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21 花火

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 八月終わりの最終週、夏休みが終わり、週の途中から新学期が始まった。

 従兄弟の海斗をはじめ、クラスメイトはこんがり焼けた人が多かった。ほぼ男子だけだが。僕は『桜ヶ丘珈琲』に通う毎日だったので、特に日焼けはしていない。中学校で野球をやっていた頃は、僕もこんがりしていた時期もあったのが懐かしい。

 夏祭りの日以降、彼女は『桜ヶ丘珈琲』には来なかった。

 ただチャットのやりとりはしている。それによると、彼女はあの日以降体調を崩しているらしい。熱が下がらないらしく、本人曰く『夏バテ』らしいが、本当にそうだろうか。病気が悪化しているのではと不安だ。

 しかし、本人は『熱があるだけで暇』らしく、家で描いたのであろうお絵描き帳の絵を、チャットで『今日の力作』として送ってきている。
 絵を描く余裕があると思えば、そこまで心配することもないのだろうか。彼女は本当の体調を隠す傾向にあるので、そういうことで推し量るしかない。

 そんなこんなで九月も十日を過ぎ、平日の夕方に久しぶりに彼女は『桜ヶ丘珈琲』にやってきた。かれこれ二週間以上も彼女を見ていなかった。

「コウ君、久しぶり~」

 ほんの少し、彼女は痩せた気がした。白色のワンピースを着ているのもあるだろうが、元々、肌が白いのもあって、儚げな様子になっている。

「久しぶり。……なんか細くなったね」
「まあね。ほら、おふとんでゴロゴロしてたらお腹空かないじゃない? だからご飯の量が減っちゃってさぁ。夏バテで食欲なくなっちゃったのもあるかも」

 明るく答えた彼女は、僕の隣に座ってさっそくお絵描き帳を開いた。描きかけの絵の続きを始めている。

 なんだか誤魔化された気はするけれど、あまり踏み入り過ぎるのも良くないかもしれない。そう思って、帰って寝ていた方がいいのでは、という言葉を呑み込んだ。

「ねぇ、花火はいつする?」
「……まだ暑いし、あと少し涼しくなってからがいいんじゃない?」

 彼女の体調が万全な日がいい。

「じゃあ、十日後くらい?」
「そうだね」
「おばあちゃんがね、花火をうちの庭でしていいよって言ってるの」
「え、いいの? 星を見た野球の練習場に行こうと思ってたんだけど」
「うちの庭って広いし、砂利のところがあるからそこでしたらって。水汲み用の蛇口も近いし」
「あ、水場が近いのは助かる」
「でしょでしょ。じゃあ、決まりね!」
「うん」

 なんて約束をしたけれど、あとからちょっとだけ後悔した。友達の祖母宅に急に遊びに行くって、どうよ。彼女をお迎えに行くのとは訳が違うのに。いくら一度会ったことのあるおばあさんだとしても、時々顔を出す僕の人見知りがお友達宅訪問というイベントに尻込みした。


 ● ● ●


 十日が過ぎ、あっという間に花火をする日となってしまった。

 夕食を食べて、七時に彼女の家に到着した。そして緊張の面持ちでインターホンを押す。すると、すぐに家の中から『はーい、今開けます~』と小さい声がしたと思うと、バタバタという足音と共に玄関の扉が開いた。

「……インターホンの意味」
「え? 何?」

 首を傾げながら近寄って来る彼女に溜息が出る。

「誰か来たなら、インターホンで確認しないと」
「だって、コウ君来るのが分かってるし」
「知らない人だったらどうするの? 不用心だよ」
「え~、大丈夫だよ、コウ君の心配性~」

