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逆恨みと決意

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 バチン!と皮膚を叩く鞭の音が容赦なく響く。手の甲は皮膚が薄いから、叩かれるととてつもなく痛い。
 毎回きちんとやっているのに!とアリカは怒鳴りつけたい気持ちをぐっと我慢するが、痛みを我慢する声だけは少し出てしまった。

「い、っ」
「声をあげない!たとえ悲鳴をあげてしまったとして、どれほど小さくとも出さないようにしかと呑み込むのです!」

 馬鹿じゃないの、と思いながらこの道を選んでしまったのは誰か。
 ミハエルに選ばれたことにより有頂天になった結果、王太子妃を今からでも目指してやる、いいや、なってやると決めたアリカ自身。
 だから、王太后自ら教育係を引っ張ってきて、今は王太子妃宮にほぼ幽閉のような形で寝る間も惜しみ、教育が行われている。
 学園にも行けず、楽しみといえばミハエルとのお茶会。しかし、そのお茶会にはミハエルをこれでもかと溺愛している王太后ヴィルヘルミーナが同席しているのだから、居心地の悪さだけは天下一品だ。

「……何ですかその目は」

 思わず教育係の夫人を睨んでしまっていた。
 はっ、とアリカは気付いて慌てて否定をしようとしたが、夫人の持つ教育用の鞭が、バチン!とアリカの頬を容赦なく打ち付けた。

「きゃあっ!」
「まあぁ、わざとらしいこと。シェリアスルーツ侯爵令嬢はそれくらい耐えましたよ?」

 フン、と小馬鹿にした様子で教育係の夫人はアリカを見下ろす。わざとらしいのはどっちだ!と言いたいが反論すればするほど折檻はひどくなる。
 叩かれた頬は、じくじくと痛み、熱を持ち、頬全体へと広がっていく。手の甲だって何度もぶたれ、真っ赤に腫れあがっているし、叩くところがない!と意味の分からないことを言いながら手首あたりまで、結構広い範囲を叩かれているから、無残な姿になってしまっている。

「人と、比べないで!」
「まぁ図々しいこと」
「何ですって!?」

 アリカの言葉に、教育係の夫人は小馬鹿にしたような笑顔を浮かべた。
 何でだろう、きっと今の反論は当たり前のはずなのに、言ってはいけない言葉を言ったような気持ちにさえなってくる。大丈夫、この教育係が何かまた嫌がらせに近い言葉で、と文句のシミュレーションをしていたアリカに突き付けられた真実。

「ミハエル様からの告白を言葉のままにお受けになって、調子にのってそのまま王太子妃になると意気込んだのはどこのどなたでございましょう?」
「……あ」

 ――そうだ。

「(そう言ったのは、私じゃないの)」

 ほんの少し前、フローリアが学園に来なくなったあの日。
 まだ一か月も経過していないというのに、何故だか酷く昔のことのように思えてしまう。だが、間違いなくあの日に、ミハエルからアリカに対して『おばあさまが王太子妃の教育係を見繕ってくださるそうだ!母上は頼りにならないから、とおばあさまが全面協力してくれるのだ!』と、何も分かっていなかったあの時は大喜びした。
 あの時はこんなにも王太子妃教育が辛いなんて思っていなかった。
 貴族令嬢として、様々な教育を受けてきたし、学園でもマナーレッスンはあったんだから、きっと問題ないんだ。そう確信していた。

 しかし、アリカは過去をほんの少し悔やむと同時に、こう思っているのだ。

 フローリアが、きちんとアリカに対して王太子妃教育の何たるかを教えてくれていれば、こんなことにはならなかったのに、と。

 これこそが矛盾した考えなんだと、アリカは思う筈もない。
 王太子妃教育に関して、口外すれば家が取り潰しになるのは当たり前、王家に関する秘密を露呈したことによる罪で、一族皆殺しにされても文句はいえない。
 特にフローリアに関しては、ミハエルが足りていない『人間関係』を全力でフォローしていたのだから、求められるレベルが通常の王太子妃教育よりも上がっている。
 ハードルの高さが高すぎて、バーの下をくぐれば良いのでは、と思うほどに高いハードルをフローリアは飛び越えてしまった、というわけだ。

 なお、王妃はフローリアを心から労わる意味でお茶会に誘っていたのだが、それほどまでにミハエルが対人関係を築くのが下手くそだと思っていなかった、らしい。
 母の愛は盲目、だがアルウィンに容赦なく事実を突きつけられ、フローリアが居なくなったところにやってきた大臣やその他官僚たちの嘆願書の内容が、見事な程に揃いも揃って『ミハエル殿下の対人関係が絶望的で、諸外国から国交断絶されかねません』というもの。

 ここで夢から覚めた王妃は、国王のフォローの本当の意味を知ることとなったのだが、時すでに遅し。

 フローリアは現在、騎士団に入団して侯爵家当主の教育の一環として肉体・魔法共に改めて基礎訓練を受けている。シェリアスルーツ侯爵家の役割からして、貧弱で戦えない当主などもってのほか。
 いや、フローリアは十分強いのだが、念には念を。騎士団の基礎訓練から魔獣討伐の実習訓練を経たのち、フローリアは一時退団して、侯爵として領地経営にも本格的に着手することになっている。

 とはいえ、アリカはそんなこと一切知らないからといって、勝手にフローリアに対しての怒りをめきめきと成長させている真っ最中。

「……至らぬ点のご指摘、誠にありがとうございます」

 頭なんか下げたくないけれど、こうしないともっと酷い折檻を受けることは分かりきっている。
 じくじくと痛む手を隠し、頭を下げれば教育係の夫人は、ころりと機嫌を直した。

「分かればよろしいのですよ。王太后さまとて、鬼ではございません。アリカ様が学園卒業後に王太子としてミハエル様のお披露目式に間に合うように、心を鬼にしておられるのです!」
「……はい、存じております」
「よろしい!では、休憩の後におさらいをしてから本日は終了といたします。食事のマナーはもう習得、としてもよろしいレベルになっておりますので、お茶会でのマナーに関しては本日終了やもしれませんね」

 ほほほ、と笑って去っていく夫人の背中を見送り、アリカは大きな息を吐いてどかりと椅子に腰を下ろした。

「……ふざけんじゃないわよ……!」

 貴重な休憩時間だから、といって気は抜けない。
 まずは手に回復魔法をかけて、痛みも消しておく。そして、冷えたお茶をぐっと一気に飲み干して、そっと教育部屋から外に出る。

 王宮は広いが、アリカの行ける範囲は限られている。
 追い返された騎士団の訓練場は、貴重な息抜きの出来る場だったのだ。堂々と顔を見せるわけにはいかないが、騎士たちの様子が、今は通えていない学園を思い出す。
 懐かしいな、と思いながらこっそり木陰で座っていると、どうしても視界に入るフローリアの姿。アルウィンもいるしセルジュもいる。
 新人たちと衝突があったらしいが、なんやかんやでうまくやっているのも、どうしようもなくイラついた。

「……何で、あの子は何でも持っていくの……」

 王太子妃宮に押し込められ、まともに王宮のメイドとは会話が出来ず、アリカはたった一人で耐えているような環境なのに、フローリアは笑顔でいられるだなんて。

「許さないんだから……」

 ぎり、とアリカは手をきつく握りしめる。
 そうして、卒業パーティーであのフローリアの笑顔を歪ませてやるんだから、とアリカは心に誓った。
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