名前を忘れた私が思い出す為には、彼らとの繋がりが必要だそうです

藤一

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私が勝手に契ったのです

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「バ、バシレ・レ・?」
「バシレイアーですよ、オオトリ様」
「あ、あの、バシレイアーって、世界地図で言うとどの辺りですか・・」

ソファにしがみ付いたまま傍の銀髪の男性に震える声で尋ねた。
聞いた事も無い地名に、自分じゃない呼び名。
心臓がバクバクうるさい。呼吸も浅い。周りの空気が薄くなったみたいに上手く吸い込めない。
私の不安を落ち着けるかの様に、男性が私の隣に跪いて、そっと背中に手を添えた。静かな声で子どもに言い聞かせる様にゆっくり告げる。

「オオトリ様、ここは、貴女の住まわれていた世界ではございません」
「は?」
「貴女は別の世界から、こちらにやって来たのです」
「別の世界って・・ここは・・」
「オオトリ様の世界で、こちらは異次元、別空間と呼ばれる所だそうです」

それって「異世界」って言うやつでは・・。
え?って言う事は私は「異世界転移」か「異世界転生」したって言う事?
更に心拍数が上がった様な気がして、心臓の辺りをぎゅっと押さえる。

「わ、私、元の世界では死んでしまったんでしょうか?」
「それについては私どもでは分かりかねますが、伝承では、オオトリ様は『戯れ』でこの世界にやって来ただけ、と聞いております」
「『戯れ』!お遊びでこんな事になったって言うんですか!」

私は思わず声を荒げて隣の男性をぎゅっと睨む。銀髪の男性は困った様に眉をハノ字にする。
さっき、彼は「伝承」と言った。だからお遊びで異世界トリップした、と言う話は彼の意見じゃない。八つ当たりだ。私は力無く視線を床に落とす。

「・・すいません。色々有り過ぎて追い付かないと言うか・・」
「いいえ、どのオオトリ様も最初は戸惑われた、と聞いておりますので大丈夫です」

そう言いながら、背中をさすられる。男性は「宜しければ、お茶をご用意しましょうか」と言い、何処からともなく銀のベルの様な物を取り出し、チリンチリンと鳴らした。

「・・すいません」

私は再度、男性に謝る。深呼吸をしてみる。うん、さっきよりか幾分マシになった様な気がする。ただ、ショックの所為かまだ立ち上がれない。

「あの、さっきから気になっていたんですが、私の名前は『オオトリ』では無いです」
「存じております」

彼はそう言うと、私の背中から手を外し、そっと私の頬に手を添えて顔を自分の方へ向かせた。吸い込まれそうな琥珀色の瞳と目が合う。

「では、お聞きしますが、貴女の『本当の名前』は?」

今まで私の質問に答えていた銀髪の男性からの初めての質問に私は即答出来ない。
そう、自分の名前が出て来ないのだ。最初の一文字目は何だったっけ?はくはくと唇を動かす。でも名前は出て来ない。
目の前の男性は、私の様子をじっと見詰め一つ小さく溜息を吐く。

「やはり、オオトリ様は全てを置いて、こちらに来られたのですね」
「やはりって、どういう事ですか?わ、私、こっちに来たショックで記憶喪失とか?」

私がそう尋ねると同じタイミングで、ドアがノックされる。思わずびくりと肩が跳ね上がった。男性は「あぁ、驚かせてすいません」と一言言うと、するりと頬を撫でた。
銀髪の男性は私の頬から手を外し、ドアの方へ向かい扉を開けた。その様子を私はじっと観察する。
私の位置からは男性しか見えず、ノックした人は入って来ない。銀色のトレイがチラッと見えて、陶器の様なカチャカチャと言う音が聞こえる。
そう言えば、さっき「お茶を」とか言って、ベルを鳴らしていたな、とぼんやり思い出す。

「・・あぁ、そうだ、本物だ。至急、大司教様に連絡を」

男性がドアの外の人に言いつける言葉が聞こえた。私に対する柔らかな物腰では無く冷たく感情のこもっていない声色だ。

大司教?よくは知らないが、それって、宗教的に偉い人だよね?
それに『本物』ってどういう事だ?
床にへたり込んだまま頭を抱える。もう無理だ。情報が多過ぎる。分かった事、聞きたい事を書き出して整理したい。
のろのろとしがみ付いていたソファへ腰掛ける。背もたれに思いっ切り身体を預ける。
気が付くと、ソファの傍に男性がトレイを持って立っていた。

「オオトリ様、お疲れの様ですね」
「はい、とても」

彼は、私の言葉に苦笑いを浮かべて「どうぞ」と言いながらトレイを私の横に置いた。ティーカップから良い香りが漂う。

「あぁ、やはり、この部屋にはテーブルセットも必要ですね」

男性がぐるりと部屋を見渡して呟いた。もしかしたらやんわりと私に同意を求めていたのかもしれないが、それには答えず、自分の横のティーカップを見詰める。
家具の事なんてどうでも良い。とても疲れたし、緊張と不安の連続で喉も乾いた。
隣に置かれたトレイのティーカップのお茶は「どうぞ」と言われたが飲んでも良いのだろうか?何か混ぜ物でもされていたら、どうしよう?
私の考えを読んだかのように、傍に控える男性がくすっと笑った。