 ジト目で彼女を見ると、彼女は焦った顔をした。

「って、ごめんごめん、わかったよぉ! 次から確認するから!」
「そうしてね」
「うん。――さぁ、入って入って!」
「お邪魔します」

 門の前で会話していた僕等は、門を閉めて玄関の中に入った。

「ごめんけど、靴を脱いだら靴は持ってきてくれる?」
「うん」

 彼女の祖母宅は外から見ても大きかったが、中は思っている以上に広い。彼女の後ろをついて複数の和室の横の廊下を通り、洋風リビングへ入った。

「おばーちゃーん! コウ君来た~」

 リビングの奥はキッチンらしい。彼女の祖母が麦茶らしきものが入っているコップを乗せたお盆を持って現れた。今日は杖をついていないが、足が悪いからか歩みはゆっくりだ。

「いらっしゃい、コウ君」
「お、お邪魔してます」

 内心緊張しつつ答えて、僕は母に持たされた羊羹を彼女の祖母の前に差し出した。彼女が祖母からお盆を受け取り、祖母が羊羹を手にする。

「羊羹なんですけど、お好きですか?」
「あらあら、わざわざありがとう。羊羹好きですよ。あとから一緒に食べましょう」
「ありがとう、コウ君」

 よし、第一関門は突破したか。何の関門かは分からないが。
 友達の家で花火をすると言ったら、慌てた母が羊羹を持っていけと言うので持ってきただけだが、手土産は大事だ。

「コウ君、靴は庭に置いてね~」
「あ、うん」

 彼女の後を追ってリビング横の庭に靴を置く。彼女も玄関から持ってきた靴を庭に置いて履いた。

「まずはバケツに水を汲みに行こう」
「うん」

 庭を彼女と一緒に歩いて裏へ行く。そしてバケツに水を入れて表に戻ってきて、庭の砂利のところに置いた。ここの庭は広くて、芝生部分と砂利部分があるようだ。

 持ってきた花火と彼女も花火を買っていたので、すぐに使えるように袋から取り出す。

「線香花火はやっぱり最後だよね」
「そうだね」
「サヤ、蝋燭持ってきたよ」
「ありがとう、おばあちゃん」

 彼女は火の付いた蝋燭を庭の石段の足場に立てようとしたが、すぐに倒れて蝋燭の火が消えてしまった。

「あ~……」
「サヤ、蝋燭を貸してごらん」
「うん」

 彼女は祖母に蝋燭を渡すと、祖母は再びマッチを使って蝋燭に火を点けた。

「サヤ、その石段のところに蝋燭の蝋を垂らして、液状の蝋にすぐに蝋燭を立ててみてごらん」
「うん」

 祖母に言われた通りにすると、蝋燭が石段に立った。垂らした蝋が固まって蝋燭を石段に固定したのだ。

「わぁ~、立った~! ありがとう、おばあちゃん!」
「ええ。――もう電気は消してもいいかしら?」
「いいよ~」

 祖母は網戸を閉めると、リビングの電気を消した。現在はリビングの奥のキッチンの明かりが遠くに光り、外の闇の中に蝋燭の光だけが揺らめいている。

「よーし、コウ君しよ~」
「うん」

 それぞれ花火を選んで、蝋燭で火を点ける。点火された手持ち花火から色とりどりの花火が暗闇を明るく照らす。

「わぁ~、私の花火、色が変わる~」
「……あっ、俺の一瞬で終わった」

 終わったら水の入ったバケツに投入し、次々と花火に火を点けて行く。
 彼女は花火を持って手を回した。

「あ、やると思った。八の字」
「違いますぅ~。これは無限ですぅ~」

 空中に花火の光の残像と煙とで、彼女曰く『無限』マークが浮かんでいる。

「兄ちゃんいるときは、昼間に蛇玉とかやってたなぁ」
「何それ。昼にするの?」
「丸くて平べったい黒い炭みたいな花火なんだけど、火を点けると蛇みたいに伸びるだけの花火。俺たちは好きだったけど、親が臭いから嫌がってたんだよね」

