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17 彼女の本当の姿

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 八月二日の昼二時前、僕と彼女は桜ヶ丘からバスに乗って駅に向かっていた。別れていなかった彼氏と話し合いのためだ。その日は最初から口数の少ない彼女は、少し緊張しているようだった。

 彼女とは前もって打ち合わせしている。だからバスが駅に到着すると、彼女から遅れること二十メートル、僕は彼女の後ろをついていく。

 二時四十分、彼女は全国チェーンのカフェに入った。彼女に遅れること三十秒、僕も同じカフェに入る。

 カフェの席は半分ほどが埋まっていた。女性同士で座る人たち、女性一人、男性一人、と客層はまちまちだ。

 このカフェは好きな席に座ってください、というスタイルの店だ。店に入って彼女を探すと彼女と目が合い、僕は彼女から十メートルほど離れた席に手を置くと、彼女は頷いた。この席は彼女から見えるから、この席でいいよ、ということだ。

 僕はその席に座り、アイスカフェラテを頼んでタブレットを取り出した。僕はここにいるだけでよいらしいので、タブレットでいつものように絵を描いて過ごす。

 三時少し前、彼女の席の前に男性が座った。オシャレ眼鏡をした背の高い青年で、東京ってあんな爽やかな人が多いのかな、と感想を持つ。

 僕はタブレットに絵を描きながらも、時々視線を上げて彼女たちを見た。周りに人がいて、彼女たちから離れているため声はまったく聞こえないけれど、彼女の様子は見える。

 彼女は彼氏の言葉に返事を返し、時々顔を横に振り、困った様子で彼氏を見ている。

 彼女は飲み物のストローを口にして、視線を僕に向けた。そして再び彼氏に何かを言っている。

 何度か僕と視線を合わせた彼女は、何度も彼氏に向けて顔を横に振り、最終的に彼氏は紙に何かを書いて彼女に渡して帰って行った。結局、彼女たちは二時間ほど話していた。

 彼氏が彼女を殴ったり、なんてことはなかったので、僕はほっとする。

 彼女はじっと彼氏が渡した紙を見つめ、それから自分のスマホを操作した。すると、僕のスマホにチャットが届き『十分後にカフェを出よう』と来たので『分かった』と返した。

 十分後、彼女がカフェを出て、僕も出る。再び二十メートルほど彼女から離れてついていき、駅のバス停から桜ヶ丘行きへ乗る。バスは彼女以外には二人しか乗っておらず、彼女は一番後ろに座っていたので、僕は彼女の隣に座った。

 バスが動き出す。

「どうだった?」
「……一応、別れられたと思う」
「話し合いは結構時間かかったね」
「それがね、高校は辞めちゃったし、もう親がいないからこっちで暮らすって言ったんだけどね。東京に帰ってきてとか、東京で暮らすところは潤が手配するとか、高校は一年留年になるけど大学まで行く手伝いするとか、他にも色々アドバイスしてくれた。潤ってすっごくいい人。……って普通なら思うのかな。でも私は、潤にそんなに頼ってばかりいたら、代わりに潤のお願いは何でも聞いてあげなくちゃいけなくなる未来が見えちゃった。そう考えちゃう私が捻くれてるのかな……」
「そんなことないよ。サヤが彼と過ごしてきて感じていることは、サヤにしか分からない。でも、サヤがそんな風に警戒したということは、そう感じさせるものが彼にはあったということ。自分を信じていいんじゃないかな」
「そうかな……。途中で何度かくじけそうになったけど、コウ君が見えたから意志を強く持てた。今日は付いてきてくれて、ありがと」
「……俺はいただけだけどね」
「それがいいんだよ。……でも、最後に潤の連絡先を渡されちゃった」

 彼女は紙を見せた。電話番号、チャットIDなどが書かれている。

「親がいないし、今は学校とか彼氏とか将来の事とか考えられないって何度も言って、とりあえず別れることには頷いてくれたんだけど。数ヶ月後でもいいから、落ち着いたら連絡してって。待ってるからって。――待ってなくていいのに。でも、病気の事は言いたくないし、いらないって言えなかった。……私っていい子じゃないのにな。好かれる要素なんて何もない。潤に構ってる余裕なんてないし、自分のことでいっぱいいっぱいなのに」

 彼女は最後は呟くように言って、窓の外を見た。
 僕はそれ以上何も言えなかった。彼女に何を言えば慰めになるのか分からないし、彼女も僕の返事を求めているようには見えない。

