名前を忘れた私が思い出す為には、彼らとの繋がりが必要だそうです

藤一

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親鳥に付け込まれますよ

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・・最悪だ。ミスティコさんの一言で、アルケーさんから表情が消えた。正面のミスティコさんも仮面の様な笑顔を貼り付けている。室温も二人が冷気を出すから5度位下がった気がする。風邪を引きそうだ。

「あ、あの、そろそろ朝食にしないと・・私、食堂に取りに行って来ますね」

この部屋から脱出する口実、つまり朝食の話を振ると二人ともふっと緊張を緩めた。アルケーさんは私の頬にちゅっとキスをする。

「私が用意しますので、オトは待っていて下さい」
「・・ありがとうございます、あの・・お願いします」

私がそう言うと、アルケーさんはリビングから出て行った。本当は手伝った方が良いと思うんだけど、ミスティコさんに用が有る。
玄関のドアが閉まる音を確認すると、私はミスティコさんの方へ向き直り、紫の瞳をじとりと睨む。

「・・物凄く意地悪な事を言いましたね」

私がそう責める様な口調で言うと、ミスティコさんは心外だ、とでも言う様に肩を竦めた。

「『意地悪』?とんでもない。為になるアドバイスですよ」
「・・アドバイスだとしても、タイミングって言うものが有ると思います」
「はは、タイミング?我ながら絶妙なタイミングだった、と思っていますよ」

ダメだ、今何を言っても全部はぐらかされてしまうだろう。ミスティコさんの言葉に私は嫌な気持ちになってしまい、それがそのまま表情に出る。
口をへの字に曲げている私の方にミスティコさんが手を伸ばし、彼の指先が頬に触れる。

「・・貴女が北の副司祭の事を憎からず想っている事は分かっているつもりですよ。でも、このままでは・・」

ミスティコさんの言葉はそこで切れた。
「このままでは」?このままだと、どうにかなると言いたいのだろうか?私が次の言葉を待って、じっとミスティコさんの顔を見詰めているとぐしゃと表情が崩れた。私の頬に触れていた指先もすっと離れる。ミスティコさんの表情の変化に私は思わず「あ」と声を漏らす。

「・・良いです、すいません。この話は終わりにしましょう」

ミスティコさんは、痛みを堪える様な声でそう言うと、自分の顔を片手で覆って長い溜息を吐く。
言葉が途切れた一瞬、ミスティコさんは表情を崩した。その様子は子どもが泣きだす前にそっくりだった。だから私は「あ」と声を上げてしまった。ミスティコさんの歪んだ表情を思い出すと、胸の辺りがチリッと痛む。

「・・いえ、私の方こそ・・その、すいません」

私が謝罪の言葉を口にすると、力無く頭を振った。

「・・貴女が謝る必要なんて有りませんよ」

自分の胸に手を当てて、ミスティコさんがさっき言い掛けた言葉の続きを考える。

『このままでは・・』

このままでは・・一人のトマリギを寵愛して、結果、その大切な人を失ったオオトリの二の舞になってしまう、と言いたかったのかもしれない。
あの悲劇を繰り返さない為に、アルケーさんだけじゃなく私にも釘を刺す意味で「お前は『トマリギ』であって『夫』でも『恋人』でも無い」と言ったんだと思う。

「・・私、さっきミスティコさんに『意地悪』だって言ったんですけど、すいません。言い過ぎました」
「はは、俺の意地が悪いのは事実ですから、お気になさらず」

ミスティコさんはそう言うと、テーブルの上の書類を片付け始めた。私も自分とミスティコさんの分のカップを流しに持って行くが、気持ちはテーブルの上みたいにすっきりしない。
ミスティコさんは「気にするな」と言ってくれたが、私の言葉は彼を傷付けた・・と思う。今日は第5王子との面会が有るのに、この気まずい空気は悪影響を与えそうな気がする。
自分にも非が有った、と自覚しているなら早めの謝罪一択だ。
私は書類を持って自分の部屋に引っ込もうとしているミスティコさんの傍に慌てて駆け寄り、頭を下げた。

「あの、あのですね、ミスティコさんの言い方が冷たかったのは事実なんですけど、その理由も考えずに責める様な事をしてすいませんでした」

私は頭を下げたまま、ミスティコさんの言葉を待つ。

「謝る必要は無いって言ったでしょう・・」
「じ、自己満足だと言われればそれまでなんですけど、謝罪はきちんとしておきたい性質と言うか・・」
「・・そういう所、親鳥に付け込まれますよ。顔を上げて下さい」

