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52,彼らが生きていた時代

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 男はいつも吐きそうなほど甘い匂いの香水をつけていた。それをつけていると女にモテるのだと言って、自分はそれを香水屋の店員にだろうと鼻で笑い飛ばした。
 男は自分の周りにいたどんな奴とも違う視線で自分を見ていた。
『無理をしすぎなんじゃないのか、ローレン』
 そう言いながら撫でてくれた手は、鍛錬の傷だらけだった。おかげで頭を触られるたびに引っ張られるような感覚がしたけれど、そんなところも嫌いじゃなかった。

 けれど、好きにはなれなかった。
 彼は、ローレンを初めて抱いた男だった。




「…もうそろそろか」

 ふと今日の日付を考えて呟いたローレンに、眠そうな目で起き上がったロイスが何のことかを聞いてくる。

「大したことじゃありませんよ。十年前の内紛の」
「あぁ…」

 目を細める夫を横目に、てきぱきと服を着る。

「ちょうど十年ですからね。慰霊碑、貴方も参列するのでしょう?」
「その予定です。…確か、貴方の知り合いの方も」
「えぇ。仲の良かった同期が数名と、…そこそこ仲の良かった奴が一人」

 十年前。この国でアルファとして生を受けた男たちが、オメガの少年を奴隷として海外に売り渡していたのが発覚した。憲兵はそれを事件として、もちろんアルファの男数名を逮捕した。
 だが問題はここからだった。先代の王が絶対主義だったこともあり、アルファとオメガの尊卑が激しかった。
 おかげでアルファ擁護派の人間がデモを起こし、アルファがいかに尊いかを説き、挙句には爆発事件を起こした。
 事件の現場は当時逮捕された男たちを捉えていた牢近くの憲兵の屯所で、そこには雑用を与えられた新兵ーー丁度、ローレンの同期たちがそこそこの人数いた。
 ローレンや他数十名は他の場所に配置されていたが、あの場所にいた者は殆どが爆発に飲み込まれて死んでしまった。爆発に飲み込まれた者はまだ良かったのかもしれない。
 狂った首謀者たちを捉えようと躍起になった兵士は、剣で刺されて最後まで苦しみながら逝ったという。
 国境付近の根城に立てこもったアルファと、それに雇われた平民よりも下の位の者により、暫く国内での戦争が絶えなかった。何より酷かったのは、アルファ尊厳思考の貴族が彼らに味方したことにあったのだが。
 多くの者が亡くなった。自分と同じ年の、自分と仲の良かった者たちが死んだと聞かされ、彼らの見るも無残な死体に花を添えた。
 自分を抱いていた男が、自分を最後に抱いた三日後に死んだと聞いた。何故かはわからないけれど、ただ涙が溢れた。
 全員分回ることは出来ない。墓地は広いし、悪いがもう顔も思い出せない者もいる。
 だが毎年欠かさずあの男の墓参りに行ってしまうのは、罪の意識に対する懺悔だろうか。
『俺を好きになればいい』
 そう言ったあの男の気持ちを知っていて、鼻で笑い飛ばした。
 時代が変わって、陛下が即位して、オメガの彼が王妃になって。きっとあと十年もすれば時代は変わるのだろうけれど、陛下はあの事件から毎年慰霊碑を訪れている。それに乗じて自分も行くのだ。

「私はあの頃まだ学生でしたが、周りから死者が多数出ているとは聞きました。まさか終わった後に全て確認したら、あんな人数になるなんて」

 人の命は軽くない。けれど、いつ死んでしまうか、いつまで生きられるか、そんなの誰にも分からない。

「…そうですね」

 他の奴らの顔は、もう遠い昔の思い出に微かにしか残っていない。けれども彼の笑った声や、蒸せるような甘い匂いや、ガサガサで硬かった手の感触が、目を瞑れば今でも鮮明に思い出す。

 死ぬ人が、死ぬ直前に伝えたい言葉は、なんだろう。






「この時期になるといつもそんな感じだねぇ」
「まぁ、浮き立つ奴はいないでしょうね」

 昨日の会議で、慰霊碑に訪れるスケジュールが大体組まれたようだ。こういう話が出ると一気に辛気臭くなるのは毎年のことだ。

「特に陛下が即位なさってからはオメガの雇用も増えましたから。…十年前に今の歳だったなら、我が身でもおかしくなかったでしょうに」
「……俺ねぇ、小さい頃に兄様と生き別れてから、アルファなんてろくな奴いない~って思ってたんだよね」
「オメガの方は大概そうでしょうね」
「だってアルファとかオメガとか、所詮性別じゃん?なりたいって思って変われるわけでもないんだし、バカにしたり見下したりする方がおかしくない?」

 勿論ローレンもその考え方で生きてきたし、陛下だって同じような考え方に違いない。ただそれでも、そうじゃない奴がいるのだ。

「…出来ることなら、俺も陛下に十年前に即位して欲しかった」

 前王は無能だったと、ローレンは今でも思う。計画性のない兵の投資に、貴族から背を向けられることの恐怖で強く出られない。そのせいで一体どれほどの命が犠牲になったことやら。
 挙げ句の果てには事件が収束する前に持病で息を引き取り、全ての後始末から被害者の数を出すまで、全てを陛下が取り仕切った。

「……俺は、運が良かったんだよねぇ」

 レイがしみじみと呟く。彼は密商人の残党に攫われた一人だ。その頃にはもう事件も収束していて、あとは罪人を残らず捕らえるだけだった。
 けれどレイと同じ年代の、レイと共に捕らえられた者たちは、一人残らず貴族の悪趣味な慰めものにされるか、海外で奴隷のように扱われたと聞いた。

「貴方がこの世にいて、陛下と出会ってくださって、本当に良かったと思います」

 今でも固定観念は残っている。それでもあの頃よりも随分とマシになったこの世界を、死んだ彼らが見たらどう思うか。
 空の上からでも、地の底からでも、見られたらいいと思う。それが出来ないというのなら。

「あの世に俺が言った時に、話せることが沢山です」

 俺がそちらに行ったなら、いつかのように、酒を飲んで馬鹿騒ぎをしようか。
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