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婚約解消しましょう

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 前世の記憶を持つ者など、存在し得るのだろうか。
 「私、記憶があります」と言ったところで、頭のおかしい人間だと思われて終わってしまうから、まず友や家族に相談する人がいるとも思えないので、『存在しない』という方が正しいのかもしれない。

 前世の記憶を持っていたとしても、、それは『持っている』にならないのではないだろうか。


 だが、ふとした瞬間に思い出してしまったら?


 しかも、今まさに浮気をしている婚約者の目の前で。


 王太子の婚約者、ヴェルヴェディア公爵家長女・ナディスは、思い出してしまった。


 己が前世で『稀代の悪女』と言われていたことを。
 家の力、権限、ありとあらゆるものを使い、無論本人も努力をして第一王子ミハエル──今目の前にいる王太子の婚約者になったこと。
 王太子に近づく令嬢に対してはありとあらゆる嫌がらせを行い、罵倒し、排除した。
 無論、下位貴族であれば取り潰しに至るような致命傷を負わせて潰しきった。

 なお、ナディスが愛した王太子は、家の力を使って婚約者となったナディスを毛嫌いしており、毎回違う令嬢とあんなことやそんなことをしていた。
 わざわざ月一度の茶会の時に合わせてそれを見せつけるようにお披露目してくれて、ナディスの心を滅多刺しにしてくれたりもしたが、それら含めて前世でのあれこれを、併せてまるっと思い出した。

 結果的に、公爵家令嬢という立場にありながら他の貴族令嬢から疎まれ、孤立し、王太子妃の座も他の令嬢に奪われ、父母共々冤罪をかけられてしまい、斬首され、死亡した。


 ───今回も、この婚約が嫌だからといって浮気をするのは同じようだ。


 愕然とする一方、物凄い勢いで王太子に対するありとあらゆる感情が冷え、凍りつき、砕け散る音が聞こえた。

 勝ち誇ったようにナディスを見る王太子と、彼の腕の中にいる令嬢。名前は確かロベリア=フォン=クレベリン。
 艶やかな腰まである真っ直ぐの翠色の髪、黄金の瞳、少しつり上がった目はまるで猫のように可愛らしく映る。

 まるで私が勝者!と言わんばかりに笑う彼女を特に何の感情もなく真顔でじぃっと見つめていると、王太子は嫌そうに顔を歪めた。

「……ハッ、随分とまた陰鬱な顔なものだ。そんなにロベリアが憎いか?ん?家の力でようやく我が婚約者になれた女とはいえ、ロベリアを憎むのはお門違いというものだぞ」

 『何を言っているんだろう』としか思えない発言に、ナディスは酷い目眩に襲われたが気合いで堪えた。王太子妃教育の賜物だ。
 あぁ、前世の『私』とついさっきまでの『私』、どうしてこんな男に熱を上げていたんですか?と内心問いかけるが、恋心も何もかも霧散してしまったのだから、答えなぞ返ってくるわけもなかった。

「家の力を使わねば、お前がわたしと婚約などできるはずもないのにな。公爵家といえど、王族との婚約は本来は国王が命じるものであるものだからな!それを貴様は公爵に頼み込んで無理矢理に!」

 あぁ、そのへんはご存知だったのですねぇ。と心の中で相槌をうつ。
 会話をすることすら嫌になってしまったので、とりあえず言うことは言ってしまおうと思い、ナディスは目の前の王太子が言葉を紡ぐ前に座っていたソファからすっと立ち上がる。
 予想もしない行動に呆気に取られる二人だが、更に続いた言葉に唖然とした。


「嫌であれば、もうすっぱり婚約解消いたしましょう。父にはわたくしから報告いたしますので、国王陛下には王太子殿下よりご報告なさってください。失礼します」


 淑女の鑑、貴族令嬢の見本、他にも様々な呼び名があるナディスが、人の言葉を遮るようにして立ち上がり、相手の返答を待たずしてその場を立ち去るなど、誰が想像しただろうか。

 礼儀作法に特に厳しい王妃からも、『ナディス嬢であれば、きっと将来は安泰だわ』と言われるほどだった。

 だが、それはひとえにミハエルを愛していたからこそ。
 それが無くなればもうミハエルに対して尽くす義理も、何も無い。一応、公爵家として王家に尽くすことはある(とは思う)が、支持する王子が変わったらごめんなさいねぇ、と内心付け加えた。口には勿論出さない。


「い、いやまて、おま、は?婚約解消?!」

「王太子殿下におかれましては、そちらの侯爵令嬢と結ばれるのがよろしいかと判断致しました。わたくしとの面会日に常にいらっしゃるので、てっきり新しく婚約を結ばれたのかと」

「だから待て!お、おい!」

「それでは失礼致します。後ほど、婚約解消の手続きを行うための書類を我が家から王家にお持ち致しますゆえ」


 優雅に一礼し、何やら引き止めるために騒ぎ立てる王太子を完全無視して部屋を出、慣れた王宮内の回廊を歩く。


「善は急げ、さっさといたしましょ」


 そう呟いて、ナディスは公爵家の家紋がついた馬車に乗り込み、さっさと帰宅したのだった。
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