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閑話ー第二王子の決意と始まり①ー

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それは、きっとたまたまだった。
でも、それが無ければ、きっと第二王子は自分の意思で動くことはなかったのであろう。

ある日の昼下がり。
兄である第一王子は王太子教育後に婚約者との茶会があると、第二王子付きの護衛から教えられた。
ならば、午後からの散策に中庭のコースは外そうと。
確か茶会は東屋で行われるはずだったな、と第二王子は考えていた。
そう、きちんと考えていたのに。

「しまった…」

ラクシスはついうっかり、己が借りた本の返却を忘れており、昼食の席で申し訳なさそうにする伝令から『ラクシス殿下、お貸ししている古書の返却が…その…』と聞き、慌てて昼食を済ませて図書館へと走っていた。
王妃に見られると間違いなく叱られるだろうが、司書長を怒らせてから図書館への出入り禁止令(数日ではあるが)を言われる方がキツい。

だから、慌てていて本当にうっかりしていたのだ。

図書館への一番の近道である中庭を駆け抜けようとしたまさにその時、ガチャン、という食器の割れる音が聞こえた。

「…?」

この時、少しの好奇心を出さなければ。

「………申し訳ございません、第一王子殿下」

冷えきった幼い声に、思わずラクシスは息をのみ、そっと木陰に隠れた。
その声は間違いなく、兄の婚約者であるレティシエリーゼの声だったのだ。

彼女のあのような冷えきった声は聞いたことがなかった。

王妃と対峙する時も、国王陛下と対峙する時も。
サーグリッド公爵家当主である彼女の祖父と会話をしている時も、あんな声音は聞いたことがない。

恐る恐る木陰から顔を出すと、真っ青な顔をしている兄の姿が。兄の向かいに座るレティシエリーゼの姿が、それぞれ確認できたのだが。
ほんの一瞬見えた彼女の目が、とんでもなく冷えきったものであった。

これ以上、ここに居てはいけない。

本能的に察した幼いラクシスは、足音を立てずにそおっとその場を立ち去り、無事に図書館へと本を返却したのだが、自室への帰り道でメイドの会話を聞いてしまった。

「ねぇ……第一王子殿下、レティシエリーゼ嬢にまた、でしょう…?」
「どうして護衛騎士は何も諌めないのかしら…レティシエリーゼ嬢が可哀想よ…!」

小さな声で囁かれる内容に、ラクシスは首を傾げる。
たまに兄と食事をすることがあるが、レティシエリーゼ嬢にどうやらベタ惚れをしているようで、会話の内容はどれくらいレティシエリーゼが素晴らしいか、というものばかりで。
でも、先程の冷えきった眼差しのレティシエリーゼや、今のメイドの会話を聞く限り、何かがズレているような気がした、本能的に。

「…まさか」

王妃である母が嘆いているのを聞いたことをふと思い出す。

『全く………どうして自分の気持ちを何も言わずに察してもらえると思っているのあのバカ息子…っ!』

「いや、そんな……え……?」

かちり、かちり、とピースが合わさっていくような音がした、ような気がした。

もしも、兄が自分に話している内容が、兄だけの感情であるのならば。

兄の婚約者に内定したレティシエリーゼを見た時、痛烈なほど惚れ込みそうになったのを覚えている。
ふわりと微笑むあの優しい眼差しを。
流れるような銀髪を、自分よりは歳が少し上だけど、ほとんど歳の変わらないあの彼女の優雅さを。
強烈な感情に襲われた。一目惚れ、というやつだ。
だがこれは国王が定めた婚約。
個人ではない、国のため。
どうして自分では無いのかと一瞬考えたが、王族たるものそのような感情は持ち合わせてはならぬ、と鋼鉄の精神で己を戒めていたのに。

気が付くと王妃である母の元に足が向いていた。
母への謁見許可を貰い、改めて伺い直し、ドアをノックして室内に入る。
執務を行っていた母の手が、ふと止まる。

「どうしました、ラクシス」
「…率直に伺います、母上様」
「どうぞ?」
「兄上はまさか…サーグリッド公爵令嬢に対して、第三者から見て、有り得ないと言わしめるほどの対応をしておられるのですか?」

『違う』と言ってほしかった。

「そうよ。あら、ついにラクシスのところまで届いてしまったのね」

あまりにあっさり認めた母の様子に、頭を思いきり殴られた感じがした。

「嘘だと、思いたかった…」
「あの子はね、良くも悪くも国王陛下にそっくりなの。婚約者時代に私も幾度となくやられたわ。レティシエリーゼは弁えすぎているから、私みたいにやり返していないだけよ」

とりあえず我が母と父の若い頃に何があったのか激しく気になるところではあるが、ラクシスの胸にはチリチリと燻るような感情が大きくなってきている。
自分は兄に何も勝っていないのかもしれないけれど、でも。

「…母上」
「なぁに?」
「僕はまだ…王太子教育は、受けられないのですか?」
「ラクシス、貴方…」

素直にレティシエリーゼの事を欲しているなんて悟られてはいけない。

「これも聞きました。兄上の王太子教育が思うように進んでいない、とも」

少し俯きがちで話はしていたが、ゆるりと顔を上げる。
浮かべるのは、感情を悟られないための微笑。

「…全く…アルティアスより歳下なのに、どういう情報網を持っているのかしら…」
「いつかは、僕も王太子教育をして頂けると信じたが故の諜報活動です」

嘘だ。
兄の行動や言動、そして自分が幼いからとついうっかり愚痴を軽く零してしまった兄の家庭教師の発言から、必死に推測しただけ。

「……まぁ、良いでしょう。テストを受けなさい、王太子教育をするに足りるかどうかの」

相当訝しんでいるらしい母の視線は必死に微笑で耐え抜く。
国母としての己の母、国王陛下を支える立場の母、そうして自分たちの母、全てを欺くための微笑を貫き通す。
ここで失敗してはいけないのだ。

「ありがとうございます」
「何をどう企んでいるのかはまぁ…今は伏せておきましょう。後々語ってもらうとして、ラクシス」
「はい」
「第一王子や側妃の王子達より貴方は年齢は若く、受けている教育の質から考えても、相当辛いものになるわよ」
「はい」
「耐えられるの?始まってから取り消しはききませんよ?」
「元より承知です」

手のひらをぐっと握り締める。

「血反吐を吐くかもしれなくてよ?」
「はい」
「…良いわ、ならすぐに手配いたしましょう」

手のひらに爪が食い込む感触がした。
ぬるぬるとしたそれは、己の血かもしれない。
痛い。
熱い。
耐えろ。耐えろ。耐えろ。

「ありがとう存じます、母上様」

深々と頭を下げて、退出したその後。

「……全く……末恐ろしい子だこと」

ぽつりと、王妃ーレイチェル・ウル・フォン・クリミアは、零した。

悟られないようなあの微笑。
どれだけ圧をかけていても折れない精神。

「…側妃達の王子よりも、……アルティアスよりも……器かもしれないだなんて」

施政者として、国母として、そして息子の母として。
自然と笑みが深まる。

「ラクシス…這い上がっていらっしゃい」

退出したドアを見つめ、レイチェルは笑みを更に深めたのであった。


(続く)
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