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私が忘れたくない事を『忘れて欲しい』と仰る
しおりを挟む・・泣き過ぎた。大泣きするってやっぱり体力を使うんだな、と改めて思った。大人になったからと言って、その辺は子どもの頃と変わらないらしい。何だか目も開けづらい。
泣きはらした目で恐る恐る隣を見ると、アルケーさんが心配そうな視線を向けて来た。
私は慌てて、目を逸らしてソファのギリギリ端までつつっと移動した。アルケーさんの視線に耐え切れず両手で顔を覆ってしまう。
「取り乱してご迷惑をお掛けしました。すいません」
顔を覆ったまま謝る。きちんと相手の顔も見ずに謝罪なんて、かなり失礼な態度だと思うが気まずくて今は無理だ。
子どもの駄々に近い感じだったとは言え、何度も彼を叩いた。大泣きもして、多分、彼のシャツも汚してしまった。
一番の問題は、成り行きとは言え、キスの真似事をしてしまった事だ。
恋人同士だって、初めてのキスの後はどういう顔をしたら良いのか分からないのに、アルケーさんとは出会って数時間程度だ。どんな顔が正解なのか全く分からない。
あれは恋人同士がする様な甘い物では無かったから、開き直るも一つの手かもしれないが私には無理だ。
私の謝罪に対して、アルケーさんが答える。
「いいえ、オオトリ様が混乱されるのも当然かと思います」
「どうかお気になさらず」とアルケーさんが静かな声で続けて言った。私はアルケーさんの言葉にこくりと頷く。
「お気になさらず」と言う言葉に少し救われる。社交辞令だとしても、だ。
契約の儀式とかで耳にキスが出来る様な人なので、もしかしたら、さっきのキスの真似事も蚊に噛まれた程度の認識なのかもしれない。
「・・あの、非常に勝手なお願いなんですけど、さっき有った事、まるっと忘れて貰えないでしょうか?」
「さっき有った事とは?」
私のお願いに対して、アルケーさんが不思議そうに聞いて来た。まるで何の事を言われているのか分からない、と言った声色だ。
え?と思って、顔から手を外してアルケーさんの方を見た。
私がこんなに気まずいと思っているのに、アルケーさんの様子は全く変わりが無い。私と目が合うと「何の事?」と言う風に首をこてんと傾げた。
彼の様子から察するに、さっきのキスの真似事はアルケーさんにとっては取るに足らない事だった様だ。
う、自分だけこんなに意識して恥ずかしいではないか。顔が紅潮して来るのが分かった。
すると、私の様子をじっと見詰めていた琥珀色の瞳が三日月の形に細められる。
「・・オオトリ様、先程言われていた『さっき有った事』とは何の事でしょうか?」
「あ、いいえ。何でも有りません。私の勘違いでした」
彼の中で、アレがちっぽけな事で処理されているなら、蒸し返す様な真似はしたくない。私は慌てて「本当に何でも無いです」と付け加える。
私はそう言い終わると、アルケーさんから視線を外し、徐々に顔が赤くなっている事を隠す為に自分の頬を両手で挟んだ。
「そうですか」
アルケーさんの一言がえらく近くから聞こえて「え?」と思って隣を見ると、さっきまでソファの端と端って言う位の距離が有ったはずなのに、今は体温が感じられる位の近さになっている。
いつの間に距離を詰めたんだ?と思って驚いていると、アルケーさんが私の両手首をするりと取った。そのまま、私の身体を自分の方へ向かせた。
何が起こったか一瞬分からずに、アルケーさんの方を見上げると、にこっと笑顔を向けられる。
「『さっき有った事』の内容をぜひ教えていただけませんか?えぇ、詳しくお願います」
優しい、と言うよりは楽しそうな様子に、鈍い私もようやく気が付く。
・・この人、かなり意地悪な人だ。あの柔和な笑顔や物腰もカモフラージュなのだろう。
そして、恐らく現在進行形で「意地悪」をされている。
私はアルケーさんの方をじとっと睨む。アルケーさんはその視線をふふっと薄く嗤って躱す。
「オオトリ様は、私の事を『とても意地の悪い男』と思っておいでの様ですね」
「・・違うんですか?私にはその通りにしか思えないですけど」
「最初に私に意地の悪い事をなさったのは、貴女の方ですよ」
アルケーさんの口調はちょっと責める様だった。予想外の一言に「は?」と思い、私は今までの彼に対する自分の行動を思い返す。
八つ当たりが意地悪の範疇に入るなら、確かに彼に対して「意地の悪い事」をしたかもしれない。
