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3年生

もう少しだけ

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「マリス……」

 ドアの前にはアルが立っていた。こんな惨めな姿をアルに見られたくなかった。

「マリス、お身体を綺麗にします」

 アルがベッドの方まで歩いてくる。
 アルの手には、水の入った桶とタオルがあった。

 アルは濡れタオルで僕の顔を念入りに拭いてくれた。

「マリス、ごめんなさい」
「謝らなくていいんだよ。そもそも僕が悪いんだから。エチカには、作戦は失敗って伝えてもらえる?」
「マリスは悪くありません。悪いのは……」
「アル。もう、いいから……」

 アルは僕の気持ちを察してくれたのか、静かに部屋から出て行った。

 しばらくぼうっと壁を見つめていた。
 口内にはまだ違和感が残っていて、気持ち悪い。

(明日も明後日も、アレが続くの? 冗談じゃない! 早くここから逃げないと)

 唐突な焦燥感に駆られてドアの方まで飛び出すが、ドアに着く前に鎖が張り、勢いで地面に転ぶ。

 力任せに鎖を引っ張り暴れるが、びくともしない。

「クソッ、クソッ……!」

 ガシャン、ガシャンと鎖が大きな音を立てる。
 何度も何度も鎖を引っ張る。鎖が擦れて肌が赤くなってきた。

「おい、うるせぇぞ!」

 大きな音を立ててヤンが部屋に入ってきた。彼の顔を見るだけで、血の気が引いてくる。

「ひっ! や、やだ!! 来ないで!」

 僕はベッドまで逃げた。

「逃げなくたっていいだろ。うるさくしていた罰を与えないとなぁ?」
「来ないで!! 誰か助けて!!」

 じりじりとヤンが近づいてくる。僕の反応を楽しんでいるような、下品な笑みを浮かべていた。

「そんな顔で俺を見るなよ、興奮す……」

 ぴたりとヤンの動きが止まった。なんだか外の様子がおかしく、怒鳴り声が飛び交っている。

「なんだ、やけに騒がしいな」

 ヤンが部屋から出ていく。僕はほっ、と胸を撫で下ろした。
 だが、またすぐ乱暴にドアが開けられた。
 僕はドアの方も見れずにぎゅっと目を瞑り、腕を顔の前に翳して防御の姿勢をとった。

「嫌だっ、来ないで!!」
「マリス!」

 聞こえてきたのは下品なヤンの声じゃなくて、ずっとずっと聞きたかった綺麗な低音だった。

(うそ……)

 恐る恐る目を開けると、ぎゅっと体が包み込まれた。

「マリス、遅くなってごめん。助けに来た」
「セオ……!」

 久しぶりに感じるセオリアスの体温と匂いに、緊張の糸がぷつりと切れる。

「怖かったよな、よく耐えた」

 セオリアスは、嗚咽を漏らして泣く僕を抱きしめたまま頭を優しく撫でた。

「せ、セオっ、う、ひぐっ……うぅ……あり、ありが……」
「あぁ、落ち着け落ち着け」

 セオリアスは、今まで聞いた事がないくらい優しい声を出した。

「あ、エチカは……」
「エチカも救出されてるはずだ。マリスとエチカを攫った奴らもみんな確保されている」

 セオリアスの言葉を聞いて、この上ない程の安堵感に包まれた。

「マリス、鎖を外すぞ」

 セオリアスが僕から離れていきそうになって、僕は咄嗟にセオリアスの背中に手を回した。

「おい、これじゃあ」
「お願い、もう少しだけ……」
「あぁ」

 セオリアスにぴったりくっつく。僕の体はまだ少しだけ震えていた。
 セオリアスは、僕の背中を優しくさすってくれた。

「なぁマリス。俺、マリスに謝らなければならないことがあるんだ」

 セオリアスは僕の背中を撫でながら続けた。

「マリスが攫われて、死んだような心地になった。俺は、マリスがいないと駄目なんだってわかった」
「うん……」
「フィオーネ殿下と結婚した方が、マリスにとっても幸せなんじゃないかって身を引いたつもりだったが、空回ってた。やっぱり俺は、マリスに側にいて欲しいんだ」

 セオリアスは、ぴったりとくっつけていた体を少しだけ離れさせた。
 セオリアスと僕は少しだけ見つめ合って、互いの体温を確かめ合うような、触れるだけのキスをした。

「落ちついたようだな。じゃあ、鎖を外すから」

 セオリアスは、ポケットから鍵を取り出して僕の手枷と足枷を外した。

 ようやく自由の身となり、開放感でいっぱいになる。

「助けに来てくれてありがとう」
「いいんだ」

 イェルグに靴を取られてしまい裸足だった僕は、セオリアスに背負われながら洞窟を出た。

 洞窟の外はたくさんの人が居て、何台か馬車があった。
 ほとんどの人が王宮騎士の鎧を身につけている。

(王宮騎士がこんなにいるなんて……思っていたより大事になっているのかもしれない)

 僕はセオリアスの背中から降ろされ、騎士の1人に引き渡される。

「マリス様、こちらで手当てします」

 騎士の人が馬車まで案内してくれる。小窓のついた白い馬車は、ドアが開けっぱなしの状態で停車していた。

 馬車の中には、毛布に包まったエチカがいた。

「マリス! 無事で良かった……いや、ごめん。無事じゃないよね……本当にごめんなさい。ぼくのせいで」
「エチカのせいじゃないよ。エチカは何もされてない?」
「うん、ぼくは何もされてない」

 すぐに騎士の人が毛布と紅茶を持ってきてくれた。
 水筒の蓋に入れられていた。水筒の蓋に入れられた飲み物を見たのは前世の小学生の遠足以来だ。
 
 紅茶を一口飲めば、手足の先かじんわりと温まった。

「エチカ、マリス」

 コンコン、と窓をノックする音が聞こえる。外に、騎士の服に身を包んだグランが立っていた。

「え、グラン!?」
「とりあえず無事っぽくて良かったぜ。もうそろそろ出発する。詳細は城に着いてから話すから、ゆっくり休んでてくれ」
「わかった。ありがとう」

 グランの言ったとおり、馬車はすぐに出発した。森を抜けるとすぐに見慣れた景色が見えた。

 僕たちが攫われた洞窟は、アスムベルク領地の森の中にあったのだった。
 
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