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54,幸せですか?

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 先行視察と聞けば穏やかだが、実際はそんなに生温いものではない。陛下が来た時に一秒も狂いがないよう完璧に準備し、危険物がないか、山程の数の墓の裏まで一つ一つ調査する。道中の警護の数は当たり前ながら、当日陛下を一目見るために集まる国民のことを考えると頭が痛い。
 毎年王妃は城で待機だ。今年は王子がまだ幼いこともあり、まぁ当たり前なのだが、陛下が外へ出したがらないのが理由だ。

「隊長、見えて参りました!」
「あぁ」

 視察隊の取締りを任されたローレンは、隊長という敬称にむず痒さを感じていた。
 ぼんやりと見えてきた、沢山の数の石が並ぶ国境付近の丘。あそこには、生きていたならば自分も同じくらいには出世していたであろう同輩たちが眠る。

「ロイ」

 愛称を呼びながら振り返ったローレンに、彼は固く笑った。あの場所に近付くにつれ、皆の空気が重くなる。何故かはわからないし、あの時にまだ子供だった者までそんな顔をする。
 きっとあの場所には見えない何かが、十年経った今でも残っているのだろう。

「私は先に確認をして、その後教会にも行かなければいけませんから。夕食の時間になったら、宿で会いましょう」
「わかりました。気を付けて」

 微かに甘い雰囲気を漂わせるそれに突っ込む者はいない。むしろあのアグシェルト公爵が、ピクリと笑いもしないと有名だった彼が微笑んでいるのを皆、物珍しそうに見るだけだ。

「視察隊一班、二班、行くぞ!」

 はいっ!
 活気のいい声が揃い、前方を馬で駆けていた者たちが更にスピードを速める。
 先頭を走る愛しい人の姿を見て、ロイスは顔を曇らせていた。






「特に目立ったものは見つかりません。ですが供え物の検査にはもう少々時間がかかります」

 報告してくれた視察隊の部下に了解、とローレンは頷いた。
 この時期は特に墓への供物が増える。だがその中に不審物がないかを確認するのは自分たちの仕事だ。いっそのこと陛下が来るのが終わるまで禁止にしてくれたらいいのに、なんて考えてしまう。

「当日の段取りをもう一度確認してくる。判別が出来た時に私が帰っていなければ、申し訳ないが教会まで足を運んでくれるか?」
「了解致しました!」

 敬礼を取った部下に背を向け、ローレンは慰霊碑のある丘の入り口に留めていた馬に乗る。
 ざっと丘を見ても、やはり凄い数だ。たった数十人の犯罪で、数百人の死者が出た。殆どが新卒の若い者ばかりだったからこそ、ローレンの同輩の人数は他の世代に比べて随分と少ない。その分出世率も高いわけだが、嬉しくもなんともない。
 今夜から丘の入り口には交代で見張りが入り、一般人は誰も通すことが出来ない。
 もう見えないくらい向こうのほうの墓石を眺めて、ローレンはひとつため息をつく。
 気持ちを切り替えて教会まで走ろうと馬の方向を変えたその時だ。

「あの、こちらに視察隊の方はいらっしゃいますでしょうか?」

 ちょうどこの間屋敷に押しかけてきた美少年に引けを取らない美しさの少年が、こちらに声をかけてきていた。

「そうだが…」

 少年の手には数枚の紙があった。

「君は?」
「申し訳ありません。教会の者ですが、神父が昨日から体調を崩しておりまして、段取りの確認をしてくるように仰せ仕りました」

 ぺこりと頭を下げる少年は、なんとも庇護欲がそそられる。だがそれ以前にもっと、なにかを感じた。

「…君、どこかで会ったことはないか?」
「……はい?」

 怪訝そうな顔をされ、しまったと思う。見るからにオメガの少年にこんな言葉をかけては、口説いていると思われても仕方ない。
 迷惑そうな顔をした彼に慌てて言い訳をしようと口を開きかけると、少年は「あ」と声を漏らした。

「貴方様は…兄の、…友人の、ローレン様ですか」

 じっとこちらを見る瞳に、ローレンは固まってしまう。

「……ライエルの弟か」

 遥か昔に自分を抱いた男が、ベッドの上である絵を見せてきたことがあった。俺の弟なんだ、可愛いだろう。そう呟いた彼の声が今でも耳の奥に酷く残っている。

「…お久しぶりでございます」

 再度頭を下げた彼とは葬儀の際に会った。どうして自分の兄なのだと声を張り上げた彼に、誰もなにも言えなかった。
 彼らに親はいなくて、ライエルが弟を一人で育てていたから。

「大きくなったな。誰だか分からなかった」

 馬を柵に繋ぎ直し、彼に手渡された書類に目を通す。確かにそれは神父に渡していた者で、ついでに『言伝はこの者に願います』と神父の判子が押された紙が挟まれていた。

「…貴方様も、お変わりなさそうで安心しました」

 固く笑う少年に苦い気持ちになる。あまり顔を合わせたくない相手だった。というより、遺族の方と顔を合わせたくなかった。ローレンの顔を見れば、生きていれば自分の息子も…と思わざるを得ないだろう。
 実際、あの事件から数年の間は何度も言われ続けた。

