名前を忘れた私が思い出す為には、彼らとの繋がりが必要だそうです

藤一

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お前の雛は大層、寛容だ

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二人に挟まれる様な格好なので、アルケーさんから逃げようとするとミスティコさんに密着する形になるし、ミスティコさんから逃げようとすると、うなじをアルケーさんに押し付ける様な形になる。
しかも二人の匂いの所為か気を張っていないと、どちらかに倒れ込んでしまいそうだ。
私は自分を奮い立たせて、うなじを右手でガードして左手でミスティコさんの胸元を叩いた。

「もうっ!からかうのも、いい加減にして下さい!」
「からかってなんかいませんよ」
「北のは分からないが、嘘など言わん」

また前後から匂いを嗅がれそうになって、もう一度ミスティコさんの胸元を叩く。

「ちょっと待って下さい!朝食もまだですよ!後、アルケーさんは書類の件が終わったんですよね?どうなったか知りたいんですけど!」

私がそう言うと、二人は引っ越しと朝食の件を思い出したらしく、背後のアルケーさんは「あぁ」と呟き向かいの席に腰掛けた。ミスティコさんも私へ寄り掛かる様な体勢だったが身体を起こし、私を囲っていた腕を緩めた。
ようやく解放された私はそそくさと一番近い席、ミスティコさんの隣に腰を下ろした。

「まずは無事に鍵を受け取って来たので、その点はご安心を」

アルケーさんはミスティコさんに居住区の移動に関するらしい書類を渡す。私は背筋を伸ばしてミスティコさんの手元の書類を覗き見る。書類の一枚にちらっと「許可」と言う判子が見えた。引っ越しが可能な事が分かって少し気分が上がる。

「隣は?何処の神官だ?」
「西の助祭ですね。夫婦二人きり、子どもは居ません」
「東か北が良かったが、まぁ仕方ない。あの西の司教じゃないだけマシか」

前から思っていたが私が思っている以上に、アルケーさんもミスティコさんも神官の方角を気にする。もしかしたら方角にも序列が有るのかもしれない。
「さて、と」とミスティコさんが私の方に向き直る。

「向こうに移れば、今より自由になりますが気を付けていただきたい事が有ります」
「何でしょうか?」
「そうですね・・居住区内で他の住民と出会った時は挨拶位なら良いですが、あまり深い付き合いはしない様に」

私が「どうして」と口を開く前に、正面のアルケーさんが「それが良いでしょう」とミスティコさんの言葉に頷いた。

「オオトリが現れた事は神殿でも一部の神官しか知りません。オオトリの顕現が広まると厄介なので、当面の間は大人しくしといて下さい」
「ミスティコの言う通りです。無防備な雛程、狙われ易いものは無いでしょう?」

アルケーさんはそう言うと琥珀色の目を細めて私の方を見た。「狙われ易い」と言う単語にヒヤリとする。
オオトリは吉祥の象徴みたいな事は聞いたが、この世界の人全員が『オオトリ』を歓迎している訳では無さそうだ。
何が『厄介』なのか気にはなったが、あまり詳しく聞くのは躊躇われたので、大人しく頷く。

「・・分かりました。ご近所付き合いは挨拶程度ですね。努力します」
「まぁ、こちらが避けたくても、恐らく目の前の貴女の婚約者の所為で、周りは放っておかないと思いますが・・」

ミスティコさんはそう言うと、ちらっとアルケーさんに視線を向けた。意味有り気に薄く嗤う。ミスティコさんの言葉にアルケーさんは珍しく眉間に皺を寄せている。二人の間にぴりっと緊張が走る。

「ミスティコさん、それってどう言う意味ですか?」
「そのままの意味です。この前、申し上げました様にアルケーは神殿内に限らず、あちこちで慕われております。そんな魅力的な神官に突然、婚約者が出来たとしたらどうなると思います?」
「えーっと・・私の世界だったら、ちょっとした話題になるかもしれません」
「その通りです。あの北の副司祭のお相手となれば、望むと望まざるに拘らずオオトリ様は好奇の目で見られるでしょうね」

