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46,女装は必要時だけ。
しおりを挟む暗闇の中でぼんやりと視界を彷徨わせる男に、レイは笑おうとするが、表情筋が固まったまま動かない。
「ここは…?」
素早く頭を回転させて状況確認しようとするところは流石だというべきか。こんな男でも公爵家当主が務まっていたということを教えてくれる。
「起きましたか?」
「!?」
ゆっくりと出来る限り自然な笑みを作って歩み寄る。納戸の隙間から差し込む月の光だけが灯りとなる。
「あら、私のことを忘れたの?」
長くて重い女のドレスを着て、威嚇する彼の目の前に立つ。その髪にはウィッグを付けて、顔には化粧が施されている。まさかこの歳になって女装するなんて思わなかったな、なんて暢気な事を頭の隅で考えたレイだが、出来る限りで出した高い声に、早くも喉が潰れそうだ。
何故女装しているか。その目的は、ただ一つ。
「…レイシェル…?」
「えぇ。久しぶりね、シーザ」
本当に、お久しぶりですね?お父様。
「……お前が私を迎えに来てくれたのか…?」
ぼんやりとした、虚ろな目で彼が問いかける。その言葉に、盛大に顔を顰めてやった。
「そんな訳がないでしょう?」
「レイシェル?」
「触らないで」
腕を掴んできた手を振り払うと、彼は焦ったような顔で呟く。
「どうして私を拒む?何故?死んだ後も私を愛してくれると言っただろう?」
「…よく言うわね。私は貴方のせいで、死んだのに。貴方に殺されたのと同じなのに」
貴方のせいで母様は殺されたのに。全部貴方が悪かったのだ。
大切なあの人があんな風に無残な死を遂げるくらいなら、あんな風に心が壊れるまでいたぶられるのなら、俺はこの世に生まれなくて良かった。俺は生まれなくて良かったから、この男と出会わず、幸せに生きていて欲しかった。
貴方がもう少し気遣えばよかった。家にいる時間を増やせば良かった。与えられた狭くて埃っぽい離れに居てくれたら良かっただけ。
「こんな事なら、他の男と結婚すれば良かった」
こんな事をして意味がないと分かっている。それでもこの男を、母と自分の傷付いた、ほんの少しの痛みを与えられるなら。そう、思ったのに。
「…あの男と結婚しなかった事を後悔しているのか」
「……え?」
あの男?なにそれ?
「幼馴染のあの男と結婚した方が良かったと、思っているのか。…あぁ、そうだな。君はずっと後悔していた。…結婚式のあの日、私が君を連れ去った日から、ずっと」
ーー結婚式?連れ去った?は?
「……そう、ね」
これはなんと言うのが正解なのだろう。そもそも母に幼馴染がいたことに驚きだ。
「…私は君に甘えていたんだ。私を愛しているなら、例え窮屈な部屋でも我慢してくれると」
「は……」
何だよそれ。そうだよ、ずっと母様は我慢していたんだ。どんな嫌がらせにも耐えて、耐えて、我慢して。
「……君がせめてベータだったらと、考えた時もあった。けど、そんな事もどうでも良くなるくらい、愛していたんだ。…いや。今でも、愛している」
「ーーうそ」
そんな嘘をつくなよ。アンタはどうでも良かった。母様のことも、俺のことも。
「嘘な訳がない。…君のことも、レイの事だって、愛していたさ」
「だって、だって」
いけない。冷静にと分かっているのに、段々と頭が熱くなっていく。
「貴方、レイが死んでも、悲しんだりしなかった」
母様が死んだ時だって、泣いたりしなかった。
「…何を言っている?レイは生きて、逃したはずだろう?」
「え…?」
どうしてその事を貴方が知っている?だってそれは、兄様と母様だけが知っているはずなのに。
「まさかレイまでこの世にいないのか!?君が言ったんだろう、レイだけは、何としても生きて守り抜くと!!ずっと探しても手掛かりすら掴めないのは、まさか、もう…」
どういうことだ?分からない。意味が、分からない。
「レイが、生きているのだからと、それを生きがいにしていたというのに……」
「は?どういうこと?俺が生きているの知ってたの?なんで?」
「……俺?」
「あ」
ヤバい。そう思って後退ると、待ってくれと再度手を掴まれたのだが。
「うわっ、触れる!!」
振り払う前に、離された。
「え?なに、もしかして私は死んだのかい?幽霊に触れるとか……うわー……」
ツンツンと指先で突いてくるものだから、多少苛立ちながらもウィッグを取って、彼に向かって投げる。
「幽霊な訳ないでしょう。貴方、本当に公爵ですか?」
「………まさか、お前は…」
ごくり、とシーザが息を飲む。
ようやく気付いたか、と軽蔑の眼差しで見下ろしたのだが。
「レイシェルの生まれ変わり…?」
「アホか!アンタ探してる相手の顔もわかんねぇのかよ!!!」
「……まさか…」
また脱力させられる前に答えてしまおうか。
「レイですよ。お久しぶりですね、父様」
「…とうとうレイがあの世から迎えに…」
「死んでねぇよ!!」
何なんだ、このコントみたいなやり取りは。
久しぶりの親子の再会とは思えない、と呟いたところで芝居も終了だ。扉が開いて、光が部屋の中に差し込む。
「面白いものを見たな」
「そうですね、陛下。レイの演技力は素晴らしい。さすが私の弟です」
入って来たのは勿論、リヴィウスとロイスだ。
「へ、陛下?ロイスまで…………えっ、え、お前、本当にレイ…?」
「そう言っているでしょう」
「ところで父上、聞きたいことと言いたいことが山ほどあるのでさっさと立ってくれませんか」
「あ、あぁ」
ロイスに促されるままに立ち上がる父を横目に、リヴィウスが近付いてくる。
「ウィッグを投げる様は中々だったぞ」
「褒めてませんよね」
「…女装プレイか……ありだな」
「もう二度としません」
女装すれば母様と瓜二つ。けれど俺は男だし、こんな事がなければ女装なんてしない。
さて、久しぶりの親子の会話の出だしとしては中々じゃないですか?
そう思うでしょう、天国の母様。
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