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1章

1,幼馴染の旦那様

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 遡れば、私が幼馴染のロイス・エヴァシルトと結婚した時の話である。

 私の名前はエミリア・ソルアルフ。元伯爵令嬢だったけれど、今は旦那様ーーロイスの妻である、エヴァシルト侯爵夫人を名乗ることが出来る。

 そんな私とロイスは明日で結婚から二年を迎えようとしている。けれどその間、私たちの間には何もなかった。手を繋ぐことも、共に寝ることも、キスをしたのだって結婚式での一度だけ。
 だからといって会話がないわけでもない。

 今だってそうだ。

「今帰った。大人しくしていたか、ブス」
 横柄にそう言うのは、仕事から帰ってきたロイスだった。その手にはトレーが持たれている。今日の夕食だ。
 私はこの与えられた一室から出る事を許されない。何故なら、容姿が醜いから。彼と釣り合っていないから。
「この世でお前より酷い顔なんてどこを探しても見当たらない」
「…ごめんなさい」
「幼い頃からの婚約だったから我慢したんだ。感謝しろ」
「…はい」
 私が口にしていいのは、ありがとうございます、ごめんなさい、はい、いいえ。この四つだけ。他の言葉は決して口にするなというのが、一つ目の決まり。そして。
「この部屋から出なかっただろうな。誰かにその顔を見せることがあったら一生地下に閉じ込めるからな。分かってるのか」
「はい」
 先程も言った、この部屋から出ることは許されない、二つ目の決まり。
「使用人と話したりしていないだろうな」
「はい」
 彼以外の人間と話してはいけないという決まり。
「…お前は本当に醜い。うっかり社交界にも連れて歩けない」
「…ごめんなさい」
 私たちの間の決まりごとは至ってシンプル。
 彼に迷惑をかけなければそれでいいだけの話なのだから。
「……また明日の朝に来る」
「…はい」


 私は彼を愛している。
 彼は私を愛していない。

 私の父と彼の父は、昔馴染みの親友だった。その繋がりで私たちは婚約した。
 私は昔から引っ込み思案で、中々友人が出来なかった。だから初めて出来たロイスという友人に心から惹かれた。
 あの頃はロイスもまだ優しかったように思う。けれど、ロイスは歳を重ねるごとに立派な青年へと成長した。対して私は醜い容姿に育った、らしい。
 分からないのだ。学校には通わなかった。人と関わるのが怖いと言えば、家庭教師を付けてくれたから。ロイスにも、お前のような醜い女はみんなから虐められるのだと、だから無理して学校に行ったらうっかり怪我をさせられると聞いたから。怖かった。
 母は随分と前に亡くなっていたから、残ったのは私をひたすらに甘やかす父だけ。
 それでも、学校が終わってから毎日のようにロイスは足を運んでくれた。
 家から出なかった私は、昔からいる使用人のメイドたち以外の女性と関わることも、顔を見ることもなかった。
 使用人は私を美しいだとか絶世の美女だとか言ったけれど、ロイスは鼻で笑い、お世辞だと教えてくれた。
 彼が醜いと言うのだから醜いのだろうし、それでいい。
 誰とも会わず、彼をひたすらに愛して、この部屋に閉じこもればいい。そう考えていた時期も私にはありました。

 けれど最近、メイドがひそひそ話しているのを聞いてしまったのです。
「旦那様には愛人がいらっしゃるそうよ」
「まぁ、そうなの?ーーけれど、仕方ないわよね。…この部屋の中に、本当に奥様なんていらっしゃるのかしら。誰もその姿形を見たこと無いのでしょう?」
「人形が置いてあるなんていう噂もあるのよ」
「まぁ…。……人なんて、こもりきりで生活なんて出来ないものね」
 成る程、確かにそうだ。私は彼女たちの姿を見たことはない。彼女も私の姿を見たことはない。
 けれど人形なんて。このままではロイスに不名誉な噂が流れてしまう。そう即座に判断した私は、つい声を出してしまった。
「人形なんて、いないわ」
「「きゃあっ!!?」」
 扉の向こうで悲鳴が聞こえる。しまった、驚かせてしまった。どうしようと狼狽えていると、恐る恐ると言った声が聞こえた。
「お、奥様でいらっしゃいますか…?」
 どくりどくりと心臓が高鳴る。だってロイス以外の人間と話すのは実に二年ぶり。
 お父様とはたまに手紙をやり取りするけれど、下手なことは書けない。だってロイスが確認してからお父様に届けるのだから。
「…そうよ。初めまして、エミリアって言うの。ごめんなさいね、扉の向こうからで」
「は、初めまして…?」
「……本当に奥様いらっしゃったのですね…」
 驚きとも感慨とも取れない声が聞こえて苦笑する。
「あなた達のお名前、なんて言うの?」
「え、あ、」
 一人が名乗ろうとした時、もう一人が慌てて止める。
「駄目よ!旦那様からも決して話しかけてはいけないとキツく止められているでしょう!!」
「け、けれど…」
 成る程、メイド達にもそんな決まりがあったのか。どうりで二年もここに篭れるわけだ。
「…大丈夫よ、ロイスには言わないわ。もう長い間、彼以外とおはなししていないの。良かったら、たまにでいいから、話し相手になって下さらない?」
「……し、仕事の合間で宜しければ…」
「ちょっと、ルシア!?」
「別にいいじゃない、少しくらい…」
「けれど…」
 引き止める声もそこそこに、若くて凛々しい感じの声が響く。
「初めまして、奥様。ルシア・スヴァンと申します。二年前からこの屋敷で働かせて頂いております」
「ルシアって言うのね、よろしくね。…もう一人の方は、」
「あ、エリーと申します!!よろしくお願いします!!」
 可愛らしい声が聞こえてふふっと笑いが漏れる。
「エリー…ルシアとエリーね。よろしくね」
 その日、久しぶりに私はロイス以外の人間と話した。
 そして知ることとなる。
 彼が、他に愛人がいるということを。
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