「今から教会に向かおうと思っていたが、よかった。ここまで歩いてきたのか?」
「他に所用もありましたので」

 よく見れば教会の衣服を纏い、十字架を胸に下げている。

「…何故君が教会に?」

 陛下から遺族にはそれなりの大金が支払われた。勿論命はお金では買えないけれど、当分の生活を保障するためだ。
 少なくとも少年にも、そのお金があればそこそこ良い学園に入って、かなりレベルの高い学習を受けられたはずだ。わざわざ教会に入り、神の道に進まなくても食べていけただろうに。

「……あれから毎夜、兄が現れて言ったのです。自分と同じように憲兵団にだけはなるんじゃない、貧しくても安全な場所で生きろと」

 騎士団は憲兵団の中から選りすぐりの者だけが所属する。十年前は自分もあの男も、憲兵団のしがない兵士だった。

「そうか。…今も夢に?」

 声が微かに震えてしまったのは、何故だろう。今では懐かしい思い出のようなものだ。けれど、彼の声を、顔を、姿を忘れられないのはどうしてだろう。

「えぇ。毎年、この時期になるとよく貴方様の話を」
「……え?」
「生前から言っていたことです。貴方様のことが大切だと、放って置けないと。私は貴方様の名前を、兄が夢の中で言ってから知りました」

 確かに、どうして名前を知っているのだろうと疑問に思った。十年前、彼はまだ学生でも初等部に入る歳に満ちていなかったはずだ。それなのに言ったこともない自分の名を覚えているなんて。

「信仰のない方は信仰心の薄い方は、死者の声が聞こえるかと笑いますが…。兄が毎年貴方の話を持ってくるものですから」
「…例えば、どんな」

 声どころか、手も震えてしまう。どうして、なんで。あり得ないことだ、死者の声など聞こえるものか。

「貴方様と初めて出会った日のこと、貴方様がどれほど純粋で不安定な存在なのか、…これを私の口から言っていいのかわかりませんが」

 迷ったような視線に、思わず縋り付き、少年の前に膝をついた。

「なんでもいい、アイツの考えてることがわかるなら、」
「……後悔していました。貴方に真面目に告白しなかったこと、嘘や冗談ではなく、本当に心から貴方を慕っていたこと、関係が壊れることを恐れて、茶化すようにしか言えなかったこと。俺を好きになればいい、じゃなくて、お前が好きだと、言えばよかったと」

 もうその言葉を聞いて、ローレンは疑うことなど出来なかった。その言葉は自分と彼の二人しか知らない、二人だけの閨事だった。

「伝えられなかったこと、ずっと後悔していました。ですが決まって最後には、今、貴方様が幸せかどうか、そればかりです。偶にしか来ないくせに、この十年間、するのは貴方様の話ばかり」

 どうして。違う、俺が悪かったのだ。
 沢山の思いが頭の中に流れ込んで、もう何も言えなかった。涙を堪えることだけで必死だった。

「…そういえば、今日からもう立ち入り禁止ですか。そろそろ花が枯れるだろうと思って新しく持ってきたのですが、仕方ありませんね」

 腕にかけていた籠の中はどうやら花だったようだ。覗き込むと、青いその花からは懐かしい匂いがした。

「これ…」

 毎年、彼の墓前に据えられている花。時には枯れかけて、時には置いたばかりのように綺麗で。
 そしていつも、脳まで痺れるような甘ったるい匂いをしていた。

「兄が好きだった花です。この花の香水、女性向けなのに毎日つけていて」
「…知ってる」

 何度も何度も、その匂いが鼻に届いた。けれど、出会った時からそうだったわけではない。

「貴方が好きな匂いだと言ったから、と」
「……ばっかじゃねぇの、本当に…」

 目頭が濡れて、慌てて押さえる。もう、本当にバカだ。ふと思ったことを言っただけで、たまたまつけていたその香水を毎日つけるようになった。
 そんなことを憶えている俺も、大概バカだ。

「兄は昨日も言っていました。…貴方様は今、お幸せですか?幸せなら、いいって。兄が言うものですから」
「ーーあぁ」

 幸せだ。お前が死んでから、何かが壊れていた。何かは今でも分からないけれど、確かに何かがパキン、と音を立てて無くなった。
 けれどつい最近、それを無理矢理にでも繋ぎ直した人がいた。

「幸せだと、思ってもいいんだろうか」

 そうしてようやく、ローレンは少年の顔を見た。彼と同じ、紫色の綺麗な瞳で。

「当たり前です。そうでなくては、兄や、その他に亡くなった方達が浮かばれません」

 そう断言した少年に、ローレンはただ「ありがとう」と言うことしかできなかった。
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