 色んな種類の花火をやって、最後に線香花火をする。

「同時に火を点けて、長くもった方が勝ちね」
「そういうのやりたがるよね。俺、強いよ」
「え、これ強いとかあるの? 運じゃないの?」

 二人で同時に火を点けた。火が落ちないように二人ともじっとしている。
 静寂とオレンジ色の明かりが風流で、こういう静かな時間は好きだ。時折、小さな火花が散る。

「線香花火ってジジジって震えてるよね」
「指に振動が来るってのは分かる」
「……火の玉が落ちそ……あっ、あ~~~」
「俺の勝ちだね」

 彼女の線香花火が先に終わってしまった。むーっとした彼女はまだ残っている線香花火に手を伸ばした。

「もう一勝負!」
「はいはい」

 再び線香花火に二人とも火を点ける。
 彼女はじっと僕の線香花火を見て、ふーっと僕の花火に息を吹きかけた。

「あ、そういうことする?」
「ふふふ、戦略なのだよ。強風にも耐えられるか!? コウ君の花火……あーーーー!!」
「小細工に負けたな」
「どうしてぇ?」

 またもや彼女の線香花火が先に終わってしまった。

「もう一勝負ぅ!」
「はいはい」

 もう小細工は止めたらしい。彼女は両頬を膨らましている。どうやら息を止めているようだ。それは何か意味があるのか?

「……あ」
「はぁはぁ……やったぜぇ! 今のは私の勝ちよね!?」
「そうだね」

 一秒にも満たない差で、僕の線香花火のほうが先に落ちてしまった。これはこれで僕も少しだけ悔しい。

 そんなこんなで、線香花火対決は勝ち数が四対一で僕の勝ちだった。騒々しくて線香花火ならではの風流は消えたかもしれないが、これはこれで楽しい。彼女も満足気な顔をしていた。

 花火が終わり、後片付けをしてからリビングに入る。リビングに電気をつけると、テーブルには梨と羊羹が置いてあった。
 彼女の祖母が椅子に座って言った。

「手を洗っておいで。夜のおやつにしましょう」
「うん。コウ君こっち」
「うん」

 二人で手を洗って戻って来てから、三人でおやつタイムをする。

「この梨、美味しい~」
「『あきづき』よ。コウ君のおうちは梨は好きかしら」
「はい」
「だったらたくさんあるから持って帰って。今日送られてきたばかりなんだけれど、うちは二人だから消費できないの」
「ありがとうございます」

 毎年家で食べているのとは品種が違うのか、甘みがあって本当に美味しい梨だった。
 梨の後に羊羹も食べて、その後、彼女がトイレのために席を立った。二人きりのリビングで、彼女の祖母が口を開いた。

「サヤと遊んでくれてありがとうね、コウ君」
「い、いえ」
「サヤは寿命の話をしていると聞いているのだけれど」
「あ、はい。少しだけ聞きました」
「そう……。――サヤは可哀想な子なの。私は気づいてあげるのが遅くて、どれだけ後悔したか。でもサヤが明るいのはコウ君のお陰。ありがとう」

 気づいてあげるのが遅いとは、病気の事だろうか。聞き返そうと思ったけれど、彼女がトイレから戻ってきたため、それ以上聞けなかった。

 その後、数日前に陶芸教室から送られてきたばかりの力作を彼女が見せてくれた。彼女が作ったのは祖母用の湯呑、カップのふちに猫耳付きのカップ、皿を二つだ。ターコイズブルーのような色合いが思った以上に綺麗な品だ。

 僕の作品も彼女と同じ日に家に届いて、すでにチャットで写真を送り合っていた。

「やっぱり猫耳が正解だったよね! かっわいいよね!」
「まあね。うちも母さんに羨ましがられた。なんで私のは作ってこなかったの! って。皿を作ったのに」
「皿も素敵だけどね! でも、コウ君のママの美的感覚は私と似てるな~。おばあちゃんも湯呑使ってみたよね」
「ええ。最初の一杯目で茶柱が立ってたわ」
「そうなんだよね~」
「え、すごい」

 そのように少し三人で話をして、その日の花火は終了した。
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