 バスは桜ヶ丘へ向かっているが、途中で雨が降り始めた。現在六時。夕立だろうか。

 急に降り始めた雨は激しく降っている。

「傘持ってきてないや」
「私も。通り雨かな」
「降りるバス停までに雨は止まなさそうだから、とりあえず『桜ヶ丘珈琲』まで走ろう。店に傘があるから、借りて来るよ」
「うん」

 バス停で降りた僕らは、彼女の家より近い『桜ヶ丘珈琲』へ走った。激しく降る雨は、一瞬で髪や服を濡らしていく。

 『桜ヶ丘珈琲』の軒下まで走って、僕らは自分の身体に付いた水滴を払う。

「結構濡れたねぇ」
「髪がびしょびしょ」
「私もだよ」

 彼女の緩く巻いた髪が濡れたことでまっすぐに伸びていた。
 あれ? 僕は彼女の違和感に気づいた。彼女の左目の下――僕から見たら右側の目の下――の目尻にホクロが縦に二つ並んでいる。水滴を手で拭った時に化粧が落ちたのかもしれない。いつもはないのに、と特に意味もなく僕はただそれを口にした。

「目の下にホクロがあるんだね」
「……え」
「左目の下に――」

 彼女は真っ青になって、目の下のホクロを隠すように目ごと手で覆った。

「け、化粧が取れちゃったんだ……ご、ごめん……っ」
「……何で謝るの?」
「見苦しいから……わ、私、このまま走って帰るね……っ」

 走りかけた彼女の腰を僕は引っ張った。

「待って待って、まだ雨すっごく降ってるよ。傘を借りて来るから待ってて」
「……で、でも」

 ホクロがあったというだけで急に動揺してしまっている彼女を落ち着かせなければならない。いまだ彼女は片目を手で覆って隠している。

「サヤ、ホクロを指摘したのは初めて見たと思ったからで他意はないよ。ホクロが見苦しいなんて思わないし、隠す必要ある?」

 ホクロは大きすぎず小さすぎずで、普通の大きさだ。顔にあることで目立つかもしれないが、顔にホクロがある人はたくさんいるし、その中の一人という程度。それに、ホクロは彼女に似合っているとも思う。

「……でも、気持ち悪いから」
「そんなことないよ」
「……コウ君はこれを見て気分悪くならない?」
「なるわけないじゃん。ただのホクロでしょ。……ホクロって可愛いと思うけど」

 女の子に可愛いとか褒めるなんて、僕のキャラじゃないのに。面映ゆい気持ちになり、それを顔に出さないように意識していると、彼女は見えている方の目を瞬きした。

「……ホクロ、変じゃない?」
「変じゃないよ。だからホクロを隠す必要はないんじゃないかな」
「……」

 彼女はゆっくりと目を隠していた手を退けた。緊張の面持ちで僕を見ている。こういう場合は、恥ずかしがらずに素直に感想を述べるべきだろう。

「うん、可愛いよ。似合ってる」

 誉め言葉が恥ずかしくならない、というのは無理だった。言ってから若干身体が熱くなる。
 彼女は困惑と緊張を混ぜたような表情に、少しだけ安堵を含めていた。

 その後、『桜ヶ丘珈琲』で傘を二つ借りて、彼女の家に一緒に向かう。僕は傘を回収するために同行した。

「帰ったらすぐにお風呂に入ってね」
「うん」
「結構濡れてるし、風邪引くからね。すぐに入るんだよ、すぐに」
「わかったよぉ。コウ君、心配しすぎ。コウ君も帰ったらお風呂ね」
「うん」

 彼女の家の玄関に到着し、彼女は傘をたたむ。

「傘ありがとう」
「いいよ」
「……コウ君」
「うん?」
「……本当にホクロ、見苦しくない?」
「見苦しくない。いつも化粧して隠してたんだよね。家ではどうしてるの?」
「……家では隠してない。おばあちゃんは気にしないから」
「サヤにはホクロがある。それはサヤの『本当の自分』なんじゃない?」
「……うん」
「サヤが隠さなくていいって思えたタイミングで隠すのを止めるといいんじゃないかな。俺はホクロがあるそのままでいいと思う」
「……うん」

 彼女とはそこで別れて僕は再び『桜ヶ丘珈琲』へ向かう。

 彼女はホクロを誰かに貶されたのだろうか。分からないが、ただ、彼女がホクロで嫌な目にあったのは確かで、それがなんとなく彼女の母が関係しているのでは、と彼女が自身の事を話してきた今までの流れからそう想像した。
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