ミスティコさんは「あの」と言う部分を嫌味っぽく強調した。

「う・・ミスティコさんは、こっちは目立ちたくないけど、注目されてるから一挙手一投足注意する様にって言いたいんですよね?」
「ご理解いただけた様で何より」

ミスティコさんと私のやり取りが一段落すると、正面のアルケーさんは申し訳無さそうに頭を下げた。

「・・すいません、オト。余計な苦労を掛けてしまって」
「え、いや、アルケーさんが注目の的って言うのはアルケーさん自身の所為じゃないですよね?アルケーさんは悪くないので、謝らないで下さい」

私が慌てて手を振り、アルケーさんの謝罪を遮る。私の様子を見ていたミスティコさんがソファに背を預け、鼻を鳴らした。

「アルケー、お前の雛は大層、寛容だ。今回の件の元凶は、お前が愛想を振り撒き過ぎる事だと俺は思ってるんだがな」
「そんな言い方しなくても・・アルケーさんが誰にでも優しいのは長所だと私は思います」

私がアルケーさんを庇うと、ミスティコさんの表情がすっと変わった。
眉間に皺を寄せて紫の瞳を細める。何か言いたそうに形の良い唇が動き掛けたが、そのままミスティコさんは口を噤んだ。
ミスティコさんの一瞬見せた表情が傷付いた様にも見えたので、私も思わず黙り込んでしまう。
正面のアルケーさんも注目される一因を作っているのが自分、と言う自覚が有るのか唇に指を当てて黙っている。
気まずい沈黙が三人の間に流れる。

「・・さて、私は先に向こうに行って挨拶をして来ます。ミスティコ、お手数ですが朝食とオトの案内をお願いします」

私が沈黙に耐え切れず何か言わなきゃと思った時、アルケーさんがソファから立ち上がった。居心地が悪かった静けさなんて無かったかの様な自然な調子だ。
隣のミスティコさんは短く「あぁ」と頷く。
これからお世話になるご近所さんへの挨拶だろうか、そう思い私も腰を上げた。

「・・あの、ご近所の方に挨拶するなら、私も一緒に行った方が良くないですか?」

アルケーさんは困った様な笑顔を見せて、緩く首を振った。

「いえ、オトは朝食もまだですし私一人の方が好都合なので大丈夫ですよ」
「え、でも朝食抜きって言うなら、アルケーさんも・・」
「北が言う通りですよ。素直過ぎる貴女が一緒に行っても足手まといになるだけです。全部顔に出るんでは、アルケーも気が気でないでしょう」

ミスティコさんの言う通り人の一言一句に、すぐ青くなったり赤くなったりする私が一緒に居たらお荷物になるかもしれないし、まだこちらの常識やら礼儀やらが私の中には無い。
第5王子の求婚みたいに、とんでもない粗相をする可能性も無くはない。

「お二人がそう言うなら大人しく待っときます・・」
「では後程。東の副司祭、くれぐれもお願いしましたよ」

アルケーさんは真っすぐ部屋を出て行かずに、わざわざ私の方へやって来て腰を屈めると私の耳たぶに「ちゅっ」と音を立ててキスをした。
アルケーさんの香りと一緒につんっとした快感が背筋に走った。私は慌てて自分の耳を押さえて、アルケーさんを睨むが当の本人は満面の笑みだ。

「行って来ます」

うぅ・・隣のミスティコさんを無駄に煽る様な行為だ。抗議して無言で居ようと思ったが、アルケーさんのきらきらした笑顔に推し負けてしまった。

「・・行ってらっしゃい」

ドアが閉まると同時にミスティコさんが大きな溜息を吐いた。何だかミスティコさんに申し訳無くて、私が悪い訳では無いが「す、すいません」と謝ってしまう。
ミスティコさんは「・・分からないな」とむすっとした表情で言いながら、席を立つ。

私が何が「分からないのか」尋ねる前に、ミスティコさんはさっさとドアの方へ向かい「朝食の準備をして来ます」と大きな音でドアを閉めて出て行ってしまった。
とっさに出た無意識の「すいません」が宜しくなかったのかもしれない。

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