ミスティコさんの声に刺々しさは無い。私は躊躇いがちに顔を上げた。私と目が合うと、ミスティコさんは少し微笑んだ。

「・・貴女が傷付かぬ様お守りする。以前、私は貴女に誓いましたよね?」
「・・はい」
「俺の態度がどんなに酷くても、俺の願っている事はそれだけなんです。それだけ忘れないで貰えたら・・」

私は「覚えておきます」と言い、失礼な事だと分かっていたけれど、ミスティコさんの顔を見ていられなくて俯いた。
彼の笑顔が寂しそうにも、色んな事を諦めている様にも見えて胸の辺りがチクリと痛む。ミスティコさんにそんな顔をさせているのが自分かもしれない、と思うと自分に腹が立つ。

「・・えーっと・・私もミスティコさんが傷付くのは嫌です。だから・・その、以後、色々気を付けます」
「その言葉、忘れないで下さいよ?」

俯いているから彼の表情は分からないが、そう念を押される。

「・・はい」

私が頷き、一言だけ返事をすると、ミスティコさんは「宜しくお願いしますね」と言い、自分の部屋へ入って行った。ミスティコさんが自室に引っ込んだのを確認してから私はのろのろとリビングに戻り椅子に腰掛け、テーブルの上でべしょと突っ伏した。

これからどうしよう。
多分、アルケーさんとだけ仲が良くなり過ぎると色々面倒な事になるんだと思う。それに関しては何度かミスティコさんが口を酸っぱくして言って来た。
もう一度、釘を刺して来たと言う事は、そろそろ第5王子との仲も進めて行かなきゃいけない、と言う事だろう。
・・そうだよね・・春を呼ぶ王子は王族だもんね。トマリギに順番を付けるなら、きっと彼が一番上に来る人だと思う。なんてたってこの国の長の子供だから。

「・・アルケーさんと、春を呼ぶ王子・・」

突っ伏したままトマリギの名前を呟き、一本、二本・・と指を折る。今は二人だから良いけど、前にミスティコさんが「次のトマリギ選出は揉めている」みたいな事を言っていた。

「・・あと一人・・誰かさん」

三本目の指を折る。『トマリギ』としてこの世界で生活するなら、少なくとも三人には平等に接しなければいけない・・んだろう。
私が三本の指を眺めたまま居ると、玄関のドアが開く音が聞こえた。私は慌てて立ち上がり、リビングのドアを開けた。

「オト、お待たせしました」

アルケーさんは私がドアを開けた事にお礼を言うと、手早く配膳を済ませ朝食の準備をしてくれた。私もお手伝いをしながら、アルケーさんの表情を伺うといつも通りの彼だ。

「準備が出来たので、ミスティコを呼んで貰っても良いですか?」

アルケーさんに言われミスティコさんの部屋に声を掛けると、ミスティコさんは出て来たがリビングのテーブルに着く様子は無い。どうしたんだろう、と思ってミスティコさんを見ると、彼は申し訳無さそうにした。

「オオトリ様、すいません。今日は登城なんですが、必要な準備を忘れていました。自室に戻ります。後でお迎えに上がりますので、準備をしといて下さいね」

アルケーさんをまるっと無視して私にそう言うと「私の分の朝食はアルケーと二人で分けて下さい」と言い、バタバタとリビングから出て行った。
うーん、この展開・・ミスティコさんは用意周到なタイプだから、これはわざとアルケーさんと二人きりになるようにセッティングされたんだろう。

「その、どうしましょうか?」

私がアルケーさんにそう言うと、アルケーさんは「取り敢えず、朝食にしましょう」と言い、私を椅子に座るよう促した。

アルケーさんと向かい合って朝食を取る。ミスティコさんから言われた『お前は『トマリギ』であって『夫』でも『恋人』でも無い』と言う言葉なんか無かったみたいに、普通に「おかわりは?」とか言いながら和やかな雰囲気だ。

「朝食が済んだら、登城の準備をしましょうね。私もお手伝いさせて頂きます」
「・・ありがとうございます。宜しくお願いします」

私はそう言いながら、向かいのアルケーさんの様子をちらちら確認する。やっぱり、いつも通りの彼だ。でも、嵐の前の静けさ、と言うことわざも有るし、この静かな食事がそれなのかもしれない。
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