「ご安心を、オオトリ様。何も入っておりません。この茶葉は、先代のオオトリ様がお好きだったと聞いております」
「はぁ・・」

私は曖昧に返事をすると、恐る恐るカップに口を付けた。
香りから分かっていたが、見た目も味も「紅茶」そっくりだ。ちょっとした専門店の味。
カップの透き通った深紅色を眺めていると、緊張の糸がふっと解れるのが分かった。この、バシレイアーとか言う所に来て、初めてホッとした気がする。
紅茶について語れる程、好きだった訳では無いが、慣れ親しんだ味って大切だ。こんなに安心する。
カップに口を付けてから、黙り込んでしまった私に銀髪の男性は何も言わない。感想を求めたりお茶の紹介をする訳でも無い。
その心遣いがありがたい。

「・・貴方のお名前を教えて貰っても良いですか?」

私はカップを置くと、隣の男性を見上げて聞いた。
その時に気が付いたが、銀髪の男性は通った鼻筋に、切れ長の瞳のかなりの美形だ。いや、落ち着いてみるって大事だな。

私から質問された銀髪の男性は、何故だかちょっと困った様な表情になった。
薄い唇に指を当てて考え込んでいる。
もしかして、こちらの世界では「名前」は聞いちゃいけなかったのだろうか。所謂、タブーだったか?

「・・あの、すいません。聞いちゃいけない事だったんでしょうか?」
「あ、いいえ。そういう訳では無いんですが、私の様な者は名前で呼ばれる事が少ないもので」

名前で呼ばれる事が少ない?まさか「おい」とか「犬」とか呼ばれてる訳じゃないよね?
先程見たドアでのやり取りを思い出す。この人は、誰かに物を言いつける位の地位の人だと思うんだけど。
あ、もしかして「役職名」か?この銀髪の男性は、会社の様に「役職名」で呼ばれる事が多いのかもしれない。さっき「大司教様」と言う単語も出て来ていたし。

私が一人で勝手に納得していると、銀髪の男性は、私の横に跪いて私の手を取った。私と彼の視線の高さが同じになる。
彼の表情は少し緊張した様な面持ちだ。今まで私に見せていた表情とは全然違う。
彼から熱っぽい視線を向けられて、私は妙に緊張する。目を逸らしたいが、魔法にかけられたかの様に、琥珀色の瞳に囚われる。

「私の名前は、アルケーと申します。オオトリ様にお仕え出来て光栄でございます」

少し張り詰めた声。その声に私も思わず背筋を伸ばす。
言い終わると、ふわっとアルケーさんの綺麗な顔が近づいて、右の耳たぶにそっと唇が触れる。今度は左。お香の様な落ち着いた香りが鼻をくすぐる。
左右の耳たぶに濡れた吐息が触れた。くすぐったくて「ふっ、くぅ」と言う声を思わず漏らしてしまう。自分の声に思わず顔が熱くなる。
目の前のアルケーさんは、私の様子に満足そうに微笑んで「末永くよろしくお願いいたします」と言った。

今、一瞬うっとりしてしまったが、な、何!この一連のアルケーさんの行動は!
優雅に、流れる様な所作で全部受け入れてしまった。挨拶なの?これは、この世界での挨拶なのか?
これが挨拶の形なら、今度からは挨拶無しでお願いしたい。心臓に悪い。
私はさっき、妙な声で鳴いてしまった事も誤魔化したくて、きつめの口調で尋ねる。

「あ、あの!アルケーさん!これって、この世界の挨拶のやり方なんですか?」
「まさか。いくら何でも、こんな破廉恥な挨拶は致しません」

破廉恥!分かっていてあんなえっちぃ事したのか!
後、挨拶じゃなかったってどういう事?

「挨拶じゃなかったなら、さっきの・・『アレ』は何だったんですか?」
「心を許した相手にする『契約』の様なものだとお考え下さい」
「け、け、契約?私、そんな重大な事、やっちゃったんですか?」
「大丈夫です、オオトリ様は何も関係ございません。私が勝手に契ったのです」
「契るって何を?」

私がそこまで言うと、アルケーさんは私の唇に自分の人差し指で蓋をした。アルケーさんの瞳が三日月に細められる。

「オオトリ様、いずれ分かる事です。楽しみは取っておきましょう」
「・・」
「あぁ、ただ『契約』は常に更新した方が良いので、また明日も『契約』しましょう」

は?契約更新って言う事は、あの破廉恥な行為を明日もするって言う事ですか?挨拶みたいに契約更新するってどういう事ですか?

本当はそう聞きたかったが、アルケーさんの有無を言わせない圧と、私の唇を塞ぐ人差し指の所為で何も聞けず、何故だかこくこくと頷いてしまった。

美形の圧力って怖い・・。
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