「もしかして、アルケーさんに八つ当たりした事、怒ってます?」
「八つ当たり?」
「はい、こっちの世界に勝手に召喚された事に関して、アルケーさんに色々文句を言っちゃいました・・」
私がそう言うと、アルケーさんは顔を背けて我慢できないと言う風に、あははと笑い出す。
アルケーさんの笑い声って初めて聞いた・・。睨むのも忘れて、思わずじっと観察してしまう。
ひとしきり笑うと、アルケーさんは甘い雰囲気の笑顔を浮かべて、視線を向けて来た。
「そんな事、気にされていたんですか?本当に可愛らしい方ですね」
アルケーさんのその一言と呑み込まれそうな笑顔に、今度は私が俯く。
やばいやばい、アルケーさんの術中にはまりかけた。
耳たぶにキスをされた時もそうだったんだけど、いつの間にか「とろん」となってしまう。
何だろうなぁ、これ。アルケーさんのお香の様な良い匂いの所為かなぁ。
私がアルケーさんから感じる砂糖菓子の様な甘い雰囲気に呑まれない様に、他の事を考えていたら、両手ともアルケーさんが指を絡ませて、恋人繋ぎの状態になっていた。
ひぇっ!恋人繋ぎになっている自分の両手を交互に見て焦る。
時々、アルケーさんは自分の指を動かして、私の手をくすぐって来た。
何故に彼がこんなに積極的に迫って来るのか、理由が分からず混乱する。
アルケーさんから与えられる刺激に反応して、身体の奥に熱を帯び出す感覚にも戸惑う。どうしちゃったんだろ!本当に。
私は絡まった指を外して欲しくて、振り払おうと頑張るがびくともしない。
そんな押し問答を数回したところで、アルケーさんが繋いでいた自分の手をぐいっと引いた。引っ張られる様な形でアルケーさんの胸元に飛び込んだ。
一日何回、この体勢になるんだ!と思いながら離れようと身体に力を入れると、上からアルケーさんの低い責める様な声が降って来た。
「貴女は、私が忘れたくない事を『忘れて欲しい』と仰る。それはとても『残酷』な事だと思いませんか?」
アルケーさんの言葉に思わず顔を上げそうになる。しかし顔を上げれば、あの琥珀色の瞳と目が合うだろう。それは危険過ぎる。
視線を下に向けたまま、口ごもる。
アルケーさんが言う所の「私が彼に対してやってしまった意地の悪い事」と言うのが何なのかは分かったが、どう答えるのが正解なのか分からない。
「・・やはり忘れなければいけませんか?」
私がうんともすんとも返事をしないので、アルケーさんが先に口を開いた。先程の責める様な口調では無かった。
「わ、わ、忘れなくても良いですが、今まで通りに接して下さい」
「今まで通りとは?」
「突然、こんな風にしたりしないで下さい、と言う事です」
「こんな風とは?」
あぁ、もう!絶対にわざとだ!と舌打ちしたくなる。繋いでいる手にも、イライラの所為か力が籠る。
「突然、抱き締めたり手を繋いだりしないで下さい、と言う事です!」
私がきつめに言うとアルケーさんが「申し訳ありませんでした」と言いながら、するっと絡んでいた指を外してくれた。
あっさり納得してくれたので拍子抜けする。
意地悪な人だと思っていたが、アルケーさんって、実は意外に素直なのかもしれない。
私がそんな大甘な考えで一人納得していると、隣のアルケーさんがきっぱり宣言した。
「突然で無ければ、よろしいんですね?これからは事前に言う様にします」
アルケーさんの一言に、私が「やられた!」と言う顔をしていると、嬉しそうに彼が言葉を続ける。
「そうですね、事前と言うのはいつまでに言えば良いですか?10分前?それとも一時間前?前日でも私は困りませんよ」
アルケーさんは「私は譲歩しましたよ」と言いたげな笑顔でこちらを見詰める。
私は彼の笑顔を恨みがましい目で睨む。
アルケーさんが私の苦々しい表情とは対照的な甘い口調で尋ねる。
「オオトリ様、手を繋いだり、私の腕の中に囲っても良いですか?」
私はそれに答えない。アルケーさんは私の様子に小さく笑い、私の髪の一房取って、そこに口づけた。
「・・いつになっても良いので、口づけたり、それより先に進んでも?あぁ、事前に言ったので、これで大丈夫ですよね」
ば、ば、馬鹿野郎!!思わずそう思ったが、その言葉は、アルケーさんに対してなのか、完全に油断していた自分に対してなのか、それとも両方なのか自分でも良く分からなかった。
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