。許可証が無くても通してやれ」
「そ、それは・・」

許可証って、ミスティコさんが此処を通る時に見せてた紙の事だと思う。衛兵さん達が王子の無茶な要求に顔を見合わせている。

「ゆくゆくは、此処で生活する予定の有る者だ。構わんだろ。父上も了承済みだ」

は?その件は、さっき王子の部屋でお断りしたのに。でも、衛兵さん達の前で「お断りしましたよね?」と口に出してしまうとマズい。私は取り敢えず「はは・・」と引き攣った笑顔で同意も否定もしない事に決めた。
私の心の中なんて分かる訳も無い衛兵さん達は、私と王子を期待に満ちたきらきらした笑顔で交互に見比べる。そして、一人の衛兵さんが意を決した様な緊張した声色で王子に尋ねた。

「も、もしかして、そ、それは・・春を呼ぶ王子に・・ついにご本人に『春』が来た、と言う事でしょうか?」

う、上手い事、言ったつもりかー!全然上手くないからなー!心の中でツッコむ。
王子は衛兵さんの言葉に、肯定も否定もせず余裕の笑顔で「さぁ?これ次第だろうな」と私の顔を覗き込んだ。
私と目が合うと、緑の瞳が意地悪く細められる。ぐぬぬ、絶対に私の反応を楽しんでいる。
王子の一連の振る舞いに衛兵さん達が女子だったら「キャーッ!」と色めき立ちそうな位、男性4人でざわついている。これはお城から帰る頃には、お城全体に噂が広まっているかもしれない。
王子はキャッキャッウフフしている衛兵さん達に「頼んだぞ」と言い、踵を返した。

王子は自分の部屋の少し手前で立ち止まる。周りに誰も居ない廊下で王子が手を繋いだまま「・・オオトリ」と話し掛けて来た。私は第5王子の方へ視線を向ける。王子の表情が少し強張っている様な気がする。

「はい、何でしょう」
「神殿から一人、トマリギを選んだ以上、お前は遅かれ早かれ、俺を『トマリギ』にしなければならない。それは決定事項だ。引っくり返せない」
「・・はい。オオトリで有る以上、理解しているつもりです」
「お前は、俺を『トマリギ』にしたいと思っているか?」

私は王子の頬に指を伸ばして触れる。・・そんなに不安そうな顔をしないで。

「・・貴方は、私の『トマリギ』になる人・・です」
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